第4話 苦闘

「もう少しで到着します」 

 麻里李の呼ぶ声が、俺をつかの間のまどろみから不条理な現実世界へと引き戻した。

 気が付けば、車は見知らぬ住宅街を静かにすり抜けている。

 俺は車窓に眼を向けながら欠伸を嚙み殺した。

 緊張感が無い訳じゃない。どちらかというと、その逆だ。自噴井のように止めどもなく湧出する耐え難い焦燥と戦慄を、無意識のうちに緩和しようとするのだろう。生欠伸はその後も絶え間なく続いた。

 苦痛だった。精神的追い詰められているのが、激しく脈打つ心臓の拍動で分かる。

 さっきまでの転寝の時間が、この後も続いてくれれば最高だったのだが。

 昨夜は、ほとんど寝ていなかった。

 寝れなかったのだ。

 自分のこれからの事を考えると、脳みそを素手で握りしめられたかのような圧迫感に襲われ、寝返りを打っているうちに朝になってしまった。

 だが、迎えの車に乗り込んだ途端、その揺れの心地良さに、緊張で硬直した意識を揉み解され、気が付けば眠りに落ちていた。

 寿々音の奴はまだ熟睡状態だ。昨日さんざん寝倒したようだが、ここにきてまだ寝れるところが素晴らしい。何と図太い神経。まあ、こうでなきゃ、こちらの世界では生きていけないのだろうと思う。

 スマホの時計に眼を向けると、十一時二十三分を表示。麻里李さん凄い。実に五時間以上運転しっぱなしなのだ。流石、案山子の秘書だけある。

 地下都市から地上へは、車ごとの大移動だった。高速エレベーターで一気に地上に上がり、その出口として地上に作られたダミーの立体駐車場から、何食わぬ顔で一般道に乗り入れたのだ。麻里李の話では、人の行き来は制約らしい制約無しに行き来できるものの、車については結構監視と通過審査が厳しいらしい。今回、俺達が使った手段は、案山子が財力にものを言わせて極秘裏に建造した非合法なルートのようだった。

 今回はメンツも昨日より増員されていた。俺と寿々音の後ろのシートには、沙由良と稀羅羅が座っている。相変わらず無表情で、瞬き一つせずに姿勢良くシートに座ったままの二人の姿は、さながら精巧なマネキンのようにも見える。璃璃華もそうだが、同じ秘書でありながら、表情豊かな麻里李と彼女達は全く異質な存在に思えた。ちなみに、彼女達以外に、もう一人の秘書が先に現地入りして協力者の護衛についているらしい。

 つまり、今回は昨日よりも更に輪をかけてデンジャラスという事なのだろう。

 車は、一軒の民家の前で停止した。昔ながらの住宅地の一角にひっそりと佇む、二階建てのごく普通の民家だ。一見、案山子が共同を図るテロリストの住居とは思えない。

 家の前にカーポートがあり、ちょうど一台分のスペースが空いていたので、麻里李はバックでそこに車を止めた。

「着きました」

 麻里李が、そっと囁く。

 寿々音はその声に反応したのか、俺が揺り起こす前に目を開いた。

「行くよ」

 彼女はじろっと俺に目線をくれたかと思うと、先頭きって車を降りた。今まで爆睡していたのに、この変わり身の早さはプロフェッショナルだ。

 俺は彼女の後に続いて車を降りた。

 抜けるような青空が、頭上に広がっている。地下世界のダミーじゃない。きりっとした陽光が降り注ぐ、本物の青空だ。

 でも、俺にとっては本物じゃない。ここは、俺が本来存在する世界じゃないのだから。

 太陽も、空も、大地も、俺には全てが素直に喜べない虚構の産物だった。

 抜けるような青空も、俺には重いグレイの雨雲がどろりと垂れ込める曇天に等しかった。

 異世界というイメージを色眼鏡を通して見ているせいじゃない。これから起こりうる得体の知れない催し物に警戒し、畏怖を抱いているからなのか。

植木鉢に植えられた草花がひしめき合うアプローチを進むと、玄関先に掲げられた『是永』という表札が目に映る。

 寿々音が、躊躇いもなくインターホンのスイッチを押した。

「はーい」

 インターホン越しに帰って来たのは、何処にでもいるようなおばさんの声だった。

「案山子の使いで来ました」

「どうぞ、開いてますから」

 ドアを開けると白いブラウスにベージュのパンツ姿の本人が出迎えてくれた。

 3D画像と同じく、長い髪を後ろで束ねている。銀縁眼鏡の奥の眼が、優しそうな笑みを湛えながら俺達を見つめていた。

「是永詩奈さんですね? 私は――」

「月島寿々音さんよね? ここじゃなんだから、上がってください」

「あ、でも、早くここから避難しないと」

「少し位は良いでしょ? さ、どうぞ」

 是永に強引に進められ、俺達は渋々家に上がった。

「どうぞ、こっち」

 彼女に案内されたのはリビングだった。数人は座れるソファーと木目調のローテーブル。テーブル上には、開いたままのノートパソコンがあり、画面にはよくわからないグラフ

が映し出されている。

「そのパソコン、仕事用なの。私、表向きはデイトレーダーなのよ。元々は二階の仕事部屋でやってたんだけど、今この家には私しかいないから」

 是永がリビングの奥から叫んだ。その向こうに対面式のキッチンがあり、彼女はそこから紅茶とクッキーを用意して現れた。

「さ、どうぞ。適当に座って下さいな」

 彼女はテーブルにお茶とクッキーを置きながら、俺達に席に着くよう促した。

「是永さん、余りゆっくりは出来ないです。、状況はご存知かと思いますが」

 余りにもマイペースな是永の素振りに、寿々音は苛立っている様にみえた。言葉使いは丁寧だが、その節々に棘が見え隠れしている。

「是永さん、行きましょう。いつ公安が来るか分からないですから。今のうちに早く」

 俺は寿々音をフォローすべく、是永に呼び掛けた。

「ごめんなさいね、私は逃げも隠れもしたくないの」

 是永は申し訳なさそうに笑みを浮かべながら、両手を合わせて頭を垂れた。

「え、でも……」

 寿々音は困惑した表情で唇を噛んだ。

「是永さん、ひょっとして異邦人なんですか?」

「違うわ。あくまでも一般人よ。ちょっとパソコンの扱いに手慣れているだけ。手練れの武闘派集団もいないしね。組織じゃないから仲間もいないし」

 俺の問い掛けに、是永は首を横に振った。俺達との同行を断るのは、何か勝算があるからだと踏んだのだが、彼女の返事は何とも微妙だった。

 彼女は徐に指を鳴らした。

 すると、半透明のキーボードが中空に現れる。

 呆気にとられる俺を尻目に、彼女は軽やかなタッチでキーを叩いた。

 凄い。音がしない。

 不意に、正面の壁がブルー一色になり、巨大な地図を映し出す。

 壁一面が、モニターになっていた。

「地図じゃあ分かりにくいかな」

 彼女がキーを叩くと画像は一瞬にして地図から3D映像に変った。それも、飛び出す絵本のように、ジオラマの様な映像が中空に浮かんでいる。

「これ、リアルタイムの画像よ。某軍事衛星をハッキングして、データを取り込んでるの」

「ハッキング?」

 俺は思わず息を呑んだ。軍事衛星をハッキングって……この人、ただものじゃない。

「ええ。まあ、足跡を残さないように頂戴しているから、衛星の所有者は、私がちゃっかり利用しているなんて微塵も気付いちゃいないでしょうけど」

 是永は得意気に、へへんと鼻で笑った。

「後は、この画像に私が独自にセットしたセキュリティシステムをリンクさせると、こうなる」

 画面の通奥部の住宅の一角が、赤い枠で囲われ、更に枠内のあちらこちらに赤い丸印がいくつも浮かび上がった。

「赤い枠は対スピリチャルスーツ対策のセンサー。識別率は百パーセントよ。丸印は監視カメラ。セットしてあるのはこの町内だけだけど」

「これだけの設備、どうやってセットしたんですか?」

 俺は率直な疑問をぶつけた。明らかに普通の民家にもセットしてある。住民に黙ってこっそり取り付けたのか?

「お花いっぱい運動に便乗したのよ。この町のあっちこっちに花壇やプランターを置いて、町全体で緑化運動を進めてるんだけど、そのどさくさに紛れてセットしたの。細工したプランターや植木鉢を寄贈してね。お金はちょっとかかったけど」

 是永は苦笑した。

 俺は感心した。この人、凄い。大した労力を使わずにこれだけの監視網を築き上げたとは。

「今のところ、センサーにもカメラにも何も引っ掛かってこないから大丈夫」

 是永はそういうとティーカップを口に運んだ。

 せっかくなんで俺も彼女に追従し、ティーカップに手を伸ばした。仄かな甘みに似た紅茶の心地良い香りが鼻腔を擽る。紅茶を飲むのは何年振りだろう。久しく飲んでいない気がする。

「スピリチュアルスーツに特定して反応するセンサーってあるんですか? それも百パーセント判別出来るなんて。我々の知る限りでは、まだその手のブラックマーケットにも出回っていない」」

 麻里李が首を傾げながら是永に問い掛ける。

 彼女の知る範囲に、それは稀有な存在だったようだ。確かに、汎用していれば先日の様な奇襲攻撃も防げたはずなのだ。

「正直言うと、まだプロトタイプなの。開発者は私よ。案山子からの極秘の依頼でね。スピリチュアルスーツから発せられる生体エネルギーのデータを集計して、彼らの活動を予期できる仕組みを確立したのよ。」

「スピリチュアルスキャナーとは違うんですか?」

 この話には寿々音も好奇心をくすぐられたらしく、さっきまでのいらいらした態度から一転して、身を乗り出して是永の話に聞き入っている。

「あれは光の強弱で反応する瞳孔の動きを読み取って識別するやつでしょ? あれとは捕捉するターゲットが違うの。あれは旧式のスピリチュアルスーツには効果ありだけど、最近のやつは瞳孔反応も精密に再現されているから、あんまり役に立たないもんね。実はあれも私が考案したんだけどね」

 是永は困った表情を浮かべながら顔をしかめた。

 思い出した。テロリスト達に連行された時、黒マスクの人物――寿々音が俺に向かって翳したペンライトの様なやつだ。今思えば、あの時、寿々音は俺が政府軍の罠かもしれないと疑っていたのか。

 いやそれよりも、これも是永が開発したとは……明らかにただの個人投資家じゃない。

「スピリチュアルスーツの憑依者の魂と肉体を繋ぐものの波長分析に成功したの。憑依者の魂は、必ず本来の肉体と繋がっているからね。私は『命綱』って呼んでるんだけど、個人で多種多様な波長を示す中で、共通する部分をいくつか見つけたの。それを、センサーに記憶させたってわけ」

 瞳孔を開きながら熱弁を振るう是永の姿は、さながら案山子の様だった。案山子同様、自分に自信があるからこそなのだろう。

「それで、公安に睨まれたって事か」

 俺は呟き、一人頷いた。

 確かに、公安にとっては大きな痛手に違いない。

「でも不思議……公安はどうやってこの情報を掴んだのか。この話は、案山子と直接やり取りをしていたし、その間、盗聴やハッキングは無かったのに。それに、私としては、この公安の動き、信憑性に欠けるのよ」

 是永は眉を顰め乍ら首を傾げた。

「どういう事ですか?」

 寿々音が眼を見開いて是永を見た。

「この件、私の情報網には全く引っ掛かってこないの。知り合いに異邦人のフリーライターがいるんだけど、彼も知らないって言ってたし」

「そのフリーライターって、冨士見さん?」

「あ、あなたも知り合いなの?」

 是永は驚きの声を上げると、大きく見開いた眼で寿々音を見た。

「ええ。私たちの事を色々嗅ぎまわっています」

「それが、彼の仕事だもんね」

 寿々音の答えに、是永は苦笑した。

「案山子は何かしらの情報を掴んだのは確かです。その信憑性については、私も分かりかねるのですが、案山子が是永さんとご家族の身を案じているのは事実です。是永さんご自身も分かってられる様ですけど、今のシステムは警備面では優れていますが防衛面では無力です。念の為、我々と合流する方が安心ではないでしょうか」

 麻里李が淡々と是永を説得した。流石、案山子の秘書だけある。案山子のフォローと職務の進行は全くもって抜け目がなく見事なものだ。

 是永も痛いところを突かれたのか、困った表情を浮かべた。

 確かに、セキュリティ面は凄いと思うが、そこから先の対処が全く出来無い状況にあった。つまりは、セキュリティに何か引っかかったら、抵抗するどころか逃げるしかない。

「そうよねえ。防衛面は皆無だもんねえ」

 是永は大きな吐息をついた。

「でも、家族は大丈夫よ。旦那とは別居中だし。娘もそっちに追いやったし。私なりに覚悟は出来ている」

「覚悟って?」

 彼女の言葉に、俺は思わず身を乗り出した。

「万が一、公安が私に手を出した場合、その状況を全世界にリアルタイムで公開するのよ。カメラはあちらこちらに仕掛けてあるし。私がパスワードを叫べば、ロックが解除されてあらゆるサイトに飛ぶ仕掛けになっているの。同時に、私が集めたいろんな情報も。地下都市や、人知れずやらかしている戦争とかね」

 是永は拳を固めながら興奮した声で語った。

「是永さんもご存じなんですか? 戦争の事」

「ええ。酷いよね。要人達は皆、地下都市に隠れて地上で生活する民間人のほとんどを見殺しにしようとしているんでしょ」

「――知っているんですか?」

 俺は戦慄を覚えた「地下都市」という言葉が言えないのだ。話しているつもりだったのに、言葉は音声を伴っていないのだ。

 思い出した。

 この世界に迷い込んだ日、案山子が妙な事を言っていた。地下都市を訪れた者が、地上世界でそれを他に伝えようとしても伝えられなくなるよう、無意識のうちにコントロールされていると。確かそんな事を言っていた様な記憶がある。

 案山子が言っていたのは、この事か。

 でも、是永は普通に地下都市について話しているし、ずばりそのものも口走っているし、これって、どういう事なのか。

「どうしたの、喜多准教授のそっくりさん。ああ、地下都市の事?」

俺は黙って頷いた。

「マインドコントロールね。地下都市を訪れた者に掛けられる強制暗示。私が平気で言葉に出来るのが不思議なんでしょ。何でだと思う?」

「何故、ですか?」

「行った事が無いから。地下都市の知識は案山子からよ。私から情報を流す代わりに、彼からも情報を貰っているしね」

「なるほど、でも案山子はどうやって?」

 俺は素朴な疑問を是永に投げ掛けた。

「手紙よ。ネットやメールは地上から地下への一方通行だったりするけど、アナログな紙ベースの情報共有は結構ザルだったの。政府も感づいたのか、マインドコントロールを強化したみたいで今は無理だけどね。でもこれって、意外と誰もすぐには気づかなかったんだよね」

 簡単明瞭超意外な回答だった。卓越した科学の発展を足元をすくいかねない新事実。間抜けな話だが、政府にとっちゃ、決して笑えないとんでもない失態だ。

 不意に、背後を通り過ぎる人の気配。振り向くと、制服姿の少女が廊下を玄関に向かって歩いていた。

 是永の娘か。ショートヘアーだが、面立ちは何となく似ている。が、母親と違い愛想を振りまくなんてのは一切なく、ぶすっとした無愛想な表情で只々俺達の後ろを通過していった。

 でも、妙だ。確かさっき、是永は――。

「行ってきます」

 娘は母親に声を掛けると、玄関のドアを開けた。

 刹那、水っぽい破砕音と共に、無数の軟質物が周囲に飛び散った。

 何が起こった?

 俺達は一斉に玄関を覗き見た。

 少女の身体が、半分になっていた。スカートから下だけが、仁王立ちする両脚に支えられ、奇跡的にかろうじて残っていた。

 公安の手がまわったのか?

 俺は、愕然としたままその光景に見入っていた。余りの非現実的な光景に圧倒されながら、想定外の現実を思考の顎で事務的に咀嚼していく。振り向くのが辛かった。是永が一体どんな気持ちでこの光景を見つめているのか――そう考えるだけで、いたたまれない気持ちが俺の意識をキリキリと締め付ける。実の娘が目の前で肉塊と化したのだ。正気でいられるはずがない。

 だが、俺の関心は瞬時にして別のターゲットを捉えていた。

 その、少女の向こうに、もう一人の彼女が立っていた。

 容姿も服装も全く同じ格好の是永の娘が、対施設用のバズーカを構えてこちらを睨み付

けている。

 不意に、下半身だけになった少女の右足が、今だ砲口を向けたままのもう一人の彼女を

蹴り上げる。

 彼女は砲身で蹴りを受け止めながら後方へ大きく跳躍した。

 蹴り上げた下半身だけの少女も異様だが、後方に逃れた少女も、あの身体能力から察するに生身の人間じゃない。後者は恐らく公安か政府軍のスピリチュアルスーツ。では、前者は?

 上半身が飛散した少女の身体に動きが生じた。彼女のバラバラになった身体のパーツが、芋虫のように収縮を繰り返しながら残された下半身の元へと集結し始めた。それはまるで映像を高速逆再生しているかのように、結構な速さで細切れになっていた肉塊の一つ一つが融合し、肉体を紡いでいく。

 亜麻色の長い髪。白い肌。日本人離れした整った目鼻立ちは北欧系だろうか。

 はっきりしているのは、明らかに最初の風貌とは全く異なる少女である事。

「あやつは玲於奈」

「我々と同じ、案山子の秘書だ」

 沙由良と稀羅羅がそう呟きながら、俺の脇を駆け抜け、外へと飛び出して行く。

 そうか。先入りしている仲間とは、彼女だったのか。

「私達三人で敵を凌ぎます。その間に是永さんを連れて脱出してください」

 完全に再生を遂げた玲於奈が、真剣な眼差しで俺達に逃亡を促した。不思議な事に、さっき上半身を吹っ飛ばされた時に四散した衣服までも、完全にリピートしている。衣服も肉体の一部なのか。沙由良や稀羅羅とはまた違うタイプの様だ。

「是永さん、セキュリティーに異常はっ?」

 寿々音が、壁のモニターを食い入る様に凝視した。

「異常はないわっ! そんな……センサーには何も反応していないのに。それに何よあれ……娘そっくりのスピリチュアルスーツなんて」

 是永の声が震えていた。硬直した彼女の顔には、困惑と動揺に打ち震えるの暗い陰りが、べっとりと張り付いていた。完璧を誇っていたセキュリティーシステムを突破されたことがショックだったのか、先程までの自信に満ちた表情は痕跡すら残っていない。否、それよりも、敵が自分の娘そっくりのスピリチュアルスーツを送り込んできた事の方が重大な要因かもしれない。公安が彼女の家族構成を把握している証明といっても多言ではないのだから。

 玄関先から、肉を打つ打撃音と何かが破壊された粉砕音が響く。

「是永さん、モニターをこの家の周りの映像に切り替えられますか?」

 俺は是永に声を掛けた。外は既に戦闘態勢に入っている。状況確認をしないことには動きようがない。

「は、はいっ!」

是永は強張った表情で慌ててキーを叩いた。立体映像がニ十分割され、家のあちらこちらにセットされているらしいカメラの画像が映し出される。

「これは……」

 是永の声が、溜息に変わった。

 俺は言葉を失っていた。

 家は、群衆に取り囲まれていた。数十人、否、百人は下らない。それも、その風貌はどう見ても一般人なのだ。老若男女様々の群衆が、道路は勿論、隣接する民家の庭にまで押し寄せている。

「この人達、みんなこの町内の住民よ。外観はね」

是永が、沈んだ声で呟いた。

「えっ?」

 近所の住民?

だが、決して野次馬なんかじゃない。

 モニターには、銃やバズーカ砲、ロケットランチャーといった様々な火器を持った彼らと、秘書達が一線を交えている映像が映し出されている。見掛けは民間人だが、正体はスピリチュアルスーツに宿った兵士なのだ。それも近隣住民の容姿にすることで、是永に反撃を躊躇させるのが狙いなのだろう。陣頭指揮を執っているのは軍関係者なのか、それとも公安なのか。どちらにせよ、連中のやり方は悪趣味過ぎる。

「やられたわっ! 迂闊だった」

 是永が悔しそうに叫んだ。

「どうしたんですか?」

「これ見てっ!」

 是永に言われるままにモニターを見つめた。

 家を取り囲む群衆の頭から、何やら白い紐のようなものが伸びている。

「これが、さっき私が言った命綱よ。スピリチュアルスーツと本体を繋ぐ魂の糸。でも変ね。みんな地面に向かって伸びているわ――そうか、分った。連中は棺桶を地下に持ち込んだんだ」

「地下?」

「下水道よ。人が十分行き来できる太さの本管が、うちの前の道に埋まっているのよ。流石にそこまでは監視していなかった」

 是永唇を噛んだ。

 刹那、庭に面したアルミサッシの窓ガラスが粉々に砕けた。続々と乗り込んで来る住民の容姿をした木偶達。

 俺は是永を庇い、突き付けられた銃口の前に立ちはだかった。

 バズーカではない。サブマシンガンだ。只、銃を手に構えているのは、ジーパンにカットソーのおばさま達。アラフォーからアラフィフ位か。更にその背後には、Tシャツにハーフパンツの親父部隊が控えている。

 一斉射撃。形状化された気の凶弾が、容赦無く俺の身体に着弾する。

 こいつら、連行なんてするつもりはないのだ。

 奴らの目的は、殲滅。最初からそれしかない。

 弾幕が止む。奴らは、お互い顔を見合わせた。

 弾は、確実に俺を捉えていた。奴らが撃った気弾のほぼ百パーセント近くを俺は被弾している。当然、奴らは俺が跡形も無く消し飛ぶ姿を想像していたに違いない。

 だが残念ながら、むしろさっきまでよりもパワーアップした俺がいた。奴らが魂を削って放った弾を、俺は全てエネルギー転換して体内に取り込んだのだ。

「どうした、パワー切れか?」

 俺の声に、奴らは狼狽しながらも再び銃を構えた。

 刹那、俺の背後から寿々音と麻里李が飛び出す。二人とも、俺同様に自分の身を盾にして是永を守っていたのだ。

 銃口は狙いを二人に鞍替えした。

 寿々音を狙った弾は被弾する寸前で大きく反れ、打った本人に着弾した。命中した部分からエクトプラズムが滴り落ちる。が、奴らはひるまない。自分達が撃ち放った弾丸で蜂の巣状態になっても彼らは引き金を緩めようとはしない。

 痛みを感じない身体だからなのだろうか。彼女?達は、自分たちの身がどうなろうとも、俺達を殲滅する義務を粛々と遂行する姿勢を崩さない。

 寿々音の回し蹴りが、前衛の敵を襲う。腹部をえぐられ、大きく仰け反る御婦人たちの後方から親爺軍団が引き金を引く。

 刹那、次々に首が吹っ飛ぶ親爺たち。

 麻里李だ。彼女の両手が肉厚の長剣に変化し、傀儡の輩を次々に切り捨ていく。。その動きは常人の動体視力を遥かに凌駕する速度で、首を刎ねられた連中は、その事実にすら気付かず、一歩踏み出したところで大きくずれる視野と共にログアウトしていった。

 突然、間近の壁が轟音とともに粉砕した。

 砕け散る壁の向こうに人影が見える。是永の娘そっくりのスピリチュアルスーツだ。

 彼女は至近距離から是永にバズーカの砲口を向けた。

 彼女の指が、トリガーを絞る。

 まずい。反撃しないと。俺はいいが、是永が危ない。

 でも、どうすりゃいい?

 俺は咄嗟に拳を砲口に叩き込んだ。

 さっきの集中砲火で体内に取り込んだ気が、熱い噴流となって一気に拳へと流れ込む。 刹那、バズーカが粉々に炸裂し、閃光が彼女を呑み込む。

 一瞬にして、彼女は消えた。その存在の痕跡を一片も残す事無く。彼女だけじゃない。彼女の背後にいた何名かも巻き添えを食って同じ運命をたどっていた。

 いや、それどころか、向かいの家が完璧に全壊していた。二階建てだったはずの民家は、その面影を想像できない程に崩壊し、ただの瓦礫の山と化していた。

 これが、俺に宿った異邦人の特殊能力。昨日の反撃なんて比じゃない。俺の攻撃能力は吸収したエネルギーに正比例しているのか。

 俺は言葉を失っていた。

やってしまった。

 いくら力をコントロール出来無いとはいえ、関係の無い民間人を巻き込んでしまった。

 自分のスペックに驚愕したのは、ほんの一瞬に過ぎなかった。破壊してしまった家屋を目の当たりにした瞬間、俺の思考は後悔と懺悔の思いに埋め尽くされていた。

「喜多、大丈夫か」

 寿々音が俺の傍らに駆け寄る。

「家、ぶち壊しちまったよ」

 俺は力無く呟いた。

「喜多、あんただけじゃないよ。よおく周りを見てみ?」

 半ば呆れ口調の寿々音に少し反感の思いを抱きながら、周囲を見渡した。

 向かいの家だけじゃなかった。両隣の家も残っているのは柱だけ、斜め向かいとその隣の家も、そのまた向こうも完璧に残骸と化していた。それこそ、半径百メートルは何もない状態だった。更には、あれだけいたご近所顔見知りタイプのスピリチュアルスーツも、もはや一体も残っていない。

 ただ秘書三名だけが所在投げに佇み、残党がいないか周囲に眼を光らせていた。

前衛だけでなく、後衛もそうだ。隊列を組んで攻め入ってきたオバサマ&オヤジ軍団も、寿々音と麻里李によって全て肉塊と化し、エクトプラズムを吐き出しながら痕跡一つ残さずに消えつつあった。

「私達が本気出せば、まあこんな感じ」

 寿々音は落ち着いた素振りで静かに囁いた。

「おい、民間人に被害者が出たんじゃないのか?」

「大丈夫。この町には誰もいない」

「何故分かる?」

「何となく」

「何となくって……」

 あっけにとられたまま、彼女を凝視する。

「彼女の言ってること、当たってるわよ」

 是永が、身体に降りかかった砂塵を払い落としながら周囲を見回した。

「対スピリチュアルスーツセキュリティシステムは人も認知するんだけど、さっき見た限りじゃ、この街一帯から人が消え失せてた。時空が隔離されているわけじゃないわ。たぶん公安か政府軍の仕業ね」

 是永は忌々し気に顔をしかめた。。彼女は、壊れたテーブルの下から小型のノートパソコンを引っ張り出すと、小脇に抱えた。

「月島さん、あなた達に合流するわ。これでもう、私はこの街に居られなくなったし」

 彼女は寂しそうに微笑んだ。

「行きましょう」

 俺は彼女の決断を快く受け入れた。

 瓦礫を乗り越え、粉砕した植木鉢の欠片が一面に散在するアプローチをゆっくりと下る。

 家の駐車場に止めてあったはずの車が消えていた。戦闘の犠牲になったのか。ただ、残骸は見当たらない処を見ると、どこかに吹っ飛ばれたらしい。。

「引き上げるよっ」

 寿々音が、沙由良達に声を掛ける。

 が、彼女達は布陣を解かない。獲物を追う猛禽類の様な鋭い眼で、周囲を監視し続けている。

「気を付けろ。敵はまだいる」

 沙由良が叫ぶ。

 瞬時にして、俺達は再び緊張の顎にがっつり咥え込まれた。

「見破られていましたか、流石ですね」

 不意に、何もない空間が人影を生んだ。道路のど真ん中に、バズーカを構えた黒服男二十数名。その小隊の前に、痩身で色白細面の男が冷笑を浮かべながら佇んでいる。三十代後半位だろうか。その表情とは裏腹に、切れ長の細い眼には冷酷無比な輝きを宿していた。

「ブラインドはこういう使い方も出来るんですよ。ただ単に、戦闘シーンを一般市民から隠匿だけじゃなくてね」

 男はさも自慢げに語った。

「誰だ?」

 俺は奴をねめつけた。

 公安か、軍隊か。どちらにせよ、厄介な存在には間違いない。

「おや、あなたが喜多准教授のそっくりさんですね。驚いきました。まるで双子の様だ」

 奴は細い眼を更に細めた。

「答えになってないっ! 誰だって聞いてんだっ!」

 俺は憮然としたまま、奴に返す。言葉の節々に、何処か見下した様な刺々しさを感じる。俺が最も嫌いなタイプだ。

「公安の砧一彦、三十六歳独身。性格極めて冷酷にて最悪。絵に描いた様なサディストよ」

 是永が吐き捨てるように言い放った。

「流石、反政府分子内でも一、二を争う情報屋だけありますね。ほぼ合ってはいますが、サディストではありません」

 奴はおどけた素振りで両掌を上に向けると、口元に苦笑を浮かべた。

「悪趣味ね、この糞野郎。この街の住民そっくりのスピリチュアルスーツで私達を攻撃するなんて。躊躇するとでも思ったの?」

 寿々音が嫌悪に眼を吊り上げながら、憎悪に震えた。

「確かに、甘かったようです。でも本物の住民達を非難させておいてよかった。表向きは不発弾撤去という理由ですけど、実際にはそれ以上の被害になってしまった」

 砧の皮肉めいた台詞が、俺の不快感を思いっきり煽り立てた。

 ぶん殴ってやる。

 イケメン崩れの出来損ないめが。本人はきっとそこそこのいい男と思っているんだろうが、性格の悪さがもろ顔に出ている。

 不意に、奴の背後から人影が現れた。

 驚きの余りに、思考がフリーズする。

 見覚えのある人物だった。制服姿の少女――さっき俺が仕留めた是永の娘。

 また、スピリチュアルスーツか?

「みんな待って。あの子はスピリチュアルスーツじゃないわ。本物よ」

 是永は、小脇に抱えていたパソコンのキーを叩きながら、慌てて俺達を制した。

 本物の是永の娘?

 公安に拉致られていたのか。

 奴ら、何考えてやがる。

 彼女を使って母親と俺達に投降を促そうってのか。

 彼女は、硬い表情を浮かべながら、両手をスカートのポケットに突っ込んだまま、ぎこちない足取りで母親の元に近付いて来る。

「紫音……どうしたのっ?」

 是永が、震える声で娘の名前を呼びながら、彼女の元へ駆け寄った。

 娘は眼に涙の揺らめきを湛えながら、じっと母を見つめた。

「お母さん、どうしてテロリストなんかになったのよっ!」

 冷ややかな調べを紡ぎながら、、彼女は右手をポケットから勢いよく引き出した。

 何か握られている。

 銃だ。リボルバー式でない。自動拳銃。

 俺がその事実を認識した時、彼女は既に母親の額に銃口を突き付けていた。

「家も、街も無茶苦茶じゃない。どうするつもりなのよっ!」

 娘の目から、大粒の涙が零れ落ちる。

 グリップを握る彼女の指が震えている。

 動けなかった。

 俺達が動けば衝動的に彼女がトリガーを引きかねない。

 苛立たしさに、ぐっと唇を噛む。

「紫音、お母さんの話を聞いてっ!」

 是永は驚愕に眼を見開きながら、冷ややかな目線を注いでいる娘に語り掛けた。

「聞きたくないっ! 私、お母さんの秘密、全部知ってんだから」

「秘密って、どんな事?」

「砧さんが教えてくれたわ。ここにいる化け物みたいな奴らと手を組んで、クーデターを起こそうとしてるんでしょっ!」

 娘は泣き叫びながら、母親を攻め立てた。

 化け物、か。

 確かに化け物だ。

 彼女が吐き打てたその台詞は、俺の胸に深々と突き刺さっていた。

 是永は驚いた様に眼を見開くと、じっと娘の顔を見つめた。

 不意に、彼女の顔が緩む。

 脱力感に満ちた吐息が彼女の口から洩れたかと思うと、やがてそれは押し殺したような笑声へと変わった。

 何が彼女に起きたのか、俺には理解出来なかった。極度の緊張に耐えかねた彼女の精神が崩壊してしまったのだろうか。それとも、何かしらの考えがあって、紫音の昂る感情をクールダウンさせようとしているのか。どちらにせよ、俺達が手を出せる範疇を超えてしまっているのは確かだった。

「何がおかしいのよっ!」

 紫音は不満げに母親を罵った。彼女に馬鹿にされたとでも思ったのだろう。憤怒に歪む彼女の表情には冷静さを欠如した狂気が色濃く浮かび上がっていた。

「砧に何を吹き込まれたのっ?」

 突然真顔に戻った是永が、紫音をじっと睨み返した。

「私達を陥れようとしているのは、政府の方よ。あいつらは勝手に戦争を始めて、地上を犠牲にして自分達は地下都市でのうのうと生き延びようとしているの」

「信じられる訳ないでしょっ! そんな馬鹿げた話」

紫音は顔をしかめながら、激しく首を横に振った。 

「今までだって、私の事、ほりっ放しのままで、一人でパソコンこそこそかまって、私が聞いても何も教えてくれなくて。何が何だか分からないままにお父さんと離婚して。私までも追い出して……私に何も話してくれない人の、何を信じろって言うのっ!」

 紫音は絶叫した。彼女の深層心理に根強く蔓延っていた心の闇が、一気に炸裂したような気がした

「それは……」

「娘にも言えない様な犯罪に手を染めているからですよね」

 困惑する是永をあざ笑うかのように、砧は口元をいやらしく吊り上げた。

「どっちが犯罪者よ。国民を見捨てた国家の方が、もっと重大な犯罪者じゃないっ!」

 是永は、かっと眼を見開くと、底知れぬ憎悪の炎を孕んだ瞳で砧を見据えた。

「恐ろしい事を言いますね。でもその根拠はありますか?」

「根拠?」

「はい。あなたが仕入れた情報が正しいという根拠です」

「何を、今更……」

「先日、総理が米国、中国、露西亜を立て続けに訪問しています。世界に戦争を吹っ掛けたのなら、こんな自殺行為が出来ると思いますか? 自ら首を差し出すのと同じですよ」

 砧は畳み込むような強気の話術で、是永に反論の余地を与えず、強引に捻じ伏せた。

 是永は悔しそうに砧を睨み付けると、ふっと吐息を漏らした。

「確かに、矛盾だらけよね。あなたの言う通り。でもね、冷静に考えたら、何でもない事なのよね」

「ほう、それはどういう事です?」

「総理そっくりのスピリチュアルスーツを用意したんじゃないの? 総理以外にも大使館の関係者とか、そう考えればつじつまが合うでしょ」

「なるほど、そういう手がありましたか。参考にさせていただきます」

 上目目線で返す是永に、砧は拍手で答えた。お道化た口調ではあるが眼は少しも笑っていない。案外、図星なのかも知れない。

「さて皆さん、抵抗はやめて投降して下さい。さもなくば、ドラマチックな悲劇を目の当たりにする事になりますよ」

 砧は満足げな表情を浮かべながら俺達を見渡した。勝機を得たと確信したのか、恐ろしく無防備のままパフォーマンスし続けている。

「投降なんかしなくていいっ!」

 是永が強い口調で砧の発言を制した。

「紫音、私を撃ちなさい。あなたがそれで満足するなら。でもね、私は少しも間違った事はやってない。それだけは、胸張って言える」

 是永は仄かな笑みを浮かべながら、表情を潤ませた。が、不意に表情を硬く強張らせる。

「みんな、私に構わずこいつら全員ぶっ飛ばしてっ! でも紫音には絶対手を出さないでっ!」

 是永は、砧に憎悪の視線を注ぎながら渾身の叫び声を絞り出すと、再び口元に柔らかな優しい笑みを浮かべた。

「紫音、あなたは生き伸びて。そして、この世界の未来を見届けて」

 紫音は肩を震わせながら、母親をじっと見つめた。

「何訳わかんない事言ってんのよっ!」

 紫音の表情が崩れた。大きく見開いた眼から、涙が止めどもなく溢れ出る。

 何となく空気が変わったような気がする。あの二人を取り巻く空気が。

 特に娘の方だ。刺々しさと憎悪を孕んだ重苦しい気の淀みが、ゆるゆるほどけていくのを感じる。

「是永紫音さん、そのままお母さんを連れてこちらに来なさい。まあ、撃ちたければ撃ってもいいですが」

 砧が、優しく苛立たし気に紫音を促した。

「撃てる訳ないよ。私にとってお母さんは、やっぱり母さんなんだよ」

 紫音が勢いよく振り向いた刹那、砧の表情が驚愕に歪んだ。

 銃口が、まっすぐ砧を捉えていた

 銃声が響く。

 紫音の身体が、ゆっくりと母親の腕の中に倒れ込んだ。

 彼女の左胸に鮮血が広がっていく。

 砧の右手には、紫音と同じ銃が握られていた。

 是永の絶叫が、廃墟と化した住宅地に響き渡る。

 動けなかった。

 一歩も、動けなかった。

 その光景は、まるで映画のワンシーンのように、一瞬のうちに俺の視界を過ぎ去っていったのだった。

 そして、現実だけが残った。

 考えたくなかった最悪の現実が。

 砧は、茫然自失の俺を嘲笑うかのように、銃口を泣き叫ぶ是永に向けたまま、ゆっくりと彼女に歩み寄った。

「誤解しないで下さい。私は悪くない。正当防衛ですから」

 砧は冷ややかにそう吐き捨てると、是永の額に銃口を突き付けた。

「反政府軍の皆さん、これ以上仲間を失いたくなければ、その場を動かず、地面に腹ばいになって両手を後ろに回しなさい。少しでも指示以外の行動をとったら、彼女の命は保証出来ませんよ」

 俺は砧をじっと見据えた。こんなにも人を憎むことは今までになかっただろう。

 ぶっ殺してやるなんて思う事も。でも、今の俺は、その二つの禁忌の感情を確実に意識に宿していた。涙が止まらなかった。

 敵の手に落ちる恐怖からではない。是永母娘に何もしてやれない自分自身への不甲斐無い思いが、抑えきれない衝動となって、涙腺を攻め立て続けていた。

「みんな、そこを動かないで。私、裁きを受けるわ……」

 是永の虚ろな瞳が、遠くを見つめていた。

「急に、しおらしくなりましたね。娘の死を目の当たりにして、自分の置かれている状態を自覚出来ましたか?」

 砧は、是永の不意の呟きに満足げな笑みを浮かべた。

「私は犯罪者だからね。受けて当然よね。軍事衛星の頭脳をハッキングして、色々情報を頂いていたのは事実だし」

「その点は、後程ゆっくり伺いましょう」

「解除したわ」

 いつの間にか、是永の左手がノートパソコンのキーに触れていた。

「貴様、何を?」

 是永の瞳孔が大きく広がる。

「裁きを受けるの。砧、あなたも一緒にね」

 憔悴しきった是永の顔が、一瞬ほころんだ。

 不思議な微笑みだった。

 決して諦めではないような気がする。虚脱とも解脱ともとれる、不思議に力の抜けた表情だった。

 閃光が、視界を埋め尽くす。

 白い光の柱が、是永母娘と砧を呑み込んでいた。

 それも、ほんの一瞬。

 一瞬き後、光は消え、是永と娘、そして砧の姿も消えていた。

 何が起きたのか。

 何も考えられない。俺に出来るのは、彼女達がさっきまでいた出だろう路面に刻まれた黒い影の痕跡を凝視することだけだった。

 思考が、真っ白になっていた。

 味気ない砂を噛むような空気が、肺を満たしていく。

「対衛星用レーザービーム。日本が極秘に打ち上げた軍事衛星の排除システムが作動したんです。機密保持の為、干渉を試みたキラー衛星などの対象物を消去する防衛機能です。恐らくは是永がハッキングしていたやつの」

 麻里李が、悲痛な表情を浮かべながら天を仰いだ。

「彼女ならではの最後の手段です。ハッキング時に制御していたロックを自ら解除したのでしょう。ひょっとしたら、最初からこれを狙っていたのかもしれない」

 玲於奈は大きな吐息をつくと、その重苦しい調べに乗せるかのように、伏目がちに呟きをもらした。

 そうなのか。

 是永が、逃げ出そうとしなかったのも、夫や娘を自分から隔離したのも、『奥の手』を使う為だったのか。

 否、違う。

 最初からそんなこと考えてはなかったはずだ。

 生きることを諦めてはいなかった――そう信じたかった。

 追い詰められたから、やむなくとった最後の決断。それも、俺達を巻き込まないように、気遣いながら。

 俺は何をしていたのだ。

 俺なら、レーザービームをエネルギーに転換して喰らうのも可能だったんじゃないのか。

 何が異邦人の持つ特殊なスペックだよ。何の役にもたっていない。ただの宝の持ち腐れではないか。

 役立たずだ。

 俺は、どうしようもない腑抜け野郎だ。

 耐え難い自己嫌悪が止めども無く心の奥底から沸き上がり、俺の意識を果てしなく罵倒し続けた。

 黒服達に動きが生じた。奴らは、仲間を信じられないような攻撃で失ったにもかかわらず、少しも動じることなく隊列を保持したまま砲口を俺達に向けた。

 巨大なバズーカを軽々抱えているところを見ると、黒服軍団は間違いなくスピリチュアルスーツだろう。奴らの宿り主は、徹底的に鍛えられたプロの軍人か、殺戮に快楽するいかれた輩に違いない。

 そんなに俺達の首を取りたいのかっ!

 是永母娘を守ってやれなかった事への行き場のない怒りと焦燥が、俺の意識から理性というリミッターを解除した。

 俺は地を蹴った。奴ら目掛け、真正面から突っ込んでいく。

 同時に、奴らは一斉に引き金を引いた。

 無数の気の弾道が俺に集中する。

 俺は走りながら、その全てを避けずに受け止めた。

 痛くも痒くもない。反対に心地良くなるだけだ。こいつら、まだ俺の能力を分析し切っていないのか。

 ならいい。

 とことん撃ってこい。

 お返しに、とことん撃ち込んでやる。

 俺の手で、貴様らにありったけの恐怖を。

 安全な場所で、のほほんとくつろぎながら、ゲーム感覚で殺戮に講じる糞野郎共の魂に。

 先頭の一人目。左手で砲身を払い、右胸に拳を撃つ。肉が裂け、後方に吹っ飛ぶ上半身。

 その左。二人目。トゥ・キックで顎を蹴り上げる。頭がもげ、後方に砲弾のごとく吹っ飛んでいく。

 その後ろ。三人目の腹部を俺が吹っ飛ばした二人目の頭が貫通。

 その右。四人目の右手が剣にメタモルファーゼする。間髪を入れずに俺を襲う刃を左手で払いながら、顔面に拳を撃つ。西瓜割りの様に水っぽい粉砕音を撒き散らしながら弾け跳ぶ顔面。後頭部に突き抜けた拳を戻し、次のターゲットを追う。

 至近距離で俺に気の砲弾を撃ちまくる後続達。

 被弾しながら、俺は進撃し続ける。

 正面に捉えた五人目の胸元に、俺の右拳がめり込む。水風船の様に弾け飛ぶ胸部。

 背後に気配。振り向くと、両手が剣に変異した黒服二名が飛び掛かって来る。うち一人が路面すれすれまで身を沈める。

 足を狙ってくる。

 正面の敵は突きで俺の喉が狙いか。

 両腕でガード。

 敵は喉を狙いつつ、がら空きになった俺のボディにもう一方の剣を突き立てる。

 粉々に砕け散る凶刃。正面の奴も足元狙いのもう一人も同様に、俺に接触した瞬間、剣は塵と化していた。

 正面の奴には胸に掌底、足元の奴は下腹を蹴り上げる。

 二人は弾け跳び、路面にドロドロの体液をまき散らす。すかさず頭を踏みつぶし、とどめを刺した。これで七人。

 残りは、もういない。

 俺が七人倒す間に、寿々音達が残りの連中を片付けていた。

「大丈夫?」

 寿々音が心配そうな表情で俺に声を掛けて来る。

「ああ」

 俺は吐息をつくと、徐々に痕跡を失いつつある黒服どもを見据えた。さっき倒したばかりなのだが、既に形状を留めていない状態にまで分解が進んでいる。

 満足感も達成感も何もない。抑えきれない怒りの衝動にかられるまま暴走した後には、虚しさやりきれないだけが、俺の意識を埋め尽くしていた。

 結局、何にもならないのだから。

 奴らを倒したところで、是永母娘が蘇るわけじゃないのだから。

 奴らに対してだってそうだ。俺が激高し、奴らに底知れぬ恐怖を植え付けたところで、結局奴らにとってはつかの間の悪夢に過ぎないのだから。奴らは今頃、憑依から解放されて棺桶から這い出していることだろう。そして、何事もなかったかのように、自分たちの待つ家族の元へ帰るのだ。

 まるで、全てが非現実世界の出来事であったかのように。

「帰りましょう」

 麻里李が静かに呟いた。

 半壊した是永家の駐車場に、消え失せていたワンボックスカーが姿を現した。

「最悪の事態を予想して、ブラインドで隔離しておきました」

 抑揚の無い声で麻里李が俺達を導く。

「有難う、麻里李」

 そっと声を掛けると、麻里李は口元にはにかんだような笑みを浮かべた。

 車に乗り込むと、そのタイミングを狙ったかのように寿々音の携帯が鳴った。

 話の口調から察するに、相手は案山子らしい。

 寿々音は沈んだ口調で是永保護の失敗を告げる。

 しばらく会話が続いた後、寿々音は携帯を切った。

「政府は不発弾が爆発したと発表したらしい。もうすぐ工作部隊が来るって。急いでこの街を脱出する。検問張ってると思うから、ブラインドの用意を。合図は私が出す」

「承知しました」

 寿々音の指示に、麻里李は落ち着いた口調で答えるとアクセルを強く踏み込んだ。

 慣性の法則に従い、俺の身体は一瞬ぐっとシートに押さえつけられる。

「余り思い悩まないように。こういった事例は珍しくない」

 寿々音が、俺の耳元にそっと呟いた

 急速に後方へと過ぎて行く車窓の風景から視線を逸らすと、俺はゆっくりと目を閉じた。 

 終わったのだ。

 今更、悔やんだところで、どうなるものでもない。

 分かっている。それは十分過ぎる程に。でもそれは、現実逃避に他ならない気がする。

 悔やんで、悔やんで、自分をとことん責め立てて、もう二度と繰り返さないと思い知るまで責め立てるのが必要じゃないのか。

 後悔は必要だ。二度と後悔しない為にも。現実から眼を逸らさない為にも。ただそれをいつまでも引きずらず、それでいて決して忘れない事――それが大切なのだ。

 俺は、そう思う事にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る