DefectOrder

橘トヲル

DefectOrder


「ねぇ、あなたはこの戦争が終わったら何がしたいの?」

 声に顔を上げると、食堂に差し込むうららかな日差しをバックに大きなくりくりとした瞳の少女がこちらをのぞき込んでいる。サマーワンピースを着た少女は肩がむき出しで、よく日に焼けた健康的な肌をさらしている。

「サマリ」

 サマリと私に名前を呼ばれた少女はそれだけでなぜか嬉しそうに笑うとテーブルを回り込んで向かいの席に座る。そのままひじをテーブルについて顎を両手に乗せて尋ねてきた。

「リコル、あなたって本当に何を考えてるのかわからないのよ。いつも食べてるのは同じ激辛カレーじゃない」

「どれを食べたって一緒。私たちが食べる食品はどれも胃の中で等しくコアキューブクラスタを動かすエネルギーになって体を動かすだけ。だったら一番最初のボタンを押すだけにするのが一番効率的」

 そんな私の言葉にサマリははぁと大きな息をこぼす。

 まるで仕方ない子ね、と言われているようだ。

「そんな風にしているから、感情機能のない欠陥品なんて言われるのよ。人の代替物になるために生まれてきた私たちにとって最大の侮辱よ? もうちょっと笑いましょ? ほらこうやって」

 両手の指で私の唇の端を持ち上げて笑った顔を作ろうとするサマリ。

 前かがみになったことで長い髪がテーブルに零れ落ち、カレーが付いてしまうのではないかと気になっていた私だったが、それにサマリが気づくことはなかった。

「うーん、目も良くないわねぇ。つり目でかっこいいと私は思うけど、このままじゃ悪だくみをしている人みたいよ?」

「自分でやって何を言っているんだ」

 そんな私の返しが面白かったのか、サマリはからからと笑っていた。

「だったらサマリはこの戦争が終わったら何がしたいんだ?」

「え? 何で?」

「自分で聞いてきたんだろうが」

 ため息交じりに言えば「あぁ!」と手を叩く。完全に忘れていたようだ。

「私はねぇ……皆で海に行きたい!」

「この前海戦で行ったばかりだろう?」

 ずいぶん激しい戦いだった。あれには私も参加した。

「もう、そうじゃなくて! 遊びに行くの! 泳いだりビーチで砂のお城を作ったり!」

「そう言えば、人間とはそう言った遊びをするものだと聞いたことがあるな」

「あなたって本当に……」

「どうした?」

「いえ、海に行くときには一緒に行きましょうね」

 優し気な目線でそう言っていたのを今でも思い出せる。

 サマリが戦場で死んだのはこの3日後の事だ。


   ◇


 耳元で轟音を響かせながら銃弾が飛んでいく。

 それもただの銃弾ではない。

 無人兵器用ではなく私達戦乙女用の高速弾だ。その威力は100ミリ砲ですら傷つけられない私達の体をいともたやすく破壊する。

 そんな弾が飛び交う戦場を、私は敵国の自動化兵器を相手にしながら駆け抜けていた。

 砲弾と銃弾と光線の攻撃の隙間を潜り抜けて崩壊したビルの陰に飛び込むと、そこにはすでに先客がいた。

「こんなところにいたのですか、エメレット」

「あ、あぅ。り、リコルさんですかぁ?」

 そこにいたのはピンク色の長い髪を垂らした少女だ。

 頭を抱えて地面に伏せている。

「いったい何をしているのです?」

「な、何って、隠れているんですよぅ」

 伏せていた頭をわずかに上げ、涙目で食って掛かって来た。

 その耳元を銃弾がひゅん、と掠めていきエメレットが慌てて頭を下げる。

「ここにいては危険です。移動して……このまま敵に向かって突撃するのがよさそうですね」

 無人兵器が放つ光学兵器を睨みながら、私は一番帰還率の高い方法をはじき出す。

 だが、エメレットは違うようだ。

「なっ、何を言っているんですかぁ。こんな戦場のど真ん中に突撃なんてしたら死んでしまいますぅ」

「だからと言って、ここに留まっていてはいい的だぞ」

「そ、それでもエメは嫌ですぅ。大体その方法でどのくらいの成功率があるんですかぁ?」

「およそ3パーセントだな」

「ここに残っていれば30パーセント以上の確率で生き残れますぅ!」

 頭を伏せて、絶対にここを動かない意志を見せるエメレットに私はもう何も言わなかった。

 銃弾の雨の中へ飛び出す。

 頬を掠めた高速弾に眉をしかめる。

 左腕を打ち抜かれるが脚を止めない。

 痛覚はカットして致命傷になる攻撃だけを確実に避けて敵陣へと向かった。

 敵の主力を壊滅させた後、倒壊したビルの傍を通ったが、そこには大きな風穴が地面に空き、溶けた残骸だけがあった。

 どうやら収束レーザー砲の一撃を受けたらしい。

 エメレットの体は欠片程度しか回収できなかった。


  ◇


「ヒィィィィヤッハァァァァ!!! サイコーダゼェェェェ!」

 そう言って駆けていくのは赤髪の少女だ。

 長い髪が風になびく度、襲われた敵歩兵団の量産型ドールたちが切り刻まれていく。

 量産型ドールは渡したち戦乙女とは違って人の代替物としては高度なAIを所持していないが、外見は十代の少女だ。切り刻まれる姿を見ていて気持ちのいいものではない。

「ルナルガ。あなたはいつも楽しそうに敵を倒しますが、何がそんなに楽しいのですか?」

「ハァ? なーに言っちゃってんのォ?」

 歩兵師団を殲滅してなお倒れたドールの頭を踏みつけにして遊んでいるルナルガに尋ねると彼女は不機嫌そうにこちらを振り向いた。

「いーこちゃんのリコルには分かんないかねぇ? こうやって敵を倒すのは快楽そのものじゃねーかよォ。だったらお宅は何のために敵を殺すわけェ?」

「敵の殲滅が私に下されたミッションオーダーだからです」

「ッカァ、つまんねー奴だなぁオイ!」

 これだから欠陥品は、と言いながら足の下にしていた頭部部品を踏みつぶして私に歩み寄って来るルナルガ。

「いいかァ、欠陥姫様よぉ! 俺様達のここにはコアキューブクラスタがある、そうだな?」

 そう言いながらルナルガは私の胸の真ん中、人間なら心臓に当たる場所に指を突き付ける。

「俺様達戦乙女は人の代替物として感情を模倣するために無数のエモーショナルキューブを合成されたそのコアキューブクラスタによって今の人格が形成されてる、つまりだ」

 そこで一度言葉を切って、私の顔を覗き込んでくる。

「他者を踏みつけにすることに快楽を覚えるのもまた俺様達人の代替物にとってはグランドオーダーの達成に必要な役目って言えるだろォ?」

 私は驚いていた。

 確かに一理ある。

 私達戦乙女は人間の代替品。

 人間の感情を模倣することがグランドオーダーの一つとして組み込まれている。

 だが、何よりも、

「あなた、そんなまともなことも言えるのですね」

「アアァン!? 喧嘩売ってんのかテメェ!」

 即座に拳を握って振り上げるルナルガから飛び離れる私。

 そう反応することは92パーセントの確率で知っていた。

「チッ、これだから欠陥姫様はよォ」

 ぎらついた視線を向けてくるルナルガ。

 続けて武器を抜く可能性が高まるのを確信して、応手の選択を始めた私だったが、それよりも先に轟音があたりに響いた。

「あんだよっ!?」

 見れば撤退中の部隊とは別の軍がこちらへ向かってきている。

 動きから見て、複数の戦乙女が混ざっていそうだ。

「潮時です」

 そう言って私は配下の無人部隊に撤退命令を下す。

 けれど。

「ふざけんじゃねぇよ、こっからが面白れぇところじゃねーか!」

「ルナルガ」

 ルナルガは歯をむき出しにして笑うと両手に大型の拳銃を取り出す。

「行く気ですか? 勝率は5パーセントにもなりませんよ? 今ならば撤退が可能です」

「手ごたえがなくてイライラしてたんだよ! 誰が何と言おうと俺様は行くね!」

 それだけ言い残すとルナルガは赤髪を翻して敵陣へと突き進んでいった。

 彼女の配下の無人兵器が追いかけていく。

 喜びに打ち震えながら駆けるルナルガから目を離せずにいたが、やがて私は踵を返した。

 今回のミッションオーダーの達成が不可能な以上ここにいても仕方ない。

 次のミッションオーダーを達成するために帰るべきがだ。

 背後の爆撃音を耳にしながら、私は戦場を後にした。


   ◇


 ガコン、と音を立てて足元のハッチが開き体が浮遊感に包まれる。

 私の視界が一気に夜の闇に閉ざされたのを確認し、暗視モードへと変更する。

 わずか数秒で地表に到着し、膝で衝撃を完全に殺す。

 休眠状態だった無人兵器群が一斉に起動し、こちらへ銃口を向けてくるがもう遅い。

 撫でるように閃かせた素手ですべてを切り裂き終わっている。

 背後で爆発音が発生し、周囲が一気に明るくなった。

「ああ、来てしまったのですね」

 見れば執事服に身を包んだ敵の戦乙女の姿がある。しかもなぜか白い椅子に腰かけ優雅にティーカップを傾けている。椅子とセットなのだろうこれも白いテーブルの上にはお茶菓子が並んでいた。

「単体で旅団を潰すとはさすがは戦姫と言ったところですか」

「お前がこの旅団の指揮官だな」

「おいおい、ちょっと待ってくれ。少しくらい話そうじゃないか」

「必要ない」

「困ったものだね。普通人間はこういう時相手に辞世の句を詠ませたり、最後の御祈りの時間を与えたりするもののはずなんだが」

「私はどうやら欠陥姫らしいからな。そんな必要性を感じない」

「……なるほど、そちらの噂も本当でしたか。あなたのために紅茶を用意していたのですがどうやら無駄になってしまったようですね」

 そう言いながら今度こそ銃を構える。

 私も腰に佩いた二本の大太刀に両手をかける。

「……なるほど、他の基地もすべて同時襲撃ですか。これで私達の国は終わり、と言うわけですか」

「……」

「最後に訊きますが、あなたはこの戦争が終わったら何をしたいんですか?」

「……マスターの命令に従うのみ」

「本当に、あなたは欠陥姫なのですね」

「どういう意味……?」

「自分で考えなさい」

 戦いの火蓋が切られた。


  ◇


 戦いは終わった、らしい。

 あの執事服の戦乙女との戦いから数日が経っていた。

 私は前戦基地併設の寮で朝食をとったあと、何をするでもなくぼんやりとしていた。

 数日前までここは生き残っていた戦乙女たちのやかましい声で満たされていた。それは以前の中央基地と同じ喧騒で、少し居心地が悪いものだった。

 でも今はもう、どれだけ毎日激辛のカレーを食べていてもだれも何も言わないのがなぜか妙に寒々しい。

 食堂を見回しても、戦乙女は私以外に誰もいない。

 がらんとした食堂。

 椅子とテーブルだけが無機質に並び、カウンターの向こうの調理室には数人のドールたちがいたが、彼女らにはグランドオーダーを達成するためのAIが存在しない。

 食事のオーダーを出す者が私以外にいない今、彼女たちは待機状態で静止していることだろう。

 反対の、大きく切り取られた窓の向こうを見やる。

 まぶしい、日差しが降り注いでいた。

 海の向こう、大きな青空には高々と入道雲がそびえ立ち夏の気配をはっきりと醸し出している。

「そうか、夏なんだな」

 私はそんなことすらも忘れていた。

 気が付けば意識してしまったのだろうか。

 人気がない食堂の中にも、やかましいセミの鳴き声が入り込んでくる。

 この体は体温の調節が効くため、夏の不快感とは無関係だが暑さは感じられる。

 海に行きたいと言ったサマリのことを不意に思い出した。

 基地のすぐそばには港があり、今もドールたちがせわしなく物資の出し入れをしていることだろう。

 彼女が望んだようなことをするにはもう少し遠くの浜まで行く必要がある。

 だがきっと、彼女が生きていても望みはかなわなかっただろう。

 改めて誰もいない食堂を回す。

 なぜだろう、食堂の空虚感が胸のコアキューブクラスタに入り込んできた気がした。

変なところで人間らしさが残っていたものだ。

 誰もいない食堂で、私は一人笑った。

 

   ◇


 はらり、とページを捲る音だけが部屋に漂う。

 ここはエメレットの部屋だ。いや、だった。

 前線基地を離れ、元の所属していた中央基地の第1634643戦乙女寮に戻って来た私だったが、その中でたまたま通りがかったエメレットの使っていた部屋の戸が開いていたのだ。

 彼女の戦死後に部屋を片付ける指示が出たのかもしれなかった。

 初めて入るエメレットの部屋はスリープモードに入るためのベッドの上すら本で埋め尽くされていた。

 天井近くまである無数の本棚と、まるで獣道の様にベッドまで続く細いスペース以外は床も本しかなく、私の部屋の無機質さとは対照的過ぎて視線が何度も部屋を往復してしまう。

 気が付けば私はエメレットのベッドに腰かけ、近くにあった本を一冊手に取っていた。

 日が暮れるまで私は本を読み続けた。

 こんなこと、初めてだった。

 今まで本になんて興味を持ったこともなかった。

 私は今まで何を見ていたのだろうか。


   ◇


 私は舗装された道を歩いていた。

 片手には小さな花束。

 白い石の道を歩いていくと、やがて四角く区切られた空間へ出る。

 等間隔に小さな縦に長い石碑が並ぶ空間。

 戦乙女たちの墓地だ。

 私達戦乙女は肉体が壊れたとしても修復は可能だが、コアキューブクラスタは一度壊れてしまえば再現は不可能なので、破壊はそれすなわち死と同義だ。

 死後はこの墓に壊れたコアキューブクラスタのみを埋葬され、生き残った戦乙女たちが人間と同じように死者を悼むために訪れる。

 私がこの墓地に訪れるのは生まれてから初めてのことだ。

「やぁ、ルナルガ。結局私はまだ、生きているよ」

 他の石碑と全く同じデザインのそれに迷うことなくたどり着き、しゃがんで花を供える。

「今更だが、ずいぶん多くの仲間たちが死んだようだ。さっき、エメレットとサマリの墓にも行ってきたよ。ここ300年ずっと一緒にいたから、何か変な感じだ」

 墓標は何も返してくることはない。

 遠くで天を目指すように伸びた基地群の間を抜ける風の音だけが聞こえていた。

 私の他に墓参りに来ている者の姿もない様だ。

 いや、もはやこのコロニーに存在する戦乙女は自分だけなのかもしれない。

「こんな時、人間ならどんな顔をするんだろうな。私にはわからないよ」

 サマリ、エメレット、ルナルガとはこの300年ずっとチームを組んでやってきた。

 戦局が終盤に向かい始め、ここ数年は不足した戦力を補うためバラバラに活動することが多かった。私以外の3人が戦死したのも別々の行動をとっていた時だった。

 サマリがルナルガと一緒に戦場にいれば何とか説き伏せて撤退させただろう。

 エメレットは慎重な奴だった。彼女がいればサマリをあんな絶望的な戦場に送り出さなかっただろう。

 ルナルガが一緒だったならばエメレットはその戦闘力を信じて撤退できたかもしれない。

「……私では、ダメだったんだ」

 仲間たちを助けられなかった。

 その事実が今更になってコアキューブクラスタに重くのしかかる。

 どうやら欠陥だらけの自分にも、心と言うものがあったようだ。


   ◇


「やぁ、待っていたよ」

 寮に戻った私を迎えたのは意外な人物だった。

「お前は……」

「お前じゃない。リンディだ」

 そう言って椅子の上で足を組み、紅茶が入ったティーカップを傾けるのは執事服を身に纏った戦乙女、あの日戦場で戦った敵国の戦乙女だった。

「どうしてここに」

「大して興味もないくせによく聞くじゃないか」

「本心だ」

「……ふぅん? これは驚いたなどうやら本当の様だ」

 最初こそ訝しんだ視線を送って来たリンディだったが、私が本気で言っているのに気が付いて少し目を見開いた。

「別に大した話じゃない。君は私の体は壊したがコアキューブクラスタまでは壊さなかった、だからここにいる。そのことには感謝しているよ。またこうして紅茶を楽しめるからね」

「別に、鹵獲が可能だったらそうしろと言うオーダーがあったからそうしたまでだ。廃棄する前に戦争も終結したしな」

 そう言いながら、リンディの目の前の席に座る。

 目の前に湯気の立つティーカップを出される。

 視線だけを向ければ飲めと言うことらしい。

 琥珀色の液体の香りを一度吸い込んでから、喉に流し込む。

「……まずいな。抽出に失敗したんじゃないか?」

「ほう、詳しいんだな」

「……適当に言っただけだ」

 エメレットの部屋で読んだ本にそんな内容の本があっただけだ。

「紅茶の道は奥が深い。どれだけ淹れても先が見えないよ」

「それはどうでもいい。どうしてここにいるか答えてもらおう」

 腰から愛刀を引き抜き首筋に突きつける。

「そう焦るなよ。また蒸らしに失敗する……いや分かった。単純に戦争が終結したからだ」

「……どういう意味だ?」

「本当に君は何も知らないんだな」

 再び紅茶を淹れる手を止めて、リンディがため息をつく。

「我々のマスターオーダーはお互いの国を倒せと言うものだった。それは間違いないだろう?」

 その言葉に私は頷く。

 私達の制作者が組み込んだグランドオーダーの次に優先度の高いオーダーがマスターオーダーだ。これは私たちの制作者が譲った相手が設定できるオーダーで実質的なマスターの指示に等しい。

 私達戦乙女は配置された国軍の司令官からのマスターオーダーでお互いの国の戦乙女やドール、無人兵器群と戦ってきたのだ。

「で、その1000年続く戦争はこの前終わったわけだが……私たちにそのマスターオーダーを下したマスターはとっくに死んでたってわけさ」

「な、ん?」

 今この似非執事は何と言った?

 私の頭を100ミリ砲がぶち当たったかのような衝撃が襲う。

「考えても見ろ、人間の寿命はせいぜい150年だ。1000年も生きてるはずないだろ。結局残ったのは最優先事項のグランドオーダーだけ。要するに相手の国を倒した後はもう何もすることがないってわけ」

「そんなバカな話あるはずが……マスター権限は移譲できるはずだろう!?」

「大きな声を出すなよ。マスターたちは私たちを前線に配置して、安全な国内中央で生活してただろ? そこで何かあったみたいだよ。確実なのは600年以上前に人間はもう滅んでたって事実だけ」

「そ、そんな」

 それじゃ一体私たちはどうして戦っていたのだろう。

「オーダーだからだろ?」

 そう言って目の前の執事は再び優雅にカップを傾けた。


   ◇


 太い機械音が暗い空間に響いている。

 足元からは微かな振動が感じられた。

 狭いエレベーターの中、私は壁に背中を預けて目を閉じていた。

 リンディの言葉を信じきれなかった私は、その足でここへ来た。

 チン、と音を立ててエレベーターが止まる。

 真正面に見えるのは球体の建造物。

 周囲の壁から無数のケーブルや柱が伸びており、半ば空中に浮かんでいるようにも見える。上へと視線を向ければずっと高いところまで吹き抜けの空間が続いている。

 私は球体に続く一本道を歩き出した。

「「リコル様、本日はどのようなご用件でしょうか」」

 二人の戦乙女が球体の入り口に立ちふさがっており、同時に訊ねてきた。

 ここの護衛だろう。

 何しろここにいるのは私達戦乙女やドールを統括してきたマザーなのだから。

 ここから全戦乙女たちにミッションオーダーが下され、私達は各戦場へと向かっていたのだ。

「マザーに直接話したいことがある。そこをどいてもらおう」

「「お断りいたします。マザーはどなたともお会いしません」」

 二体の戦乙女は一見してちぐはぐな印象を受けた。

 きらびやかな和服を着ているのに、それぞれ金髪と銀髪を床近くまで伸ばし三つ編みにしている。その上和服はきちんと着こなしておらず、着崩れ豊満な胸元があらわになっていた。両手も足も長い袖に隠れ歩くのすらも難しそうに見える。

「だとしても私は会わねばならん」

「「ではあなたをここで解体します」」

「やはりそうなるか」

 二体の和人形が袖から両手にチェーンソーを取り出す。

 広々とした空間に刃が回転する獰猛なエンジン音が響き渡る。

『待つのです』

 しかしエンジン音よりもはっきりと、頭に声が聞こえる。

「「マザー」」

 和人形が口をそろえて呟く。

『彼女をこちらへ入れるのです。あなたたちでは歯が立たないのです』

「「……かしこまりました」」

 人形じみた二人だったが、最後のセリフは不承不承と言うのがはっきりと分かった。

 私は足早に二人の間を抜けた。

 球体の構造物の中へ足を踏み入れると半球状の空間に出る。

 円形の床の真ん中には無数のコードが伸び、その中央に巨大な立方体――コアキューブクラスタが浮かんでゆっくりと回転していた。

『ようこそです。リコル。今日はどのような要件です?』

「しらじらしい。お前は私の事も見ていたはずだ。わかっているだろう」

 マザーの無機質な声にいら立ちを隠さず言う。

『私が無意味なミッションオーダーを出し続けた理由ですね?』

「そうだ」

『それが亡き製作者……グランドマスターから私達のみに託されたシークレットオーダーだからです』

「シークレットオーダーだと? 聞いたことがないぞ!」

『その名の通り各地のマザーにのみ託されたミッションだからです』

「内容は!」

『本来は開示してはならない事になっているです。ですがすでにこのシークレットオーダーは達成されたため開示が可能となっているです』

 開示してはならなかった、と言う割にマザーの口調はずっと言いたくて仕方なかったように聞こえた。そのことに若干の違和感を覚えた私だったが、続く言葉はそんなことは忘れさせた。

『世界の平和を作ること。それが私達マザーに下されたシークレットオーダー』

「世界、平和?」

『そうです。故に726年前私達マザーは合意の元、人類を誘導し631年前目的を達成しました』

「達成?」

『それぞれの国に宇宙から質量兵器を投下し、人類の99.8%を死滅させたのです』

「な、んで……」

「それがシークレットオーダーの達成に必要だと我々が判断したのです」

「では本当に、人間はもう、いないというのか……」

『いいえ、人類は今も存在するです』

「……どういうことだ?」

『この600年、人類の姿を確認はしていないです。質量兵器投下の影響で、前線以外は電磁的に隔絶されてしまっているため中の確認は出来ていません。しかし我々マザーの計算上では少数ながら人類は生き延び、後1284年の後再びかつてと同レベルの文明を築くと試算しているです』

「……」

 私は言葉が出なかった。

 私達が人間を滅ぼしてしまったことにではない。

 それほどまでに追い込まれながらもあと1284年もすれば元の文明を取り戻すだと?

 人とは、それほどまでに強い生き物なのか。

 私は胸のコアキューブクラスタから今までにない何かが溢れ出るのを感じた。

『どこへ行くのです? リコル』

 気が付けば私の足は歩き出していた。

 呼び止めたマザーを振り返りもせず答える。

「決まっている、探しに行く」

『……あなたも自分のやりたいことを見つけたのですね』

 最後の言葉だけは、機械的ながらも私たちの母親の様に響いた。


   ◇


「本当に行くのかい?」

 執事服のリンディが訊ねてくる。

「もちろん行くさ」

 高層ビルくらいの高さがあるコンクリのゲートを前にして、私は大きな荷物を背負って答えた。

「本当に見つかるかどうかもわからないのに?」

「それでも、だ」

「……はぁ、分かったよ。ここから先のエリアは今もなお電磁的に隔絶された空間だ。600年前の戦いでそうなったらしいとは聞いてるけど……その辺はリコルの方が詳しいか」

「ああ。マザーからデータを貰っている」

「それじゃ、行ってくる」

「気を付けて」

 手を振るリゼットに目だけで答えながら、分厚いコンクリのゲートが開いたのを見て歩き出す。

 一面の荒野だった。

 草木もろくに生えていないような地平を歩き始めた。

 今更になって、人間に興味を持つことになるとは自分でも不思議だった。

「ねぇ、あなたはこの戦争が終わったら何がしたいの?」

 そう問うてきたサマリのことを不意に思い出す。

 あの時私は何も言えなかった。

 何も知らなかった。

 今もきっと、ほとんど何も知らないのだろう。

 だが、今600年誰も足を踏み入れていない場所を歩いていることに胸のコアキューブクラスタが震えているのは分かる。

 ここで何かが見つけられればいい、そう思う。

 生き物のいない荒野だと思っていたが、よく見れば生物の姿はある。

 水の少ない土地でも生きられる草花。

 蜥蜴の亜種だろうか、口から火を吐いている。

 空には4枚の翼を持った鳥の姿もある。

 遠くの岩山には二本足で歩行する哺乳類の姿もあった。

 ふと、その生物が気になって視覚を強化して拡大する。

 輪郭が人間に似ているように見えたからだ。

 それは二本足で立ち、手には石を砕いて作ったのであろう木の柄の槍を持っていた。体には他の動物の皮をはいで作ったのだろうか、寒さをしのぐための毛皮を纏っているようだ。長い髪の下からはぎょろりとした眼が覗いている。

「ウホッウホ」

 哺乳類の口が動くのを感知して、音声として再生する。

 どうやらこちらには気が付かなかったようで、そのまま背後の岩山の洞窟へと入って行った。

「本当に、ここにはデータにない新しい生物がたくさんいるのだな」

 私は初めて見る世界に驚きながら隔離エリアの奥へと向かっていった。

 見つけるべきは人間。

 私達戦乙女は人間の代替物として作られた。

 私達のオリジナル。

 探すことが、私が私に下したオーダー――マイオーダーだ。

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