彼女と逃走

「君は――」

「動くなッッ!!」


 「君は誰?」と女の子に問おうとする前に、真島が拳銃を構えて制止した。


「なんだ、お前は? あの化け物は、お前の仕業か!?」


 真島の視線と拳銃は女の子を捉えており、一分の隙も無く「不審な動きをすれば撃つ」と全身で語っていた。

 俺自身が拳銃を向けられている訳でもないのに、その雰囲気に圧倒され足が震え始める。


「貴方を助けに来た」

「へっ?」

「助けて欲しいんでしょ?」


 「違う?」と小首をかしげる可愛らしい動きをする女の子だが、その瞳に感情はなく機械に問われているように思えた。

「動くなっつってんだろッ!!」


 警告を無視して女の子が動いたことが、それとも自分を居ないものとして話が進んでいることに腹を立てたのか、真島の怒気は皿にヒートアップしていった。


「助けを呼ぶ声が聞こえたから助けに来た。貴方、助けて欲しかったんじゃないの?」

「たっ、助けて欲しい! ここらか逃げたい!!」


 再度、問われ、俺は思わず答えた。

 逃げたところで帰る家なんてあの家しかなく、帰ったところで警察なら俺の家なんてすでに知っているだろうから逃げても無駄だ。

 でも、この息苦しい状況から逃げたくて溜まらなかった。 


 初めて差し出された救済の手。助けを求めて差し出されたこの手を、俺は握らずにはいられなかった。

 なにより、嬉しかったからだ。


「ん。分かった」


 女の子は気負った様子もなく、俺を瞳に写したままデスサイスを軽く振った。


「グワッ!?」


 カチャン、パンッ!!!!


 俺たちの呼吸以外、虫の声すら聞こえない夜道に響き渡った発砲音。

 余りの大きさにビクッ、と体が縮まり硬直するが、女の子が強く手を握り返しそばに寄せてきた。


「貴様! 公務執行妨害だぞ!」

「だから?」


 女の子は真島の怒声に微塵の感情も抱くことなく、次の瞬間には俺を抱きかかえると空へと跳んだ。

 その日は満月がとても明るく綺麗で、それをさらに上回る綺麗――な気がする――な女の子に助けて貰った、夢のような夜だった。



「うぅ……。気持ち悪い……」


 車で来た道を、女の子に抱きかかえられて戻るなんて初めての体験だった。

 しかし、滑らかに道路を走る車と違って、夜空をピョンピョンと跳んで帰ったもんだから、酷く酔ってしまった。


「吐きそう……。助けて……」


 ――女の子の方が。


 ちなみに、抱きかかえられていた俺の方は全く問題ない。

 なんで抱きかかえていた方が吐きそうになっているのか、よく分からなかった。


「助けてって言われても……」

「命の恩人が助けてって言っているのに、助けてくれないの……?」


 困惑している俺を見て女の子が「ふー、ふー」と荒い息を吐きながら言った。

 これは多分、威嚇をしている訳ではなく吐き気を抑えるための呼吸法――だと思う。思いたい。


「じゃあ、水でも……」

「待って!! 背中さすって! なんかキちゃう!!」


 恨めしそうな視線に耐えかね、なけなしの小銭を握りしめて近くで誘蛾灯のごとく人工的な光を吐き出している自販機へ駆けようとしたら、女の子に制止された。


「早く!」

「はい……」


 サスサスサスサス……。


「あぁ~……。気持ぎも"じぢいい~」


 そのまま昇天してしまいそうな声を出しながら項垂れる女の子。

 一方、俺はというと薄手のパーカー越しに感じる、女の子らしい柔らかく緩やかな体のラインを手に感じて妙に気恥ずかしい。

 それに、相手の雰囲気の変わりようだ。


 出会った時は無感情で無機質、機械的な言動でミステリアスな雰囲気を放っていたのに、今はその面影が微塵もない。

 どこか小動物じみた、コミカルものさえ感じるその姿にどう接すれば良いのか考えてしまう。


「手ぇ、止めないで!」

「はい……」


 手の動きがゆっくりになっていたようで怒られてしまった。


「それで……君は何者なの……?」

「何者なのって……」


 「うぐっ、うぐっ」と今にも吐きそうなっている女の子の背中を、訳も分からずさすっている哀れな男子高校生以外の何があるんだろう?


「さっきの人たちって、ヤクザか何か?」

「警察……」

「うえっ!? 君って、悪人なの!?」

「ただの高校生です……」


 たぶん。きっとそうだと思いたい。自信はないけど。


「でも、高校生にしてはすごく落ち着いているよね。普通、何もないところから鎌を出したり、さっきみたいに空を跳んだりしたら不思議に思わない?」

「あっ……」


 そうか。色々あったせいで失念していたけど、普通は愕く場面だ。

 「なんだアンタは!」とか「どっからその鎌を取り出したんだ!?」とか「そっ、空を飛ぶなんて非常識だ!」みたいに。


「もし私が誘拐犯とかだったらどうするの?」

「わざわざ助けに来てくれたんだから、悪い人じゃないかなって……」

「純粋だなぁ~。そんな君がわたしゃ心配だよ。他人を軽々しく信じるなんて、もし私が悪の組織の一員だったらどうするの?」


 吐き気が落ち着いたのか、女の子は俺の手から離れると、手近なポールの上に座った。

 マスクはあごの下にズラされているけど、目深にかぶったフードのせいで、やはり顔は見えなかった。


「それなら、開口一番に挨拶もしないし、なんなら『貴方を助けに来た』なんて言わないんじゃ?」

「あっ、あれは! その、気分が乗っていたっていうか、ヒーローっぽい状況が良かったっていうか」


 俺の返答に、女の子はしどろもどろになりながら答えた。

 確かに、あのシーンはヒーローの登場シーンにピッタリな状況だった。

 少なくとも、俺にとっては救世主だったし、どこに恥ずかしがる要素があるのか分からなかった。


「それで、君は――」

「あぁ、私、沙霧さぎり美音みおっていうの」


 突然の自己紹介に面食らっていると、女の子――美音はアゴで「そっちは?」と問うてきた。


「おっ、俺は、坂咲さかさき恭也きょうや

「ふぅん。恭也くんね」


 「よろしくね」と差し出された沙霧の手。

 俺は訳が分からずその手と美音に視線を行ったり来たりさせていると、沙霧が「あ・く・しゅ!」と少し苛立ち気味に言ってきた。

 慌てて差し出した手を握ってきた美音の手は、細く小さく柔らかく、初めての感触だった。


「それで、善良な一般市民の恭也くんが、なんて警察に拉致られていたの?」


 沙霧に問われて、今まで起きたことのどこまで話そうかと思案していると、あの道路に横たわっていた化け物のことを思い出した。

 なので、あの動画に映っていたようなイジメの話を取り除いた状態で、事の顛末を沙霧に話した。


「あぁ、あの化け物? なんか最近、よく見るよね?」

「よく見るの?」

「よく見るって言っても、野良猫に比べたら少ないよ?」


 「逆に聞くけど、余り出会ってないの?」と問い返され、俺はうなずいた。

 イジメていた奴らが食われた時と、八塚の時の2回だけだ。

 これだけでは、「よく出会う」の範囲には入っていないだろう。


「でも、よく倒そうと思ったね。あんな恐ろしい化け物を……」

「初めて出会ったのが最悪だったからねー。その恨みもあって、サクッと殺せれたよ」

「サクッと……」


 俺には絶対に無理だ。

 イジメていた奴らにすら太刀打ちできないんだから、あんな化け物を殺すなんて絶対にできない。


「恭也君は、不思議な力はないの?」

「ッ!?」


 ドキッ、と心臓が跳ね上がった。

 あの力――あの日、突然、出せるようになった氷の様な剣。

 廃屋で出したのを最後に、今まで出していなかった。怖くて出せなかった。

 自分が化け物になってしまったような気がしたから。

 でもそれだと、目の前に居る沙霧まで化け物扱いしてしまう……。


「なんかねー。声が聞こえたんだよね。『助けてー』って。だから私は恭也くんを助けに来たんだ。化け物はたまたま居たから『あっ、こいつ使えばいいやー』って」


 「電波出せる特殊能力でもあるの?」と、沙霧は本気なのか冗談なのか分からないことを言ってきた。

 それに、言おうか言うまいか迷っていた自分がバカみたいに思えた。

 きっと俺は、彼女と同じ力を持っている。


「俺も――よくわかんないんだけど……」


 手のひらを見つめ力を込めると、あの時と同じように氷でできたような剣ができた。


「うわっ! 格好いい!」


 バッ! と、3歩くらいの距離が離れていた沙霧が、俺が剣を出した瞬間に飛びつくように近づいてきた。

 本人は止まったが、沙霧の香りが風に乗って俺の鼻腔をくすぐり、あまりに良い香り過ぎて心臓がバクバクと高速で動き始めた。


「持って良い? 良い?」

「あっ、うん。良いよ」

「ありがとう!」


 「代わりに、私のを見て良いよ」と、沙霧はデスサイスを顕現させて俺に渡してきた。

 沙霧から渡されたデスサイスは、俺が出した剣のように重みを感じることがなかった。

 振り回しても、遠心力で逆に振り回されることもない。


 「切れ味はどれほどだろう?」と、俺の剣の切れ味を思い出し、このデスサイスの切れ味も気になってしまった。

 しかし、近くに空き缶も草木もなく、ちょうどいい切れ味を試せる物がなかった。


『これでいいか』


 そこで目をつけたのは、先ほどまで沙霧が座っていたパイプでできた柵だ。

 直径5センチくらいで、ほんの少し切ったくらいではどうかなることは無いであろう、とおもう物。

 デスサイスの刃先を少しだけ引っかけて、そのまま手前に引く。


 ――ギギッ


 多少の抵抗と共に、パイプは切れた。


「おかしいな」


 いや、おかしいのかは分からない。

 あの剣が切れ味重視とかそういった能力を秘めているだけで、デスサイスはもっと別の能力があるかもしれない。

 切り口も鋭利という訳ではなく、缶切りで開けたような刃が入った方が内側に曲がっていた。


「ねぇ、これの切れ味って――!?」


 俺から剣を受け取った沙霧は、まるで戦隊ヒーローのように構えて剣を振り回していた。

 だというのに、俺の目に映った沙霧は膝と両手を地面につけて苦しそうに息を吐いている。


「どうした!?」


 急いで駆け寄る。その沙霧の額には大粒の玉のような汗が顔から流れていて、激しい運動をしたあとのようだった。


「わ、わかんない……。急に苦しくなって……」


 切れ切れの言葉の合間も、「ゼェゼェ」と苦しそうに呼吸している。


「救急車を――」

「待って! 待って、大丈夫だから!」

「でもそんな……」

「大丈夫……。もう、だいぶ楽になってきたから……」


 呼吸は荒いことは変わりなかったが、必死に、俺を安心させようとしているのか、辛そうな笑顔が俺の心を締め付ける。

 突然、なんの前触れもなく息が苦しくなるなんて、緊急事態に他ならない。

 それでも救急車を呼ばないのは理由がある。あるのは分かっているが……。


「ちょっと、肩貸して……」

「うん」


 膝立ちになり、手のひらについた土を払おうとする沙霧にかまうことなく、その腕を俺の肩に回して立ち上がる。


「ありがとう」

「いや、これくらい」


 身長差で俺が中腰にならないと支えにくいが、そんなことも沙霧から伝わる体温と柔らかさで気にならなかった。

 体温が上がったことで香が立ち、さらに強くなった沙霧の匂いが空気として入ってくる。

 揺さぶらないように歩き、ゆっくりとしたどうさでベンチに座らせた。


「はふー。だいぶ、楽になった。君は、命の恩人だねぇ」


 ベンチの背もたれにグデッともたれかかり、溶けたチョコレートみたいになっている沙霧。

 俺はというと、沙霧を降ろして手持ち無沙汰になって立っていたが、沙霧がバンバンとやから・・・のように座るように無言で言ってきたので静かに腰掛けた。


「いやー、びっくりだね。疲れがでたかね」

「正直、マジでビビったし今も倒れるんじゃないかってビビってる」

「キツい仕事しているから、この程度じゃ倒れませんぜぇ」


 バサッ、とかぶっていたフードを取り去ると、沙霧の顔が全部、見えた。そして、ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべてサムズアップしている。


「キツい仕事って、バイトかなんか?」

「……え?」

「いや、さっきキツい仕事って」

「……えっ?」


 何か不味いことを言っただろうか?

 そもそも、アルバイトの話をしない方が良かっただろうか?

 と迷っていると、沙霧は再びフードを被り、なぜかまたフードを外して俺を見る。

 そして、両手をピストルの形にしてアゴの下で構え、そして強気のどや顔をした。


「…………」


 その状態で数分が経過した頃、先に折れたのは沙霧の方だった。


「ッアー! おっかしいなぁ!? 恭也くん、テレビ見ない系の人ぉ!?」

「うち、テレビないから……」

「あっ、ネットで済ませる系?」

「携帯も持ってない……。親が厳しいから」


 厳しいってのもあるけど、貧乏っていう方が大きい。

 でも貧乏って言うのが恥ずかしすぎて、少しだけ見栄を張ってしまった。


「そかぁー。ユリちゃん家も厳しいって言ってたからなー」


 たぶん、その子の方がちゃんとした理由があって厳しいんだと思う。

 俺の方は――まぁ、異常だから。


「スマホを持ってないんじゃ、連絡先の交換もできないね」

「うん。ごめんね」

「待って、待って。これは運命だよね。たぶん、連絡先を交換しなくても再び会えるという、魂が通じ合っている的な!」


 苦しんでいた時よりだいぶマシになった顔色で立ち上がる沙霧。

 強く拳を握りしめ、逆境に立たされたヒーローのようにその拳を月に向ける。


「じゃあ、今日はそろそろ帰るね。明日も早いし」

「そっか。今日は、ありがとう。助かった」

「どういたしまして」


 そういうと、沙霧は現れた時やここへ来たときと同じように、跳躍で空の彼方へ飛んでいった。

 その後ろ姿が星の中へ溶けていくのを確認して、俺は再びベンチに深く腰を下ろした。


「ヒーローみたい……か」


 色々と圧倒されて聞きそびれたことが多かったけど、あの化け物はよく出てきているらしい。

 もしかしたら、俺がこの剣を出せるようになったから見えるようになっただけで、昔からあぁいった存在はたくさん居たのかもしれない。


「もし目の前に出てきたら戦えるんだろうか……?」


 あんな恐ろしい存在を目の前にして戦っているビジョンが俺には見えなかった。

 剣を顕現させて、改めて刀身を見る。

 周囲に溶け込むような柔な存在ではない、異彩を放っている剣。

 ヒュンヒュン、と軽く振ってみるが、何も変わらないし感じない。


「沙霧みたいになれるわけがないよな」


 同じ異能チカラを持ち、それを上手く使っている人を見て「自分にももしかしたら……?」と思ったけど、思い上がりだったようだ。


「帰ろう……」

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