第3話 両建て
当面の資金を確保できた直樹は、まずはラタの塩について確認することにした。
調査のため仲買人のサイリスの店に来ている。
そこで調べてわかったのは、ラタで一日に取引される塩の量は100キログラムから300キログラム。
これは行商人が一度に運搬してくるのが100キログラム単位だからだという。
塩を運ぶ行商人の到着した数で上下するようだ。
1か月が30日なのでおおよそ毎月5トンが取引されているという。
昨日市場に流した1トンという量は7日分に相当する。
しかも、今は流通量が減っているので、半月分にも相当するのだ。
次に塩の価格だが、これは通常1キロあたり1万リル。
リルはこの国で使用されている通貨である。
現在はそれが3倍の1キロあたり3万リルでの取引となっている。
なお、それは先物の価格であり、現物はさらに高額な35,600リルとなっている。
先物の利益とは現物との乖離である。
この乖離をさやと言う。
このまま受渡日を迎えると、先物を買っている商人は16%安い価格で塩を購入できるのだ。
逆に売っている方はその分損をする。
現代の日経平均先物ではアービトラージ業者がおり、現物と先物の乖離があると直ぐにさや埋めをするので、理論上は金利分しかさやが生まれない。
日経平均採用銘柄の取引が成立しない状況であれば、話は変わってくるが。
「なあ、サイリス」
「なんだ」
「どうして塩の流通量が減ったんだろうな。製塩に支障が出ているわけじゃないんだろう」
「ああ。そんな話は聞かないぞ。多分ラタに来る前に、他の街で塩を買い占めているんじゃないかな。市場外で取引したら大問題だからな」
「でも、個人では少量を商店で購入するんだろ」
「それは販売許可のある商店だぞ。大量にそこで購入するのは無理だよ」
「つまり、他所の街でも塩の価格は上がっているのか」
「ここほどじゃないだろうけどな。行商人がここまで運ぶリスクを考えたら、他の街で売った方がいいって言っていたからな」
「そうか」
この時直樹の頭にあったのは江戸時代の相場である。
当時は江戸と大阪で米の価格が違っていたのである。
それは輸送網が現代ほど発展していたわけではないので、どうしても近いほうの市場に米が流れた。
さらには情報網も未発達で価格の情報を伝えるのに時間がかかったのである。
紀伊国屋文左衛門などは、独自の情報網を整備していたと言われるが、それは一般的ではない。
なので関東で不作でも、関西で豊作であれば当然価格は変わる。
ここイーガン領でもそれは一緒だ。
「つまり、買い方は他の街でも資金を使っているわけだ」
買い方というのは商品が値上がるほうに賭けて、買いポジションを持っている投資家のことをいう。
逆は売り方といい、値下がりに賭けている投資家だ。
「ところで買い本尊はわかったのか?」
「多分ガムランだろうって噂だ。この街じゃ逆らう奴なんていないほどの豪商だぜ。あいつなら他の街で塩を買うのだってできる資金があるだろう」
本尊とは買い方や売り方のボスである。
仕手筋ではこの本尊がストーリーを描き、価格を上下させるのだ。
「ガムランの資金量ってどんなもんだろうな」
「手広く商売をしているから、30億リルとも40億リルとも言われているぜ」
「他の買い方はどうなんだ?」
「ガムランの子飼いの商人達と仲買人だな。奴等も相当買い込んでいると思うぜ。資金量は大したことないけどな」
「なるほど。じゃあ反対に売り方はどうなんだ?」
「この街でガムランに向かい玉建てられるやつなんていないよ」
「じゃあ俺くらいか」
「ああ」
向かい玉とは相手と反対の建玉を持つことである。
「つまり、売り崩せれば俺がこの街の金を独り占めってわけだ」
「そんなことができるのかよ」
直樹の言葉にサイリスは驚く。
「昨日提灯をつけるっていったのは誰だよ」
「言ったけどよ。本当にそんなことが可能なのか?」
「ああ。できれば買い方にはもっと買い上がってもらいたいところだな。先物の売りを目立つように積み増しできるか?」
「いいけど、大丈夫なのか?追証くらって受渡日前に建玉の強制決済になるなよ」
「サイリスがそう心配するってことは、相手もそうしてくるってことだろう。それが狙いさ。現物も先物ももっと買い上がってもらう」
「現物は大丈夫だろうけど、先物まで買い上がるのか?今のままでも相手は十分に利益が出るだろう」
「それについてはあてがあるから心配するなって」
心配そうなサイリスをよそに、直樹は涼しい顔である。
この時すでに相手に先物も買わせる算段がついていたのだ。
「じゃあ、俺はアウル家の屋敷に戻る。ここに500キログラムの塩を置いておいたから、また売っといてくれ」
「あれ、いつの間に」
サイリスの店先には、ネットで購入した食塩が積み上がっていた。
サイリスがあっけにとられているうちに、直樹はアウル家の屋敷に向かっていた。
屋敷に帰るとニーナが直樹を待っていた。
「裏切り者がわかりました」
「早かったな」
「ええ。昨日の食塩の入荷についてやたらと聞いてくる者がいたので、ナオキ様が母国から持ってきたと教えてやると、仕事を抜け出してガムランの屋敷に向かいましたので」
「尾行したのか」
「はい」
「ばれてないだろうな」
「大丈夫かと思います」
「よし、じゃあ、そいつに持ってきた塩はもう殆どないが、これで値崩れするだろうから先物を売り増しすると情報を流してやれ」
「よろしいのですか?」
「ああ。ガムラン達にはもっと値を吊り上げてもらわないとな」
そういうと直樹はにやりと笑った。
それを見たニーナは、まるで氷のような冷たさを感じたのである。
逆らうわけにはいかない。
本能がそう語り掛けた。
ニーナは早速裏切り者に直樹に言われた情報を流す。
裏切り者はこの屋敷で長年働いているムーノであった。
ムーノは博打が大好きで、給金の殆どを博打につぎ込んでいた。
ただ、彼には博打の才能がなく、常に大負けの状態で借金に苦しんでいたのである。
それに目をつけたガムランが、アウル家の事情を探る手ごまとして、借金の肩代わりを条件にスパイとしてつかっていたのだ。
ニーナにしてみれば主人の仇であり、さらには自分もまきこまれた襲撃事件の情報提供者であるので、直ぐにでもヘレンやヘレナに申し出たいところであったが、それでは完全な復讐にならないと直樹に言われて思いとどまっていたのである。
今もムーノの顔を見るたびに殺してやりたいという思いが湧き上がってくるのだが、それを実行に移すのを必死に止めているのだ。
「ムーノ、あなたも次の就職先を探しておきなさい」
「そりゃどういうことだよ、ニーナ」
「ナオキ様が持ち込んだ塩もあと少しで終わりよ。ナオキ様はこれで値崩れするはずだって言って、先物を売り増しするみたいだけど、そんなに簡単に値崩れするはずないでしょ。それに、証拠金も心もとないわ。先物がもう少し上がったら追証を差し入れできずに飛んじゃうわよ」
「なんだよ。俺はてっきりもっとすげー資産を持っている商人だと思っていたんだがな」
「そんな商人が一人でこんなところにいるわけないでしょ」
「それもそうか」
「さてと、喋り過ぎたわね。仕事に戻らないと奥様に叱られてしまうわ」
「ちげえねえ」
ニーナはそこまででムーノとの会話を止めた。
ムーノはニーナがいなくなったのを確認して、そっと屋敷から抜け出してガムランの屋敷へと向かう。
直樹はそれを見て、再び氷のような笑みを浮かべた。
「さて、このエサにどれだけ食いついてくれるかな」
遠くなっていくムーノの背中を見ながら直樹はひとりごちる。
一方、ムーノが到着したガムランの屋敷では、主人であるガムランがムーノからの報告を受けていた。
「なに、それは本当か」
「はい。侍女のニーナが言っておりましたので間違いないでしょう」
「ならば、その異国の男も破産させて、奴の持っている塩の仕入れルートを奪うとするか。よくやった」
ガムランはムーノの報告を聞き、顔をほころばせる。
それを見たムーノは、自分の持ってきた情報が有用であることを確信した。
そして、すかさず金銭の要求をする。
「ありがとうございます。あの、それで情報料の方ですが……」
「ああ、今準備させる」
そういうと、ガムランは一度部屋から退出した。
そして、家令と別室で話をする。
「アウル家が追証を差し入れしたときはどうなるかと思ったが、どうやら追加で美味しい餌がやってきたようだ。アウル家に滞在している商人の素性を調べろ。それと、これからは現物も先物も一層買い上げろ」
「先物も買ってよろしいのですか?」
「ああ。奴らが諦めて買い戻ししてくれたらそれでいい。流石にこれ以上塩の高騰を長引かせると領主のケレン様も対策を打ってくるはずだ。なにせ民の不満が大きいからな。元々わしが貴族の地位とアウル家の母娘を手に入れるために仕掛けた相場だ。もう現物も殆どないのだから、一気に吊り上げて、売り抜けてしまう」
「それでは他の商人達が売り抜けられませんが」
家令は顔を顰めた。
が、ガムランは意に介さない。
「いつまでも抱えている奴が間抜けなんだよ。人為的に吊り上げた価格がずっと高値にいられるわけあるまい」
「左様でございますな」
「それと、ムーノはもう用済みだ。あいつと我々の繋がりがばれる前に消しておけ」
「はっ」
ガムランは勝利はもうそこまで来ていると信じて疑わなかった。
これまでも、一度だって相場で負けたことはなかった男である。
自分が20年以上扱ってきた塩の相場で負けるなどとは露ほども考えてはいない。
今頭の中にあるのは、この相場が終わった後で、ヘレンとヘレナをどうしてやろうかということだけであった。
「儲かって美人の母娘を手篭めに出来るのだから、相場はやめられんな。グフフ」
ガムランの下卑た笑いが室内に響いた。
その夜のアウル家。
「ムーノが戻ってこない?」
「はい」
ニーナはムーノが戻ってこないことを直樹に報告していた。
「考えられるのは十分な報酬をもらってどこかに消えたか、それとも情報漏洩を恐れて消されたかだな」
直樹は前世の記憶からそう考えた。
ニーナも相手が自分たちの馬車を襲ったことから、人の命を奪うことに躊躇しないことは十分理解していたので、直樹の推測にいまさら驚くことはなかった。
「できればこの手で仇を討ちたかったのですが」
「それは残念だったな。せめて生死だけでもわかればな。生きているならどこまでも追いかけてやるんだろう?」
「はい」
ニーナは直樹の言葉に頷いた。
そして直樹の部屋から出ていく。
「まあ、どうせ消されたんだろうけどな」
一人になった部屋で直樹はぽつりと言った。
ムーノからしてみれば、まだ自分がスパイであるということがばれていないので、なにも屋敷から姿を消す必要はないのだ。
それが、姿を見せないというのは、消されている可能性が限りなく高い。
そして、それは直樹の蒔いた偽情報にガムランが食いついたということでもある。
必要な情報が揃ったと判断したからこそ、スパイを切り捨てたのだ。
(さて、徐々に大詰めへの準備ができてきたな)
この後の仕上げを思案していると、ドアがノックされた。
コンコン――
ドアがノックされる音で直樹は思案するのを止めた。
「ヘレンです。入ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
初日に続いて再びヘレンが夜の部屋にやってきた。
「どうしました?」
「あの、建玉が増えたと聞きまして、それを考えたら恐ろしくなって。ナオキ様は怖くはないのですか?破産するような建玉をもって平然としていられるものなのでしょうか」
どうやら、ヘレンは夜伽に来たというわけではなかった。
勿論初日に断られているので、そんなつもりは毛頭なかったのだが。
前回のような男を誘う衣装ではなかったので、直樹もそれは理解できた。
ヘレンは直樹がさらにポジションを増やしたことで、怖くて眠れないようであった。
それも当然と言えば当然である。
ヘレンの夫はそのポジションの大きさに耐えられずに自殺をしてしまったのである。
その時よりも大きなポジションになっているのは、どう考えても平静ではいられない。
ましてや含み損の状態では。
これは投資家ならだれしも通る道だ。
自分の年収の何倍ものポジションをとって、生きるか死ぬかのような勝負をしていれば、神経伝達物質のバランスが崩れてくる。
異常に興奮したり、不安になったりして、正常な判断をできなくなるのだ。
だが、直樹はそんなものは乗り越えてきた。
時には暴力団の資金を借りての仕手戦を行ったり、時には追証で強制執行手前まで追い込まれたりという経験があるので、いまさらこの程度の金額では取り乱すようなことはない。
「ヘレン様、本来先物取引などというものは実業のあるものか、私のような頭のねじが外れた商人が行うものです」
「ねじ?」
ヘレンはねじという単語に聞き覚えがなくて、直樹に訊き返してしまった。
直樹はしまったという顔をする。
文明レベルからしてねじが発明されていないのだろうと直ぐに思い当たった。
「常識をつなぎとめる釘のようなものですね」
「ああ、そうなんですね」
「何度も窮地に立ったことがありますが、それを全て乗り越えてここにいます」
「その若さで多くの経験をなさったのですね」
「はい」
直樹は再びしまったという顔をした。
「受渡日には必ず勝利して見せます」
「信じてもよろしいのですね」
「はい」
「すいませんね。娘のヘレナがあんなに頑張っているのに、母親の私がこんなに取り乱したりして」
「ヘレナは強い子ですね」
「ええ。主人が亡くなったときに、もう泣かないって言いまして。なんとかしようと今まで頑張ってきたのです。領地へ戻っての金策もあの子が言い出して」
「相場の神様っていうのは、そういう諦めない人に微笑むものですよ」
相場の神様は気まぐれだ。
弱音を吐いて諦めたところで反転したりするのは常である。
それを直樹は何度も経験していた。
「見てきたようなことをおっしゃるのですね」
「見てきましたからね」
「そのお話を伺ってもよいかしら」
「じゃあお話ししましょうか」
それから直樹は前世の相場の話を、こちらの世界でも理解できるように置き換えて、ヘレンに話して聞かせた。
ヘレンも初めて聞く相場の話に興味を持ち、直樹の話を真剣に聞く。
そうして夜は更けていった。
翌朝、直樹が食事のために部屋を出るとヘレナが立っていた。
様子からして、直樹が出てくるのをずっと待っていたようである。
「昨夜お母様と何をしていたの!?」
強い口調で問い詰められる直樹。
「相場の話をしていただけさ」
「そう。体を要求したりしてないの?」
「しないって」
「本当に?」
「ああ」
「盗賊の襲撃から助けていただいたのも、塩の相場で助けていただいたのも感謝しておりますが、お母様目当てなら今後は私が一人でやります」
そう言い残してヘレナは立ち去った。
食事の時も顔を合わせると、直樹に対してきつい目線を放つ。
特にヘレンと直樹が話していると、その態度が顕著に出た。
ニーナがそれに気が付き、食後に直樹に質問してきた。
「お嬢様と何かありましたか?」
「実は昨夜ヘレン様が俺の部屋に相談しにきたんだけど、それを俺が体を要求していると勘違いしているみたいなんだ。状況的に何を言っても言い訳にしかならないよな」
「たしかにそうですわねえ」
そう言ってニーナは思案顔になる。
「ニーナは俺のことを疑ってないのかい?」
「奥様からそうしたのであれば、それは私が口を挟むことではございません。それに、奥様のご様子は普段とかわらないというか、昨日までよりも晴れやかなお顔でしたので、脅されているとは思えません」
「よく見ているな」
直樹はニーナの観察眼に感心した。
「主人の変化をわからないようでは務まりませんよ」
そういってニーナが笑う。
「お嬢様のことはお任せください」
「ああ、頼むよ」
ニーナと別れてサイリスの所に行こうとしたときに、玄関に来客があった。
ニーナは直樹との会話が終わったので、玄関で客の対応をしようと向かった。
ドアを開けるとそこには兵士が二人立っていた。
「実はこちらで働いていたムーノのいう男が、今朝裏路地で死んでいるのが見つかりましてね。なにか恨みを買っているとかいう話はありませんでしたかな?」
兵士はニーナに訊いた。
「そういうことでしたら、主人を呼んでまいります」
ヘレンを呼びに屋敷の中に戻るニーナの顔には笑みが浮かんでいた。
兵士からは見えなかっただろうが、直樹はそれを見逃さなかった。
(やはり消されたか)
ニーナの気持ちを考えたら、ムーノの死亡がわかってよかったと直樹は思ったが、直ぐにガムランの動きに頭を切り替える。
(さて、泥沼の仕手戦に引きずり込んでやるか)
兵士にムーノのことを説明するヘレンを横目に、直樹はサイリスの店へと向かった。
いつもと同じようにサイリスが待っている。
「今日から供給量を100キログラムにしたい」
「ああ、いよいよガムランに買い上がらせるんだな」
「そうだ」
「でも、証拠金は大丈夫かい?」
「その件でやってもらいたいことがあるんだが」
直樹はサイリスに耳打ちした。
「悪い奴だな、ナオキ」
「相場は騙される方が悪いんだよ」
「ちげえねえ」
直樹の提案に、サイリスも悪人のような笑みを浮かべる。
二人はそろってラタの商品取引所へと向かった。
カンカンカンカンカン
オープニングベルが鳴って本日の取引が開始された。
ガムランを筆頭に買い方の息は粗い。
塩の現物は1キログラム40,000リルから相場が始まった。
それがお昼になるころにはあっという間に45,000リルを突破する。
それにつられて先物も上昇した。
「昼前に45,000リルかよ。今までの最高値48,600リルを更新しそうだな」
サイリスが興奮している。
「これだけ値上がりしているのに、他の都市から塩が入ってこないとなると、かなり無理して押さえつけているんだろうな」
直樹は冷静に分析した。
近隣の都市との距離がわからないので、何とも言えないが、4.5倍のレートはかなり魅力的なはずだと考えている。
それでも塩が入ってこないのであれば、近隣の都市でもそれなりの金額で塩を購入しているはずである。
ラタで毎月5トンの塩が消費されており、先物の限月から計算すると、買い方は既に周辺都市を合わせれば50トンくらいは買い占めているはずである。
平均単価にもよるが、ざっと見積もって10億リルほどこの相場に投入している計算だ。
さらに、先物の建玉枚数を計算すると50トンが受渡日に新規で発生する。
「これじゃあまだガムランを破綻させるには足りないよな」
直樹は熱狂する仲買人達をよそに、冷静に計算をしていた。
その日から熱狂は続く。
塩の値上がりを見て他の商人達も、食料品や金属を売買するくらいなら塩を買えとばかりに、一斉に塩に投機を開始した。
資金の流入があれば価格は上昇する。
ましてや塩の品薄状態は回復しない。
ついには受渡日3日前になって塩の価格は現物で桁替えをして101,300リル、先物が95,000リルとなっていた。
その日の市場が閉じた後、ガムランは上機嫌であった。
「これでアウル家も追証も払えんだろうな」
ガムランは満面の笑みで家令に言った。
「はい。仲買人のサイリスが買い注文を出しているのを確認しておりますので、おそらくは買い戻しを始めたのかと思います」
家令もそう答えた。
本来であればこれで追証も払えずに強制決済である。
そうなればもう相場を吊り上げる必要もないので、あとは売り抜けるだけであった。
本来はもっと早くに売り抜けている予定だったのだが、ガムランの計算違いは直樹が出現して、アウル家の味方に付いてしまったことであった。
先物の建玉が200トンまで膨れ上がり、常識では決済できないところまで膨れ上がってしまった。
なにしろラタの街での40か月分の量である。
先物取引の場合、売り方は現渡しといって商品を受渡日に渡すのであるが、それができない場合は差金決済となる。
逆に買い方は現引きといって、商品を現金を支払って購入することになる。
建て単価は現在値よりも安いため、現引きなどせずにさっさと反対売買をして手仕舞いをしてしまいたかったのだ。
「取引所に確認して、サイリスのところの追証額を確認させろ」
「かしこまりました」
ガムランに命令され、家令は取引所へと向かった。
そして数時間後、慌てて家令がガムランに報告を行う。
「大変ですガムラン様」
「どうした?」
「サイリスの取引では追証が発生しておりません」
「どういうことだ?」
家令の報告の意味が分からず、ガムランは怒り交じりに訊き返した。
あれほど先物が値上がりしていれば、追証が発生しないはずない。
買い戻しをしていたのであっても、証拠金で埋められる金額ではないはずだ。
「それがどうも両建てをしていたみたいで……」
家令はガムランの怒気に気圧されてしどろもどろに返答する。
両建てとは、最初に持っていたポジションと反対のポジションをとることである。
売りと買いが同一の建て数であれば、値動きがあっても利益または損失は固定されたままになる。
この両建ての良いところは、証拠金が回復するということである。
日経平均先物においても、利益が出ている状態で両建てにできるのであれば、理論上は無限にポジションを建てることができるのだ。
「両建てとは小癪な真似を。しかし、損失が出たままの両建てなど意味がないだろう。どのみち先物で破綻するではないか」
ガムランは自らの怒りを鎮めるようにそう言い放った。
そのころサイリスの店では直樹とサイリスが翌日の打ち合わせをしていた。
「明日は寄り付きから買いポジの解消をして、先物の売りを建てていくぞ」
「いよいよだな」
「ああ。買い方ももう殆どが資金を塩に変えたところだろ。追加で買い支えができるやつなんていないからな」
「こんな大勝負ができるなんてな。仲買人になってよかったぜ」
「おっと、感謝は勝利してからにしてくれよ」
興奮しているサイリスを直樹がなだめる。
だが、直樹もかなり興奮していて、今夜は眠れそうになかった。
イングランド銀行に勝った男達は、よく寝ることができたなと思う直樹であった。
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