まだまだラスプーチン

増田朋美

まだまだラスプーチン

まだまだラスプーチン

道子は、その日、病院での勤務を終えると、なぜか寺に行きたくなってしまった。寺というか、そういう宗教的なものに触れたいと心から思ったのだ。何でもいいから、人間を超越した人たちのところにいきたい。と、言うのは、今日、病院の中で、最悪の事態が起きてしまったからである。


「先生は、嘘をつかれましたね。」

患者さんの奥さんが、道子にそう詰め寄ってきた。

「先生は、主人には、二週間程度で退院できるって、そう仰っていました。でも、現実問題、主人は、よくなるどころか、もう二度と帰ってこなくなってしまったではありませんか!」

道子だって、こうなるとは予測できなかった。ただ、入院してきたときは、彼は唯何処にでもいる一般的な患者さんだと思っていた。それなのに、いくら薬を投与しても、患者さんを回復させることはできなかったのだ。

正直、どういっていいのかわからないけれど、道子は、患者さんの家族にこういっておく。

「私たちも、最善の手は尽くしました。どうして、彼がああなったかは、私もわかりません。でも、私たちは、決して怠けたり手を抜いたりという事は決してありません。」

「医者はみんな、そういうことを言うんでしょうけど。」

と、奥さんは言った。

「私たちにとって、家族を予想もしないのになくすというのはどういうことなのか、もうちょっと、考え直してもらいたいものですわ。私たちは、主人にもっともっと生きていてもらいたかった。あなたたちは、ただの患者としか見ていないんでしょうけど、私たちにとっては、大事な主人であることを忘れないでください!」

そう言われてしまえば、もう、勝ち目はない。道子は、今回に関しては、もうだめだと思った。でも、自分は手を抜いたわけではない。それだけは、どうしても伝えたかったけれど、奥さんは、道子たちが、治療の手を抜いたからだと言い張り続けた。その日は、耳がちぎれそうになるほど、奥さんの話を聞き続けた。看護師が、もう病院が閉まるので帰ってくれというまで、奥さんは、説教を続けていた。

その説教が終わって、道子は何となく、製鉄所に行きたくなってしまったのである。よくわからないけれど、そんなことを考えてしまった。道子は、病院を出た後、いつも歩いて帰る道ではなく、今日はタクシーを呼ぶため、別の道をとった。

「えーと、どちらへ行かれますかな。」

のんびりとした口調で運転手に尋ねられて、道子は、大渕の製鉄所にお願いします、とお願いした。はい、わかりました、と運転手は、にこやかに言って、のんびりと車を走らせてくれた。その走り方がのんびりしていて、一寸イライラしてしまうほどだった。

「えーと、こちらでございますね。製鉄所というよりも、支援施設みたいなところですな。あなたも、もしかしたら、そこへご用がおありという事は、なにか訳があるんですかな。」

世間話のつもりで運転手はそう言っているのだが、道子はそれが癪に障った。

「まあ、どこでも支援施設ってのは、よさそうな顔をしている人は少ないですけどね。此間の、戸塚ヨットスクールみたいに、悪質な施設もありますからなあ。まあ、幸い、ここの施設は、そういうことは、なさそうですけどね。」

そんなことをいう運転手に道子は、

「そんな悪質な施設と、一緒にしないでくださいよ。あんな所と、こちらの施設は、比べ物になりません!」

と、強気で言った。

「はい、そうですか。別に悪戯で言ったわけではないんですけどね、、、。」

ぼそりという運転手。

「もうよろしいわ。製鉄所の正門前でおろしてください。」

「わかりました。」

運転手は、道子に言われる通り、しずかにタクシーを正門前で止めた。道子は黙って、タクシーにお金を払うと、製鉄所へ突進した。

ガラガラガラ、と製鉄所の玄関の引き戸を開けると、杉ちゃんが玄関先にいた。

「あら杉ちゃん。こんばんは。あの、お願いなんだけど、水穂さんに会わせてもらえないかしら。」

何か目的があるわけじゃないけど、道子はそう言ってしまう。

「なんだよ、グレゴリー・ラスプーチンに用はありませんがね。」

杉ちゃんが、一寸からかうように言うと、

「その歴史の悪役と一緒にしないで頂戴。それよりも、水穂さんに会わせてほしいの。あたしは、そういう歴史的な悪役のような、性格の悪い女じゃありませんから。」

と道子は、ちょっとおどけて言ってみた。

「そうかなあ。無意味な薬を出して、水穂さんにさんざんお節介を焼いて、大して変わらないと思うけどねえ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑う。

「とにかく、水穂さんに会わせてよ。あたし、一寸水穂さんと話をしたいのよ。」

「ダメ。お前さんが、余計なことするから、水穂さんもかえって良くなる妨げになるよ。どうせまた、新薬の実験とか言って、来たんでしょ。そういうことは、困りますからね。さっさと帰った、帰った。」

そういう杉ちゃんの態度を見て、道子は、一寸溜息をついた。

「どうしてわかってくれないものなのかしらねエ。あたしは、ただ、水穂さんにちょっと話したいことがあるだけなの。杉ちゃん、ちょっとだけで良いわ、入らせて頂戴よ。」

道子は杉三にさらに尋ねた。

「じゃあ、水穂さんは、何をしているのよ。昼寝でもしているの?それとも、食事でも?それにしては、もう遅い時間なんじゃないの?」

「まあ、そうですねえ。どちらでもありませんよ。水穂さんは今天童先生と一緒です。何をしているかは、ご想像に任せるわ。」

と、杉ちゃんは、変な答えを出した。ご想像に任せるって、まさか、変なことでもしているのだろうか?天童先生とは、どんな人物なのだろう?

「まさか、、、。」

と道子は言いかけたが、その一言と同時に、奥の方で激しく咳き込む音が聞こえて来た。あ、これは間違いなく水穂さんの声!という事はつまり、と、いきり立った道子は、

「ちょっと杉ちゃん、そこどいて!」

と、急いで、靴を脱ぎ、製鉄所に飛び込んでいった。急いで走って行って、四畳半へ直行する。道子が四畳半へ行って、ふすまを開けると、水穂さんが激しく咳き込んでいて、隣で天童先生がそばについて、水穂さんの背中をさすっているのだった。その時には、大丈夫よ。ゆっくりね、ゆっくり吐き出して、なんて、天童先生が、優しく声をかけているのが、なんだか、うるさいというか、意味のないことをしているようで、じれったい気がした。水穂さんは咳き込んでいるが、道子が連想する出るべきものは出ない。

「すぐに、止血剤の投与をして!それから、喀痰吸引機があるなら用意して、早く!」

道子は、枕元に、杉ちゃんが痰取り機と言っている、喀痰吸引機があるかどうか、急いで確かめたが、それらしいものはどこにもなかった。こんなに危ないときにどうして痰取り機がないのか、不思議というより、怒りが生じてしまうほどであった。それなら、と思い、枕元にある、止血薬を吸い飲みの中に入れ、隣にあったペットボトルの水で溶かし、

「これ飲んで!これ!」

と、水穂さんの口もとへそれをもっていき、中身を無理やり流し込んだ。これで、とまってくれるかな、と思ったが、どうしてなのだろう。咳き込むのは止まらなかった。

「あれ、おかしいじゃない。どうして、とまらないんだろう。だって、止血薬は飲ませたはずなのにな。」

と、道子がそういうことを言うと、天童先生が、水穂さんの背中を軽くたたいた。そうすると、水穂さんは、さらに激しく咳き込む。天童先生は、

「よしよし、うまくいった。」

と言って、水穂さんの口元にタオルをあてがうと、道子も予想していた出すべきものが勢いよく出てきた。つまり、鮮血である。

「良かった良かった。無事に吐き出してくれてよかったわ。じゃあ、水穂さん、少し休む?苦しかったので、大変だったでしょう?」

天童先生は、優しく言って、水穂さんを布団に寝かせ、掛布団をかけてやった。

「一体こんなことをして、そんなに時間をかける暇があったら、すぐに喀痰吸引機で取ってやるべきなのに。」

道子がそういうことを言うと、杉ちゃんが、頭をふきふき四畳半にやってきた。

「どう?やったか?」

「ええ、うまくいったわよ。杉ちゃん。無事に吐き出してくれたから、もう大丈夫よ。しばらく疲れて休めば、大丈夫よ。また、何かあったら何時でも呼び出してね。」

と、天童先生は、にこやかに言った。その横で道子は、何があったのか、おどろいている。

「一体何をしたのよ。こういう時は、すぐに止血剤を投与するのが当たり前でしょ。」

道子がそう、天童先生に反発すると、

「まあねえ、それがいつでもあるような環境ならいいのだが、そうでもないこともあるんだよ。だから、薬よりも、こういう先生に頼んだ方がいいってわけよね。」

と、杉ちゃんが説明した。

「何を言っているの。杉ちゃん。こういうときは、すぐに、薬を投与して、止血するのが一番早いのよ。それをしなかったら、気道を血液がふさいで、窒息してしまう可能性があるわ。それをいつまでも、放置しておくなんて、ちょっといけないというか、可哀そうなことよ!」

道子が急いで医者らしいせりふを言うと、

「いいえ、何もしてないわけじゃないよ。天童先生は、水穂さんに氣を流して、楽になるようにしてあげたんだよ。結果として、出すもんを出すことができたんじゃないかあ。」

と、杉ちゃんが言った。そして、天童先生に、道子を顎でしめして、説明してやれ、と促した。

「まあ、いわゆる氣功というものでね。時折、こういう風に、体を触って、体に氣を流して、結果として、体も強くする治療なんですよ。」

と、天童先生がそう説明した。その治療という言葉に、道子は、一寸イラついた顔をする。

「治療って、病気を治療するというのなら、体の症状を止めて、出来るだけ健康な体に近づけてやる、という事じゃないかしら。つまり、症状が出ている体を楽にすることよ。」

道子が天童先生に言うと、

「ええ、同じことですよ。体を楽にして、結果として、詰まったものは吐き出せるようにしてあげたわ。それができるなら、同じことなんじゃないかしら。」

と、天童先生が、そう答えた。

「嫌ねえ、本当の治療というのは、病気の根本となる所を、切除したり、薬で元通りにしてあげたりして、健康な状態に近づけてあげる事を言うのよ。あなたたちのしていることは、ただ、一時的に患者をいい気持ちにして、自分がそれを成し遂げたといい気持ちになっているだけじゃないの。それに、高額な治療費をかけるのも、おかしな話よね。そういう事で、病気の人からお金をだまし取っているのも、知らないのかしら。」

道子は、天童先生に、今までの怒りをぶつけた。

「今さっき、気を流しているといったわね。それは、医学的に言ったら、あり得ない話だわ。もし、水穂さんが、吐き出すのが遅かったら、本当に窒息してしまう所だったじゃない。そういう風に、何でもできるように宣伝して、もし、だめになったら想定外とか、そういう風にしか見ないで、困っている人を捨ててしまうじゃないの。そういう悪質な、ヒーリングとか、そういうのは、あたしは大嫌いなのよ!医学的な根拠は何もないじゃないの!全く、そういうのに騙されるなんて!」

「いや、それはどうかなあ。」

と、杉ちゃんが言った。

「それは、お前さんたち医者がずっとしてきたことじゃないのかよ。患者さんにこういう可能性もある、ああいう可能性もあるって、宣伝しまくって、そっちが、できなくなると、すぐに放り投げるように捨てちまう。そういう訳で、天童先生のような人が必要になるじゃないか。まあ、医者何て、偉ぶっててさ、何でもできるようにしちゃうけどさ、本当は、患者さんと接するの、一番嫌がっているのはそっちじゃないの?」

「だけどあたしたちは、薬を使って、症状を止めることができて、病気の根本を解決することができるわ。あなたたちがやっていることは、ただ、症状を一時的に止めるだけ!根本的な事はやってない。そういう事じゃない!」

と、道子がでかい声でそういうと、杉ちゃんは、

「でもよ。医学的に言ったら、異常はないのに、変な症状を出す奴はいっぱいいるよ。」

と言って、杉三はからからと笑った。

「そういう事に対してはどうするんですかね。」

道子は、そういわれると、答えが出なくなってしまった。

「それだって、薬で何とかできる事だってできるはずよ。あたしは、ずっとそれでやってきたんですから。」

とりあえずそれだけそういうことを言う。

「でもねえ。どんな世界にも体を病んでいない人はいないよ。完璧に、健康な人なんていないと思う。それができたっら、医者はおしまいだ。そう思わんか?とりあえず、水穂さんの今日の事は、天童先生が何とかしてくれたんだからよ。それでいいと思わんか。お前さんの出番は、また違うときにあると思うよ。」

杉三は、そういうのだが、道子は、どうしてもそういう事を理解することができなかった。氣功と言えば東洋医学だ。どういう訳か東洋医学と西洋医学は、敵対するようになってしまっているらしい。どちらも、一長一短ある。短所ももちろんあるが、長所もある。それぞれの、良い所を生かして、認めあっていければいいのになと思うのであるが、そういうことはなかなかできないようである。

「ほらよ、水穂さんは、しずかに眠っている。それを提供してあげるのが、医学ってもんじゃないのか。もう喧嘩はおしまいにしないか。いつまでも喧嘩してたら、水穂さんも眠れなくなっちまうぞ。」

と、杉ちゃんが黙っている二人の話をまとめた。杉ちゃんという人は、こういう時は、話をまとめるのがうまかった。なぜか知らないけど、そういう能力がある。

「そうね、杉ちゃん。あたしもそういうことを、気を付けていこうかな。」

道子は、ふうとため息をついた。

「あたしたちは、道子先生の事を否定はしませんよ。ただ、補助的なものとして、考えなさるといいわ。」

天童先生は、そういうことを言っている。そこは亀の甲より年の功で、道子のセリフのようなものは、慣れているらしい。

その間にも、水穂さんは、静かに眠っていた。道子も、それを提供してあげられるのが、医療者なんだよな、という事は分かったが、それでも、もう一つ疑問は残る。

「其れならどうして、私ではなくて、天童先生を頼ったのかしら。ああいう症状を出した場合は、東洋医学というものは、ほとんど役には立たないわよ。それだったら、私が何とかしてあげられたはずなのに。」

「まあねエ、水穂さんの場合、もういくらたたいても解決できないからね。医学にもできない事はいくらでもあるんじゃないの。」

と、杉ちゃんが即答した。

「できないって、天童先生がしてあげられないことを、あたしが、してあげられることだってできるかもしれないじゃないの。これではまるで、水穂さんが悪くなる一方じゃないの。」

「でも仕方ないだろ。お前さんだって、あるんじゃないの?患者さんの様子が急におかしくなって、そのまま簡単に逝っちゃうっての。」

杉ちゃんがそういうと、天童先生もこういうことをいう。

「そうね。たしかに、医学にもできない事は、あたしだっていくらでもあると思うわ。それに、杉ちゃんが言ったようなことは、あたしも、経験しているから、おなじようなものよ。」

道子はちょっと面食らった。

「そういう事は、寺にでも行って聞いてみたほうが、いいかもよ。それを解決してくれるのが、宗教ってもんじゃないかなあ。」

杉ちゃんがそういうことをいう。道子は今まで宗教なるものを、ほとんど知らなかったが、ここで初めて、お寺に行って聞いてみようという気になったのであった。


そういう訳で、道子は、その日、寺に行ってみたい、と思ったのだった。杉ちゃんと天童先生に丁寧に礼を言って、水穂さんに、お大事にしてくれとそっといい、製鉄所を出ていく。もう外は真っ暗になってしまったので、遠方にある寺にはいけない。製鉄所から、数百メートル弱歩いたところに、小さな寺があった。近隣の大寺院である、大石寺の支社のような小さな寺院だったが、道子は寺の境内に入ってみる。

寺には、小さな本堂があって、その近くに小さなお地蔵様が安置されていた。お地蔵さまって子供の神様なんだよな。時には、子どもさんのお墓にお地蔵様が設置されていたこともある。寺の本堂はもう遅い時間なので、閉まってしまっていた。本当は、本尊さんの顔を眺めて、もうちょっと気持ちを落ち着けたいと思っていた道子だが、それは出来なかった。

「何か、あったのですか?」

いきなり、本堂の近くの扉ががちゃんと開いて、このお寺の住職さんである女性、つまり尼僧さんが、道子にそう聞いた。

「こういうところに来る方は、みんな悩み事が有って、来るものですから。でも、それだけ真剣に生きていらっしゃるという事だと思うので、私は否定はしませんよ。」

優しい口調でそういう庵主様に、道子は、今日病院であったことや、製鉄所でのけ者にされてしまった事などを話した。

「そうですか。それは大変でしたね。人間、出来ることは、助け合うこと。これだけなのですよ。」

と、庵主様は道子の話にそういうことを言った。

「助け合う事ですか?」

「そうですよ。医療もどんどん進歩していますけど、本来の目的はそのためにあるんだってことを、忘れないでくださいね。」

にこやかに言う、庵主様は、道子の思っていることをすべてお見通しのように、そっと微笑んでくれた。

「そうか、、、。」

道子は、何だかそれを聞いてちょっとため息をつく。

助け合う事だけか。そういう事なのか。

「だから、あなたも、困っている人を助けているんだという気持ちを忘れないで、やってくださいね。そして、自分がやったんだという事を、おごらないで、謙虚な気持ちで生きて行ってくださいね。」

と、庵主様は優しく言った。

「そうですね。」

道子も、そうにこやかにいい返した。そして、お互い笑い会うと、なぜか今までのわだかまりがとれて、ほっとしたような気がしたのであった。

「今日は本当にありがとうございました。勝手に敷地内にはいってしまってすみません。」

道子は庵主様にお礼を言って、前むきに寺を後にした。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まだまだラスプーチン 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る