学園の派閥騒動 前編 2

 店を出た後、馬車に乗った俺達は王都にあるローゼンベルク家の別宅へと帰還する。その道の途中、馬車がいきなりガクンと止まった。


「どうした、なにがあった?」


 万一のことを考えて警戒を怠らず、御者に向かって窓越しに問い掛ける。謝罪と共に返ってきたのは、子供が飛び出してきたという言葉だった。


「……子供? お嬢様、万一に備えてここでお待ちください」

「シリルはどうするのですか?」

「様子をうかがってきます。私が良いと言うまで決して馬車から降りないでくださいね」


 子供といえど油断はならない。そうやって油断させておいてという可能性を警戒しつつ、俺は馬車から飛び降りた。


 御者の言うとおり、馬車の前に幼い子供達がうずくまっている。身なりからして平民、それもかなり貧しい生活を送っている子供のようだ。

 痩せ細ってはいるが、目に見える怪我はしていない。

 緊急性がないことを確認した俺はさっと周囲に視線を向ける。静かな職人通りにほとんど人通りはない――が、路地裏にはいくつか気配を感じる。

 殺気は感じられないが、こちらの様子をうかがっているようだ。


 子供を使って馬車を止め、使用人の俺を馬車から降ろした。襲撃するつもりなら、これ以上のタイミングは望めないと思うが――


「そこのあなた達、大丈夫ですか?」


 試しに話しかけると、子供達はびくりと身を震わせた。おそらくは十歳前後、少年と少女が肩を寄せ合って震えている。演技でないとすれば相当に怯えているようだ。


「私の言葉が理解できますか?」

「に、兄ちゃんは俺達の敵か?」

「少なくとも、敵になった覚えはありません」

「じゃ、じゃあ、俺達を追ってきた奴らとは違うんだな?」

「ええ、それは違うと断言しましょう」


 そんな風に応えていると、こちらの様子をうかがっていた連中の気配が消えていく。まだ残っている者もいるが、少なくとも襲撃してくるつもりはなさそうだ。

 連中の狙いが子供達だとすれば、貴族と関わるリスクを避けたのかもしれない。


「それで、追っ手がいるとのことですが、なぜ追われているのですか?」

「それは――」


 聞かされたのは不幸な――そして、ありふれた話だった。

 両親はいるが、スラムで暮らす彼らは貧しく生活もままならない。ゆえに、妹が親に売られ、夜の仕事を取らされそうになったらしい。


 おそらくはノーネームという男が支配する闇ギルド。光と闇のエスプレッシーヴォというタイトルにおける闇の部分が関わっている。

 それを知った兄が妹を連れて逃げ出したそうだ。


 作中のシリルは闇ギルドと繋がりがあった。作中で語られていないだけで、もしかしたらこの出会いは既存のイベントなのかも知れない。

 だとしたら、ここでの対応は慎重を要する。


「兄ちゃん、頼むよ! 俺はどうなってもいい。だから、妹を助けてくれ!」

「な、なに言ってるの! 自分だけ助かるなんて嫌だよ!」


 美しい兄妹愛。同情はするが、この世界において子供が売られることは珍しくない。お嬢様の安全を第一に考えるのなら、関わらないのが正解だ。


「……シリル、どうなっているのですか? その子供達はどうしたのです」


 待ちきれなくなったのか、お嬢様が開け放った窓から顔を覗かせる。俺は子供達に「少しお待ちなさい」と言い放つ。


「――待てば妹を助けてくれるのか?」

「それを決めるのはお嬢様です。助かりたければ大人しく待っていなさい。そのあいだ、貴方達の身の安全は保証しましょう。それすら出来ないというのなら立ち去りなさい」


 少年は妹と顔を見合わせて頷きあう。そうして「分かった、言うとおりに待つから、その人に、妹を助けるように言ってくれ」と口にした。

 こんな状況でも、なにが最善かを理解している。なかなか見込みのある子供のようだ。


 少年達が大人しくしているのを確認した俺は、窓越しにお嬢様へと向き直る。そのうえで、お嬢様には親に売られた子供が逃げてきたようだと伝える。


「まぁ……親が子供を売るなんて、なんて酷い」

「そう、ですね」


 幼いお嬢様が知るには早い世界だと判断して表情を取り繕う。内心を顔に出さなかった自信はあったのだが、お嬢様には通用しなかったようだ。


「シリル、なにか隠していますね。わたくしが間違っているのなら教えてください。わたくしは、あなたの後ろに隠れているだけの子供でいたくありません」


 この国の闇を、十二歳のお嬢様に教えるのは早すぎる。けれど、お嬢様はそれを理解した上で、自分は知っておくべきだと判断したようだ。


 もう少し子供でいても良いと思うのだが……それがお嬢様の望みならば叶えよう。どのみち、お嬢様が侯爵令嬢として生きていく以上は、いつか向き合わなくてはいけない現実だ。

 だから――と、俺は口を開いた。


「間違っている訳ではありません。ですが、見方を変えれば真実も変わります。なぜ片方だけを売ったのか、その理由を考えれば想像はつきませんか?」


 いままでは売らず、そしていまになって娘を売ったのはなぜか。兄妹の片割れしか売らなかったのはなぜか。その理由を説明できる単純な答えが存在する。

 彼らの両親は子供を愛しているがゆえにいままでは売らず、どうしようもなくなったから、一人を売ることで、残った一人だけでも助けようとしたのだ。


 むろん、俺の想像でしかない。

 だが、実際にそういった話が溢れているのは事実だ。


「子供を売らなければ生活がままならない。そんな世界があるというのですか?」

「……どこの世界も同じですよ。そしてお嬢様が侯爵令嬢として生きるのなら、いずれは飲み込まなくてはいけない現実です」


 貴族は地位を護るために、子供を政略結婚の道具にする。領主はより多くの領民を救うために、少数の不幸を握りつぶす。

 そうしなければ、より大きな不幸に見舞われるからだ。


「つまり、悪いのはこの国のありようということですか?」

「いけません、お嬢様」


 それは王族批判に繋がるとたしなめる。

 中には平民などどうでも良いと思っている者もいるが、少なくともいまの王族が望んでスラムを放置しているわけではない。


「心優しき聖人が名君になれる訳ではないのです」

「……つまり、シリルは彼らを捨て置くべきだというのですか?」

「彼らにとっては悪夢でも、この国全体で見れば良くある話です。彼らを救っても、他の不幸な者達は救われません。なのに、目の前の彼らだけを救うのは偽善だと思いませんか?」


 一人を助ければ、我も我もと集まってくる。その全てを救おうとすれば国が破綻する。いま犠牲となっている何十倍もの平民が地獄を見ることになるだろう。

 だから、彼らを救うことは自己満足でしかないと諭す。


「なぁ、頼むよ! 姉ちゃんなら俺達を助けられるんだろ!? 俺はどうなっても良いから、だから妹だけでも助けてくれよ!」


 こちらの会話が聞こえずとも否定的な空気は伝わったのだろう。少年の悲痛な声が響く。考え込んでいたソフィアお嬢様が、その訴えを聞いてきゅっと唇を結んだ。


「シリル、彼らを救ってください」

「……よろしいのですか」

「シリルの言うとおり、わたくしの行動は偽善なのかも知れません。でも、自分の手の届く距離にある不幸から目をそむけるのは薄情だと思うのです」


 ソフィアお嬢様は毅然と言い放ち、けれど俺に向かって「わたくしの考え方は間違っているでしょうか?」と瞳を揺らす。

 その瞬間、俺が抱いた感情は簡単には言い表せない。


 侯爵家の令嬢としては甘すぎる対応だ。けれど一人の人間として、スラムの子供に気を掛ける姿勢は非常に好ましい。そして十二歳という幼さでそこまで考える賢しさに感心する。

 なにより、俺の反対意見に流されず、自分の意志を貫いたことに感動すら覚える。


「個人的な意見を言わせてもらえば、いまのお嬢様はとても素敵だと思います」

「ふ、ふえっ!?」

「さぁ、お嬢様。自分の意思を決定したのなら、私にご命令ください」

「あ、そ、そうでしたね。では……シリル。彼らを救いなさい。それがわたくしの意思です」

「仰せのままに、お嬢様」


 恭しく頷いて、子供達へと向き直る。それと同時に、お嬢様の願いを叶えるためにどうするべきか、段取りを頭の中で構築する。

 スラムにはスラムのルールがある。親が子供を売ったのなら、金銭的な取引は成立している。彼らの流儀に則り、闇ギルドに筋を通す必要があるだろう。


 だが、そちらは後回し。

 まずは二人をどうやって救うのかを決めなくてはいけない。

 二人をこの場から逃がしたとしても意味はない。スラム出身の子供二人がなんの助けもなく生きていけるような優しい世界ではないからだ。


 ゆえに、彼らを救うには仕事を斡旋する必要があるのだが……十歳程度の子供、それもスラム出身の子供を雇ってくれるなんて、それこそ闇ギルドくらいだろう。


 つまり、彼らを救うにはローゼンベルク家で雇うしかない。

 だが、なんの教育も受けていない子供を意味もなく雇うことは出来ない。そんなことをすれば他の使用人が不満を抱くことにもなるし、そもそも当主が許してはくれないだろう。

 彼らを雇うには相応の理由が必要だ。


 ――そこまで、二人の身の上話を聞いた時点で想定済みだ。

 お嬢様には、護衛を兼ねることが出来る、同じ年頃の使用人が欲しいと思っていた。誰よりも信用できて、決して裏切らない子供。

 お嬢様に救われた子供であれば、その下地は十分だと言えるだろう。


「二人ともお聴きなさい。お嬢様が貴方達に手を差し伸べるとおっしゃっています。ただし、お嬢様の庇護を受け入れるのなら、お嬢様にお仕えしていただきます。その覚悟は――」

「あるっ! 妹を助けてもらえるのなら俺はなんだってするぞ!」

「あなただけでなく、妹にも働いていただくことになりますが?」


 少女がびくりと身を震わせ、少年が妹を庇うように前に出た。さっきまでとは打って変わって、警戒心を剥き出しにして俺を見る。


 ――だが、それで良い。

 自分達がどれだけ危険な状態にあるのか理解していなければ、お嬢様が手を差し伸べても彼らは感謝しない。理解しているからこそ、何物にも代えがたい恩を感じる。

 その恩は、お嬢様に対する忠誠心へと変わるだろう。


「心配せずとも使用人として働いていただくだけです」

「使用人になれば、俺達を助けてくれるのか?」

「ええ、約束します。ただし、使用人になるためには、あなた方の言葉遣いや立ち居振る舞い、それら全てあらためてもらいます。それはとても厳しい訓練になりますよ?」

「俺達を助けてくれるなら、それくらいなんてことねぇよ!」

「承りました。お嬢様の名の下、あなた方を保護すると約束しましょう」



      ◆◆◆



 学園の敷地には部室棟と呼ばれる建物がいくつか存在しており、部屋が個々に貸し出されている。部活動の場と言うよりも、派閥や有力者のグループの拠点となっているのだ。


 そんな建物の一室に、栗色の髪の少年がいた。すらりとした体つきで、まだ幼さの残る整った顔立ちながら、計算高そうな雰囲気を纏っている。

 彼の名前はリベルト。ラクール商会を束ねる会長の息子で、平民を束ねる庶民派、もしくはリベルト派と呼ばれる一大派閥のリーダーでもある。

 彼は光と闇のエスプレッシーヴォにおける攻略対象の一人だ。


 そんな彼が部屋で考え事をしていると、慌ただしい足音と共に少年が飛び込んできた。

 リベルトよりも少し暗い髪に黒い瞳。やんちゃそうな顔立ちの彼はニコラ。物心が付いた頃から同じ道を歩む仲間、リベルトの右腕的存在である。


「ニコラ、騒がしいぞ。それとノックくらいしろと言っているだろう」

「悪い悪い。だがリベルトに面白い話を持ってきてやったぜ」

「ふん。どうせアネッサのところに、横暴な貴族の子息がやってきたとかいう話だろ? この時期になると毎年、無茶な注文をする馬鹿が現れるからな」


 アネッサとは、彼の派閥に所属する少女の名前。そして、この王都で一番有名な洋服店の経営者を親に持つ娘の名前でもある。


 アネッサの洋服店は、学園の制服を作る店の中でも一番の人気を誇る。ゆえに、予約で埋まってしまうのだが、毎年飛び込みで無茶な要求をする貴族が絶えないのだ。


「あぁ、それは毎年のことだけどな。今年は面白い奴がいたんだよ」

「……ほう。俺達の味方になりそうなのか?」

「どうだろうな。大物過ぎて少し想像がつかねぇよ。ソフィアちゃんって知ってるだろ?」

「……ソフィア? あぁ、ソフィア・ローゼンベルクのことか。たしかに大物だな。彼女がどうかしたのか?」

「それがよ、聞いてくれよ!」


 ニコラは目を輝かせ、洋服店で見聞きしたソフィアの行動を語る。それを聞き終えたリベルトはほぅっと息を吐いた。


「権力を振りかざす貴族を窘めつつ、相手へのフォローも忘れない、か。社交界に舞い降りた聖女なんて噂を聞いたときは、盛りすぎだろうと思ったが……」

「大げさじゃないかも知れないぞ。その帰りには、馬車の前に飛び込んできたスラムの子供達を助けたんだ。会話の詳細までは聞こえなかったが、屋敷に連れ帰ったみたいだぜ」

「スラムの子供を屋敷に、か……」


 それを聞いたリベルトは視線を落とした。ブラウンの瞳が虚空をジッと見つめる。


「なんだよ? なにが気に入らないんだ? 平民、それもスラムの子供に手を差し伸べる貴族なんてそうそう居ないだろ?」

「そうだ。あまりにも出来すぎだ。だからこそ、逆に警戒もしたくなると言うものだ」


 ここ最近、学園のなかで選民思想の強い貴族が勢力を広げている。選民派を名乗る彼らは、平民を虐げることを厭わない。

 いまはまだ学生の派閥でしかないが、彼らが大人になって勢力を社交界へ広げれば非常に厄介なことになる。彼らを抑えるためにも、味方となり得る貴族と手を組むことが急務だ。


 そんな中、社交界に舞い降りた聖女の噂。

 侯爵令嬢という高貴な身分を持ちながら、十二歳とは思えないほどの知性と美しさを兼ね揃えた少女が、スラムの子供に手を差し伸べるほどの慈愛の心を持っているという。


 事実であれば、選民派に対抗する旗印になるだろう。だが、あまりに都合が良すぎる。まるで、誰かに作られたかのように完璧な存在。

 平民派よ、彼女のもとへ集え――と言わんばかりである。


「……罠、か」

「かもな。だが、本当なら是が非でも仲間にするべきだぜ」

「ああ。その通りだ。ゆえに、接触して見極める必要がある」

「接触して見極めるって簡単に言うが、あんまり派手に動くわけにはいかないだろ? どうやって接触するつもりだ?」


 平民には平民向けの、貴族には貴族向けの授業をするためにクラスが分かれている。つまり、同じ学年であっても、平民が貴族と接触する機会は非常に少ない。

 だが――


「中等部に上がるときは、外部からの入学組を迎えるパーティーが開かれる。そのときなら、俺達がそのお嬢様と接触する機会もあるはずだ」

「なるほど。パーティーでさり気なく接触して、敵か味方か見極めるってことだな?」

「そうだ。他の連中にも注視するようにと言っておけ。彼女が平民の味方になるのなら良し。もし敵になるのなら……」


 リベルトは整った顔を歪ませ、きゅっと唇を結んだ。

 選民派は平民にとって脅威となりつつある。ここに侯爵令嬢が加われば派閥争いは大人達へも波及して行くだろう。そうなれば、仲間達の行く末にも影響するかも知れない。

 そのことに憂慮するが、ニコラはニヤリと笑った。


「そんな顔するな。あの日の約束通り、おまえにどこまでだって付いていってやるよ」

「……そうか。ならば、そのときが来たら、おまえにも動いてもらおう」

 

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