第7話 ブレンドコーヒー 〜角砂糖〜
なんとなく目が覚め、布団を押しのけ起き上がる。
ふと時計が目に入った。カチカチと音を鳴らして動く秒針。長い方の分針は55分を指し、短い時針は「9」を指している。
「9時55分?うわ、遅刻だ」
嫌に冷静だが、大遅刻にもほどがある。
……いや、待て。
「なんだ、今日は土曜日か」
いくら休日とは言え寝すぎたか、と思ってもう一度寝入ろうと布団を持ち上げるが、思い直して寝巻のままリビングへ向かう。
リビングではソファに我が妹がテレビに向かってリモコンを操作している。
「あ、兄さん。おはよう、よく寝てたね」
「ああ、おはよう。ちょいと寝すぎた」
遅めの朝食をとるためにキッチンへ向かい、その辺の食パンをくわえる。牛乳をグラスに注いで
我が妹はテレビのチャンネルをニュース番組に合わせてくれていた。
「いいのか?見たいチャンネルはないのか」
「いいよ、ちょうどさっき終わったし」
「ああ、もう10時だったな」
寝すぎると時間の感覚がおかしくなるな。
「あ、そういえば兄さん、今日なんか予定ある?」
「ん?ないけど。恵が俺の予定を気にするなんて珍しいな」
「今日、私の友達が来るんだけど」
「なんだ、俺は邪魔だってか」
「いや、別に。居たければ居てもいいけどさ」
居たければ、と言われてもな。外に出たところで行く場所もないし、夕飯の買い出しにでも行くか。
「まあいい、夕飯の買い出しにでも行くから」
「ありがと」
その友人が来るのは昼過ぎだというので、昼食を食べずに家を出た。朝食が遅かったのであまり腹も減っていなかった。それに、夕飯の買い出しに時間をかけたところでたかが知れているとも思っていたので、どこかの喫茶店で昼食をとろうとも思っていたのだ。
俺は赤信号に歩みを止められ、羽織っているコートのポケットに手を突っ込んで待つ。夕飯の買い出しは商店街で済ませようと思っているので商店街を抜けた先にある行きつけの喫茶店で先に昼食を取ることにした。
商店街にはあまり人はいなかった。喫茶店に向かうにはこの商店街を突っ切った方が早いので、寒空のもとポケットの中の手はそのままに歩き進む。だが、少し見覚えのある後ろ姿が目に入った。その背中は腰が45度曲がり、八百屋の前で野菜を品定めしているようだ。
俺が見覚えのある、と言える人物はそう多くない。しかし、顔を見た訳ではなく、その人物を俺の知り合いだと判断するには材料が足りない。
かと言って真相を知るために話しかけると言う労力を俺が浪費するわけもなく、黙って通り過ぎようと背中を向けているうちにさっさと通り抜けようとした矢先、文字通り言葉の矢が俺に深く刺さった。
「あら!
俺の失態だった、この八百屋さんは昔からの知り合いの店だった。この前を通るなら仮面でも付けるべきだったのだ。
案の定、俺が素通りしようとした品定めの彼女は、俺に気づいた。
「あ、奏さん」
ん、なぜ下の名前?
「どうも、
特に強調したつもりはないが、彼女は温度差を感じ取ったのか一瞬、目を泳がせた。
「あら、二人は知り合いなの?じゃ、安くしとくわよ」
佐藤のおばちゃんがキャベツを並べ直しながら言う。
「あ、ありがとうございます」
見たところ、彼女は大根を選んでいたようだ。
大根か、おでんでも作るのかな?
ここの野菜たちを見ていると余計に腹が減ってきた。早々に喫茶店に向かわなければ。
「じゃあ、俺はこれで。おばちゃん、また後で寄るから」
「はーい、いつでもいらっしゃい」
東藤さんには目で挨拶をし、その場を立ち去る。その後、しばらく一人で歩いていたのだが、後ろからこれもまた聞き覚えのある声に呼び止められた。
「奏さん、待ってください」
案の定、それは東藤さんだった。
「どうした」
「え、えっと、相談したいことがあって……」
「相談?俺にか」
「はい、そうです」
一体何を言い出すかと思えば、相談とは。
俺は彼女から相談を受ける義理などないし、悩みごとを打ち明けられるほど親しくなった覚えはないのだが。
「相談というのはなんだ、ここですぐ話せる範囲のことなのか?」
「え、いや、ここでは……ちょっと」
確実に長い話だな。
「まあ、いい。これから喫茶店に行くから、そこで聞こう。言っとくが、聞くだけだぞ」
「あ、ありがとうございます」
幸い時間を持て余していたからな。話して楽になることもあると聞くし。
特に会話もなく商店街を抜けた先の喫茶店へとたどり着く。
「ここですか」
「ここだ」
扉を開けると、取り付けられた鐘がなり、カウンターの向こうにいたマスターが小さな声で「いらっしゃい」と声をかける。
俺は誰もいない店内をキョロキョロ見回す彼女を振り返ったが、彼女には構わずいつもの席へ向かう。
一番奥の丸テーブルを挟んで二つの椅子が並んでいる席の一方に座り、彼女を向かいの席に座るよう促す。ここは大きな窓があり、川を一望できるのでお気に入りなのだ。
彼女が席に座ると、マスターが注文を取りにきた。
「いらっしゃい。ご注文は」
「俺はブレンドで」
「お嬢ちゃんは?」
彼女は一瞬迷ったようだが、「私も同じものを」とブレンドを注文する。この店のオススメはブレンドコーヒーで、ここのコーヒーが美味しいのも俺が通う理由の一つだ。
軽食を頼もうかと思ったが、何やら重要な話のようなので遠慮しておく。腹は減ったが。
「それで、相談っていうのは」
「え、えっと、それは」
そんなに言いにくい話なのか。
しばらくの沈黙。やがてマスターがブレンドコーヒーを持ってきた。
彼女はコーヒーに角砂糖を一つ入れ、ミルクを注ぐ。一口飲むと、「おいしい」と言ってカップを置く。俺は角砂糖を一つ入れ、かき混ぜる。
すると、ようやく彼女が口を開いた。
「あの、その、相談というのはですね……」
またも口籠る彼女を前に、俺はコーヒーを一口含む。
「高校生活を『バラ色』にしたいんです!!」
「は?」
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