一陣の風になって

 アロンシャムの町を後にしたリーズは、ロジオンに言った通り、すぐにはアーシェラのところに向かわなかった。

 王国から用意された訪問リストを順番に回っていき、それぞれの地でかつての仲間たちと丁寧に交流を交わした。変わったことと言えば…………アーシェラの居場所をだれにも尋ねなくなったことと、町から町に移動する速度が以前よりも増して早くなったことだろうか。

 王国も建前上はリーズを一人で行かせているが、実はひそかに「王国暗部」と呼ばれる諜報部隊にリーズの後を追わせていたのだが、リーズの移動があまりにも早すぎる上に、何人かがリーズとは無関係の場所で行方不明になる事態が相次いでいたため、途中からリーズを追うことが困難になってしまったようだ。

 そしてリーズは、最後の訪問地である港町ラニネルニンゲンに、予定よりも3か月以上も早く到達し、すべての訪問日程を終わらせ――――王国からの追跡手段を絶ったのだ。



 長かった。

 これからようやく、アーシェラに会いに行ける。

 そう思うと、平野を走り抜けるリーズの自然と両足の動きが早くなっていく。


 魔神王を倒したあの日――――リーズはアーシェラと軽く会話を交わした。

 内容は今でもよく覚えている。夕ご飯のリクエストとして、リーズの顔よりも大きいハンバーグを作ってくれると言っていた。だが、それがまさかアーシェラとの最後の会話になるとは微塵も思っていなかった。

 陣営に帰っても、アーシェラはまるで嫌がらせを受けたかのように、仕事を押し付けられて、ともに勝利を祝うことができなかった。

 さらに、その後も王都入場を拒否されて、ほかの二軍メンバーとともに、なんの栄誉も得られないまま各地に散っていったと聞いている。


 リーズが最も心を許し、最も信頼していた、自分の半身的存在。

 そんなアーシェラに、再び会うことができる。これほど嬉しいことはない。


 だが同時に、王国に残してきた仲間たちや、自分に期待してくれていた王国の国民たちへの申し訳なさも募ってくる。

 リーズは勇者であり、その身は自分の勝手にしていいものではないと、聖女をはじめとした1軍メンバーたちに何回も聞かされてきた。せっかく平和になった世界が、リーズの行動一つで再び消えるかもしれないのだから、リーズがどう思うにかかわらず、責任はとても重い。

 湧いてくる希望とのしかかる不安。両方を交互に感じながらも、リーズはほとんど立ち止まることなく、昼夜を問わず駆け抜けた。


 そして――――ライネルニンゲンの町でミティシアとヴォイテクから分かれてから3日後。道なき道を無理やり駆け抜けてきたリーズは、行く手を阻むようにそびえる山脈を前に、静かにたたずんでいた。

その表情にはやや疲れが見えていたが、山脈に続いている砂利道に立つ足は、未だに力強い。


「ここから先……山越えの街道。この山の向こうにシェラがいるんだ…………」


 リーズはその場で目をつぶり、右手にゆっくりと胸に当てた。豊かな膨らみの下で、心臓の踊る感触が手に伝わってきた。


 今ならまだ引き返すことができる。

 しかし、今引き返してしまったら、もう――――――


「……………よしっ!」


 リーズはぐっと目を見開いて、足を一歩、また一歩と前に進め、十歩もしないうちに駆け足となった。

 かつて魔神王の攻撃により滅びたアーシェラの故郷、旧カナケル王国に続く旧街道。もはや完全に人の往来が途絶え、人々から忘れられたこの道を、リーズは進んでいく。


(シェラ、元気かな? 今までと同じように、リーズにやさしくしてくれるかな?)


 ほとんど誰も知らない土地に隠れ住むことを決めたアーシェラは、きっととても疲れてしまったのだろうとリーズは思った。

 あちらこちらにいる仲間たちと話していると、だれもがアーシェラのことを褒め称えていて、そしてできれば自分たちと一緒にたくさん働いてほしいと言っていた。アーシェラのことを褒められるのは、リーズにとっても身内が褒められることのように……いや、自分が褒められるよりも嬉しかったかもしれない。

 けれども、アーシェラは魔神王討伐の旅で誰よりも懸命に働いていたことを、リーズは知っている。戦闘に参加し、命のやり取りをしたことはほとんどなかったが、だからと言って、働けども働けども何もしていないように扱われるというのは、とてもひどい話だ。


(そこまでシェラを疲れさせちゃったのは、結局リーズのせいなのに……)


 勇者パーティーにいた頃も、リーズは何度か仲間たちに、雑用や戦いの準備は分担してやろうと呼びかけたことはあった。だが、それが徹底できておらず、そのほとんどがアーシェラに集中してしまったのは、自分がアーシェラに甘えてしまったせいだとリーズは感じていた。

 ただ実際のところは、どちらかといえばアーシェラがリーズの役に立ちたいと張り切りすぎたことと、ほかの仲間が雑用で手を抜くのが我慢できなかったという理由もあったのだが…………リーズはそんなことは知る由もない。


(ううん、シェラは絶対にリーズのことを嫌にはならないっ! シェラはずっとリーズの味方でいてくれた!)


 魔神王討伐の旅で雑用をたくさんさせた上に、褒美もなく、ねぎらいの言葉もなく、今まで顔も見せなかった。これだけひどい仕打ちをされたら、嫌われても文句は言えないはずだ。

 だが、たとえ実の親がリーズを見捨てても、アーシェラだけは何があっても絶対にリーズの味方でいてくれるという確信が彼女の中にある。それは理屈ではなく、自分勝手な思い込みにすぎなくても、リーズはアーシェラのことを心の底から信じている。


「だからこそ、シェラには……きちんと謝っておかなきゃ。知らなかったなんて、言い訳にならない」


 そんなことを考えながら谷間の道走るリーズの前に、道をふさぐように岩の皮膚を持つ四足歩行の大きな魔獣が一体待ち構えていた。

 リーズの十数倍はあろうかという体躯の魔獣は、こちらに向かってくる小さな生き物が発する異様な存在感を感じ取り、まるで威嚇するようにグオォと吠えた。


「邪魔っっ!!」


 たった一言ともに剣が嵐のように振るわれ、巨大な魔獣を一瞬で木っ端みじんに粉砕した。アーシェラに会いたい一心のリーズの前では、邪魔するものはたとえ巨大な魔獣であれ、魔神王であれ、このような末路をたどることだろう。

 もう何者も、勇者リーズを止めることはできない。

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