失踪したクラスメイト

 俺が通っている学校にある空き教室のひとつには、『要らない教科書入れ』というロッカーがあった。

 それは、この学校を卒業する先輩たちが、家に教科書を持って帰るのを面倒くさがりロッカーに捨てていったのが始まりだ。

 学校としては認めていないものの、俺のように定期的に教科書が消えて・・・しまう人間にとってありがたい存在だった。


 昨日の一件で教科書は雨に濡れ読めなくなり、一部は放り出されて捜索不能となった。

 だから無くなってしまった教科書をありがたく頂戴し、足早に自分の教室へ向かう。

 その教室はいつもよりも閑散としているような気がした。


 なるべく物音を立てないように、足早に静かに教室へ入る。

 それと同時に、昨日、化け物に襲われていたクラスメイトの存在を確かめるが、記憶にあるその誰もが居なかった。

 普段ならそいつらのほとんどが居てもいい時間にもかかわらずまだ登校していないので、周りのクラスメイトが心配してか席を見ながらヒソヒソと話し合っていた。


 ガタッ


 俺が椅子を引くと、周りのみんなが一瞬、ギョッとした様子でこちらを見た。

 そしてその多くがスマホに目を落とし、そして何人かがスマホとこちらに視線を行ったり来たりさせていた。

 昨日、まだ来ていない奴らに背中を蹴飛ばされながら下校したんだから、何が起きたのか気になっているんだろう。

 いつも通りの日常だ。


 それから数分経って、先生が教室にやってきた。

 40代半ばの数学の教師。何かを諦めたような、疲れたような目をいつもしている先生だ。


「え~……。知っている人も居るかもしれんが、うちのクラスから遊びに行ったまま返っていない生徒が出ました。誰か、知っている奴は居ないか?」


 教室で小さく行われていた生徒同士の会話が、先生の一言で許可を得たかのように大きくなった。

 それと同時に、俺が教室に入ってきた時と同じように俺に視線が集中した。


「……そうだぁ、坂咲。お前、あいつらと仲良かったろ? なんか知らんか?」


 体中の血液が、一瞬で沸騰しそうになった。


 「仲が良い」だと!?


 殴られ、鼻から血を流し、「助けて」と訴えていたのに、そのどこが「仲が良く」見える!?

 ギリ――、と奥歯を強く噛みしめ、左手に重ねていた右手を強く握る。

 爪が肉に食い込む。痛みなど無い。それ以上に、心が崩れそうなほど辛い。


「なぁ、坂咲ぃ。キチンと口を開けて話さないと、誰にも何も伝わらないぞぉ~?」


 束ねられたプリントが収められたファイルを、少し苛立ち気味に机に叩きつける。

 パチンバチン、と叩きつける音とその度に来る風が本当に嫌だ。


「俺は、質問してるんだ。『何か』『知らないか』ってな」

「知り……ません……」


 怒りと悔しさから、教師の顔を見ることができず、何とか絞り出せたのがこれだけだった。


「ったく。いいか、お前ら。コイツみたいに学校に迷惑かけるなよ。それと。知っている奴がいたらすぐに報告に来い」


 俺は何も悪いことをしていないのに、教師の大声で驚き体が硬直してしまう。

 情けない。情けないが、俺には何もできない。

 教師の怒声で静まりかえった教室。

 それからは普段通りの、あのイジメの主犯たちが居なくなったことなど嘘のように変わらないHRが始まった。

 そう思っていた。


 ――バン!


 教師が叩きつけたファイルとは違う、ガラスを叩く音が教室中に響いた。


「うわっ!? 窓ッ!」


 皆、一斉に愕き音の発生源を探すと、生徒の1人が窓を指さして驚きの声を上げた。


「キャァッ!?」


 指さす方を見た女子生徒がソレ・・に気づき、「何があるの?」と探していた他の生徒たちもソレ・・を見つけ驚きと恐怖の悲鳴を上げていく。


「おい! うるさいぞお前ら! 今はHRの――」

「先生ッ! アレッ! 窓に!!」


 生徒が騒いでいる理由が分からず怒鳴る先生だったが、生徒が指さす方を見て同じように愕いた。


「なんだあれ……」


 呆けたように呟く先生と生徒の視線の先の窓には、人影とそこから伸びている手が見えていた。

 それだけなら不審者の可能性も考えれただろうが、その人影が2階にあるこのクラスの上――3階から逆さにぶら下がっていることが異常だった。


「おい、誰だソイツ? お前、ちょっと見ろ」

「えぇ……!?」


 動くのが面倒くさいのか、先生は3階の教室を使っている3年生のイタズラと判断したのか、窓際に席がある生徒に指示した。

 指示された生徒は、人が降ってこないかおっかなびっくりしながら窓を開けて上を見上げた。


「うわぁぁぁぁぁ!?」


 上を見上げた生徒は悲鳴を上げて、教室の床に転がった。


「おいっ! うるさいぞ、何してんだ!」

「だって先生! アレッ!!」


 指さす先には、生徒の顔。行方不明になっていた、俺の足にぶつかってきたいじめっ子がぶら下がりながら教室をのぞき込んでいた。


「なん……で……!?」


 今度は、俺が驚愕に顔をそめる番だった。

 アイツは、俺が化け物の目の前に放り込み、食われて死んだはずだ。

 叫び声と咀嚼音が、今もすぐに思い出すことができる。あれは絶対に死んだはずだ。

 なのに、なぜここに居る!?


「八塚ァ!! お前、なにやってんだゴラァ!!」


 音の元凶が自分の生徒だと知った先生は、威嚇するように怒声を上げた。

 バンバンバン、とファイルを叩きつけ、その度に生徒たちが体を小さく震わす。


「ごべ――んなざぃ~……。ガッ――ゴウ……おぐれまじたぁ~」


 八塚は教師に謝るが、その言動のどれもが異常だった。

 窓から覗く顔の半分を痙攣させ、出てくる声は口に液体を含んだようなジュブジュブとした聞き取りづらい言葉だ。

 こいつが、昨日までいた八塚と同一人物だとは到底、思えなかった。


「早く降りてこい! 今から、親も呼ぶから覚悟しろよ!!」

「ごぺんなざいぃ~」


 ズルズルズル、と八塚は体を引きずりながら・・・・・・・教室に入ってきた。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 八塚が動いた瞬間、教室が阿鼻叫喚に染まった。

 さっきまで胸から上しか見えていなかったが、教室に入ってきた八塚の体は胸から下が異様に長く、入ってきたと言っても下半身はまだ3階側にあった。


「うわぁっ!?」


 逃げ出した隣の席の女子生徒に押し倒され、俺は椅子ごと床に倒れ込んだ。

 背中と後頭部をしこたま打ち付け、俺にぶつかってきた女子生徒は俺に謝ることなく乗り上げ逃げていく。


「んあぁっ!?」


 俺のうめき声を聞いた八塚は、顔を痙攣させ大量の涎を出しながらこちらを向いた。

 目が合った。

 異様なほど空虚な瞳を向ける八塚。恐ろしかった。

 だが、それは八塚も同じなのか、俺と同じくらい八塚も顔を恐怖に染めた。


「ぶぎゅぅぅぅぅぅぅ!!!!」


 られる! 

 八塚アイツは、俺に復讐しにきたんだ!


 そう思ったが、当の八塚――と言っていいのか分からない化け物だけど――は、口から白濁した粘性の高い液体をまき散らしながら、入ってきた時と同じように窓から飛び出していった。


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