第3話 転校生とカレーライス
時は金なり。などといったものだが、学生生活の退屈な授業に於いて、時というものはあっという間に過ぎていく。今日も例外ではなく、通常授業を終えたクラスは帰宅準備をするものと部活に勤しむものとで分かれる。俺はもちろん前者の一員である。
「奏、一緒に帰ろうぜ。久しぶりにさ」
またどこからともなく顔を出す。まあ、断る理由も特にないので、無言で頷く。
「部活はどうした、幽霊研究会だったか」
「オカルト研究部だよ、オカ研。まあ、ほとんど幽霊部員だからね」
どっちでも同じようなものだと思いながら、オカルト研究部で幽霊部員か。研究されそうだな。
こいつは元々オカルトなどに興味はない。前に「この学校のオカルト研究部には美人が所属している」とかなんとか言っていたような気がする。そんな理由で部活を決めるなど、俺にしてみればあり得ない話だが、そのエネルギーには感服する。結局幽霊部員らしいが。
「目ぼしい女生徒が見つからなかったか」
「いや、ね。可愛い子はいるんだけどね。みんな怖いんだよ。言ってることが」
オカルトを研究しようとする人が集まっているんだ。入部する前から分かり切っていたことではないか。何をいまさら。
「ならさっさと退部すればいいじゃないか」
「いやー、でもねぇ。惜しいんだよねぇ。学生生活において出会いは宝だからね。無駄にしたくないんだよ、この出会いを」
結局どうしたいんだ、こいつは。
まだ寒気の残る四月下旬。もう少しでゴールデンウィークという大型連休があるのも相まってか、帰宅時間の街中の雰囲気は少し浮足立っている。俺たちと同じ制服を着た学生も少なくない。
「ちょっと書店に寄っていいか?俺が読んでるマンガの最新号の発売日なんだよ」
「ああ。いいぞ」
古室の後に続いて書店に入る。さすがは街中ともあって、書店の中は広々していた。人はそれほど多くなく、静かな空間が広がっている。
古室はさっさとお目当ての漫画を探しに行ってしまったので、入り口あたりに陳列されている『今週の新作』コーナーを見てまわる。自分のことを読書家だとは思ったことはないが、本は読んでいるほうだと思っている。だが、読んでいるからといって「好きな小説」とか「好きな作家」がいるわけでもない。家にある大量の書籍の中から適当に選んだものを読んでいるだけだ。
コーナーには、作家をあまり知らない俺でも知っている有名作家の本も置いてあれば、聞いたこともない作家の本も置いてある。その中の一つ、『小説』というタイトルの文庫本を手に取る。作者名は
中身をペラペラっとめくっていると、漫画を買い終わったのか、分厚く膨らむビニール袋を提げた古室が片手をあげる。
「よう、お待たせ。ん?それ、買うの?」
「いや、見ていただけさ」
「西澤綾乃か、知らないなぁ」
俺も知らない。まあ、タイトルが気になって手に取っただけの小説だ。平積みされた本の海に『小説』を戻す。
それにしても、『小説』か。ここまで自己主張の激しい小説も珍しい。それくらい分かるというのに。
自動扉が開き、冷たい風が吹き付ける。羽織っているコートに首を埋め、ポケットに手を突っ込む。冷たい風で目が乾き、少し下を向いて歩いていると、先を歩く古室の背中に激突した。
「おっと、おい、急に止まるな。危ないだろ」
「い、いや、あれ」
「なんだよ、何があるんだ」
「いやいや、見えないのか?噂の美人さんだよ」
よく見ると、古室の視線の先には転校生がいるようだった。言われないと顔を思い出せなかったのは言わないでおく。美人の顔は忘れないという古室に言えば何を言われるか。
それにしても、宇宙人か怪物にでも会ったかのような反応だったな。失礼だろ、彼女に。
「こんなところで会うなんて、奇遇だなぁ」
何か買い物だろう。
「
いや、だから、向こうを向いていたのになぜ表情など分かるのだ。半分お前の妄想だろう。
こちらからすれば、顔も見えないのに表情を読み取ったり、ほとんどが同じ制服でごった返したこの商店街の中から転校生だけを見つけ出すお前の方が不思議だよ。
と言うか、彼女の名前は東藤っていうのか。
「一人かな?」
「知らん。行くぞ」
見る限り、彼女は一人のようだが、ベンチに座って何か考え込んでいるようにも見える。
だが、彼女が何をしていようと俺達には関係ない話だ。彼女が犯罪に巻き込まれているならともかく、ベンチに座ってぼうっとすることくらいあるだろう。
「一人なら、話しかけてこようかなぁ」
やめておけ、面倒くさい。
「行くなら一人で行ってくれ。俺は帰る」
「おお、そんな殺生な!お願いします奏様。一緒に行っていただけないでしょうか。一人では心もとないので……」
「話しかける勇気がないなら話しかけなければいいだろ。帰るぞ」
こいつは「美女だ、美女だ」と言っている割には初対面の女性と話すとなるとすぐに自信を無くす。面倒な性格をしたやつだ。
「頼むよー、一生のお願い!このとおり!」
本当に面倒くさいやつだ。
「分かったよ、すぐそこまでは行ってやる。そこからはひとりで行け」
「おおー!神様、仏様、心の友よ!」
少なくともこいつと同伴だと思われないような条件を付け、数十メートル手前で古室の背中を見送った。
商店街から少し離れたこの広場には、あまり人はいなかった。人がいないとは言え、商店街の近くとあって静かとは言い難い。だが、この騒音の中数十メートル離れているはずの古室と彼女の声はなんとなく聞き取れた。
「ど、どうも」
どんなつかみだよ、漫才でも始めるつもりか。
「君さ、転校生だよね。二年A組の」
「は、なんですか。いきなり」
「ご、ごめん!僕は古室哲平。二年B組の生徒なんだ」
「はあ、それで何か」
「あっ、そ、それは、ね。あれだよ、その、一人で何してるのかなって、気になって」
「はあ。考え事をしていただけですけど」
「か、考え事?そ、そっかぁ。ふーん、考え事ねぇ」
おいおい、話の展開くらい考えてから話しかけろよ。
「そっか、そっか。ち、ちなみにその考え事って言うのは……」
「あ、あの。あそこの人は?」
「え?あそこって?」
「あの人です。あそこに立っている人です」
「ああ、あれは神崎奏っていって、僕の友達だよ」
急に俺の話が出て思わず古室たちの方向に振り返ってしまった。彼女と目が合う。そういえば、東藤さん、と言ったか。俺は古室を睨み、元の方向に向きなおす。
彼らの話はまだ続くのか。少なくとも東藤さんは退屈しているだろうに。気の毒だ。
「あ、あのさ。東藤さんって家はどこらへん?良かったら一緒に帰ろうよ」
「なんで私の名前を知っているんですか」
彼女の怪訝そうな顔が目に浮かぶ。
「えっ!あ、その、A組の友達から聞いたんだ!転校生が来たって」
「そうですか、でも私、寄りたい場所があるので」
会話終了。
あっけなく散った古室が、とぼとぼ歩いて隣に来る。
「撃沈」
「最初から分かり切ったことだろ。そう気を落とすな」
「おいおい、酷くないか、それは流石に」
古室は肩を落とす素振りを見せるも、秒速の回復力を見せた。
「まあ、美人と会話できたんだ、今日はいい日だったよ」
立ち直りが早いのはいいが、あれが果たして「話」の内に入るのか?
「お前がいいなら良いけどな」
「ん?何の話だ?」
こっちの話だ、と商店街へと歩き出す。日が暮れ始め、夕焼けは空を真っ赤に染める。
住宅街に入ったところで古室と別れ、一人で垣根の猫を横目にその辺の石を蹴飛ばす。どこかの家からカレーのいい匂いが漂ってくる。家ではもう、妹が夕飯を作っているだろう。
今日の晩御飯は何かな。
小説の中の夕飯を考える前に、現実世界での夕飯を考えなければ。献立はもちろん、材料すらない。いつものようにカップラーメンにしようとも思ったが、いつも見つめる壁に立てかけてある『初心者でも簡単に作れる!本格料理ブック』。
最初のページにある『簡単手順で本格カレー』というページを開いてみたきり、一度も触れていない。せめて表紙が目に入ればその気も起るかと思い置いていたのだが、効果なし。
椅子から腰を浮かし、伸びをする。キッチンの冷蔵庫を開けるも、あるのは刻みネギとパックのチャーシューのみ。インスタントラーメンなら作っている気になれると思っていた時期もあった。これらはその残骸。
時刻は午後六時半。スーパーでは奥様方がやれ玉ねぎはどれがいいだの、明日の弁当のおかずがどうのと、ごった返しているに違いない。
いや、待て。
そもそも私は目標設定を間違えていたのではなかろうか。
『栄養バランスを考えて、自炊する』という目標以前に、スーパーで買い物ができなければ自炊も何もできたものではない。
まずは『奥様方に交じって買い物をする』という目標を設定しなければ、解決しない話だった。自炊できないのはこのせいか。いや、違うか。
素早く着替えを済ませ、手っ取り早くスーパーへと急行。さほど奥様方はいなかったが、その中に交じって玉ねぎだのなんだの、カレーの具材をそろえてきた。もちろん、買ってきたものは勘。
帰宅し、さっそく最初のページを開く。
おお。意外と簡単だ。さすが、『初心者でも簡単』と謳っているだけはある。
せっせと調理開始。買ったはいいが一回も使用されず収納スペースに放置されていた鍋も安堵しただろう。心なしか輝いて見える。
あとは待つだけ。
数十分後……。
出来上がりを確認するため、鍋の蓋を恐る恐る開ける。
カレーの匂い。思いのほかおいしそうな出来だ。ちゃんと茶色い。
手短な平皿をチョイスし、さきほどまで盛ろうと思っていた茶碗を片付ける。まずは白いご飯から。
…………。
ごはんは?
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