第9話 微妙なところ。

 いつもの朝、いつもの通学路、いつもの学校。

 普段通りの日常が、今日も過ぎようとしていた。しかし、俺の日常はこの女によって壊された。


『高校生活をバラ色にしたいんです』


 そう言ってきた彼女は、クラスが違うということもあって今日は顔を見ていない。

 しかし、昼休憩という長い休憩時間になれば、会いに来るかもしれない。


「逃げなければ。俺の平穏な生活を守るために」


 と、どっかの主人公のようなことを口走ったが、こんな大層なことは思ってもいない。

 もちろん、現状の生活に満足しているわけではないが、この生活が「楽しいか」と聞かれれば、迷わず「楽しくない」と答えるだろう。しかし、この現状から脱したいと思ったことは微塵もないのだ。

 俺は自分でも驚くほど早く弁当を片付け、例によって図書室に逃げ込む。

 この学校の図書室は広いというほど広くはないが、狭いというほど狭くもない。まあ、普通の教室よりは広いだろう。背の高い本棚も置かれているので圧迫感は否めないが。


 いつものように、出入口から一番遠くの席に腰掛ける。ポケットから読みかけの文庫本を取り出し、しおりを見つけ読み始める。

 しかし、一行目を読み終える間際、視界の隅を一つの影が通った。


「奏さん、こんにちは」


 この学校で俺のことを「奏さん」と呼ぶ人物は一人しかいない。

 そう。ほかでもない東藤れいなだ。


「な、なにしてるんだこんなところで」

「ここで待っていれば会えるかな、と思って」


 ……行動パターンが完全に読まれている。こいつと知り合ってまだ間もないというのに、そこまで俺の行動は筒抜けだったか?


「で、何の用だ」

「はい。一緒に学食で食事でも、と」

「はぁ、なんだ、一人じゃダメなのか」

「一人じゃバラ色じゃありません」


 まあ確かにそうかも知れないが俺を巻き込むことはないだろう。


「ほかのやつじゃダメなのか」

「ほかの人って?」

「いや、クラスで話しかけてくるやつが一人や二人いるだろう」

「……。いえ。いません」


 いつの間にやら俺の隣に腰掛けているこいつは、とぼけたような顔でそう答える。

 確かに、いつか古室と様子を見に行った時も誰一人としてこいつに話しかけている人はいなかった。古室が言っていたようにそこそこ美形でこのような転入生というのはクラス男子たちにちやほやされるものじゃないのか?まあ、どこかの小説の受け売りだが。


「まあいいさ。ついていくだけならな」

「え?奏さんも一緒に食べるんですよ?」

「いや、俺はもう昼食は済ませたから」

「へ?でもでも、奏さんも食べてくれないと『学食で友達と昼食』という目標が達成できません!」

「なんだよそれ、何のゲームをしてるんだ」

「ゲームじゃありません。現実リアルです」

「はあ、まあいいや。それよりお前、キャラ変わってないか?」

「……」

「なんだ」

「また、お前って……」

「ああ、すまん。そんなことも言ってたな」

「……はい」


 しんみりうつむく彼女を横目に椅子から立ち上がり、


「さっさと行くぞ、れいな。早くしないと昼休憩が終わる」

「はい!今行きます!!」


 やけに元気がいい。回復の呪文を唱えた覚えはないが、可能性があるとすれば回復の呪文は「れいな」だ。短い呪文で済むなら長い呪文を入力する手間が省けて良い。


 学食ではすでに学生が昼食をとっていたが、大勢で賑わっているといえるほどではなく、十数人がいくつかのグループになって座っているくらいだった。

 そういえばこの学校の学食でご飯を食べるのは入学以来初めてだ。確か食券を買うんだったような。


「奏さん、どうしたらいいんでしょう?」

「まずは食券を買ってだな、厨房のおばさんに渡せばいいんだよ」

「おお、なるほど」


 れいなは小走りで食券機に向かい、いろいろなメニューを見ているようだ。


「たくさんメニューがありますね……。迷います」

「ああ、そうだな」


 食券機の前で唸ったまま一向に決まらない様子。


「人から聞いた話だが、ここはカレーライスが美味しいらしいぞ」

「そうなんですか!私、ちょうどカレーライスが食べたいと思っていたんですよ!」


 そう言ってカレーライスのボタンを押す。


「奏さんもカレーライスでいいですか?」

「ああ。ん?いや、自分で払うからいいよ」

「いえいえ、私が誘ったんですから私が払います」

「いや、いいよ」

「それに、財布、持ってきてますか?」

「あ……」


 言われてみればそうだ。図書室から直接ここに向かったので今頃俺の財布は教室のロッカーにあるカバンの中だ。図書室に向かうときには学食に行くなど想像もしていなかったので本しか持ち出さなかったのだ。

 俺は無いことが分かり切っているのにも関わらずポケットを探ってみる。最中、何か膨らみを検知したが小説を入れていたことに気づき、最終的に案の定財布はなかった。


「すまん。明日返す」

「はい。いつでも大丈夫ですよ」


 そう言って食券を買い、早足に厨房のおばさんまで持って行った。


「よかったです。私、ちょうどカレーライスが食べたいと思っていたところなんです」

「そうか。たまに食べたくなるよな」


 こんな他愛もない話の中でも、彼女は嬉しそうな顔で声が弾んでいる。こういう会話が彼女の言う『バラ色の高校生活』なのかもしれない。


「ほい、できたよ。カレーライス2つね」

「ありがとうございます」


 俺とれいなはカレーライスを受け取り、適当に開いている椅子に座る。必然的に彼女と向かい合う席に座るわけだが、大きな机が2つ並べられており、誰もいない机の端に座る。これほど大きな机に二人だけとは少し寂しい気もするが、気にせず着席。れいなも座ったところで「いただきます」と本日二度目の昼食を始める。


「本当だ、おいしいですね。このカレーライス」

「ああ、そうだな」


 正直そこまで、と思ったことは口に出さず、その後はあまり話すこともなく黙々と食べ進めていた。

 だが、れいなの背後に立っている人物を見つけると、空気は一変した。


「あれ?神崎しんざき君じゃない?珍しいね。神崎君が食堂でご飯なんて」


 この学校で俺に馴れ馴れしく話す女子生徒はそういない。俺の前でカレーライスを食べているれいなと、クラスで隣の席の長田ながたさんくらいのものだ。あとは妹。

 さすがにこの俺でも隣の席の人物の名前くらいは憶えていたようだ。まあ名字だけだが。


「……あれ?あなた、隣のクラスの転校生でしょ!?」

「え、え、は、はい……」


 長田さんがこちらに意味ありげな視線を向けてくる。まあ、言いたいことは大体想像がつく。


「神崎君、もう転校生とお近づきになったの!?隅に置けないわねぇ」


 特に俺は転校生とお近づきになった覚えもなければ隅に置かれるほど長田さんと関係があったとは思えないのだが。

 まあそんなことはこの際どうでもいい。俺の目の前には初対面の長田さんがいきなり話しかけてきたものだからすっかり固まってしまっているれいなと、何が楽しいのか先ほどから笑顔を絶やさない長田さんがこちらを見ている。


「長田さんはもうお昼は済ませたの?」

「え?私?ええ、もう済んだところよ。見たところ、二人ももうちょっとね。よかったら食べ終わるまでご一緒してもいい?」


 彼女の行動を「友好的フレンドリー」と捉えるのか「厚かましい」と捉えるかは人によって見解が分かれるところだろうが、彼女がいてもいなくてもそう変わらないのではないかという結論に至り、首を縦に振る。

 今更遅いだろうが同席者のれいなにも確認を取るべきだったと思ったが、固まっているのでいいだろう。

 長田さんはれいなの隣に腰掛ける。


「れいな、早く食べないと次の授業が始まるぞ」

「……。うん」


 黙って会話を聞いていた長田さんだったが、俺が失敗した、と思ったと同時に口を開く。


「ふーん、もう呼び捨てにする仲なんだ」

「いや、それは、成り行きだよ」

「ふーん、じゃあ、私も成り行きで呼び捨てにしてもいいのよ」

「エンリョしておきます」


 そう言っている間にもカレーライスは皿から胃袋へと運ばれ、皿は空っぽに。俺が残った水を飲み干している間にれいなも完食していた。


「じゃあ教室に戻るか」

「うん」


 俺とれいなは食器を戻し、自分たちの教室へと向かう。

 一年生の時は最上階だったので階段をのぼるという作業が億劫だったのだが、階が一階下がるだけでも気が楽になった気がする。

 中央階段をのぼり三階にたどり着くと、C組の教室を通り過ぎB組の教室前まで戻ってきた。


「じゃあな、午後の授業もがんばれよ」


 そんなことを言ってみたりする。

 れいなは頷くだけでくるりと身を翻し、小走りで自分の教室へと向かう。次の授業まで時間があるのに走らなくてもいいのに。急いだらこけるぞ。と思った矢先、案の定教室から出てくる人とぶつかりそうになって頭をちょっと下げる。

 れいなが教室に入っていったのを見送ると、俺も自席へと向かう。


「なんだかお父さんみたいだね」

「いや勘弁してくれ」


 そう言いながら弁当とカレーライスの入った自分の腹を見つめ、思う。


「次の授業、体育じゃなくてよかった」




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