執事としての選択 3
ダンスのリードとはパートナーの女性を輝かせること。そんな大言を吐いておきながら、ダンスの途中でパートナーを放り出す。その行為にわずかな躊躇いを抱く。
けれど、体調が悪そうなご令嬢は上半身を揺らし、いまにも倒れてしまいそうだ。このままでは、木張りの床に頭を打ち付けてしまうかも知れない。
「――無礼をお許しください」
罪悪感を抱きながらも一方的にダンスを中断し、ご令嬢の下へと歩き始める。戸惑いの声があがる中、上半身を揺らしていたご令嬢が倒れ行く。
反射的に無詠唱で魔術を行使して身体能力を上昇させ、抱いていた罪悪感を置き去りに木張りの床をぐっと踏みしめた。
――間に合えっ!
一息で距離を詰めてご令嬢が床に倒れる寸前に滑り込み、頭を打たないようにその身を抱きしめる。それは、背中に衝撃が走るのとほぼ同時だった。
突然のことに演奏が止まり、近くの令嬢から悲鳴が上がった。試験の会場は騒然となるが、俺は慌てず抱き留めた令嬢の様子を確認する。
「なにごとですか!?」
慌てた試験官の女性が駆け寄ってくる。
「ご令嬢が倒れられたので、床で頭を打つ前に保護させていただきました。お騒がせしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」
「倒れた? そうでしたか、良く間に合わせましたね。それで、彼女は大丈夫なのですか」
「顔色や爪の色を見るにおそらく貧血だと思いますが……油断は禁物ですね。お付きの者を呼び、心当たりがないか確認するべきだと思います」
「分かりました。彼女はたしか――」
「その子なら、さっき見ました。メイドさんが外にいるはずなので私が呼んできます」
「え、あぁ……じゃあ、お願いね」
少女の澄んだ声が介入して、続いて木張りの床を擦る足音が響く。顔を上げると、青みがかった髪をなびかせて走り去る令嬢の後ろ姿が見えた。
メイドじゃなかったのか。令嬢にしては、ずいぶんと気さくな感じだったな。
……いや、いまはそれより倒れた令嬢の介抱だ。抱き留めていた令嬢をそっと床に下ろし、俺の上着を枕代わりに使って寝かせる。
「大丈夫ですか? 意識はハッキリしていますか?」
「……あ、れ? 私は……いったい、なにが?」
「あなたは倒れたんです」
「倒れた……っ」
自分が寝かされていることに気付いて焦ったのだろう。慌てて起き上がろうとしたので、俺はその肩をやんわりと押さえつけた。
「いけません。念のためにもう少し寝ておいてください」
「……あなたは?」
「シリル。ローゼンベルク家の執事でございます」
非常時とはいえ、男性に寝かしつけられているのだ。ご令嬢が不安に思わないように、ローゼンベルク家の名前を借りて身分を保証する。
それで少しだけ安心したのか――はたまた疲れの方が上回ったのか、ご令嬢は力を抜いて、床にその身を預ける。それからほどなく、メイドが飛んできた。
「お嬢様が倒れたと聞いたのですが!?」
「少し顔色は悪いですが、呼吸は整っているし意識もハッキリしています。おそらくは貧血だと思うのですが、なにか心当たりはありませんか?」
「……あっ。お嬢様は……その、最近小食で」
おそらくはダイエットだろう。この国において、女性はコルセットでウェストを絞って細く見せるのが美しいとされているからな。
「そうですか。おそらく貧血だと思いますが、素人の判断ですから念のために医務室へとお連れした方がいいでしょう」
「そうさせていただきます。お嬢様が大変お世話になりました。失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「私はシリル。ローゼンベルク家のソフィアお嬢様にお仕えする執事でございます」
「シリル様ですね、かしこまりました。後日、必ずお礼をさせていただきます。いまはお嬢様のお世話があるのでこれにて失礼いたします」
メイドはご令嬢を抱き上げて、お騒がせしましたと言って立ち去っていった。それを見届けた俺も、上着を腕に抱えて周囲に意識を向ける。
皆の注目は完全にこちらを向いている。試験は完全に中断してしまったようだ。
「お騒がせをして大変申し訳ありません。ですが、見ての通り問題は解決いたしましたので、皆様どうか試験にお戻りください」
野次馬に解散を促して試験官の女性へと向き直り、一度目を見てから頭を下げた。
「大切な試験を中断してしまって申し訳ありません。私はともかく、他の方にはどうか、再試験の機会をお与えくださるようお願い申し上げます」
「まぁ、なにを言うかと思えば。ご令嬢を救ったあなたに非はありません。あなたを含めて、全員再試験させるに決まっているでしょう。ねぇ、みなさんもそう思いますよね」
俺の担当だった試験官が他の試験官に問い掛ける。それに同調するように、他の試験官達が頷いてくれる。満場一致の雰囲気だが――俺は首を横に振った。
「私は途中でパートナーを放り出し、自らの意思でダンスを終えました。ですから、再試験は他の方だけでお願いします」
まっすぐに試験官の目を見ると、試験官もまた目を見返してくる。そうしてほどなく、彼女はふっとため息を吐いた。
「意思は固いようですわね。分かりました。あなたはちょうど半分のところで試験を終えたので、点数は半分といたしましょう」
「……恐れ入ります」
試験官に感謝の念を伝え、最後にフォルに向き直る。
「恥を掻かせるような真似をして申し訳ありませんでした」
「……ダンスが途中で終わってしまったことはとても残念に思うわ。でも、勘違いしないでよね。恥を掻いたとは思ってないし、不快にも思ってないわ」
社交辞令的なフォローだろうかと考える。けれど彼女はそんな俺の内心を見透かしたように笑顔を浮かべて「あなたが無事に入学できることを祈っているわね」と付け加えた。
俺は少女の寛容な対応に恐れ入りますと感謝を告げて舞台から下りた。それから、まっすぐにお嬢様のもとへと戻る。
「申し訳ありません。お嬢様の見る目が間違っていないと証明するとお約束したのに、このような結果になってしまいました」
「……悪いと思っているのですか?」
「もちろんでございます」
「では、さきほどの行動を後悔しているのですか?」
「…………いいえ」
俺はお嬢様の意に沿わないことをした。試験で最高の結果で自分の実力を証明するのなら、たとえさきほどの令嬢がどうなろうと、最後までダンスを続けるべきだった。
だが、お嬢様の専属執事として、さきほどの行動に悔いはない。
「顔を上げなさい」
「……は」
命令に従って顔を上げると、お嬢様は少し拗ねたような表情を浮かべていた。
「シリル、不測の事態を利用しましたね?」
「はて、なんのことでしょう?」
「再試験を辞退する必要はなかったはずです」
その問いには答えず、曖昧な笑みを返した。
俺は決して手を抜いていない。お嬢様の執事として相応しい行動を取った。それによって、お嬢様が主席に選ばれたとしても、それはただの偶然の結果だ。
「いつか……いつか必ずあなたに追いつきます。そのときは譲らないでくださいね?」
「それがお嬢様の望みだとおっしゃるのなら」
「望みます。だから、約束してください」
「分かりました。お約束いたします」
俺が出会った頃のように約束を口にすると、お嬢様は表情をほころばせた。
それからクルリと身を翻して背中を向ける。けれど、上半身をかがめたお嬢様は、なにかを思い出したように振り返り、ちらりと俺を見上げる。
「さっきのシリル、すっごく格好よかったよ」
無邪気に笑うお嬢様こそ、とても可愛らしかった。
こうして、王都の学園、中等部への入学試験は終わった。
本来であれば屋敷に帰り、後日発表される合格発表を待つところなのだが、俺とお嬢様はいまだにダンスの試験会場に留まっている。
実技試験の結果のみ、その日のうちに張り出される。
その事実を知ったソフィアお嬢様が、俺のダンスの試験結果を知りたがったからだ。
平民の場合、一芸に秀でている者を拾い上げるようなシステムもあるそうなので、その辺りが理由で実技の結果が気になる生徒もいるのだろう。
俺達だけではなく、多くの生徒が会場に残っている。
そんな訳で、ざわめく会場でしばらく待機していると、試験の結果が書かれているであろう、丸められた植物紙を複数持った試験官が現れた。
それをぺたりと壁に貼り、クルクルと引き延ばしていく。
一つ目は他所のグループの成績。そのグループのトップは83点だった。続いて、二枚目の植物紙が壁にぺたりと貼られた。
それが引き延ばされたとき、試験会場が大きくどよめいた。
ソフィア・ローゼンベルクの名前の後に100点と書かれている。しかも、二位を大きく引き離してのダントツでの一位だ。
全教科を通して試験で満点が出ることは希だと聞いているので文句なしの快挙だろう。
なお、二位は一気に点数を落として87点。そこからは点数が詰まっていて、知らない名前が続いている。この辺りは例年通りだ。
そして後半になってようやく俺の名前が出た。その瞬間、再びどよめきが上がる。俺の名前の後には、51点という数字が示されていた。
「さすがシリルですね」
お嬢様が声を弾ませるが、俺は頭を垂れるしかなかった。
「……申し訳ありません、これは予想外でした」
「謝る必要はありません。わたくしはむしろ誇らしく思います」
お嬢様が満点であることに変わりはないが、半分で計算すると宣告されていた俺の点数が1点とはいえ半分を上回っている。
半分にならなければ、俺がお嬢様を上回っていたと思われる可能性がある。そんな結果が出たというのに、お嬢様は誇らしげに笑った。
お嬢様は外見だけではなく、内面も美しく育っている。
……いや、ゲームでさえ、お嬢様には高潔な部分があった。ゲームのお嬢様は家庭環境や王子の愛を失ったことで歪んでしまっただけで、いまのお嬢様が本来の姿なんだろう。
「私も、お嬢様の専属でいられることを誇りに思います」
「ありがとうシリル。わたくしは――」
「――ソフィアお嬢様、お聞きください」
お嬢様のセリフを遮ったのはライモンドだった。
お嬢様が学園においては対等だと宣言したから咎めるつもりはないが、ソフィアお嬢様の専属執事を目指すのなら、目上の者の会話を遮るなと言いたい。
「わたくしになにかご用ですか?」
「はい。私がいかに優秀かを示すため、実技試験の結果を纏めて参りました!」
ライモンドがソフィアお嬢様に羊皮紙を差し出そうとするが、俺があいだに入って受け取り、なんら危険がないことを確認してからソフィアお嬢様へと手渡した。
「なるほど、たしかに言うだけのことはありますね」
ソフィアお嬢様が少し驚くような仕草を見せた。
ちなみに安全を確認したときにちらりと見たが、全ての実技で八十点代という点数を叩き出している。間違いなくのAクラス、例年から考えれば主席もあり得る成績だ。
専属執事の地位を譲るつもりはないが、使用人として抜擢したいほど優秀だ。
「ありがとうございます。ですがソフィアお嬢様には敵いません。さきほどお嬢様のダンスの試験結果を目にしたのですが、満点を取られたのですね。さすがです」
「ええ、ありがとう」
表面的には笑顔だが、お嬢様の返事は素っ気ない。もう少し取り繕えるようになると完璧なんだが……俺のことになると感情的になりやすいようだ。
「ところで、おまえの点数はいくつだったんだ?」
考えに耽っていた俺は、ライモンドに呼びかけられて我に返る。
「まだダンスの成績しか見ていませんが、51点でした」
「51点、だと? 良くそんな成績でソフィアお嬢様の専属執事を名乗っていられるな」
彼がそう口にした瞬間、周囲が剣呑な空気に包まれる。いつの間にか、周囲の注目を集めてしまっていたようだ。
「あの、貴方は知らないでしょうけど、その方の点数には事情があるんですよ?」
声を上げたのは、俺達と同じグループにいたメイドの一人。俺のフォローをする彼女の声に、周囲の者達が同調してくれる。
51点であることは事実だし、なにを言われても気にはしないが……周囲の者達の優しさが胸に響く。けれど、ライモンドの心には響かなかったようだ。
「どんな事情があるかは知らないが、51点しかないのは事実じゃないか」
「だから――」
「――ええ、そうですね。たとえなにがあったとしても、51点という点数を取った事実は変わりません。ダンスに関してはあなたに完敗のようです」
メイドが反論するよりも早く、俺は事態が大きくならないようにと負けを認めた。
「ふぅん? おまえは意外と潔いんだな」
「どうでしょう? 負けは認めても、専属執事の座を明け渡すつもりはありませんよ?」
「……は、まぁそうだろうな。俺だっていますぐとは言わないさ。だから……一年だ。一年以内にお嬢様に認めてもらって、俺がソフィアお嬢様の専属になってみせる」
ライモンドは高らかに宣言した。
なにか一年にこだわる理由があるんだろうか?
「ソフィアお嬢様、今日はぶしつけな真似をして申し訳ありませんでした。ですが、私は本気です。どうか私を専属執事として雇うことを真剣に考えてください」
ライモンドは一礼をして立ち去っていく。決して礼儀知らずでなければ幼稚でもない。ただ、十二歳にしては――という枕詞が付くだけだ。
いまから鍛えれば優秀な使用人になりそうだと考えながらお嬢様の横顔を窺うと、よそ行きの笑顔の奥に不満を滲ませていた。
……どうやら、ライモンドを雇うのは無理そうだ。
それから数週間が過ぎて、学園から二人分の合格通知が届いた。
お嬢様は全教科を通して1点しか落としておらず文句なしの主席合格。そして、全教科を通して49点落としていた俺は――次席合格だった。
……まあ、予想できた結果である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます