第10話 ともだち

 彼女の存在が、これからの高校生活に影響することは間違い無いだろう。あと約2年もの間、彼女に振り回されるかと思うと気が遠くなる。

 しかし、目の前の授業に集中しなければ。呆けた顔をしていると、チョークが飛んできかねない。このご時世に、この教員ならばありえない話では無い。

 現にたった今、俺の数少ない友人の額へ見事に命中させて見せた。


「イテッ!」

「おい、こら古室!真剣に話を聞いているのか、お前は!」

「き、聞いてましたよ!それは、それは真剣に!」

「じゃあ、今私が読んだところをもう一度読んでみろ」


 時は4時限目の現代文。

 俺の数少ない友人のピンチだが、俺の席とあいつの席は離れているので助け舟を出したくても出せない。もとより出す気はないが。


「え、ええと……」


 案の定、口から出るのは唸り声だけ。

 それはそうだ、聞いていなかったのだから。そういう俺も、聞いていなかったのだが。

 しかし、先生の威圧に耐えかねて今にも自白しそうになっていた古室は、何かを思い出したかのようにスラスラと指定箇所を読み出した。

 先生も周りの生徒も、何が起こったのかと不思議に思ったことだろう。当の俺もそう思った。

 古室がいう通り、本当に真剣に話を聞いていたのか、急に特殊能力が目覚め、テレパシーで先生の思考を読み取ったのだろうか。明らかに前者ではないが。

 俺も聞いていなかったので指定箇所が正解であるかは判断しかねるが、先生の反応を見る限り正解だったのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「まあ、いい、座れ。ちゃんと聞いておけよ」

「はい!」


 いつも怒られている教員に一杯食わせたとご機嫌なのか、古室はやけに元気よく返事をした。

 あいつのことを気にしていてもいいことは一つもない。これまで書き逃した板書を自分のノートに書き写し、それからは何事もなく授業は進んだ。


 チャイムが鳴り響く。それはこの退屈な授業の終わりと同時に、昼食の時間を告げた。

 チャイムが鳴り終わり、号令で授業が終了する。先生が教室から出るや否や、真っ先に飛んできたのは古室だった。


「お、おい!聞いてくれよ!」

「嫌だね」

「……つめてぇな。俺があのピンチを抜け出した方法、知りたくないか?」

「知りたくない」

「おいおい、つれないな。聞くだけなんだから、いいだろ?」


 どうせ断っても勝手に話始めるだろうに。


「なんとなんと、斜め前の五条香織ごじょうかおりさんがノートにページ番号を書いて見せてくれたんだよ!」


 ほら。


「あっそ」

「五条さん、俺に気があるのかなぁ。五条さん、美人だしなぁ」


 こいつが妄想に浸っている間に逃げ出そうと席を立つ。

 しかし、行手には立ちはだかる人影が。


「どこに行くんですか?奏さん」


 立ちはだかる、とは誇大表現だった。こんな華奢な体では、幼稚園児ひとり止められないだろう。おっと、これも大袈裟だな。

 それより、ついに教室に来るまでになってしまったか。


「弁当を取りに行くんだよ」

「そうなんですね。今日は私もお弁当を持ってきました」

「そうか」


 ロッカーからカバンごと取り出し、自席へ戻って弁当を取り出す。


「なんだ、お前のはコンビニ弁当か」

「お、お前……」

「あ、ああ。すまん、れいな。わかったから、いちいちこの世の終わりみたいな顔をするなよ」

「すみません」

「で、れいなの弁当はコンビニ弁当なんだな」

「はい、私、一人暮らしなので」

「え?おま……一人暮らしなのか」

「はい。そうですよ」


 こいつが一人暮らしだったとは。そういえば八百屋で野菜と睨めっこをしていた時があったな。

 一瞬、彼女は古室に目をやる。冷ややかな目だ。


「ああ、そいつは放っておけ。色ボケ野郎だ」

「はい」


 いまだに「告白しようかな」とか、「いやいや、まずはお友達から」などと独り言を連呼して周りの女子からでさえ冷ややかな目を向けられている本人は、気づくどころか身ぶりまで付いてきた。

 そのまま休憩時間が終わりまで放っておくくらい造作もないが、通行の邪魔にもなるし、何せ目障りになってきた。

 実際、一人の女子生徒が立ち往生してしまった。


「おい、そこにいると邪魔だ。どうしてもやりたいならトイレにでも行け」

「お、おお。ごめ……。はっ!五条さん!?ごめん!どうぞ、どうぞ、通って」


 おお、この女子生徒が噂の「五条さん」か。初めましてだ。

 ……いや、同じクラスなのだから、初めましてということはないか。

 茶髪のボブ。そこまで身長は高くないが、れいなよりは高いだろう。女子としては平均くらいだと思う。こちらから顔を見ることはできないが、古室が美人だというのならばそうなのだろう。


「じゃ、じゃあ俺はトイレに行ってくるから!」


 いや、あれは本気で言ったわけじゃないんだが。


「忙しない人ですね」

「まあ、ああいう奴だ。理解しろとは言わないさ。俺だって理解できない」

「理解したくないです」

「まあな」


 いつもの他愛もない会話だ。それが彼女の注文なのだから仕方がない。彼女は魚のフライにタルタルソースをかけて口に運んでいる。

 特に話すこともなく黙々と食べ進めていたところ、れいなが思い出したかのように口を開いた。


「そういえば、私、奏さんの連絡先を知りません」


 ……急にどうした。


「それはそうだろう。教えてないんだから」

「お、教えてください」

「嫌だ」

「な、なんでですか」


 なんで、ときたか。なぜかと聞かれたら、俺はアプリのアイコンに数字がついているのが嫌いなのだ。それだけだ。


「教えてもらえないと、休みの日とかの予定がたてられません」

「たてなくてもいい」

「そ、そんな!それじゃバラ色じゃありません!」


 いつになくれいなは立て続けに迫ってくる。


「そ、それに、もうすぐゴールデンウィークじゃないですか、一緒にお出かけしましょう!」


 なるほど、それが目的だったか。

 なぜ俺がこいつと出かけなきゃならんのだ、しかも休日に。休日は家でゴロゴロしていたいのだ。


「断る、断じて断る」

「そんなに頑なに断らなくてもいいじゃないですか」


 俺が彼女の申し入れを断る理由は他にもある。アイコンの数字だけを理由に断るほど俺の心はまだ冷え切っていない。

 こいつと連絡先を交換すれば最後、四六時中連絡が来そうな勢いだからだ。

 知っての通り、この学校でのこいつの「友達」は俺以外にいない。転校してくる前の学校の友達がいるかも知れないが、これまでの様子からそれはないだろう。

 すなわち、この俺がこいつの唯一の連絡相手となるわけだ。必然的に連絡する回数が多くなるだろう。それが嫌なのだ。


「わかった、そんなに連絡先を交換してほしければ、俺に対してのメリットを教えてくれ」

「メ、メリットですか?」

「そうだ。れいなと連絡先を交換すると、こんないいことがあります!みたいな」

「……え、ええと、ま、まず、奏さんが暇なときに、話し相手になれます」

「ほう、他は?」

「奏さんが退屈なとき、時間の使い方を提案します」

「……。いずれにせよ俺は暇なんだな。まあ、いい。交換してやっても」

「ほ、本当ですか!?」

「ただし!本当に重要なこと以外連絡しないこと、それを守れなければブロックしたうえで連絡先を削除するからな」

「は、はい!ありがとうございます!」


 れいなは満面の笑みでスマートフォンを取り出し、俺のほうに向けて見せる。

 俺も自分のロッカーまで行き、自分のスマートフォンを取り出してQRコードを表示させる。それを嬉しそうに読み込むれいな。

 俺は、何がそんなにうれしいのか、と「新しいともだち」の欄に増えた1つの表示と、「ともだち」の欄の3人しかいない連絡先を寂しく見つめ、暗闇の中にその事実を追いやった。


 そして、暗闇に落とされたスマートフォンの画面に、一つの通知。


  一件の通知があります


『昨日ダウンロードしたばかりなのでうまく使えるかわかりませんが、これからもよろしくお願いします』


 俺と連絡先を交換するためだけにダウンロードしたのか……。ちょっとうれしいじゃないか。





 最近、オンライン会議というのが流行っているらしい。

 私は機会に疎いので使いはしないが、なんだか楽しそうではある。家を出たくない私にはもってこいの代物ではないか。

 しかし、パソコンを使うにも私は執筆かネットで調べ物・買い物をするとき以外ほとんど使わない。

 まあ、これも何かの機会だし、やってみようかな、とパソコンをたちあげ、ふと我に返る。


「あれ?私、通話する相手いたっけ?」


 かなしい。

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