執事としての選択 2
試験会場を確認した俺はお嬢様のもとへと戻ってきた。
「お待たせいたしました。お嬢様と私は一階の奥にある教室で試験を受けるようです」
「そう、ありがとう。ところでシリル、先ほどあなたが見ていた女性だけど……」
お嬢様がじぃっと俺の目を覗き込んでくる。
なにかお嬢様が気にするような要素があっただろうかと思い返す。身のこなしはそれなりに洗練されているが、格闘技を習っている者の動きではなかった。
「ご安心ください、私にぶつかって来たのはただのメイドです」
「いえ、そうではなくて……」
お嬢様はなおもなにか言いたげな顔をする。
どうやら、お嬢様を不安にさせてしまったようだ。それに気付いた俺は、いつかのようにお嬢様の前に膝をついた。そうしてお嬢様を見上げ、その手をそっと掴んだ。
「大丈夫ですよ。たとえなにがあっても、私がお嬢様をお護りします」
「本当、ですか? これからもずっと、わたくしの側に……いて、くれますか?」
「ええ、もちろん。どんなときもお嬢様の側にいて、お嬢様をずっとずっとお護りします。幼き日に交わした約束は、いまも、そして……これからも忘れません」
「……ありがとう、シリル」
お嬢様の頬に赤みが差し、その表情から不安が消えていく。どうやら、お嬢様の憂いを取り除くことが出来たようだ。
「さぁ、私が案内いたします。教室へ向かいましょう」
「はい、お願いします。……シリル」
お嬢様を試験会場へと案内する。
筆記試験の他には、礼儀作法、ダンス、声楽や演奏などの実技試験が存在する。まずは各教室で一斉に筆記試験を受けた後、更にグループを分けて実技試験に臨む。
使用人コースの受験生としてここに来た俺がお嬢様と同じクラスで試験を受けるのは、上の意思が働いた結果――ではなく、同時に願書を提出したからだろう。
学園内ではみだりに身分を振りかざさない。生徒は身分に関係なく対等に振る舞うという校則があるので、受験は貴族と平民が一緒になって試験を受けることになっているのだ。
もっとも、入学した後は貴族や平民で教室が分かれてしまうのであまり意味はない。
ゲームの序盤、ヒロインの攻略対象達と受験会場でニアミスする描写があり、その中には平民も含まれる。辻褄を合わすために作られた設定だろう。
だが、現実世界においては、注意する必要がある。
お嬢様より目上の子供は限られた相手だけだが、本当に対等に接するのが正解なのか、もしくは校則を無視して地位を重んじるのが正解なのか見極めなくてはいけないからだ。
身分が下の者に対しては……お嬢様なら問題ないだろう。
「シリル、いよいよですね」
該当の教室に入り、受験番号に従って席を探していると、お嬢様がそんな言葉を発した。
お嬢様が不合格になることはありえない。気負う必要はないのだが、もしかして緊張しているのだろうかと少しだけ心配する。
だが、それは杞憂だった。
「――私、シリルと一緒に学園生活を送るのが夢だったんだよ?」
自分のことを私と言って、囁くように愛くるしい夢を口にする。侯爵令嬢ではなく、素のお嬢様がちらりと顔を見せた。
その可憐な表情に魅せられ、お嬢様を盗み見ていたであろう者達から溜め息が零れた。俺もそんなお嬢様を愛おしく想うが、ここが教室であることを忘れてはならない。
「お嬢様、そのような冗談は感心いたしませんよ」
誰かに聞かれたらどうするのですかと小声で咎めると「はぁい」と拗ねた表情を見せた。
けれど、彼女はすぐにまた微笑んで「だけどね、シリル。わたくし、誤解されて困るような冗談は言いません。覚えておいてくださいね?」とイタズラっぽく笑った。
お嬢様は可愛いだけじゃなくて、メンタル的にもずっと強くなった。
「――ソフィア様、ローゼンベルク侯爵家のソフィア様ですよね」
少年の声が無粋に響いた。俺はお嬢様を背後に庇って少年へと目を向ける。強い意志を感じさせる青い瞳に、整えられた赤い髪。
執事のような恰好をしているので、使用人コースの受験生だろう。
この学園において貴族と平民は対等。だがそれは、あくまでそういう校則があるというだけの話。ならばこの場において俺の正しい対応は――
「何者ですか? お嬢様に対して失礼でしょう。おさがりください」
「――シリル、構いません」
「しかし、お嬢様」
「学園においては、身分に関係なく対等だと伺っています。であれば、彼の行動にはなんら問題はないでしょう? 違いますか?」
「かしこまりました」
正解です、お嬢様――と微笑んで、斜め後ろへと退く。
貴族と平民が対等などと校則で決めても成り立つはずがない。それが成り立つとしたら、身分が上の者がそれを認めたときだけだ。
ゆえに、お嬢様が対等だと認めるように水を向けた。俺の意を汲み取り、すぐに対応して見せたお嬢様は既に十二歳の域を超えている。
「それで、あなたは何者ですか? わたくしになんのご用でしょう?」
「俺――いえ、私はライモンドと申します。どうか私をお嬢様の専属執事にしてください」
まさかの就活だった。
受験の最中にすることではない。貴族がどうとかいう以前に失礼だ。そう思ったが、お嬢様が対応するといった手前、俺が口を出すことは出来ない。
それに学園に通うようになれば、同じようなことはいくらでも起きるだろう。お嬢様と俺のクラスが違う以上、俺がいない場で同じような状況になることもあるだろう。
俺がいなくても対応できるのか、この機会に確認させてもらうとしよう。
「専属といいますが、わたくしの一存で決められることではありません」
「いえ、いますぐローゼンベルク家に仕えさせて欲しいという訳ではありません。まずは学園での専属に指名して欲しいんです」
「……学園での専属、ですか?」
お嬢様はこてりと首を傾げた。
お嬢様には説明していなかったが、使用人クラスの生徒は、貴族や富豪の子息に使用人としてお仕えするという制度がある。
貴族や富豪は主としての振る舞いを学び、使用人は従者としての振る舞いを学ぶための制度だが、卒業後も主従関係を継続することが珍しくないため就活の場ともなっている。
そのことを説明すると、お嬢様はすぐに理解を示した。
「話は分かりました。ですがわたくしの専属執事は彼一人と決めています」
「――なるほど。彼が噂の専属執事ですか。わずか六歳でその地位に就いたという」
「ええ、とても優秀な――わたくしの専属執事です」
誇らしげに微笑むお嬢様に他意はなかっただろう。けれど、そのセリフはライモンドの矜持を刺激したようだ。彼は俺に鋭い視線を向けてくる。
「そんな頼りなさげな男に私が劣っているはずはありません。この入試で彼よりも優秀だと証明して見せます。ですから、そのときは私を専属に指名してください」
「……良いでしょう。もしもあなたがシリルよりも優秀だとわたくしが感じたのなら、そのときはあなたを専属執事に指名します」
「ありがとう存じます!」
ライモンドはお嬢様に感謝の念を伝え、続けて俺に挑戦的な視線を向けてくる。
「シリルとか言ったな。訊いての通りだ。悪いとは思うが、この試験でソフィアお嬢様の専属執事に相応しいのは俺だと証明させてもらう」
そんな宣言すると、ライモンドは自分の席へと戻っていった。それを見届けてお嬢様に視線を戻すと……うわぁ、思いっきり不機嫌そうだ。
だが、周囲の注目が集まっているあいだはお嬢様も口を閉ざしている。やがて注目が薄れ、教室が再び喧噪に包まれたころになってようやく口を開いた。
「――シリル」
「はい、お嬢様」
「あのように言われて、あなたはなにも思わないのですか?」
「……そうですね。青いな、と」
「ならば、わたくしの言いたいことも分かりますね? わたくしはいま、あなたを馬鹿にされて、ものすごぉく不機嫌です」
「そう、ですね。私もお嬢様の見る目を疑われたことに憤りを感じています」
他でもないお嬢様が、俺を専属執事として認めている。にもかかわらず、ライモンドは俺の執事としての資質を否定するようなセリフを口にした。
それは、お嬢様の見る目を否定したも同然だ。
「では、わたくしの見る目がたしかだと証明なさい」
「かしこまりました――と言いたいところですが、貴族と平民、全員が同時に試験を受けることを理解しておられますか? 栄えある新入生代表を務めるのは主席ですよ?」
ソフィアお嬢様はおそらく満点に近い数字を叩き出すだろう。だが、お嬢様を育て上げた俺が本気を出せばどちらが主席になるか分からない。
「あら、わたくしも簡単には負けませんよ? だってわたくしは、あなたの教え子ですもの」
「むろん、それは分かっていますが……」
試験のレベルを考えるに、二人揃って満点という可能性は低くない。けれど、もし同点だった場合は、身分的な理由からソフィアお嬢様が主席に選ばれるだろう。
それでは、お嬢様の名誉に傷がついてしまう。
「わたくしは譲られた名誉になんて興味はありません。ですから手加減は無用です。わたくしの執事が世界一だと彼に――この王都に知らしめなさい」
「お嬢様のお望みのままに」
俺の望みはお嬢様が主席として合格することだが、お嬢様が俺の本気を望むのなら仕方がない。お嬢様の専属執事としての実力を証明するとしよう。
俺は専属執事としてお嬢様のお世話をする傍ら、全力で試験に挑んだ。
前世で魔術の学校に通っていた俺は、一般的な知識を最初から身に付けている。そのうえ、専属執事となるべく自分を鍛え上げ、お嬢様の教育を受け持つだけの知識をも身に付けた。
さすがに中等部の筆記試験で点を落とすようなことはあり得ない。
筆記試験は、自己採点で満点。
その後も試験会場を移し、礼儀作法、声楽などの試験をこなしていく。まだ至らぬ点も多々あるが、周囲の子供達とは一線を画している。
筆記試験の難易度から考えて、おそらくは実技も満点に近い成績が与えられるだろう。
そんな感じで危なげなく試験をこなし、残すところ二科目となった。俺にとっては苦手科目に部類されるヴァイオリンと、得意科目のダンスである。
まずは、お嬢様がヴァイオリンの演奏を始める。
課題曲は、かつての国王が著名な演奏家に作らせたと言われている曲。従来は難度の高い曲となっているが、試験で演奏するのは弾きやすくアレンジされた練習曲だ。
幼少期より練習を繰り返してきたお嬢様は危なげなく音楽を奏でる。弓を引き、艶やかなプラチナブロンドを輝かせる。そのたたずまい一つ取っても美しい。
お嬢様の演奏は音色だけではなく、全てにおいて華がある。
難度の低い曲だが、だからこそ、お嬢様の才能が際立っている。予習をしていた者達も一様に手を止め、お嬢様の演奏に聴き入っている。
静まり返った会場にお嬢様が生み出す音色だけが響き渡る。多くの者達のための試験会場が、お嬢様だけのリサイタル会場へと早変わりした。
俺の育てたお嬢様が誰よりも輝いている。その光景が誇らしい。
だが、そんな幸せな時間もすぐに終わりを迎える。演奏が終わり、会場に静寂が訪れる。ほどなく、我に返った者が手を叩き、それはすぐに会場へと広がった。
演奏を終えたお嬢様が戻ってくる。
俺はお嬢様の下に歩み寄り、額に浮かんだ汗をタオルで優しく拭い去った。
「お嬢様、素晴らしい演奏でしたよ」
「ありがとう、シリル。でも、こんなときまでわたくしの世話をしなくても良いのよ?」
「いいえ。私はどこにいても、どんなときでも、ずっとお嬢様の専属執事ですから」
「……ありがとう。なら、ヴァイオリンの片付けをお願いします」
「かしこまりました」
お嬢様のヴァイオリンを受け取って、松ヤニや手汗を綺麗に拭き取っていく。続いて弓の棹を綺麗に拭き取り弓毛を緩める。
それらをケースに収めたところで、ちょうど俺の番が回ってきた。
俺はお嬢様のように自分専用のヴァイオリンを持っていない。ゆえに、試験用に貸し出されているヴァイオリンを借り受けて調律を確認、すぐに試験官の前に立つ。
受験番号と名前を告げて、おもむろに演奏を開始した。
俺は、ヴァイオリン――というか芸術の才能があまりない。お嬢様に教えるために必死で習ったので技術はあるが、人を惹きつける華やかさに欠けている。
いまのお嬢様に技術面で負けるつもりはないが、練習曲ではその腕を振るう機会がない。このままでは、お嬢様と比べて点数を落とされてしまうかもしれない。
それは、お嬢様を主席にしたい俺にとっては望むべき結果だ。
だがお嬢様は、俺が最高の執事であることを証明しろと命じた。お嬢様の命令に応えるために、俺は最高のパフォーマンスを発揮する。
この演奏は、いままでで一番だと胸を張って言えるだろう。
だけど――それだけだ。感覚がいつも以上に冴えているからこそ分かる。お嬢様の奏でる華やかな音色と比較せずにはいられない。
俺が審査員なら、お嬢様との実力の差を考えて相対的に点を下げる。他の審査員でも、おそらくは同じことをするだろう。このままでは俺が負けてしまう。
つまり、お嬢様の命令に背くことになる。
表面上は平静を装いながら、どうするべきかと必死に考えを巡らす。
そんなとき、不意にブツッと弦の一本が切れた。弦は新品であっても切れることがある。試験で何度も使われている内に寿命を迎えてしまったのだろう。
それに気付いた試験官が演奏を止めようとする。
――だが、俺は弦の切れたヴァイオリンで演奏を続ける。隣の弦を指で押さえて音階を変えることで代用し、まるで弦が切れていないかのように音楽を奏でる。
その事実に気付いた者は極わずかだが、試験を中断しようとした試験官は確実に気付いている。目を見張る試験官に向け、俺はとびっきりの笑顔を浮かべて見せた。
決して簡単なことではない。
だがそれでも、俺は何事もなかったかのように一曲を弾き終えた。
周囲から拍手が鳴り響くけれど、その大きさはお嬢様のときには敵わない。けれど、試験官は殊更に手を叩いてくれた。
「トラブルにも動じない技術と精神力を見せていただきました。最高の演奏でしたよ」
「ありがとう存じます」
試験官に一礼して下がる。ヴァイオリンを係の者に返却すると、弦が切れていることに気付いた係の者が目を丸くした。
係の者が気付かない程度には自然に弾けていたようだ。
「弦を切ってしまって申し訳ありませんでした。後日弁償させていただきます」
「え、あ、いえ。弦は消耗品ですから問題ありません」
「そうですか。では、私はこれで」
係の者に挨拶をしてお嬢様のもとへ戻ると、なにやらむぅと唇を尖らせていた。
「お嬢様。そのようなマネをして、はしたないですよ?」
「あんなの狡いです。練習曲なら勝てると思ったのに……」
「運が良かったですね。ですが、お嬢様の演奏の方が素敵でしたよ」
「そんなことありません! シリルの方がずっとずっと素敵でした」
「ありがとうございます、お嬢様」
最近まで、お嬢様もお世辞を言うようになったか――なんて思っていたんだけど、どうやら本心で褒めてくれているようだ。それを自覚するとちょっとくすぐったい。
そして、残すところはダンスの実技試験のみとなった。
俺とお嬢様は揃ってダンス会場へと移動する。
ダンスは実技の中では得意な部類だ――と言うか、お嬢様はダンスの稽古が一番熱心で、一時期は毎日のように相手を務めていたので必然的に上達した。
それはともかく――と、お嬢様のダンス相手へと目を向ける。
試験官は先生が務めているが、ダンスの相手は中等部の女生徒が行うらしい。十二歳の子供と、上級生の男子生徒や大人では身長差がありすぎるからだそうだ。
だが、女性が男役となればステップが違う。
ソフィアお嬢様とたいして歳が変わらない女生徒がリードを行うのには不安があると思ったのだが、結果から言えばそれは杞憂だった。
女生徒はリードが上手く、お嬢様の魅力を存分に引き出している。お嬢様と同等――いや、男役でこれだけ踊れるのなら、それ以上の技術があるかもしれない。
まさか、同年代にここまで踊れる生徒がいるとは思わなかった。
同年代では突出しているお嬢様にとっては、良いライバルとなるだろう。
ただ一つ気になるのは、それだけの能力を持つ女生徒でありながら、作中に登場していないことだ。目立つ容姿の持ち主なので、俺の記憶違いと言うことはないだろう。
そんな風に考えているうちにも二人のダンスは続く。
相手はお嬢様の限界を探ろうとしているのか、難度の高いステップを踏み始める。お嬢様はそれを優雅に受け入れ、軽やかにステップを踏み始めた。
試験会場のピリピリした空気が和らぎ、二人へ熱い視線が注がれる。二人がダンスを終えたとき、会場のあちこちから終わりを惜しむような溜め息が漏れた。
「素敵でしたよ、お嬢様」
周囲の視線を一身に受けて戻ってくるお嬢様に歩み寄り、冷水で濡らしたハンカチを差し出す。それを受け取ったお嬢様は、そっと額の汗を拭った。
「ありがとう。でもさっきのダンスはパートナーのおかげです。あなたと間の取り方やクセなんかが似ていて、とても踊りやすかったんです」
「私と似ていた、ですか……?」
自分では分からないが、俺と踊り慣れているお嬢様が言うのならそうなんだろう。なんにしても、お嬢様が存分に踊れる相手なのは幸運だった。
同年代ではずば抜けて大人びているとはいえ、まだ幼さを残している。望まぬ相手と踊るとき、お嬢様はそれを態度に滲ませてしまうからな。
「それより、次はシリルの番ではありませんか? このままだと、わたくしが勝ってしまうかも知れませんよ?」
お嬢様の瞳はいたずらっ子のように笑った。
「私としてはお嬢様に勝って欲しいのですけどね」
「ダメですよ、手を抜いたりしたら」
「もちろん手を抜くつもりはありません。お嬢様と約束しましたからね。お嬢様にお仕えする私こそが最高の執事だと、皆に証明して参ります」
お嬢様に笑いかけて、試験官の前へと向かう。その途中、すれ違ったご令嬢の顔色が見るからに悪いことに気付く。
大丈夫だろうか心配していると名前を呼ばれた。
少し考えた俺は、そのまま舞台へと上がる。試験官やダンスの相手は複数いるのだが、俺の相手はお嬢様の相手を務めたのと同じ女生徒だった。
「私はフォル。よろしくね」
「私はシリル。こちらこそよろしくお願いいたします」
試験の順番が詰まっているからだろう。一呼吸おいてすぐに演奏が始まった。初めの三拍子でホールドを取り、フォルと名乗った女生徒をリードしていく。
フォルは青い瞳を輝かせ、俺のリードに合わせて軽やかに踊り始める。
相手の技量が高いことは既に分かっているので、どんどん難度の高いステップを組み合わせていく。俺の予想通り、彼女は難なく俺のリードに対応する。
「噂のソフィアちゃんにも驚かされたけど、あなたも相当ね。もしかして、あなたがソフィアちゃんの教育をしているのかしら?」
「……なぜ、そう思われるのでしょう?」
十二歳の俺が専属執事であることだけでも異例なのに、侯爵令嬢の教育係が同い年の子供などとはおおやけにできない。俺がお嬢様の教育係であることは伏せられている。
いまみたいな質問は、普通なら出てこないはずだ。
「なぜ? そうね……彼女は私と同じ感じがするから、かしらね」
「同じ? あなたは一体……」
いくつかの可能性を考える。けれど、その答えは得られなかった。
ブロンドの髪を翻し、フォルがぐいっと俺の腕を引く。ステップとステップの合間、俺ではなくフォルがリードを示したのだ。
俺の示したリードとは違う、定石破りの荒々しいリード。俺はその流れに逆らわず、彼女のリードがより輝くようにステップを踏む。
「ダンスは男の子がリードするものよ? なのに、私にリードを奪われて良いのかしら? 試験官の評価が下がるかも知れないわよ?」
フォルは強引にリードを奪っておきながら、そのような質問を投げかけてくる。俺はステップを踏みながら、フォルの質問について考えた。
「たしかに、ダンスは男性がリードをするものですね。ですが、リードとはなんでしょう?」
「決まってるじゃない。次にどのようなステップを踏むか、パートナーに伝えることよ」
「正論ですね。ですが私の考えは違います」
「……その考えというのは?」
こちらの真意を知りたいとばかりに、フォルの青い瞳に好奇心が浮かび上がる。
「パートナーを輝かせることです」
「輝かせる?」
「ええ。パートナーを輝かせる。たとえ――理(ことわり)を曲げたとしても」
処刑される運命を変え、お嬢様を幸せな未来へと導く。そのために必要なのは、侯爵令嬢としての振る舞いをお嬢様に強要することじゃない。
お嬢様の意志を汲み取り、お嬢様が幸せになれるように全力でサポートをすることだ。
ダンスもそれと同じだ。
主導権を取りたがっている女性を抑えつけるのがリードだとは思わない。主導権を取りたがっているのなら、ステップの決定権を渡して伸び伸びと踊れるようにサポートをする。
それが俺の考えるリードだ。
「……驚いたわ。そこまでの覚悟と考えを持つ子供がいるなんてね」
「そう言うあなたこそ、ずいぶん深い考えをお持ちのようだ」
前世の記憶を持つ俺が同年代より大人びて見えるのは当然だ。だが、フォルはそんな俺と同じくらい大人びた考えを持っているように見える。
どことなくだがソフィアお嬢様に似ている――と、俺はそんな風に感じた。
「ふふっ。試すようなマネをしてごめんなさい。リードはあなたにお返しするわ。だから、私のことをもっと輝かせてくれるかしら?」
「それがあなたの望みとあらば」
曲もそろそろ折り返しに入る。
ダンスのパートナーに望まれたのなら応えない訳にはいかない。ソフィアお嬢様の執事が最高だと証明するためにも、最高の結果を残してみせる。
既に彼女の癖は把握した。俺は彼女がより輝けるようにリードを始める。
そんなとき、さきほどすれ違ったご令嬢の姿が視界の隅に映った。顔色が更に悪化していて、ただ立っているだけなのに上半身が揺れている。
周囲の者に視線を向けるが、自分の番に備えて練習している者や、ダンスを見入っている者ばかりで、ご令嬢の体調に気付いている者はいない。
そう思った瞬間、ご令嬢の上半身が大きく傾いだ。
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