季節外れの転校生

 自宅へ戻った後、俺はボロボロになってしまった服を着替えて、そのまま泥のように寝た。

 外ではサイレンが鳴り響き、それと同時にあの時の光景が頭に蘇り寝付けそうにないな、と思ったが布団に入ればそんなこともすっかり忘れて眠れた。不思議と。


 起こされはしない。朝食もない。ただ登校は午前7時30分と明確に決められており、それより早ければ母が怒り、遅ければ父が怒る。

 理由は、『社会人になれば、決められた時間に行動は当たり前になるから』らしい。

 言いつけ通り時計できっかりと針が7時30分を指すのを見計らい、家から飛び出した。


「痛い……」


 あの化け物に殴り飛ばされた時にできた傷や打撲が、翌日になり熱を持ち始めた。

 季節は晩秋を迎え肌寒くなっているというのに、俺の体は熱くこの間から着始めた長袖のカッターシャツが少しだけ邪魔になる。


 どこかで昨日の刑事の2人が待ち受けているんじゃないか、という予感が頭をよぎり、普段は使わない道を使っての登校となった。

 学校へ到着後、空き教室で時間を潰してHR直前に教室へ滑り込む。

 ――とそこで、あることに気づいた。


「誰も居ない……」


 教室はもぬけの殻だった。

 人が居た気配もなければ、残った熱もない。

 昨日、上階の3年生が1クラスまるまる神隠しに遭ったことを思い出し、体中に悪寒が走った。


「あれ、今日って休み?」

「ひっ!?」


 もぬけの殻となった教室を覗いていたら、背後から突然声をかけられ飛び上がった。


「そんな、愕くことないじゃない」

「――えっ……? 誰……?」


 背後から声をかけてきたのは女子生徒。ただし、他校の制服を着ている。

 しっとりとした濡れ羽のカラスのような深い闇の髪を垂らし、冷たい印象を持たせるのに教室を覗く楽しそんな仕草が子供じみている。


「ん? あぁ、私? 今日から転校してきたの」

「転校……?」

「そう転校。話題になってなかった?」

「いや、全然……」


 もしかしたら、俺が知らないだけでクラスメイトの間では話題になっていたのかもしれない。

 残念なことに、そんな話題も昨日のことでなかったことになってしまったが。


「ねぇ。職員室に案内してよ」

「職員室に?」

「そっ。だって、担任の先生にまだ挨拶してないんだもん」


 「なら、どうして教室ここに?」とは聞くまい。

 にこ~、っとした笑顔が、静かな学校を探索していたことを裏付けている。



「君、なんて名前?」


 職員室へ向かう道すがら、そんなことを聞かれた。


「名前――」


 既視感に襲われ、その原因を探った。すぐに思い出したのは、昨日の沙霧のことだった。

 最近、よく名前を聞かれるようになった。


「坂咲恭也」

「坂咲さんね。私、護国院ごこくいん礼華れいか。よろしくね」

「よろしく」


 これほど、名前と見た目が合っている人は珍しいんじゃないだろうか。

 名前からして、古くからある家のお嬢様――みたいな。でも、お嬢様ならこんな学校に来るわけ無いか。

 職員室にたどり着くまでの数分間、他愛ない、本当に他愛ない話に花を咲かせた。


 楽しかった。でも、きっとこれ一度きりだろう。

 次からは俺の立ち位置を理解して、二度と話しかけてこない。今までそうだった。これからも。



「失礼します」


 ノックをして職員室に入ると、先生達は一斉にこちらを見た。


「どうした、お前ら?」


 学年主任の榊原先生がタバコを吸いながらこちらに問う。


「今日は休みって言われていただろ」

「そうなんですけど――」


 ちなみに、昨日の事件のせいで今日が休みになったことは、教室から職員室に来るまでの間に思い出した。

 というか、護国寺さんに事件のことを聞かれて思い出した。


「護国寺です。本日から、よろしくお願いします」

「はぁ……?」


 榊原先生は呆気にとられた様子で護国寺を見た。

 そして、頭の先から足の先かまで値踏みするように見てからタバコを吸った。


「転校生の話ってあったか?」

「ありましたよ?」

「――――――――あったか」


 「どういうやりとりだ!」と心の中で突っ込まずには居られなかった。

 あんなことがあったんだから仕方がないかもしれないけど、普通、転校生の話を忘れるか?


 しかも、俺みたいに忘れていたやつなら仕方が無いけど、連絡入れていないとか失踪事件翌日に危険すぎる。

 護国寺さんと先生が話している最中、手持ち無沙汰になった俺はもう帰ろうかと思案を始める。職員室という場所は苦手だし、俺の役目はもう終わっているし。


 「帰ろう」ときびす返すと、職員室のドアをちょうどくぐっている担任と目が合った。


「なんだー、坂咲。なんでお前みたいな奴が職員室ここに居るんだァ?」


 担任に気づいたとき、とっさに後ろを向いたのだが、無駄だったようだ。


「おはようございます……」


 精一杯、挨拶すると、担任は何かを思いついたようにニタニタと小馬鹿にしたような顔つきになった。


「まさかお前、間違えて学校に来たんじゃねーだろうなぁ?」


 ハァー、と煤けたヤニとコーヒーの酸っぱい臭いをわざと吹きかけるように、俺の目の前で喋る。

 おぞましい、吐き気のする臭いだった。


「いっ、いや……」

「坂咲ぃ~。お前、何度、言ったら分かるんだぁ~? ハッキリと大きな声で――」

「坂咲君、お待たせしました。行きましょうか」


 またいつもの、ネチネチした説教が始まるのか、と辟易としていたら、横合いから腕を掴まれ廊下へ連れ出された。


「おい! 誰が行っていいっつった? ってか、お前、他校の生徒だろ。学校はどうした?」

「黙りなさい。あなたの声も臭いも存在も、全てが不快だわ」

「なぁっ!?」


 キャハハッ、と笑いながら、護国寺さんは俺の腕を掴み、怒鳴る担任を気にも留めず廊下を全力で走った。

 後ろを振り返ると、さきほどまで職員室から顔だけを出して怒鳴っていた担任の姿はすでになく、静かな世界が広がっていた。


「スカッとしたでしょ?」


 「あぁ、次に会ったとき、先生から何を言われるんだろう」と胃から苦い物が上がってくるのを感じていたけど、楽しそうに笑う護国寺さんを見てどうでもよくなった。

 きっと、この世界はどんどんおかしくなっていくんだから。


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神様が見捨てたこの世界で、僕に何ができるだろうか いぬぶくろ @inubukuro

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