大鎌の女の子
銭湯からほど近いビルの脇に、人目を避けるようにシルバーのセダンが停められていた。
『覆面パトカーというやつだろうか?』と思ったけど、俺の疑問を察した真島が「ただの移動用の車両だ」と教えてくれた。
運転手は若い刑事の山下が。後ろには俺と同じく刑事の真島が座る。
「出してくれ」
「はい」
エンジンをかけると同時に、車はスゥーと音もなく静かに、滑るように発進した。
「駐禁切られないために場所を移動するだけで、別におかしなところに連れて行くつもりはないから安心してくれ」
「そうですか」
そう言われても、脇を固められ人の運転で連れて行かれるんだから不安にならないはずがない。
とはいえ、両親は車を持っていないため、こうして車で移動するのは新鮮だった。
向かっている方向は町とは反対の、山の方へ向かっているようだ。
「2~3、聞きたいことがある」
走り始めて数分経った頃、場所も繁華街から住宅街を抜け、民家もまばらになり始めた頃に真島がスマホを取り出して聞いてきた。
再生ボタンを押すと、動画はすぐに始まった。
「ぐっ……!」
雨が降っているシーンから始まり、周りでは嘲笑の嵐が巻き起こっていた。
豪雨まで行かない強い雨が降る画面の中央に寝そべらされ固定された人物をみて、俺の胃から酸っぱい物がこみあげてきた。
「死ね、死ね、死ね」の大合唱。これは、昨日、行われたイジメの動画だった。
「この――中央に居る子は君で間違いないな?」
必死で縄を振りほどこうとしているが、芋虫のように惨めったらしく蠢くだけになってしまっている人影を指さしながら、真島が聞いてきた。
表情は今までと変わらないが、雰囲気が少しだけ苦しそうだ。
「…………」
「辛いのは分かる。だが――」
「そうです。これは、俺です……」
何も知らない奴が知った顔をして同情してくるのが妙に腹立たしくて、俺はさっさと認めた。
真島は口に手をやり唸る。その一挙手一投足が空虚で、かつ芝居がかっているようでさらに腹立たしさがつのった。
「警察には――」
「たかが喧嘩で呼ぶな、と前に言われましたが?」
言葉にすると蘇る当時の映像にさらに吐き気がました。
それをきいた真島は、「かーっ!」と言葉にできない、やり場のない怒りを押し込めるように頭を掻き始めた。
「クソッ!」と自分の中だけで踏ん切りをつけた真島は、俺に向き直った。
「最近、問題が大きくなっているから変わり始めていると思っていたんだが、君には苦労をかけているようだな。絶対に改善させるから、許してくれとは言わないがもう少しだけ待って欲しい」
「…………なら、もう帰っていいですか?」
「いや、話はそれとは別だ」
話はこれだけだとは思っていなかったけど、帰れなかったのは残念だった。
この後、質問される内容は大体、想像が付く。
そこを回避する言葉も、跳ね返す言い訳も俺の頭じゃ思いつかなかった。
真島は止めていた動画を再生し、続きを俺に見せた。
「見て分かるとおり、これは君をイジメていた連中が撮影したものだ。何を思ったのか、ネットで生放送しながらな」
俺はスマホを持っていないので疎いけど、生放送くらいはなんとなく知っている。
まさか、あのイジメをネットに公開しながらやっているとは思いもしなかった。
証拠を残すなんて、馬鹿の極みだ。ただそれが今の俺にはありがたいしありがたくない。
「問題は最後のところだ。ここ――」
といったところで、何かが地面に叩きつけられる音と同時に、画面が大きく揺れた。
そして続く叫び声と咀嚼音。
気味の悪い図体の化け物が映り、最後には――。
『坂咲……。なんだよテメェ! 邪魔だ、殺すぞ!』
俺の名前が出たところで、真島は動画を止めた。
「説明できるか?」
「分かりま――」
シラを切ろうとしたが、こちらを見つめる真島の顔は、眼は切れ味の鋭い日本刀の様だった。
少しでも嘘を吐けば、そのまま斬り殺されてしまうような。
「全て確認できている訳ではないが、ここに居る奴らは、坂咲君のクラスで行方不明になっている連中じゃないのか?」
「…………」
「君のクラスで起きた集団幻覚に3階で起きた集団失踪事件。ここに一瞬だけ映った化け物が関係しているんじゃないのか?」
「…………」
「言いたくはないが、この動画の最後には明らかな殺人と思われる言葉が残っている」
「ッ!?」
心臓が跳ね上がる。
逃げるための言葉を探そうにも、次から次にまくし立てられ考えが追いつかない。
「君には答える義務が――ッ!?」
「うわぁっ!?」
今まで順調に走っていた車だったが、突然、急停止したため俺も真島も前列シートに体を大きくぶつけた。
不意を突かれた一撃に、学生の俺はもちろん鍛えているはずの真島も前列のシートに激突し、うめき声をあげた。
「――
「いやだって、真島さん! アレ!!」
「アァ!?」
乱暴どころか、ヤクザのような物言いで山下を責める真島だったが、山下が指す先に見た物に目を丸くした。
「なんだぁ……あれは」
山下が指さす方には、道を大きく塞ぐ感じで横たわっているあの鯨から手足が生えたような化け物が転がっていた。
明らかな異物に真島と山下は目を丸くする。
「ちょっ、ちょっと待ってろ……」
真島は戸惑いながらも山下に指示し、車外へ出て行った。
車のライトで照らされた横たわる鯨の化け物は微動だにせず、息をしているのかすら分からなかった。
いや、そもそも息をする
何もないはずの田舎道に、こんなものが転がっているのは軽くホラーだった。
「なんだこりゃ……」
鯨の化け物を間近で見た真島は、その異形の姿に困惑しながら呟いた。
時々、お茶の間を騒がしている熊が車に轢かれて死んでいると思っていた真島は、予想に反したその姿に驚きを隠せないでいる。
次いで思いついたのは不法投棄だった。
だが、それも妙に生き物じみたその姿に、すぐに頭から消えた。
もしもこれが生き物だとしたら、息をしていないので死んでいるんだろう。
辺りを一周してみると――。
「なんだこれは……」
車側からでは分からなかったが、化け物の首の9割は大きく引き裂かれており、そこからピンク色の――赤と白濁した液体が混ざった物が流れ出していた。
「真島さぁーん。それ、なんですかぁー?」
車の窓から身を乗り出して聞く山下。
「分からん! とにかく一旦、署に連絡を――山下、上ッ!!」
「えぇー? なんですゴァッ!?」
山下が聞き返す前より早く、車がボゴジャッ!! と跳ね上がった。
頑丈なはずのセダンの、さらにエンジンだというのに、空から降ってきた者の力を受け止め切れず潰れ、さらには車の後ろ側が大きく上がるようにひしゃげる。
シュンヒュウンッ――キン――
風を切る音と聞いたことがあるような金属音。
それらが俺の耳に届くと同時に、転がり座席の間に挟まっていた俺の視界に星空が映った。
バガン、と重さを感じられない動きで屋根が飛んでいき、次いで聞こえたのは山下の声だった。
「えっ!? なになになにゴブッ!」
情けない悲鳴を聞きながら、急いで立ち上がろうともがく。
だが上手い具合にシートに挟まっているので、どうにも動けない。
すると、取り払われた屋根から一人の女の子が顔を覗かせた。
「こんばんわ」
「こっ、こんばんは……」
女の子は挨拶もそこそこに俺の腕を引っ張り上げ、そのままシートに立たせてくれた。
鍛えても居ない女の子らしい細腕のどこに、俺の体重を持ち上げる力があるのか……。
女の子は、だぼっとしたパーカーにフードを目深に被り、口元はマスクで覆っている。
短いプリーツスカートからは健康的な肉質の足が見えており、少しドキドキしてしまう。
だが、それら全て『健康的な女の子』の要素を破壊するアンバランスな物――
そのデスサイスはどういうわけか形が安定しておらず、そよ風が吹けば消えてしまいそうなロウソクの炎のように揺らいでいた。
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