第12話 山根君の転勤?

 結局、のんのの活躍は大きく問題にされることなくうやむやとなり、しかも、あれは民間人の協力者だったと上級官庁にはごまかして決着したのだった。また、失踪したかれんは情報提供者として供述調書を作成後にお引き取り願ったものであり、ビルの屋上騒ぎについては処分保留となった。


 ⌘ ⌘


 翌日。

 生活安全一課の山根巡査部長は突然署長室に呼ばれた。


「自分、何かしたでしょうか」


 呼ばれる理由がまったく見当もつかない山根は、廊下を歩きながら先導する生活安全一課の倉橋課長に聞くのだが、「行けばわかる」としか答えてくれない。

 自分のような巡査部長が署長室に呼ばれるなど、大活躍して表彰を受ける時か、逆に何かやらかした時ぐらいのものだ。最近大活躍をした記憶のない山根の不安は如何ばかりであろう。


「失礼します。倉橋、入ります」


 軽いノックの後、そう言って倉橋が署長室のドアを開け、山根に後をついてくるように促した。


 署長室に入ると、立派な机の向こうには東江戸川署の署長、左右には総務部長や各課の幹部が並んでいた。


——うわあ、もしかして吊し上げか。


 山根の緊張は最高潮となっていった。


「山根巡査部長、前へ」


 総務課長に促されて、山根は署長の三歩ほど前へ進み、緊張のまま直立した。

 総務課長から黒い盆に載せられた用紙が一枚署長に渡されて、署長が一旦無言で目を通しおもむろに顔を上げて山根の顔を見た。

 署長と目が合った山根にさらに緊張が走ったところで、おもむろに署長が手にした紙を見ながら読み上げる。


「辞令」


 ——転勤か。


 山根が頭の中でパニックを起こしそうになる中、署長が淡々と続けた。


「巡査部長山根匠、本日付けで生活安全三課への異動を命ずる」


 ——やっぱり転勤か。ええと、生活安全三課ってどこの地域だっけ。引越しの手配しなきゃな。あそこの飲み屋のツケも払わなきゃ。この間借りたビデオ、返したっけ。


 山根の頭の中は一瞬で走馬灯のようにいろいろなことが駆け巡った。

 山根は二歩前へ進んで署長から辞令を受け取り二歩そのまま後ろに下がってお辞儀をする。


——ん? どこって言ったっけ?


 あまりの緊張に、山根は転勤先を忘れてしまっていた。


 ⌘


「課長、短い間でしたがありがとうございました。新任地に赴きましても、課長から育ててもらった恩は決して忘れません」


 署長室を出て、先を歩く課長の背中に山根が言う。


「何言ってるんだ、お前」

「何って、あの、自分は今転勤の辞令を……」

「誰が転勤だって? バカもん。ただの署内異動だろうが」

「へっ? 署内異動って……」


 山根が呆気にとられている。


「お前、何聞いてたんだ。お前は一課から三課へ名義上異動するだけだ。机の位置も変わりゃせんし、俺が三課の課長を兼務してるんだから、そのままお前は俺の部下だろうが」

「ま、まじっすか」

「マジっすよ」


 倉橋は山根の口調を真似て返す。


「うわあ、よかったあああああ」


 山根は涙を流しそうな勢いでガッツポーズをしながらその場にしゃがみ込んだ。そんな山根に、


「ただし」


と倉橋が語気を強めて言う。しゃがんだ山根が倉橋の顔を見上げた。


「いいか、山根。お前は三課への異動の意味はわかってるのか。三課へ異動ってことは、お前の直属の上司は日暮……警部補ということになるんだぞ」


 倉橋が右手を山根の肩に置いた。


「日暮……警部補は、お前より年下の上司になるし、まあ、あれだ。あの通りの娘というか世間知らずが制服を着ているようなもんだ。お前は日暮……警部補のサポート役になり、日暮……警部補がうっかり社会常識からはみ出しそうになったら、体を張って全力で止める役目を署長直々に仰せつかったんだ」

「自分が……、サポート役ですか。のあちゃんの……」


 倉橋の思いとは裏腹に、なぜか山根のにやけ顔が止まらなくなる。


「こら、山根。お前は何をニヤニヤしとるんだ」

「体を張って止めればいいんですよね。こう、ギュッと……」


 どうやら東江戸川署は人選を誤ったらしい。倉橋の憂鬱の種がひとつ増えた。



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