第3話 懐疑
「寿々音、どう思う、富士見さんの言ってた仮説」
「うーん、なんともいえない」
俺の問い掛けに、寿々音は眉間に皺を寄せると、苦しげに答えた。
俺達は今、麻里李が運転する車の中にいる。今回の報告も兼ねて案山子の元に向かっているのだ。
富士見が彼の事務所で語ってくれた事が、頭からずっと離れずにいた。情報交換をと言いながら、実は彼自身の仮設を俺達に伝えることが目的だったのだろう。まあ、俺達からは情報を聞く前に、麗が会議があるからと訴えた事もあってタイムリミットとなり、御開きになってしまったのも事実だが。
「俺さ、さっきの場で皆に聞きたかった事があったんだ」
「何?」
寿々音が俺を見つめた。トロンとした目付きになっている。さっきの闘いで力をかなり消耗したのだろう。自分を守るだけでなく、たえず俺を守ろうとしてくれていたから。
「俺達の特殊能力、何故使える様になったんだろう。何となく異邦人は特殊能力が発現すること自体当然の様に思われているみたいだけど、普通に考えて普通じゃない」
「まあ、ね」
「それともう一つ。何故俺達がこの世界に来てしまったのか。ただ単に喜多が行った時空操作の巻き添えをくらっただけなのか。それとも何かしらの使命が合って召喚されたのか」
「それははっきりしてるじゃない。巻き添えをくらったのよ。案山子だってそう言ってた」
寿々音が面倒くさそうにぼそぼそと呟いた。
「じゃあ、その時何かの影響を受けて、あんな力を身に付けたってのか? 余りにもSF小説っぽい考え方だぜ。俺なりに考えたんだけど、ひょっとしたらこの大戦を終結させる為に、何か想像を絶する存在が俺達を導いたんじゃないかって」
今までになく、俺は興奮状態に陥っていた。自分も寿々音同様に特殊能力が目覚めた事で、戦闘の最中に最高潮に達した緊張と戦慄から一気に解き放たれた安堵感と高揚感。そして俺の疑問に見事シンクロする富士見の仮説。その全てが程良くブレンドされて、俺をとてつもなく饒舌に仕立て上げていた。
もはや面倒臭くなったのか、相槌すら打たなくなった寿々音を気にもせずに俺は富士見説に裏打ちされた自論を熱く語り続けた。
不意に、寿々音が肩にもたれかかって来る。驚いて彼女を見ると、静かな寝息を立てて夢の世界に落ちていた。
甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐる。彼女が使っているシャンプーかリンスの匂いなのか、それとも十代女性特有の香りなのか。
普段ぶっきらぼうな所もあるけど、寝顔を見てると結構可愛かったりするじゃないか。
俺は思わずニマニマ笑いながら、間近に迫る彼女の横顔に見入っていた。と、徐に彼女の口がぱっかりと半開きになるや、つつうううううっと透明な液体が糸を引いて零れ落ちると、俺の肩をじっとり濡らし始めた。
なってこった。ちょっとがっかりな気分になって前を見ると。麻里李が肩を震わせて笑いを押し殺していた。
彼女を押しのける訳にもいかず、俺は唯只管肩の涎を気にしながら車窓に視線を向ける。
もし、富士見の仮説が真実なら、俺達の行動は間違ってはいないと言う事になる。彼の考えを俺の中で納得できない現実の空白にあてはめて行くと、全てが埋まって行くのだ。戦争の真っただ中なのに国交が正常なのは何故なのか。革命グループの逮捕に警察や自衛隊が係わってこないで公安だけが独自に動いている(らしい)のは何故か。俺達の拿捕や襲撃を隠密の内に行おうとするのは何故か。連中が俺達の通常生活に何らかの圧力を掛けてこないのは何故か。
答えは、一般市民に知られてはまずいから。つまり、一般市民に知られてはならない事をやっているから。
それは何か。
日本の一方的な世界侵略――ここにたどり着くのだ。
車は不意に左折すると、立体駐車場の地階へと入って行く。やがて、フェイクウォールを通過し、今度は車ごと上昇、更に横方向への移動を繰り返すと、百台位は止められる広い駐車スペースにたどり着いた。
麻里李はその中央部の石柱の傍に車を止めた。
「着きました」
麻里李は振り向くとまだ熟睡中の寿々音を見てくすっと笑った。
案山子の秘書の中で、彼女が一番人間味がある。璃璃華もそうだけど、最初の二人も感情を全く顔にだそうとしない。何故こうも違うものなのか。
「おい、寿々音、起きろっ! 着いたぞっ!」
俺は寿々音の肩に手を掛け、揺り起こす。
「ん、あっ!」
慌てて目を覚ました寿々音は、口をぬぐいながら俺の肩に出来た黒い染みに気付くと、
「ごめん」
と、顔を真っ赤にしてか細く呟いた。
車外に出た時はぼおっとした顔つきだった寿々音だが、通路を進むにつれて何とか目が覚めてきたらしく、案山子の部屋までたどり着いた時にはいつもの彼女に戻っていた。
寿々音は麗と交渉決裂の件に始まり、その後の一連の出来事全てを、理路整然と分かりやすくまとめあげ、案山子に報告した。
俺は驚きと敬意を抱きつつ、彼女の横画をチラ見した。この娘、多分滅茶苦茶頭いいぞ。記憶力といい、その文章力といい。
案山子は眼を細めながら満足気に頷いた。
「交渉の件は仕方ありません。でも、その後で一時的であっても共同戦線を組めたのだからそれは収穫ものです。少々時間は掛かるかもしれませんが、もう少し様子を見ましょう」
「案山子に聞きたい事があります」
「何でしょうか」
俺の問い掛けに、案山子は嫌な顔一つせずに頷いた。
「案山子は富士見説をどうとらえていますか?」
俺は案山子の表情をじっと観察した。彼自身何か掴んでいるとすれば、少しでも何かしらの変化があると思ったからだ。
「とても興味深い話です。確かに、今勃発している大戦は外観上不明瞭な点が多過ぎます。見た目に冷戦状態にある訳でなく、海外輸出に係わる経済面において圧力をかけられても政府は表向き相変わらずお人よし外交を維持していますしね。まあ、地下と違い、地上の方は核ミサイルがらみの事故を隠蔽する為に、極端な政策を打ち出したりはしていますが」
意外だった。てっきり根も葉もないタブロイド紙的な情報だと一笑されるものだと思っていたのに、彼は俺が想定していた以上にストレートな反応を示したのだ。しかも案山子自体、俺達と同様の疑問を抱いていたのには驚きだった。
「極端な政策って、戒厳令ですか? 僕は検問にひっかかって警官に射殺すると脅されましたよ」
「そう。戒厳令です。射殺は大げさですけどね」
案山子は笑みを浮かべながら答えた。
「今後、その方面の情報収集に力を入れる事にしましょう。それと、富士見氏には此方から接触し、彼の持つ独自の人脈からも情報が得られるよう、協力を要請しましょう。勿論、君達にも力になってもらいます。よろしいですか?」
「分かりました」
案山子の問い掛けに、俺と寿々音は同時に答えた。
「今日の任務はこれで終わりです。ゆっくり休んでください」
案山子は満足げに笑みを浮かべた。
「有難うございます」
寿々音は深々とお辞儀をし。ゆっくりと顔を上げる。
不意に、彼女の上体がぐらりと揺らぐ。何とか踏み止まったもの
の、その表情は険しく、貧血なのか顔色もすこぶる悪くなっている。
「おい、肩貸そうか」
「いいよ。大丈夫」
寿々音はオーバーな位に激しく腕を振って俺の気遣いを拒否した。
さっきとはうって変わって、先頭きって歩き出す彼女の後を慌てて追いかける。
だが、それも、駐車場までが限界だった。マンションまでは僅かな距離であるにもかかわらず、その場にうずくまって立つことさえままならぬ状態となり、結局麻里李に車で送迎してもらうことになった。
部屋まで何とかたどり着くと、寿々音はゆっくりとドアを開け、中へと消えた。心配なので付き添おうかと入室する寸前、何処からともなく璃璃華が現れ、俺と寿々音の間に割って入った。
「私が面倒を見るので喜多も自分の部屋に戻って寛ぐがよい」
璃璃華は淡々と語ると後ろ手でドアを閉めた。冷たい金属音が静まり返った廊下に響く。
寿々音の奴、なんか変だ。最初に会った時、あれだけ物凄いファイティング&エスケープシーンを披露しても何ともなかったのに。
不意にドアが開いた。が、出てきたのは璃璃華だ。
「まだいたのか」
「ん、まあ、その、心配だったんで、璃璃華が出てきたら様子を聞こうと思って」
俺は何故かどぎまぎしながら、璃璃華に答えた。
「心配無い。疲れただけだ。今はもう寝ている」
「そう、なんだ……」
「そんなに心配なら自分の目で確かめるといい」
璃璃華はドアを開けると俺を招き入れた。俺はきょろきょろと中を見渡しながら中に入る。レイアウトやインテリアは俺の部屋とほぼ同じだ、但し、カーテンがピンクだったり、家具が白で統一されていたりと、色調は女の子らしいはなやいだものになっている。
璃璃華の後について寝室に足を踏み入れる。
馬鹿でかいクイーンサイズのベッド。ピンク色の掛け布団に埋もれる様な感じで、寿々音はすやすやと寝息を立てていた。
「よっぽど疲れたんだな」
「案山子から聞いた話では、異邦人がステップアップする時、猛烈な睡魔や疲労感に襲われるそうだ。恐らく寿々音もそうではないかと考えられる」
璃璃華の説明に、俺は思い当たる節があった。昨夜俺を襲ったあの睡魔は、今日の覚醒を意味していたのかもしれない。
安堵とともに急速に心地良い疲労感が俺の身体に纏わりつき始める。ひょっとして、俺、また何かに目覚めるのか?
その時、俺は断続的にリズムを刻む機械音に気付く。
これって、洗濯機の駆動音?
てことは、だ。
「璃璃華、ひょっとして洗濯してる?」
「ええ。さっき寿々音の衣服を脱がして放り込んだ」
俺の予感的中! ふと気がつくとさっき俺に依り憑いていた倦怠感が一気に吹っ飛んでいた。どうやら俺のステップアップはまだまだ先の様だ。
「ひょっとして、脱がしてそのまま?」
「勿論。すっぽんぽんだ。裸で寝るのは健康に良いからな。見てみるか?」
璃璃華が真顔で俺に問い掛けて来る。
「えっ?」
俺は返答に困り、璃璃華の顔を凝視した。
「冗談だ」
璃璃華はポーカ―フェイスで残念な返事を俺に告げると、足音を忍ばせながら寝室を後にする。彼女なりの寿々音への気配りなのだろう。俺も彼女に習い、まるで夜這いに失敗した間男の様に肩をすくめて後退した。
自分の部屋に戻ると、何故か璃璃華も一緒に入って来た。
「案山子から連絡があった。ローテーブルに置いてあるパソコンに、ここの世界の資料が入っているので見ておくように伝えて欲しいとの事だ。明日から更に実戦経験を積んで欲しいとも言っていた。。パソコンには喜多のオーラ・データが登録されているから触れば起動する。好みに応じて3D画像対応可能だ。後何か要望はあるか?」
璃璃華がエプロンを外しながら俺に問い掛けて来る。
「特にないかな……」
「すっぽんぽんで添い寝は?」
「やめておく」
真面目な顔で話す璃璃華に苦笑で返しておく。
璃璃華はマンションの管理業務があるからと言ってそそくさと部屋を出て行った。彼女にとっては、それも大切な仕事なのだ。
俺はソファーに横たわると、テーブル上のパソコンを起動させた。デスクトップに資料とタイトルの付いたフォルダがある。案山子が言っているのはこれの事なのだろう。クリックして開くと、昨日案山子が話してくれた内容が、ほぼそっくりそのまま画像付きで入っていた。日本列島の地下に二層構造で造成された地下世界の地図やその概要、現在の世界情勢などの情報を、俺は目で追いながら頭の中に叩き込んだ。
不意に、メール着信のお知らせがスクリーンの片隅に浮かぶ。
案山子からだ。
開いてみると、今日の労をねぎらう言葉の後に、早速明日の任務についての連絡が書かれていた。恐らくは、寿々音にも流れているのだろうけど、あいつが気付くのはきっと明日になってからだ。
『明日は地上都市北西部に向かってもらいます。我々の協力者である是永詩奈氏が、公安に拘束されるとの情報が入りました。彼女は優秀なハッカーで、我々に重要な情報を常に提供してくださる重要人物です。必ず無事こちらにお連れするようにしてください。六時に麻里李を迎えに行かせます』
添付されていた3D画像を再生してみる。
次の瞬間、俺の思考は完璧にフリーズしていた。
俺の目の前には、飾り気の無い中年の女性が静かに佇んでいた。
3D画像って、こういう事かよ。まさか実物大の立体画像が、眼前にお目見えするとは思わなかった。
グレイとホワイトのストライブが入ったカットソーに濃紺のスキニージーンズ。髪の毛は後ろで無造作に束ねている。
ただ、銀縁眼鏡にマスキングされた瞳には、何もかもを見透かしているかのような、知的な輝きが宿っている。
俺は立ち上がって身長を比べてみた。彼女の方が俺よりも頭一つ分低い。寿々音と同じ位だ。
俺はそっと、目の前の立体画像に手を伸ばしてみた。手は、何の感触も無いままに、画像を突き抜けた。実体があるわけではないのか。あくまでも虚像なのだ。
彼女を、ここまで連れて来るだけでいい――でもそれは、簡単な様で困難極まりないミッションのように思える。
簡単な文面の中に、俺の不安を駆り立てる単語が随所にちりばめられていた。
「公安」と「拘束」、そして「無事」。
裏を返せば、無事に済まない可能性があるという事だ。
どうすりゃいいんだろう。
恐らく、実戦は避けられない。
不可思議な力に目覚めたとはいえ、どうやって使いこなせばいいのか分からないのに。
俺は吐息をつくと、パソコンを閉じた。
沈黙が重苦しい不安と戦慄を紡ぎ、俺を包囲する。
今夜は眠れないかもしれない。
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