執事としての選択 1

 パーティーから帰還した翌日。

 俺はローゼンベルク家の当主、グレイブ様に呼び出された。グレイブ様と話す機会はこれまでにもあったが、執務室に呼び出されるのは初めてだ。

 タイミングから考えて、用件はパーティーに関連する話に違いない。一体どんな話をされるのかと、俺は緊張をもって執務室を訪れた。


 侯爵家の当主に相応しい執務室だ――と、訪問者にそう思わせる思惑があるのだろう。

 著名な画家が手がけた絵画やアンティークの調度品が揃えられ、壁の棚にはまだ普及して間もない植物紙の書類が並べられている。


 そんな部屋の正面。重苦しいシステムデスクに座るグレイブ様は、俺をちらりと見たあとも書類にペンを走らせ続けている。

 もちろん、使用人である俺がそれに異を唱えることはない。かしこまった姿勢をとり続けていると、彼は不意にペンを置いた。


「ふむ。そなたは催促をしないのだな」

「旦那様が私にお気付きなのは視線で分かりましたので」


 俺に気付いた上で執務を続けるのなら、そちらの方が重要だということ。それを理解できずに主人の邪魔をするなら使用人失格だ。


「ふむ。新人が一度は犯す過ちなのだがな。そなたはその歳で理解する、か。さすが、六歳でセドリックに認められるだけのことはある」


 セドリックとは俺の父親で、グレイブ様の専属執事でもある。俺はそんな父上の厳しい試験に合格し、ソフィアお嬢様の専属見習いに推薦してもらった。

 俺が相応の結果を出したとはいえ、いまにして思えば父上も無茶な推薦をしたものだ。そして、その推薦を受け入れたグレイブ様もまた大物だ。

 あるいは、それだけ父が信頼されているのかも知れない。


「そなたを呼び出したのは他でもない。先日の件だ。ソフィアのエスコートという大役を良く果たしてくれた。そなたのような息子を持ち、セドリックもさぞ鼻が高かろう」

「ありがとう存じます。ですが……その称賛は受け取れません。私は与えられた役目を果たせませんでしたから」

「ソフィアがパーティーの途中で抜けたことを言っているのだな?」

「はい」


 ソフィアお嬢様は闇堕ちするに至らなかった。それどころか、表面上はいつもの、侯爵令嬢としてのお嬢様に戻っていた。

 けれど、体調を崩して途中で帰ることになってしまったのだ。


 体調不良と言っていたが、原因は考えるまでもない。

 必要な挨拶を済ませた上での退席ではあるが、王子の誕生パーティーを途中で抜けるという汚点を残したことには変わりない。俺の行動がお嬢様の経歴に泥を塗った。


「そのことであれば心配する必要はない。もとより子供の多くは途中で帰ることがほとんどだからな。ソフィアが帰ったことに疑問を抱いている者はいなかった」

「……そう、ですか」


 お嬢様の汚点にならなかったと聞いて少しだけ安堵する。


「むしろ、あそこで帰らせたのは正解だ。あのダンスはあまりに周囲の目を惹き過ぎた」

「お忍びとはいえ、相手は第二王子。注目を集めるのも当然ですか」

「ほぅ。彼が第二王子であることに気付いていたのか。だがそれが原因ではない。ダンス相手が第二王子であることに気付いた者は極わずかだろう」

「では、目を惹いたというのは」

「むろん、我が娘の踊る姿があまりに可憐すぎることが原因だ」


 親馬鹿か――と、反射的に思ったことは断じて口に出さない。それにおそらくは誇張でもなんでもなく事実、ソフィアお嬢様への縁談が増えたのだろう。

 途中退出しなければ、お嬢様に直接打診するような不届き者が現れたかもしれない。


「お嬢様や旦那様の汚点とならずに済んだと訊いて安心いたしました。ですが、それは結果論でしかなく、私はその事実に気付いていませんでした。誠に申し訳ありません」


 迷惑を掛けないと知っていて行動するのと、結果的に迷惑を掛けなかったのではまるで違う。後者である俺の行動は称賛されるべきではない。


「……そなたは本当に子供なのか、ときどき疑わしくなるな」

「お嬢様の専属執事見習いとなったときより、子供であるとの甘えは捨てました」


 大抵の場合において、子供であると言うことは免罪符になる。

 だが、専属執事は本来子供が就ける役職ではない。その役職に就いた以上、子供だからという免罪符を使うつもりもない。

 それに、もしも免罪符を振りかざせば、グレイブ様は俺を専属から外してしまうだろう。


「……なるほど。娘が信頼するわけだ」

「ソフィアお嬢様がそのようなことを?」

「訊かずとも見ていれば分かる。娘は誰よりもそなたのことを信頼している」

「そのようなことは――」


 ございませんと続けようとするが、グレイブ様が手で制した。


「かまわぬ。それよりも、そなたを呼び出したのは訊きたいことがあったからだ。娘が途中退席した本当の理由はなんだ?」

「それは……」


 ゲームのヒロインと踊っていた俺を見て、お嬢様が闇堕ちしそうになったのが原因です。なんて言えるはずもなく口ごもってしまう。


「第二王子とのダンスの後だと聞いているが、王子がなにかしたのか?」

「いいえ。お嬢様が途中で帰られたのは、私がエスコートとして相応しくない行動を取ってしまい、それが原因でお嬢様の不興を買ってしまったからです」

「相応しくない行動、か。それは、そなたが娘を第二王子に預け、リンドベル子爵家の娘と踊っていたことを指しているのか?」

「……そこまでご存じでしたか」


 俺に訊きたいことがあると言ったが、最初からおおよそ知っているようだ。

 俺がどう答えるのか試されている気がしてきた。

 ……たぶん、気のせいじゃないだろう。だが、ヒロインと踊る俺を見てお嬢様が嫉妬したなどと知られたら、お嬢様の側にいられなくなるかもしれない。


「ソフィアお嬢様と第二王子はとてもお似合いに見えましたので、私が席を外せばゆっくり話すことが出来ると思ったのです。ただ……パートナーとしては相応しくない行動でした」

「……なるほど、娘がそなたの思惑を見透かしたのが原因だと主張するのだな?」

「はい。お嬢様は聡明ですから」


 お嬢様は嫉妬したのではなく、パートナーとして蔑ろにされたことに不満を抱いた――と、お嬢様の反応をすり替える。


「父親としては少々不満だが……使用人としては当然の返答、か」

「なにがでしょう?」

「いいや、こちらの話だ。それよりも第二王子の方はどうであった?」


 ソフィアお嬢様の美しさにお熱だった――などと、分かりきった答えが聞きたいわけではないだろう。求められているのは、お嬢様の相手として相応しいかどうか。

 つまり――


「旦那様は、お嬢様と第二王子の婚約を考えていらっしゃるのですか?」

「まだ分からぬ。判断材料の一つとして、そなたの意見を聞いているのだ」

「それは、私ごとき使用人が口にすることではないのでは?」

「構わぬ。あくまで判断材料の一つだ」


 逃げ道を封じられる。

 むろん、グレイブ様の言葉通り、俺の意見が結果を左右することはないだろう。だが、俺が意見したという事実は残る。

 お嬢様の耳に入る可能性がある以上、彼女を悲しませるようなことを言うつもりはない。だが同時に、第二王子は作中のお嬢様が嫉妬に狂うほどに愛した相手でもある。

 未来がどうなるか分からない以上、この状況での不用意な発言は控えるべきだ。


「いまはまだ年相応の幼さを見せていますが、いずれは一角の人物へと成長するでしょう」

「つまり、ソフィアの婚約者としては、彼が相応しいとそなたは申すのだな?」

「……それは」


 俺はそこで言葉を切り、ゴクリと生唾を飲み込んだ。このたった一度の返答が未来を左右する。そんな風に思えたからだ。

 だけど、俺はソフィアお嬢様の専属執事。彼女を幸せに導くのが俺の役目。ゆえに、ここでの回答は最初から決まっている。

 俺は腹に力を入れて、グレイブ様をまっすぐに見つめた。


「――それは、お嬢様のご意志を確認するべきだと具申いたします」

「ほう? 政略結婚の話をしているのに、娘の意見を聞けというのか?」

「見習いの身ではありますが、私はソフィアお嬢様の専属執事です。そんな私が一番に願うのは、ソフィアお嬢様の幸せをおいて他にありません」


 お嬢様の幸せに繋がらないのなら、侯爵家の興亡なんてどうでも良いと答えたも同然だ。不興を買うことも覚悟していたのだが、グレイブ様は不意に笑い声を上げた。


「くくっ。そうか、娘の意思を確認しろ、か」

「……なにか、おかしなことを申しましたでしょうか?」

「いいや、まったくもって面白くない。だが……合格だ」

「……合格、ですか?」


 なにに付いてかと問うことは出来なかった。

 それよりも早く、グレイブ様が再び口を開いたからだ。


「今日このときをもって、そなたを見習いから正式な専属執事へと格上げする」

「――謹んでお受けします」


 いきなりのことに驚かされるが、その覚悟はとっくに出来ている。俺は動揺や疑問を片隅に追いやり、すぐさま臣下の礼を取った。


「延(ひ)いては、そなたにも学生として、中等部へ入学するソフィアに同行して欲しい。娘に教育を施す立場である、そなたには必要のないことだとは思うが――」

「いいえ、そのようなお気遣いは無用です。お嬢様の側にいるためであれば、学生になることも厭いません。私はお嬢様の――専属執事ですから」


 正式な専属執事になったことに誇りを持って応じた。

 同時に、これからのことに考えを巡らせて気を引き締める。中等部での三年間は、お嬢様にとって大切な時期となるはずだ。


 現時点では、なぜか俺が王子様ポジになっている。

 その事実から目をそらすつもりはないし、嬉しくないわけでもない。だが、俺がただの執事で、お嬢様が侯爵令嬢である現実からも目はそらせない。


 お嬢様が最終的にどんな選択をするかは分からないが、ヒロインが介入してきたら話がややこしくなるのは目に見えている。


 だが、ヒロインは下級貴族だ。

 王都にある学園は初等部から存在するが通うのはごく一部、家庭教師に学ぶ子供が多い。

 とくに下級貴族の場合、上級貴族の子供に粗相があっては大変という理由から、初等部、中等部の頃は家庭教師に学ばせ、高等部にだけ通わせるようなケースが多い。


 作中のアリシアも同じ理由で高等部にならないと入学してこない。

 自分を救ってくれた相手との再会を願って中等部への入学を願うが、先の理由で思い直すようにと親に説得され、中等部への入学を断念するというエピソードがあるのだ。


 ゆえに、状況がややこしくなるまで三年の猶予がある。それまでにはなんとか状況を落ち着かせておきたい――というのが俺の思惑だ。




 それからしばらくは、お嬢様の受験対策を徹底的に行った。

 受験と言っても能力によってクラス分けをすることが目的で、合格するだけなら難しくはない。幼少期より教育を施されている貴族が不合格になることは滅多にない。


 だが、侯爵家の令嬢であるソフィアお嬢様は、ただ合格すれば良いと言うわけじゃない。その身分に相応しい成績を収める必要がある。

 そう思って過去の試験内容を調べたのだが……完全な杞憂だった。


 筆記試験の内容は、同年代の子供なら誰でも解けるような問題から、高等部の生徒でも手こずるような問題まで、難度に大きな広がりがある。

 平均で80点もとれば成績上位者に選ばれるようだ。


 だが、高等部の生徒が手こずる問題であっても、いまのお嬢様が苦労することはない。おそらくは主席、侯爵家の令嬢に相応しい成績で合格できるだろう。


 むしろ心配なのはお嬢様の精神状態――と思ったのだが、そちらは意外にも良好。パーティーでの一件なんてなかったかのように以前通りのお嬢様だ。

 ひとまず、いまのところは……だけどな。


 そんなわけで、とくに問題が起きることもなく受験日がやって来た。

 学園があるのは王都で、ローゼンベルク領地からは離れている。事前に王都にある別宅へと移動していた俺とお嬢様は、その別宅から馬車で学園へと向かう。


 ほどなく王都の一角にある学園に入り、校舎の近くで馬車を降りた。校舎の壁には、試験を受けるためのクラス分けの張り紙がされている。


「お嬢様、試験会場を確認して参りますので、少しお待ちください」

「あら、わたくしもついていきますよ?」


 戻ってくるのは二度手間でしょ? とでも言いたげだが、瞳に映る好奇心は隠しきれていない。こういった状況は初めてだから興味があるんだろう。


「お嬢様の仰せのままに――と言いたいところですが、危険なのでここでお待ちください」

「……はぁい」


 ちょっぴり拗ねた様子のお嬢様を微笑ましく思いつつ、俺は「お嬢様のことをお任せいたしますね」とお付きのメイドにお嬢様を任せ、校舎前の人混みの中へと立ち入っていく。


 受験生は貴族だけではなく平民もいる。平民の中には貴族に恨みを持つ者がいないとも限らないので、人混みにお嬢様を連れて行くわけにはいかない。

 危険人物がいないかと周囲を警戒していると、急に何者かがぶつかって来た。


「も、申し訳ありません、大丈夫ですか?」


 魔力を練り上げて警戒態勢を取るが、ぶつかって来たのはメイドだった。しかも彼女は慌てた様子で謝ってくる。その様子から敵意は感じられない。

 彼女は謝罪を繰り返し、お嬢様が待っているからと立ち去っていった。杞憂だったようだと思いながらも、視線は向けずにメイドの動向をうかがう。


「お待たせいたしました。お嬢様の筆記試験は、一階にある手前の教室を使うようです」

「そっか。確認してくれてありがとね」

「もったいないお言葉です。それよりも、お嬢様。両親の説得を押し切って中等部へ入学するなんて、本当に良かったんですか?」

「不安はあるよ。でも、どうしても諦めたくなかったから」


 会話を盗み訊くがやはり不審な点はない。不特定多数の者がいる場にお嬢様をお連れするのが初めてなので、少し警戒しすぎたようだ。


 両親の説得を押し切って中等部から通うと言うことは、おそらく下級貴族。よほど優秀なのか、もしくは向上心の高いお嬢様なんだろう。

 もしかしたら、ソフィアお嬢様の友人になるかも知れないな――と、俺はお嬢様の華やかな学園生活に想像を巡らせ、口元をほころばせた。


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