持論・暴論

小欅 サムエ

動物を保護することとは

 あらかじめ諸君らに伝えておく。この話は、あくまでも持論であり、諸君らの思想・主張に対し何らかの影響を与える心算はないものとする。感情的な意見を持つものは、ここでUターンをすることを推奨する。ここまで理解できた諸君だけ、先に進むことを許可しよう。



 さて、諸君らは、動物愛護の精神について知っているだろうか。もちろん、それは世界中のどこかしこでも騒がれている。日本においても、動物愛護を念頭に置いた番組編成なども散見される。

 

 しかし、私は思うのだ。そもそも動物愛護とは何か。それよりも、動物とは何か。


 絶滅危惧種を保護する、それは世界中の誰もが理解し、そして働きかけている活動の一つである。人間が絶滅に追い込んでいる、または地球環境の変化によりその種の生存が確約できない、また、その種が滅んだ場合、人間の活動に大きな影響を与える、といった論調で保護しようと働きかけている。


 しかし、よく考えてみてほしい。例えば、オーストラリアに生息することで有名なコアラが絶滅したとしよう。それにより、人間の活動に何の影響があるのか。そして、地球環境にどういった影響があるというのか。誰も明確には答えられまい。


 逆に、地球上から蚊が絶滅したとしよう。蚊は、人類へ病原体を媒介する殺戮者だ。それが絶滅したとあれば、人間の活動において大きな益となる。しかし、それは種の滅亡でもあるのだ。果たして、動物愛護を訴える方々は、蚊を絶滅させることに対しても異を唱えるのだろうか。


 哺乳類腫と昆虫類を比較されても困る、そんな意見も耳にする。そういう意見であれば、そもそも生命とはなんだ。私はそうお答えする。昆虫類を保護することも、動物愛護の精神ではないのか。平然と、哺乳類を守るために殺虫剤を散布する人間の活動こそ、動物愛護の精神に悖るのではないかと具申する。


 言っておくが、他の種の命をみだりに奪うことを是としているわけではない。そんなことは許されるはずがない。しかし、この許される、とは誰になのか。そして何のために存在する倫理なのか。はっきり分かるものはいるのだろうか。


 今回、私がこうして意見しているのは、単純な話、なんで人間は他の動物まで保護しなければならないのか、ということだ。


 人間の活動により、○○は住処を失った、○○はエサがなくなった、などという話を聞く。しかし、人間の活動で失われるようなものなど、所詮はいずれ消え去るものだ。であれば、人間が手を加えるまでもなく、その種は滅亡していたことだろう。であれば、人間がその種を守る意義とは何か。


 答えは簡単だ。未だに動物園・水族館なるものを許容している種族なのだ、人間が常に、他の種族に対し優位であるという優越感、もしくは超越感、そういったものを保つためだ。


 根拠としては、言葉の対義語に隠されている。自然、の対義語、皆様は小学生の時に習うものだと思うが、それは人工だ。自然、つまり地球上に繁栄する生き物と相反するもの、それが、人間が生み出したもの、と定義しているのだ。これは異常だ。つまりは、人間は、その手で生み出したものを自然界の一部ではない、と定めているのだ。


 では、人間は自然界の生き物ではないのか。答えは、ノーだ。人間も哺乳類の一種族であり、地球上に存在する自然の一部であるということはゆるぎない。


 とすれば、自然界の種が、他の種を管理し、保護する意義とは何か。もうお分かりだろう。そう、ただ単純に、彼らよりも我々が優っている、という優越感に浸るため以外に、論理的な解釈が及ばないのである。


 無論、可哀そうだ、とかそういった感情論を耳にすることも多い。ただ、可哀そう、という表現自体が、そもそもその種を見下している表現なのだから質が悪い。そういった感情論は何も生まないし、禍根を残すだけで全くの無意味だ。


 私が今回、こうして意見をしている理由は、ただ動物愛護をする人間が嫌いだとか、そういう理由ではない。何故、絶滅危惧種だとか、動物全般を、自然界のごく一部の種族たる人間が保護し、管理するのか。それを問うてみたかったからだ。人間は神ではない、そして神なんてもの、一般に言われる全知全能とかいうような神は存在しえないのだから、では、感情を抜きにした場合、他の種を守る意義は何か、それを確認したかった。


 これは、単純に問題提起である。今行っている人間の活動自体に対し、何か反対するとかそういった意義は何一つとしてない。しかし、上から下へ、右から左へ、といった具合に、当たり前のように看過されゆく問題に対し、何か疑問を持て、そういう意味合いだと感じていただければと思う。


 生き物全般の殺生を、人間が管理する世の中なんていうのは間違いである。生き物は、それぞれの摂理に基づき生き、そして死ぬのが通常だ。人間によって死滅させられた、というのが自然の摂理に反することなのか、今一度、考えてみていただきたい。


 念のため、もう一度言う。私は、他の種族、もちろん人間同士を含め、殺し合うことには反対する。ただ、人間の活動が自然界から乖離している、と定義している現在の状況に対し、一石を投じたいと考えているだけなのだ。それを理解していただきたい。


 人間が自然から離脱しているのか、それとも、そう思い込んでいるだけなのか。それを諸君、どうか考えてみてはいかがでしょうか。

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