第8話12ヶ月寿限無・其の1

  「これ」

 おっと、リツのやつ。放課後の二人きりの教室でまたノートに長ったらしく書かれた文章をあたしによこしてきたじゃない。昨日の今日でもう書き上げてきたのか。筆が早いのね。感心感心。


  「じゃあ、僕はこれで」

 おっと、待ちなさい。このままあんたを帰すわけにはいかないのよ。いろいろ話もあるしね。ちょっと、そのあたしにノートを渡すなりすぐさま後ろに振り返って立ち去ろうとするあんたの後ろエリをつかませなさいよ。


   「なんだよ。早く帰させてくれよ」

「はいはい、昨日言ったでしょ。つまらないもの書いてきたら承知しないって。とりあえず、あたしがあんたのこの文章を読み終わるまでそこで待ってなさい。それとも、いまから発声トレーニングをするほうがいいかしら?」


    「わかったよ。待ってればいいんだろ」

 わかればよろしい。聞き分けがいいところは感心が持てるわよ。それでは、リツ先生の作品を拝見させていただくとしますかね。どれどれ、


「ご隠居、おいらのかかあに子供ができましてね」


「それはめでたいじゃないか。熊さんもとうとう人の親かい」


「そうなんですよ。それで、ぜひともご隠居に名前をつけていただきたいんですが……」


「名前かい! あたしが名付け親になってもいいのかい?」


「それはもう。なにせおいらには学がありませんので。ひとつご隠居にいい名前をつけてもらおうと思いまして」


「なら、何か子供にこんなふうに育ってほしいっていう希望はあるのかい? 希望があるって言うのなら、こちらとしてもその希望にそった名前をつけるけれども」


「おいらの希望にこたえていただけるんですか。それなら、約束の日付をキチンと守るような人間になってほしいね。なにせ、おいらときたら、先月の約束を今月になって果たすような人間でして」


「お前さんと聞いたら日付に無頓着だからねえ……そうだね、月の名前はどうだい。一月は、睦月むつきて言うんだけど。みんなと仲睦なかむつまじくなれそうないい名前じゃないかい」


「睦月ですかい。しかし、なにせインターナショナルな時代ですからね。国際的な名前にどうせならしてほしいですなあ」


「注文が多いねえ。なら、Januaryってのはどうだい。英語で1月って意味なんだけれど」


「ジャニュアリーですか。いいですねえ。響きがなんだかオシャレじゃないですか。じゃあ、2月はなんて言うんですかい?」


「2月は如月きさらぎだよ。寒い冬に服を着る衣更着きさらぎが由来なんだけれど、どうせお前さんは英語の名前がいいんだろう」


「さすがご隠居。サッシが良くて助かります」


「まったく、西洋かぶれもほどほどにしなさいよ。2月は英語でFebruaryだよ」


「フェブラリーですかい。ぶらりぶらりと、人生楽しく生きていけそうな楽しそうな名前ですなあ。それで、3月は」


「3月は弥生やよいだね。草木が生い茂るって意味の木草弥や生ひ月きくさいよひづきが詰まった『やよひ』になったんだ。それはともかく、英語ではMarchだよ」


「これはこれは、ご隠居。おいらが頼む前に英語のほうまで言ってくれるなんて話が早いですね。マーチですかい。張り切って行進しちゃうような元気な子に育ちそうですな」


「4月は卯月うづきっ言うんだよ。卯の花が咲く卯の花月うのはなづきが略されたんだね。で、お前さんのご希望の英語名はAprilだ。お前さんも人の話ばかり受け売ってないで、少しは自分で調べなさいよ。今のご時世デマや冗談がそこかしこに転がってるんだから」


「へへ、これは耳が痛いですな。せいぜい4月馬鹿にならないように気をつけます。エイプリルフールってね。まあ、ひとを愉快にさせるくらいなら愛きょうがあっていいんでしょうが」


「で、5月は皐月さつきだ。田植えの季節だからね。早苗月さなへつきにちなんだんだね。『さ』だけで田植えの意味になるからすくすく子供が成長するんじゃないかな。お前さんお待ちかねの英語はMayだよ」


「メイですか。おいらにできたのはめいじゃなくて息子なんですが。英語と日本語ってのはまぎらわしいですね」


「文化の壁ってやつだね。お次は6月だね。 水無月水無月だ。梅雨が明けて水がなくなっちまうからこう言うようになったんだね。」


「そいつはてえへんだ。水がなくなったら人間生きていけねえよ。そんな名前縁起でもねえ。ご隠居、英語の方を早いところおねげえしますよ」


「そうせかすなって。英語だとJuneだよ」


「ジューンですかい。純ってのは男か女かわかりにくいですねえ。いや待てよ。今のご時世セクシャルマイノリティーのことも考えねえと。息子がどう育とうと父親のおいらが受け入れてやらねえと」


「しっかり息子の面倒を見てやるんだよ。7月は文月ふみづきだね。7月7日の七夕たなばたの日に短冊に願い事を書くからこう言うようになったんだ。英語だとJulyだね」


「ジュラーイですかい。なんだかイエーイみたいな感じですね。元気がいいのはいいことですもんね」


「8月は葉月はづきだね。葉っぱが紅葉して落ちちまうから葉落ち月はおちづきって言うんだ。お前さんみたいな若い衆は知らないかもしれないけれど、昔は8月に秋分の日があって、8月はもう秋だったんだよ。英語だとAugustだよ」


「オーガストですかあ。オーガってのはなんだかやんちゃに育っちまいそうですなあ。男の子なんだからそのくれえのほうがいいのかもしれませんけれど」


「9月は長月ながつきだね。秋の夜長の夜長月よながづきで長月だ。辛抱強い男の子に育つんじゃあないかな。おっと、お前さんは英語がご希望だったね。英語はSeptemberだ 。せっかくだから最後まで言っちまおう。10月は神無月かんなづきだね。日本中の神様が出雲大社にお参りに行っちまうからこう言うようになったんだ。英語だとOctober。11月は霜月しもつき。霜が降る月だからね。あたしは年だから、11月になると寒くていけねえや。英語だとNovenber。12月は師走しわす。お師匠さんであるお坊さんが忙しく走り回るからだね。英語だとDecemberだ」


「セプテンバーオクトーバーノーベンバーディセンバー。バーバーバーバー続きますねえ。おっと、これで1年12ヶ月が終わりましたね。ご隠居、良いお言葉を教えていただいてありがとうございました。こうしちゃいられねえ。いますぐかかあに知らせてやらなきゃあ」


「あ、熊さんのやつ行っちまった。いったい、どの名前にするんだろうねえ」










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