すべての密室の真実は語られる
一
私と巫部さんは、この事件を解決するための決戦場を、高知県のとある場所へ決めた。
「巫部さん、何故この場所へ……?」
タクシーでやって来たその場所は、険しい崖の上であった。ロープも何も設置されていないその崖からは、恐ろしく荒れた海が見渡せる。
雰囲気はものすごく感じるが、とても犯人と縁もゆかりもなさそうな場所である。
「それはね」
巫部さんは答えるまでに少々の間を置いた。
「日本で一番、雨がよく降る場所だからだよ」
巫部さんは、真っ黒に染まった昼空を見上げる。
傘を差さなければずぶ濡れになるような、大雨であった。
二
その人物は、私たちが到着してから約二十分後に、タクシーでやって来た。
白いビニール傘を差すその人物の表情は見えない。きっと、「何故大雨なのだ」と思っているに違いない。足取り重く、ゆっくりと私たちの前まで歩いてきた。
「お久しぶりですね」
巫部さんがお辞儀する。
その人物も会釈した。
お互いの傘から、滝のように水滴が流れ落ちる。
ザーザーと降り注ぐ雨が、より一層この場の緊張感を搔き立てる。
「恭子さんは、間もなく到着されます」
その人物は、一言も発しない。
「ここは、ひどく寒い」
巫部さんが発してから初めて気づいたように、私は身体をぶるっと震わせた。
「ふふ。何故、大雨なのでしょうね……」
巫部さんは皮肉たっぷりに、その人物へ投げかけた。
龍興の死と、第一の密室の真相
十分ほど沈黙があった。随分と長く感じたこの睨み合いは、恭子の到着によって終了した。
「すみません、遅くなりました」
「いえいえ、わざわざ、ありがとうございます」
彼女は喪服のように黒いワンピースを身に着けていた。黒いレースの傘を差し、とぼとぼと歩いてくる。これから始まる戦いにぴったりの衣装だと感じた。
彼女が私の隣に立つ。三対一の構図となった。
「では、はじめましょうか」
巫部さんが、私と共に整理した推理を、語り始めた。
「まず語りたいのは、龍興さんの死についてです。この死は、明らかな他殺でした。午前四時頃にあの部屋へと向かい、殺したのは誰なのか。それは、別の部屋で亡くなっていた、村松泰三さんでしょう。彼は、久仁子さんの息子でした。母は自分の寿命が短いことから、龍敏さんに誘われて、西松家の宗教に入信することになった。しかし母はまるで宗教に、すっかり憑りつかれたような状態となった。彼はそんな母の様子を見て心配し、宗教の結果が良くないこと、母の短い人生、安らかに最期を迎えてほしいと思ったことから、宗教を辞めてほしいと感じるようになった」
巫部さんは一旦切り、寒さで乱れた呼吸を整えた。
「恐らく彼は、昼間に配達とか何かで、山荘に忍び込んだのでしょう。恭子さん、あの日の昼、他に訪問はありませんでしたか?」
突然話を振られた彼女は、淀みなくはいと頷いた。
「そういえば、配達の方がいらしてました。顔までは覚えていませんが……」
「ありがとうございます。恐らく、それが彼なのでしょう」
巫部さんは彼女に向かって会釈し、再びその人物に向かって語りだした。
「彼は、龍興が取材を受けていることを知った。どこかに放置されていた鈴城のボイスレコーダーを盗み、その内容を聞いた。それを聞き、この宗教は世に出してはいけないと感じたのでしょう」
そう。彼はその宗教のやり方が、ひどく怪しげだと感じたのかもしれない。恐らく彼はボイスレコーダーの内容から、創明社の発行する『月刊 日本の信仰』の取材であることを知った。この取材記事が広まり、母のような被害者を増やしたくないという正義感から、あの脅迫状を投函したのだと推測する。
「そして、彼は母に電話をした。あの宗教はインチキ宗教だから、絶対に止めたほうが良いと。私はそれを龍興に説得しに行くと。もし話がこじれてうまくいかなかったら最悪、殺してしまうかもしれないと……」
巫部さんが語るのもあくまで推測でしかないが、きっとそうなのだろう。あの姉妹が青森に呼び戻されたのは、きっと泰三の電話の後だったに違いない。殺害時に目撃者がいては困る。それに、結果によっては久仁子自身の気が狂うかもしれない、近くにいれば、良からぬことをしようとしても、止めてもらえると思ったかもしれない。
……結局、止められなかったが。
「では、なぜ午前四時頃だったのか。それは、確実に全員が寝静まっている頃だろうと感じていたからでしょう」
ここで、巫部さんは、一つの大きなカミングアウトをした。
「実は泰三さんは、龍興さんの子どもだったのです」
「え?」
私の隣で彼女の大きな声が聞こえた。無理もない。
「恭子さん。あなたの、縁の切れた弟さんですよ」
彼女は信じられないと言わんばかりの驚愕の表情を見せた。
「いつから、泰三さんにお会いしていないんですか?」
「……たぶん、二十数年は会ってないかと。六歳のときに、弟は別の家で育てられることになりましたから」
「そうですか。それでは、彼の顔を、覚えていないのも無理はありませんね……」
「すみません、はっきりと、知らない人だなんて……」
泰三の本当の親である美津子は、何らかの事情で彼を育てることができなかった、そこで妹である久仁子に彼を預けたのだろう。久仁子は独身だったため、彼を育てることは大変だっただろうが、それを承知し、ここまで立派に育て上げた。
「彼にとって、久仁子さんは命の恩人でした。そんな母親よりも母らしい彼女を、悲しませるようなことは許せなかった……」
彼女のために命を落とした、写真に写る彼の苦悩に満ちた表情を思い出す。
「彼は、この山荘の仕組みを知っていました。寝室は、しっかりと防音設備が整っていることを。だからこそ、あの時間を犯行時刻に選んだ。そして、龍興さんを殺害した」
きっと、彼は龍興を殺害する前に、宗教についてのクレームを直接本人に向かって投げたはずだ。口論にでもなっただろう。それでも埒が明かなかったため、やむなく殺したに違いない。
「龍興さんが殺されるときに抵抗しなかった理由は、恐らくいつかは自分で死ぬつもりだったからでしょう。遺言のようなメモをその場に残し、彼は背中に一突きされ、亡くなりました」
刺し方について龍興に指示されたのかは、わからないが。
「そしてあの扉ですが、大量の接着剤が付着していました。恐らく、内側から開かないようにしたかったのでしょう」
助けを呼ばれて生き返ってしまったら困ると思ったに違いない。宗教を続けさせるわけにはいかない。それほど、彼にとってあの宗教は、憎き存在であった。
「こうして密室は出来上がりました」
ビクともしなかった第一の密室における推理の全てを披露した。
「ところで恭子さん、これ、見覚えありますか?」
巫部さんは、青森の村松家の跡地にあったブレスレットを取り出した。
「……いえ。全く」
「そうですか……」
巫部さんは、残念そうに彼女に渡す。
「これはきっと、泰三さんからあなたへの贈り物です。証拠がないので、あくまで想像ですが……」
巫部さんは語る。
「恐らくあなたが知らないうちに、彼は何度もあの山荘に足を踏み入れてるはずです。その度に、彼はあなたのことが気掛かりとなった。いつかこの山荘から連れ出したい。そしていつしかそれは恋心に発展したのではないかと」
彼は、実の姉である彼女に恋をした。
結婚できるかどうかはわからないものの、恋心は日を増すごとに膨らんでいったに違いない。宗教に対する不信感と共に。
「わかりました。誰のものでもないのであれば、このブレスレットは受け取りましょう。ただ、すぐに彼の墓へ手向けることにしますが……」
彼女は、寂しそうな表情を見せた。もう彼の気持ちを確認することは、できないのである。
「では次に、泰三さんの死について、お話していきます」
巫部さんは表情をガラッと変え、キッと目の前にいる人物を睨みつけた。
泰三の死と、第二の密室の真相
「次に、泰三さんの死についてですが……」
少々の沈黙がその場を流れる。雨音だけが、その沈黙を切り裂く。一向にその音は小さくなる気配はない。
「残念ながら、彼は殺された」
隣から、ゴクッと息を飲む音が聞こえた。彼女の恋人になるかもしれなかった彼はやはり、殺されたのだ。
「そしてずっとお待たせしてしまっていましたね。この推理を聞かせるために、あなたを呼んだのですよ。龍敏さん」
目の前にいる彼は、口を開かず微動だにしない。ただ私たちを睨みつける、まるで蝋人形のようだった。
「あなたは偶然にも、龍興さん殺害の現場を目撃してしまった。そうですね?」
巫部さんが問いかけるも、彼はビクともしない。
巫部さんはその態度を肯定とみなし、先へ進んだ。
「泰三さんの話を聞いているうちに、とんでもない発想が思い浮かんだ」
ここでようやく、彼の身体が揺らいだ。
「龍興さんは、背中から刺されて死んでいた。それは、隠された部屋に置かれた二つのマネキンのうち、片方の状態に酷似していた。ここであなたは、もう一つのマネキンの状態を作り上げようとした」
彼は泰三を、第二の密室となる部屋へ連れ込んだ。そこで、どこかに用意されていた刃物で殺害したのだろう。
「刺し方が甘かったのは、きっとあなたが、彼に恨みを抱いていないからでしょう。実の兄を殺されたにも関わらず」
ここで巫部さんは、第三の密室となった部屋に置かれた手記を取り出した。
「この手記は、あなたが書いたものですね?」
ここでついに、彼が前へと動き出した。巫部さんの元へと向かい、その手記を受け取る。
「ああ、懐かしい……」
彼はまず、この状況に相応しくない感想を述べた。
「はい。これは、私が書いたものです」
巫部さんはその言葉を聞いて確信し、続けて別の手記を取り出した。
「その手記は、この手記の写しで、間違いないですか?」
彼は頷いた。
「はい。父の手記を写したもので、間違いないです」
「なるほど。では、この写しの内容に、誤りがあることをご存知ですか」
巫部さんは、語気を強めた。
「誤り……?」
彼の驚愕に満ちた表情が、彼がこの大きな事件のほぼ全てに関わる犯人であることを決定づけるものとなった。
「そうです。龍興さんは父の手記ではなく、肝心な部分が誤ったこの手記を読んで、占いを行っていたのです」
そのせいか、龍興の占いはよく外れた。しかし彼は、この手記が誤っていることを疑いもしなかった。
「結果的に、あなたが彼を死に追い込んだのかもしれませんね……」
巫部さんの指摘に、彼は悔し気な表情を見せた。
「では、話を戻します。マネキンの状態に見立てるため、身体の動き等、多少の細工を龍興さんに施し、泰三さん殺害後、同じように細工を施した。そして、見立ては完成した」
巫部さんは、ここで言葉を止めた。そう、ここから先は、どうしても私たちではわからなかった部分である。
「龍敏さん。あのマネキンは、一体どういう意味があるのですか」
観念したのか、ポツポツと彼は語りだした。
「あのマネキンの姿は、あるおまじないによるものです。まあ、生贄とでも言うのでしょうか。……ええ、生贄ですね。人間を生贄に捧げることで、永遠に晴れをもたらすと、言われていました」
私と巫部さんは、どうしても辿り着くことのできなかった真実に辿り着いてしまった。
「そしてその死は、他殺と自殺でなくてはならない。兄は泰三さんによって殺されたことは明らかだったので、あとは自殺しかありませんでした。ですが、私は自殺する気はなかったですし、彼も自殺する気はありませんでした。ですから……」
彼は迷っている様子だったが、決心したのか言葉を続けた。
「自殺に見せようと、凶器に彼の指紋だけ残し、部屋の中に鍵を置き、もう一つの鍵で扉を閉めました」
なるほど。自殺に見せたのは、自らの犯行の疑惑を消すためだけでなく、見立ての意味合いもあったとは。
「私が自殺を選ばなかったのは、久仁子がいたからなんです。それなのに……」
彼は、久仁子が何故死んだのか、未だにわかっていないようであった。
「まだ、あなたはわかっていないようですね……」
巫部さんは、彼に向かって悲し気な表情を見せた。
「あなたの行いが、全て裏目に出てしまったのですよ」
巫部さんはそのまま、久仁子の死について語りだした。
久仁子の死の真相
「あなたがマネキンの状態に見立てたのも、久仁子さんに長く生きてほしかったから。そうですね?」
巫部さんの問いに、彼は頷いた。
「しかし彼女は、泰三さんが自分のために龍興さんを殺害したこと、あなたが自分のために泰三さんを殺害したことが重くのしかかって、耐えられずに自殺したのではないですか?」
彼は、大きく目を見開いた。そして、やや時間を空けてから、ゆっくりと語り始めた。
「私は兄と同じく、占いをすることを志していた。しかし兄とは違って、占いの道へ進むことはできなかった。私は父のもう一つの職業であった教師の道へと進んだ。教師になったことを後悔はしていないが、私は、占いの道へと進むことができた兄が羨ましかった。私は、父が大好きだった。そんな父のする占いが大好きだったし、誇りだった。だから占いをする、そのために、弱かった身体を必死に鍛えた。勉強もした。それなのに、報われなかったことが悔しくて。羨ましい、大好きだという感情はいつしか恨みの感情へと変わっていったのです。兄は占いを始めた頃は本当によく当たり、世間でも少し評判になりました。気付いたときには美人の奥さんをゲットしていた。私はその反面、生徒との向き合い方や指導方法に悩み、日々苦しい生活を送っていました。そんな具合なものですから、さらに兄を恨むようになって……」
彼は、その後も休むことなく話し続けた。
「しかし、幸せというのは長くは続かない。兄は、占いという職業柄あまり身体を動かさなくなった、また、奥さんの作るご飯が美味しいのか、どんどん太っていったのです。そして、あの部屋へ続く細い道を通ることができなくなった。それをチャンスと捉えた私は、彼の代わりに、私が書いた偽の手記を、あの部屋から取り出したかのように持ち出し、手渡しました」
この手記から、悲劇は始まった。
「父が書いた手記と酷似していたことから、兄はこの手記を信じ込んでしまい、手記の通りに占いをすることになってしまいました。私はその後、本物の手記を別の場所にしまいました」
これで、手記のすり替えが行われたも同然となった。
「そして、占いはことごとく失敗していきます。やがて奥さんは怒り、離婚した。そしてその頃、偶然にもその奥さんの妹である久仁子と私は出会った」
病気となり寿命が短いことで悩む久仁子に、距離を縮めるのに丁度よいとあの宗教を勧め、入信させた。そして日々彼女の相談に乗ってあげたという。
「私はすぐに、久仁子を好きになった。そして、結婚を前提とした付き合いをしたいと申し込んだ。あなたならと付き合いは受諾してくれたものの、結婚となると渋い顔をされた」
寿命のせいであろう。結婚しても、どれだけ一緒になれるかわからない。
「そのためにも、あの兄には今更ながら、占いに成功してほしいと思うようになった。しかし、兄はまだあの手記を使っているのか、ほとんど当たらない。ずっと雨が降った。かつて私は、占いをしたいと勉強していたものの、ここまであの手記に力があるとは思っていなかった……」
たかが占いだと、私たちも先ほどまでは見くびっていた。
「しかし、あの手記は実は偽物なんだと白状することなんてできない。だからこそ、本人に気付いてほしかったのだが……」
結局、彼は気付くことはなく、事件は発生した。
彼の話がここで終わったことで、巫部さんが彼に向かって語りかけた。
「久仁子さんだけではない。この宗教を信じて毎日を過ごしている人は、他にも沢山いるはずだ。その人たちは、これからどうやってこの日々を乗り越えていくんですか」
彼は、押し黙っている。
「信じていたものが消えてしまう悲しみは、大きいよ」
巫部さんが発したこの言葉は、彼だけでなく、この場にいた全員の感情を震わせたであろう。
彼の傘を持つ手の力が無くなったのか、傘が地面へと落下した。
徐々に、彼の身体が雨によって塗り替えられていった。
この雨は、願いが叶うことのなかった絶望がもたらした雨なのだろうか。
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