第二章 第二の密室

 一


「ここが、男性が亡くなっていた部屋です」

 西山恭子は玄関から入って、洗面台がある部屋の向かいに見える扉を指した。

 しかしこの部屋の扉は、先ほどの部屋の扉とは異なり、とくに破壊された様子はない。

「この扉は、破壊しなかったのですね」

 巫部さんが彼女に確認する。彼女はそっと頷く。

「はい。この部屋は、普段私が使っていない部屋でした。特に気にも留めていなかったものですから、まさか中で人が死んでいるだなんて思いもしませんでした」

 その時の様子を思い出したのか、彼女はまた具合が悪そうな顔をした。

「なるほど。この部屋の鍵はどうやって開けたのですか?」

「はい、実は、父が殺された部屋に、鍵が散乱していまして……。その中の鍵の一つが、この扉の鍵でした。父が亡くなったこともあり、開かない部屋というのが大変不気味に感じまして……。ガチャガチャと色んな鍵を試したら、たまたま開きました」

「なるほど。この扉を開けるための鍵は、二つ、もしくはそれ以上あったりしましたか?」

「ああ、すみません……。鍵の本数を知らないどころか、ついこの前まで所在すら知らなかったものですから……」

「いえいえ、お気になさらないでください。ところで、この部屋で亡くなった男性に関する情報は何かお持ちですか?」

「ええ、ちょっと待っていてくださいね……」

 彼女はそう言い、キッチンにある棚から数枚の写真を持ち出してきた。

「これが、その写真です……」

 彼女が差し出す写真を、巫部さんが受け取った。

「これは……」

「なかなか凄惨な写真ですね……」

 その写真に写っていたのは、死を恐れ、最後まで生き抜こうと足掻いたかのような、苦悩の表情に満ちた男性の姿であった。龍興の死と比べると、明らかに苦しんでいるように見えた。

「しかしこれは、自殺と判断されている……」

 巫部さんが唸る。白く滑らかな顎を優しく親指で擦りながら、写真の男性の姿を凝視する。

「はい。それも、腹部を刺していること、刺し方が甘いこと、近くにこの部屋の鍵が落ちていることからそう判断されました。腹部に刺さっていた刃物からは、その男性の指紋しか検出されなかったようです」

 なるほど。刺し方が甘くなるのは、自ら腹に向かって刃物を突き刺すときにそうなる気がする。他人が刺すのであれば、力いっぱい刃物を握りしめて刺すだろう。ただ、自殺にしてはどうも不自然だと感じた。

「巫部さん。私はどうにも、この男性が自殺したとは思いたくないのです」

「ふむ、何故そのように考えたのかな?」

 巫部さんが意外そうに目を瞠り、私を捉えた。たしかに、事件の関係者がいる中で、自分の意見を強く主張しようといった素振りはこれまでに見せたことがなかった気がする。

「何故この建物内で、わざわざ扉に鍵を掛けて自殺をする必要があったのでしょうか。それに、もしこれが自殺だったとしたら、このような表情を見せるでしょうか……。私には、その死が突然やってきたようにしか、思えないのです……」

「私もそう思うよ、夏生くん」

 巫部さんは優しく微笑み、私を見つめた。巫部さんと同じことを考えていたことに、非常に嬉しく感じた。

「うむ、だからこそ、この男性は、自殺だと断定しない方がいいと思う。他殺かもしれないという点でも、私たちは調査を進めていくべきだね」

「はい、巫部さん」

 私たちは、この男性が他殺かもしれないと推測し、その犯人を追っていくこととなった。

「ところで、この方は、どなたなのでしょうか……」

「すみません、私は、全く見たことのない方でして……」

「わかりました。この方の身元は、警察の方に確認してみます」


  二


 後日、この事件を担当する群馬県のN警察署を訪れた。刑事課の中野さんという方が、今回の事件に詳しいらしい。

「ようこそいらっしゃいました。巫部さん、夏生さん」

 前髪が癖毛なのか、左にくるんと丸まっているのが特徴の中野さんは、中肉中背でおっとりした、大変に話しかけやすい印象の男性であった。現に、私たちを特に嫌がる素振りもなく、快く迎え入れてくれた。

「刑事課の皆さまは大変お忙しいかと思いますので、手短に伺います。今回の西山家の山荘で起きた殺人事件で、身元がわからない男性の方がいらっしゃいまして」

「はいはい、あの、自殺ではないかと思われている」

「そうです。身元がわかる情報をいただけないかと思いまして。私たちは、こういう者です」

 そう言って巫部さんは、名刺を取り出し、中野さんへと手渡した。

「ふむ、巫部探偵事務所の方々というわけですね。西山家の殺人事件についての調査を依頼されたという次第ですか」

「はい、おっしゃる通りです。極力皆さまのお邪魔はしないように進めていきますので、どうぞよろしくお願いします」

 巫部さんは丁寧に頭を下げた。私もそれに習う。

「いえいえ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 中野さんもこれまた丁寧に頭を下げた。前回のように今回の事件に関しても、警察の方が大変に協力的であることに感謝した。これも、巫部さんが魅せる人柄によるものなのかもしれない。

「で、この方なのですが……」

 私は、西山恭子から借りてきたあの凄惨な写真を取り出して中野さんに渡した。

「ええ、この方は、村松泰三むらまつたいぞうという方です。この辺りに住んでいる方ではなく、青森に住んでおりました。親戚と呼べる方はどうやらいらっしゃらなかったようですが……」

 さらに詳しく聞いたところ、父親はおらず、女手一つで育てられたらしい。年齢は三十歳。彼女との年齢がかなり近いように思えるが、これは偶然であろうか。

「わかりました。ありがとうございます」

 私たちは後日、村松泰三が住んでいた実家を訪ねることにした。村松泰三の母が同居しているということなので、直接話を伺いたいと思ったからである。

 しかし、その訪問は叶うことがなかった。 

 その実家は丸焦げとなり、その中から女性の焼死体が発見されたのである。

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