第8話 ブレンドコーヒー〜ミルクと角砂糖〜

「高校生活を『バラ色』にしたいんです!!」


「は?」


 突然の告白。

 当然の困惑。


「高校生活を『バラ色』にしたいんです!」


 この時の俺は想像もつかないような顔をしていただろう。


「あ、あの。大丈夫ですか?」


 キミのせいなのだが。


「一応聞くが、どういう意味だ」


 彼女は少し迷っているようだ。それもそう、文面通り受け取れば、意味は明解なのだから。


「バラ色です」

「それは分かるよ。だが、なぜ俺なんだ、そう言うことなら古室の方が詳しいだろ」

「え、あの人は……」


 古室が苦手なのはわかるが、明らかな人選ミスだ。俺に何ができる、灰色の生活を送っているような俺に。

 しかし、なんでまたそんなことを考えたのだろうか。俺は灰色の生活を自覚してはいるが、バラ色の仲間に入ろうなんて思ってもみなかった。前の学校で何かあった、とか理由はいくらでもあるだろうが、それが果たして俺に関係があることなのか?思ってみれば、条件は「話を聞く」ことだけだ。相談に乗るとは言っていないのだ。


「まあ、それは分かったが、俺に何をしろと?」

「へ?そ、それは……私の……友達になって欲しいなって」

「は?」


 それは相談なのか?友達になってくれとわざわざ言う人も俺の人生で初めてみたが、こんな喫茶店に連れ込んでわざわざ言う人も初めてみた。連れ込んだのは俺だが。

 しかし、こう面と向かって友達になってくださいと言われると、断りづらいな。断る理由もないのだが、これから『バラ色』の生活に付き合わされるのかと思うと、断りたくもなってくる。

 まあ、友達になったからって必ずしも付き合わなければいけないと言うこともないだろう。


「分かったよ、友達になればいいだけだな。それくらいなら商店街でもできただろうに」

「わ、私には一大事なんです」

「なんで」

「だって、初めてのお友達だから」

「は?」


 俺はあまり人に対して「は?」と言うことはないのだが、すでに3回も使用している。


「初めての友達って、なんだそれ」

「はい、私、これまで友達がいたことなくて」

「いたことがないって言うのはなんだ、男友達がってことか?」

「いえ、男女共通です」

「ああ、そうか……」


 コメントに困るな。何か事情があってのことだろうからこれ以上説明を求めるのも気が引ける。そもそも、事情ってなんだよ。


「まあ、なんだ。友達になるのは構わんが、特に何もしないぞ、俺は」

「はい。私がなんとかします」


 「なんとかします」じゃないよ。なぜ俺が何とかされないといけないんだ。どの立場で話しているんだこいつは。


「まあ、いいよ。それで終わりか、話ってのは」

「はい。でも、もう一つお願いが」

「なんだ、まだ何かあるのか」

「……私の呼び方についてなんですが」

「ああ、東藤さんだろ」

「いえ……。あ、いや、私の名前はそうなんですが」

「なんだ、はっきりしてくれ」

「下の名前で呼んでください」


 来るとは思っていた。だが、いきなりハードルが上がったものだ。俺は古室でさえも名字を呼び捨てなのに、下の名前で呼べと?


「れいなと呼べと?」

「はい、そうです」

「まあ、お前のほうはそのままでいいだろうな」


 こいつは八百屋で俺のことを「奏さん」と呼んでいた。勝手に。


「お、お前……」

「え?ああ、すまん。れ、れいな」


 改めて呼ぶとなると恥ずかしいな。

 向かいに座る彼女も、少しばかりか顔を赤らめている。自分で要求しておいて恥ずかしがるなよ。

 考えてみれば、女の人を下の名前で呼ぶのは初めてだ。妹を時々「めぐみ」と呼ぶことはあるが、赤の他人を下の名前で呼ぶことなどなかった。実に新鮮な響きだ。

 話はそこで終わりのようで、「ここは私が払います」と伝票を持ってそそくさと会計を済ませて彼女は喫茶店から出ていった。俺はしばらく外の川縁を見ていたが、昼食抜きで腹が減っていたのを思い出し、軽食を頼もうとマスターを呼ぶ。ここからカウンターは見えないが、静かな店内から返事が聞こえ、しばらくすると陰からマスターが出てきた。


「さっきの子は彼女かね、奏君」

「いや、ただの友達ですよ」


 マスターは「ふむ」と疑うような返事をし、俺はフレンチトーストを注文する。

 静かな店内にフレンチトーストの焼きあがる音が響き渡り、おいしそうなにおいが充満する。

 しばらく待っているときれいに盛り付けられたフレンチトーストが運ばれてれてきた。フレンチトーストを運んできたマスターにコーヒーのお代わりを頼み、ナイフとフォークを手に携える。

 それからは時間が経つことを忘れ、今日の夕飯の献立とこれから「友達」が繰り広げるであろう平凡でない俺の生活を思い、フレンチトーストを口に運ぶ。




 昨晩ネットを見ていて「おいしい野菜の見分け方」なるものを見かけたので、試しに八百屋に寄ってみたのだが、私にはなんとことやらさっぱりだった。なんとなく値段の高い野菜は良い野菜だと思うのだが、常日頃から野菜など買わない私にとってどの値段が安くて高いのか見当もつかない。どの野菜が旬なのかも分からないので今の季節一番おいしい野菜など分かるはずもなく、取り合えずきゅうりとキャベツを買ってサラダにでもしようと思う。サラダくらいなら私でも作れるはずだ。包丁くらいあったはずだ。……たぶん。

 改めて世の中のお母さん方、自炊をしている皆さんの苦労が身に染みて分かる貴重な体験を八百屋で経験した私であった。


「あなた、なぁにその終わり方。どこかで聞いたことあるわねぇ」

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