最終話:≪キャッチ=ザ=レインボー≫
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どろりとした、粘度の高い悪夢を見ていた。
これまで殺してきた人間が、ラモンの総身にまとわりつく夢である。
それらは腐臭を放ち、固まりかけた血液のようにズルズルと、ラモンの体表を這いずっている。
悪夢によくあるように、ラモンはその不快感の中で指一本動かすことが出来ない。
怨念なのか、悪霊なのか、はたまたそんな状態でもまだ生きているのか。
ラモンはどす黒く澱み流れるゲル状のそれを、仕方ないと思って受け入れている。
不思議と、いつものように足掻く気持ちにはなれなかった。
それはボスとの死闘を終え、もういいと思ったからかもしれない。
もういい。もう十分だ。ロマネスクの恩赦も、殺し屋としての技術も矜持も、全ては何の意味も持たなかった。
ならばここで彼らに殺されてやるのが、自分の最後の責務だろう。
恨みを買うような仕事は山ほどしたと理解している。
今さら彼らをはね除ける権利は、自分にはない。
殺して糧を得るものは、いずれ己も殺される。ただそれだけのことである。
あのロマネスクにしてからが、その運命からは逃れられなかったのだから。
ラモンは緩やかに、自らの死を受け入れる。
粘液は体表から顔に集まり始め、ラモンの口をふさぎ、鼻を埋めて、息を止めようと試みてきた。
それは受け入れてしまいさえすれば、案外安らかな気持ちにさせられるものだった。
このまま目覚めることがなければ、どれほど心は休まるだろう。
だがそんな心とは裏腹に、体は徐々に覚醒の準備を始めていた。
真っ黒な怨念どもを置き去りにして、意識は肉体へと急浮上する。
彼らに殺されてやれなかったことを、ラモンは少しだけ悔やんでいた。
そうして静かに目覚めたのは、固いベッドの上だった。
木目調の見知らぬ天井が、寝起きの瞳に飛び込んでくる。
ベッドは壁際に据えられ、顔を傾ければアルミサッシの窓と黄ばんだカーテンが見えた。
そこから覗く空は、ラモンの心とは正反対に真っ青で、何の汚れも存在しなかった。
意識ははっきりとしているが、体はひどく重たい。
どうやらロマネスクとの戦いの後に、誰かがラモンをここまで運んだらしい。
時間を知る術はなかったが、空模様と太陽の傾きからして、正午よりは時間が進んでいそうだった。
あの死闘からどれだけの日数が経過しているかも、まだ分からない。
気持ちのいい目覚めとは言えなかったが、あれだけの戦いの後に命があるだけ、十分なのだろう。
ラモンは仰向けの体勢のまま、まずは両手の指を握ったり開いたりした。
それが問題なく動くことを確認すると、次にラモンは両肘を軽く曲げようとする。
すると、それに連動して左肩に鋭い痛みが走った。ロマネスクのナイフを受けた傷である。
綺麗な包帯に包まれてはいるが、傷はまだ塞がりきってはいないようだ。
そうやって全身を細かに動かし、現在の自分の肉体の状況を確認してゆく。
肩もそうだが、両足の負傷は更にひどい。じくじくと傷んで、歩くことにさえ支障が出そうである。
ラモンはため息をつくと、上半身の筋力だけで体をベッドから引き起こした。
一体ここはどこなのか、そしてロマネスクの恩赦とは何だったのか、そしてこれから自分はどうするべきなのか。
考えることは山ほどあるが、今のコンディションではそれらを考えたからといって何も出来ない。
ロマネスクは死んだ。そして組織は、他の幹部の支配下に置かれる。
ラモンにはその新体制で殺し屋として働く自分が、どうしても想像できない。
まるでロマネスクの死と共に、己の中の芯まで潰えてしまったかのようである。
ラモンはボスをその手にかけて、初めて自分が彼を慕っていたことを知った。
誠実な人間ではなかっただろう。真っ当でも、まともでもない極悪人だったはずだ。
それでも、ラモンがここまで生き残れたのは、間違いなくロマネスクのおかげだった。
それをこの手で殺した自分は、やはり到底人間とは呼べないのかもしれない。
雑多な思いに翻弄され、ラモンの思考は一向にまとまりを見せない。
その一連の感情の流れを感傷と呼ぶことを、ラモンは知らなかった。
そしてそれに浸る間もなく、次の事件は忙しなく起ころうとしていた。
ラモンの聴覚は、部屋の外で車が停車する音を聞いた。しかも、一台や二台ではない。少なくとも十台近い台数が、表に停まった。
カーテンをめくって外の様子を窺うと、黒塗りの高級車から強面のヤクザたちが、続々と下りてくるところだった。
ヤクザはみな武装しており、厳つい面相をより険しく光らせている。
そして車から最後に下りてきた二人のことを、ラモンは知っていた。
(あれは……)
それは、ゴードンとアルフレドの上級幹部二人だった。
(何だってあの二人が、連れ立って行動してるんだ……?)
二人は組織の跡目争いで反目しあっていたはずである。
少なくともこれまで、どんな抗争でも二人が手を組んだことはない。
嫌な予感を覚えたラモンだったが、体は満足に戦闘が出来るほど回復していない。
逃げきれるほどの足もなく、武器となる物もざっと見る限り、この部屋には存在しない。
逃亡も応戦も無理と悟ったラモンは、大人しくベッドの上で彼らを待つことにした。
本来のラモンなら、ベッドの下へと隠れて抵抗する程度のことはしただろう。
しかしこの人数と負傷の前では、幹部二人どころか護衛の寝首を掻くことも出来ない。
あるいはそれは、今のラモンの精神状態だからこそ生じた、心の隙間かもしれなかった。
やがて廊下からたくさんの人の足音が聞こえ、部屋のドアがけたたましく開かれる。
そしてラモンは、久方ぶりに幹部二人と対面した。
「よぉ、ラモン。ロマネスクの恩赦を生き残ったってのはマジだったか」
ゴードンが、邪悪な笑みを押さえきれぬといった様子で言った。
「逃げたと思っていたが、こんなところで療養中とは思わなかったよ」
アルフレドが、いかにも白々しい親しげな口調で喋った。
「あんたら、ずいぶんと仲良くなったようだが……何か俺に用か?」
ラモンもまた、いつものふてぶてしい様子を崩さずに言う。
ゴードンとアルフレドは護衛一名だけを部屋に招き、他を室外で待機させてドアを閉めた。
「なに、用ってほどのことじゃないが、少々聞きたいことが出来てね」
温和な口調からは想像も出来ないほど冷酷な目をして、アルフレドはラモンを見ていた。
「何でも答えてやるよ。明日の天気か、それとも株式相場か?」
「ハッハ、それもいいが、本当は分かってるんだろう?」
アルフレドはベッドの上のラモンへ、威圧するように顔を近づけた。
「ロマネスクの恩赦だよ。ボスは何の目的であんな指令を出したか、俺たちに教えてくれないか」
獲物を睨む鷹のようなその瞳を、ラモンは無表情で見返した。
「……さぁ。ボスが言った通り、殺し屋へ自由を与えるためだけのものだったんじゃないか?」
「そいつはおかしいな。それならなぜお前は、逃げもせずこんなところにいる?」
「悪いが、俺は気絶して運ばれたんでここがどこか知らない。まずはそっちが俺に教えてくれ」
そこまでで会話を打ち切り、アルフレドはラモンから顔を離した。
「ここは組織が負傷者を匿ってた療養場だ。今は使われていないがな」
それならば、ラモンがここへ運ばれた理由も分かる。療養のための施設なら、簡易ながら医療用具も用意してあるはずだからだ。
「本題へ戻ろう。ロマネスクの恩赦とは一体何だったと思う?お前の見解を聞かせてくれ」
「さあな……死期を悟ったボスの、太っ腹なボーナスってところだろうよ。それ以外に思いつくことはないな」
ラモンに予測しえるのは、本当にそれくらいのことである。
与えられたヒントが少なすぎる上に、頼れと言われた野間の姿も見えない。
それで答えを導き出せると思う方が、間違いというものだ。
しかしアルフレドは、ラモンが予測しなかったことを口にした。
「ここまで来てしらばっくれるとは、ほとほと呆れた胆力だな」
「なんだと?」
その会話に口を挟んできたのは、ゴードンだった。
「テメェの腹は割れてんだよ、ラモン。いや、この場合はテメェとボスの腹か?」
「なんだと?何を言ってるんだ」
「恩赦は最初から、お前が勝つよう仕組まれた出来レースだったってこった」
ゴードンは、唾を吐き捨てるかのように言った。それを受けて、再びアルフレドが口を開く。
「おかしいと思ってたんだよ。この殺し合い、お前が優遇され過ぎている」
「……どういうことだ」
「お前が恩赦への参加表明を出したのは最後から二番目。誰が参加するか事前に知ることの出来る位置だ」
ラモンはそれに、言葉で反発した。
「それはデルのせいで巻き込まれたから、自然とそうなっただけだ。何を言ってる?」
「本当か?ならなぜ、ドクのロボットにもグラン=ウィッチの罠にも、傷ひとつ負わずに済んだ?」
アルフレドの表情に、強い猜疑心が浮かんでいた。
「いくらお前が有能といっても、この二人の巧妙な罠にかすり傷ひとつ負わないのは、さすがにおかしいだろう」
「下らない推測だな。それで、お前らは何が言いたい?」
アルフレドは指で眉を掻くと、ラモンをじとりと睨み付けた。
「ボスはお前を、組織のトップとして迎えるために恩赦を仕組んだんじゃないのか?」
アルフレドの表情は真剣そのものだった。それがどれほど滑稽に聞こえても、本気でそう考えているからなのだろう。
だがラモンはそれを察しながら、堂々と鼻で笑って見せた。
「誇大妄想もいいところだな。どんな思考回路してたらそうなるのか、教えてくれよ」
しかしアルフレドは全く笑わず、ラモンへ言葉を投げ放つ。
「なに、簡単な推測さ。お前はボスのお気に入りで、腕も立つ」
「そんなお前を、単なる私的な殺し合いで浪費するボスじゃない。そうだろ?」
「そう考えたときに最もしっくり来た理由が、お前を後継者として指名するためだった」
アルフレドは訥々と、自身の推理をラモンへ聞かせる。
「もしお前が恩赦に勝ち残れば、外部へ逃がして顔を整形させ、改めて招聘することが可能だ」
「あとはお前がボス直筆の遺言書を持参して、『俺が新しいボスだ』と言えば、少なくとも表向きは誰もお前に異を唱えられない」
「違うか、ラモン?」
一応は辻褄が合ってしまう理屈だが、それでもやはり荒唐無稽な論だと言わざるを得ない。
第一、それを易々と了承するような二人でないことは、この場の全員が最も良く知っているはずなのだ。
しかしラモンが口を挟む前に、ゴードンががなり立てるような声を上げた。
「ボスの葬儀でナマイキしやがったのも、テメェが跡継ぎに選ばれるって自信があったからじゃねぇのか?」
「俺たちへナメくさった態度を取ってたのも、それで説明できらぁな」
ラモンは内心で、苦々しい顔をした。
あの場での態度が最悪だったのは認めるが、それはボスの仕掛けたロボットに誰も気づかなかったからだ。
しかしそれを指摘すれば、本物のボスについてまで言及しなければならなくなる。
そうなれば、今度はボス殺しの嫌疑でリンチにかけられてしまうだろう。
(嫌疑というか、殺したのは間違いなく俺だが……)
ヤクザ者の面子もあるのだろうが、己の無能を棚に上げて殺されるのも、癪と言えば癪である。
つくづく厄介な人種を相手にしているものだと、ラモンは思う。
そしてアルフレドは、最後に勝ち誇った様子で、こう付け加えた。
「極めつけは、この『別荘』だ」
「調べて分かったが、この建物の所有者の名義はアダム=フレックス。ボスの表向きの偽名だった」
「なぜお前は、ボス名義の療養所なんぞに潜んでいたんだ?」
「なにか言い訳でもしてみたらどうだ、ラモン」
ラモンはもはや、知らなかったと言うことすらしなかった。
どんな言葉を並べたところで、二人の疑いが晴れることはない。
その代わりに、ラモンは喉の奥で擦り上げるように、くっくと笑った。
「……何がおかしい、ラモン」
するとラモンは、痛む体などお構い無しといった風に声を上げた。
「あんたらがマヌケだから、笑いが止まらないんだよ」
「いいか、アルフレド、ゴードン。ひとつだけお前らに教えておいてやる」
「ボスが本当に俺を組織の頭へ据えたいなら、恩赦なんてまどろっこしい真似はしない」
「堂々と襲名させて、幹部へ有無を言わせない策を施してから死んだはずだ」
「あんたらがどんな翻意を持とうが、ボスにとっては敵にすらならないからだ」
「幹部だ跡目だと騒いでるが、お前らは結局ボスの眼中にすらなかったんだよ」
ラモンのその発言も、あながちいい加減という訳ではない。
この二人がボスからの信を得ていたなら、ロマネスクの恩赦は野間ではなく、二人のどちらかへ託されたはずなのだ。
それをされないということは、ロマネスクは彼らを信じるに値しない者だと思っていたことになる。
額に青筋の浮いた二人を、ラモンはさらに煽った。それは追い詰められて半ば自棄になったかのような、彼らしくない発言だった。
「考えてみれば、ボスも哀れなもんだ。こんな無能しか部下にいないなんてな」
「このままお前らのどちらかがボスになったら、リチャード=ロマネスクの面子も丸つぶれだろう」
「ハッキリ言ってやる。組織を潰すのは俺じゃなく、お前ら使えない三下だ。ボスの爪の垢でも煎じて、飲んでみるんだな」
アルフレドとゴードンは、怒りのままにラモンのベッドの脇へとやってきた。
「そいつは、自分が恩赦に関係してると認めたものとみていいんだな?」
「それすらも分からん低脳なら、いい脳外科医を紹介してやろうか?」
挑発するような言い方に耐えかねたゴードンは、ラモンの傷だらけの足を無造作に握った。
「……ッ!!」
「滅多な発言はするもんじゃねぇな。テメェの命は今、こっちが預かってんだ」
そして指の欠損した手で、傷口を揉むように強く握り潰す。
かつてラモンの目の前で、グラスを潰して見せた握力である。
声を上げなかったのが奇跡のような激痛が、ラモンを襲った。
「ゴードン、そいつは拷問訓練を受けてる。痛めつけても何も吐かんぞ」
「うるせぇ!葬式で恥かかされた礼は、まだ返しちゃいねぇんだよ!」
アルフレドはそれを見て、ベッドの脇から一歩引いて言った。
「今回ばかりは、お前と組んで正解だったよ。俺はそういう荒事が苦手なもんでな」
「ハッ!こちとら無くした指の数だけ出世してきたんだ。五体満足の殺し屋ごときに、譲る頭はねぇなァ!!」
そして再び、ラモンの傷口を絞るように握る。
包帯に血が滲み、傷が開いても、ゴードンはその手を止めなかった。
ラモンが拷問耐性訓練を受けていなければ、とうに気絶するか恩赦への関与を認めていただろう。
しかし不幸なことに、彼は誰あろうフォークロア=ラモンであった。
耐えられる限りは耐え、やっていないことをやったとは言わぬ男だった。
拷問が効果を成さないことを知ると、ようやくゴードンは足から手を離す。
ラモンの全身をびっしりと脂汗が覆い、その呼吸はひどく不規則に乱れていた。
「気が済んだか?」
「呻き声ひとつ上げやがらねぇ。張り合いのねぇ野郎だ」
ゴードンは興味が失せた顔になり、懐から銃を取り出した。
「とっとと殺しちまおう。そうすりゃ恩赦がどうだろうと、こいつが頭になることはねぇ」
それを聞いたアルフレドも、同じように銃を取り出して銃口をラモンへ向ける。
「そうだな。いずれにしろ有能な殺し屋など、俺たちの障壁にしかならん」
ラモンはそれを、痛みに支配された視界で見つめている。
万事休す。もはやラモンに、残された手は何一つない。
最後は呆気なく訪れるものだとラモンが諦めた、その時だった。
突如として屋外から、銃の発砲音が聞こえてきた。
しかもそれは単発でなく、断続的に長い間鳴り響いている。
それに続くように、ゴードンとアルフレドの部下たちの叫び声が響き渡った。
「……ケッ、誰か来たか」
「いらん時間をかけすぎたな」
二人はラモンから一旦視線を切ると、銃をドアへ向けて構えた。
「サイモン、外の様子を調べろ」
「マイク、おめぇもだ」
サイモンはアルフレドの、マイクはゴードンの護衛の名だった。
二人は命じられた通り、ドアを慎重に開けて外の様子を窺う。
この時ゴードンとアルフレドが保身に走らず、ラモンを確実に殺していたならば。
少なくとも、ラモンと組織の関係を断つという彼らの目的だけは、果たせただろう。
しかしこの時点ですでにそれは、叶わぬ夢となってしまった。
外の様子を窺っていた護衛が、突然背を床にして倒れる。
銃の音はまだ部屋の外までは届いておらず、屋外から響くのみである。
にも関わらず、廊下で待機させていた二人の部下たちが、次々と声を上げて倒れる音が聞こえてきた。
「な、なんだァ!?」
ゴードンがドア付近へ近寄り、倒れたマイクの顔を覗き込む。
その眉間に、鋭利な鉄の棒が突き立っているのが見えた。
マイクもサイモンも、ドアから僅かに顔を覗かせたばかりである。
それに対してこうも正確に、鉄棒を当てて見せるのは尋常な手腕ではない。
「こいつぁ妙なことになってきやがったな」
「……どうやらラモン以外にも、真打ちがいたらしいな」
二人は外の戦闘音が止むのを、じっと待った。不用意に部屋から体を出しては、護衛二人の二の舞になるからである。
十人以上待機させていた彼らの部下の声は、ものの数分で聞こえなくなった。
やがて、ドアが静かな軋みと共にゆっくり開かれる。
アルフレドもゴードンも、銃をドアへ向けて微動だにしない。
そしてドアの隙間から、サッカーボール大の何かが放り込まれた。
二人は反射的に、そちらへ銃口を向ける。
それは、外で殺された部下の一人の、生首だった。
二人に動揺は見られなかったが、数秒その生首に気を取られる。
その隙をついて、室内に迅雷のごとき早さで侵入してきたものがいた。
それは、奇妙な格好の人間だった。身長は140㎝あまりにしか見えず、かなり小柄である。
返り血まみれのレインコートで全身を包み、手には一本の歪な刃物を握っている。
ククリナイフと呼ばれるそれは、およそ一般人が取り扱うような武器ではない。
顔全体がコートの一部で覆われているため表情はよく見えないが、ラモンはその目に、見覚えがあるような気がした。
その人物は、真っ直ぐにゴードンの方へと走ってきた。
「ナメるな!!」
ゴードンは怒号と共に銃弾を放つ。しかし相手は、ゴードンが引き金に指をかけた時点でそれを避ける動作に入っていた。
低い姿勢のまま床を前転して転がり、ゴードンの足元まで近づく。そしてその勢いに任せ、ゴードンの足を強く切りつけた。
「ガッ……!!」
脛からアキレス腱にかけてが切断され、ゴードンはバランスを崩す。
それと同時にレインコートの相手は、アルフレドへと先ほどの鉄棒を投擲した。
ゴードンが痛みに呻き声を上げるが、その後に続く言葉はなかった。
相手がククリナイフを、顎から脳天へ素早く潜り込ませたためである。
ゴードンは絶命し、背後に倒れた。
レインコートの人物は続いてアルフレドへと向き直ったが、その時彼はすでに銃の引き金を引いていた。
本来なら、飛来した鉄棒が彼の眉間に突き刺さり、すでに生命を奪っていたはずだ。
だがアルフレドは、サイモンの死体と同じ轍を踏まぬよう、レインコートの敵を注視していた。
本来ならいかなる戦闘訓練も受けていないアルフレドが、それを避けることは出来なかっただろう。
しかし今回、死ぬかもしれないという恐怖が、アルフレドの六感を臆病なまでに鋭敏にしていた。
そのおかげもあり、高速で飛来する鉄棒を、命からがら避けることが出来たのである。
アルフレドはそれを勝機と見て、続けざまにレインコートの敵へ銃弾を浴びせた。
一発、二発と銃弾はレインコートの胸や肩口へ当たり、相手は横倒しに倒れる。
「何者なんだ、こいつは……」
肩で息をついて、アルフレドは呟く。しかしその時、彼には見逃しようのない、大きな隙が出来ていた。
「前に気を取られすぎだ。俺もまだ動けることを忘れるな」
その声に、アルフレドが体をひきつらせて振り向こうとする。
しかしそれは、首に巻き付けられたしなやかな腕によって阻まれた。
ラモンだった。彼はアルフレドが銃を使うと同時に、その音に足音を紛らせて立ち上がっていたのだ。
渾身の力を込めなければ、足は言うことを聞いてくれなかった。
だがそのおかげで、ラモンはアルフレドの背後を取ることが出来た。
ラモンは息を大きく吸うと、アルフレドの声帯と気管を、片手で思い切り握り潰す。
「ヒギュッ……!?」
アルフレドは空気の漏れたような音を鳴らし、細い手足をばたつかせて最後の痙攣をする。
しかしその動きも次第に小さくなり、一分もするころには動かなくなった。
ラモンはため息をつくと、アルフレドの握っていた銃をなんとか回収する。
そして、限界が訪れた足を休ませるように、ベッドへ尻餅をついた。
耳を澄ませば、外での戦闘音も収束しつつあるようだった。
ラモンは周囲への警戒を怠らないようにしながら、部屋のある一点へ向かって喋った。
「おい、あんた。まだ生きてるんだろ?起きてるならどういうことか、事情を説明してくれないか」
その言葉を聞いて、部屋の隅に転がっていたレインコートの人間が、むくりと起き上がった。
「やはり防弾だったか。動きが重いから、おかしいと思った」
レインコートの人は、素人目に見れば軽やかな動きでゴードンの命を奪っていた。
それを見ていてなお、ラモンの目には違和感のある重い動きと写ったらしい。
相手はあぐらをかくように座るとレインコートの頭の部分を取り払い、その顔をラモンへ見せる。
「お前は……」
「へへへ、お兄さんお久しぶりです!元気してましたか?」
それは数日前、ラモンのアジトのボロアパートで、彼へ花を置いて帰った少女であった。
少女は立ち上がると、自分の腕長ほどもあるククリナイフを、ゴードンの骸から抜き取った。
血塗れの刃をゴードンのスーツで拭い、刃を引きずるようにしてラモンへと近づいてくる。
「お兄さん、怪我はないですか?」
「……ないように見えるか?」
これだけズタボロのラモンを見て、怪我の有無を聞くのも感覚としてどこかズレている。
しかしそんなラモンの言葉も聞かず、少女はラモンの体に顔を寄せると、くんくんと鼻を鳴らした。
「んん~、お兄さんやっぱりいい匂いがするですぅ!」
「……いい匂い?」
そういえば彼女は、以前会ったときもそんなことを言っていた。
「そうです!鉄とサビと火薬の匂いです!」
そういうことかと、ラモンが合点がいった。鉄と錆の匂いは、合わせて血の匂いである。
それと火薬の匂いを合わせれば、拭い去れない殺し屋の芳香の出来上がりだ。
長年殺しに携わった人間なら、嫌でもその香りは身に染み着くというものだ。
しかしその僅かな芳香を当ててみせたこの少女は、一体何者なのだろう。
そんなやり取りを少女としている間に、外での銃撃音が完全に止んだ。
そしてそれから数秒も経ず、廊下から激しい足音が聞こえてくる。
「ラモンはん!!無事でっか!!」
その足音の主は、野間であった。両脇にマシンガンを二挺携え、それで敵を排除して来たらしい。
しゅっとした無駄な肉のない体を、迷彩服で包んでいる。まるで軍人のような出で立ちである。
「……しばらく見ない間に、デルタフォースにでも入隊したか?」
「良かった、ジョーク言えるくらいには元気みたいやね」
野間はマシンガンを床へ投げると、ラモンの傷口の包帯をナイフで切った。
「えろうすんまへんな。ちょっと野暮用で留守にしてる間に、とんでもないことなってしもて」
「外の連中は、全員あんたが?」
「そや。間違いなく全員お陀仏やで」
野間はポケットから包帯を取り出すと、ラモンの傷を止血し、綺麗に巻いていく。
「色々と聞きたいことはあるが……取り急ぎ、ここを出てからの方が良さそうだな」
「そやな。援軍でも来たら、逃げるんも大変や」
そして野間は、未だにラモンの体臭を嗅いでいる少女へ声をかけた。
「クルー!遊んでんと手伝いや!」
「はいです!」
その彼女へ、ラモンは何気なく話しかける。
「あんた、クルーというのか」
「そうです!クルーシャ山田って言います!」
「なんやクルー、あんたまだ名乗っとらんかったん?」
野間がまるで母親のような呆れ顔になる。
クルーは後ろ頭を手で掻いて、へへへと照れくさそうに笑った。
「やっぱり、あんたとこの娘は知り合いだったんだな」
「うん、でもその説明も後回しや。クルー!あれ持ってきて!」
「はいですー!」
クルーは部屋の外へ走っていくと、真向かいの部屋へ飛び込んでガチャガチャと大きな音を立てた。
そして数秒後、彼女が引っ張ってきたのは、医療用のストレッチャーであった。
「まさかとは思うが、それで俺を運ぼうってんじゃないだろうな?」
「足ケガしてる人間が何言うてるん!はよ乗った乗った!」
ラモンは不服ながらも、野間の肩を借りてストレッチャーへ乗り、横になる。
己の意思で無理を通せるほど、浅い傷ではないと本人も理解していた。
「ほな、行くで!」
「はいです!」
野間は掛け声を上げると、クルーと二人でストレッチャーを押して進んだ。
ゴードンとアルフレドの部下の死体が、そこかしこに転がって血の臭いを漂わせている。
野間は進行の邪魔になる死体は蹴り退かし、クルーもそれに倣う。
「どうするんだ、この死体。この数じゃ処理するのも大変だろう」
「あとで建物ごと燃やしとくわ。ここは好きに使ってええって話やったし」
「……なるほど」
「キャンプファイヤー!クルー、キャンプファイヤー大好きです!」
そんな会話を交わすうち、三人はストレッチャーを裏口とおぼしき場所から外へと出した。
「次はこれ乗って移動するで!」
「……おいおい、どこからこんなもの調達してきた?」
そこに停められていたのは、白い車体も眩い、まごうことなき救急車であった。
「うちの力で用意できんもんはないで?」
「うちの力、ね……」
もはや何と言っていいか分からず、ラモンは黙ってストレッチャーごと救急車の後部へ乗せられた。
野間はラモンを救急車へ乗せた後、いったん療養所へと戻った。
そしてどこからかポリタンクを持ち出してガソリンを振り撒くと、そこへ火を放ちこちらへ逃げてくる。
火の手は凄まじい勢いで広がり、建物の周辺を燃やす。その中身ごと焼失するのも、時間の問題だろう。
「これでよし、と。さ、行こかラモンはん!」
「どこへ行くつもりだ?」
「とりあえず、ここじゃ落ち着いて話も出来へんから、ある場所に着いてきてもらうわ」
そして野間は、運転席へ声をかけた。
「車、出してや!安全運転かつ最速でな!」
「あいよー」
運転席の男は、それに応じて救急車のエンジンをかける。
ラモンはその声を聞いて、思わず眉をしかめていた。
「その声……ジョージか?」
車のエンジンを吹かしながら、男が振り向いた。
「よう!ジョージ様直々の運転だぜ!快適な旅を約束してやんよ!」
救急車に合わせたのか、ご丁寧にも白衣を纏い、救急隊員のつけるヘルメットまで着用している。
ジョージの正体を知るものがそれを見れば、出来の悪いコスプレをしているようにしか見えない。
「どういうことだ、野間。こいつもグルだったのか?」
「あー……話すと長くなるから、それも後でええ?」
「……分かった。だが、ちゃんと説明しろよ」
ラモンはもはや追いつかない理解を放置して、ストレッチャーへ横たわった。
そして救急車は一行を乗せて、ラモンの知らないどこかへと出発した。
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組織の療養所は、どこかの山の中にあったようである。
救急車を発進させてしばらくは、木々の生い茂る道を延々と進んでいた。
確かに人里から離れた場所にあるなら、火事が起こっても容易に発見されることはない。
ストレッチャーの上で沈黙に徹していたラモンだったが、それは何から尋ねるかを考えていたためだ。
聞きたいこと、聞かねばならないことは山ほどあるが、それより先に野間の方から口を開いた。
「この娘、戦闘で無茶してなかった?」
野間はストレッチャーに手を着きながら、彼女の方を見る。クルーシャのことを言っているのである。
当の本人はというと、救急車の壁に背を預け、すやすやと寝入っていた。
「アルフレドの銃弾をモロに受けていた。自己申告はなかったから、デカいケガはないと思ってたが……」
防弾性の衣服を着ていたからといって、その衝撃を全て逃がせる訳ではない。それはあくまでも、ショックを軽減するための道具に過ぎない。
しかしラモンは、彼女自身が痛そうな素振りを見せていなかったため、大丈夫なものと判断していた。
「この娘の場合、それやとあかんのよ。出血もなんもないから、大丈夫やとは思うけど……」
野間はいったんストレッチャーから離れると、血塗れのレインコートを脱がしてクルーの体をまさぐる。
「骨折はしてない……ケガらしいケガは打撲くらいのもんやな。ありがとう、ラモンはん」
ざっくりとした診療だったが、ラモンはそこに、やや違和感を覚えた。
「痛みを我慢してるのかと思ったが、そうじゃないのか?」
本人が知覚しえない傷というのもあるだろうが、さすがに銃創が出来て無自覚でいられるはずがない。
傷を負ったなら、自分で応急手当てするか、野間へ伝達して治療してもらうかするはずである。
しかし野間は、ふるふると顔を横に振って、それを否定した。
「この娘なぁ、後天的な無痛症なんよ」
「無痛症……」
「そや。痛みを自分で感じへんねん」
野間はクルーからレインコートを脱がせると、肌着一枚になったクルーへ自分の迷彩柄のジャケットを着させた。
「この娘、むかし親から酷い虐待受けとってな……そのせいで、脳が苦痛の信号をシャットアウトしてまうんやて」
「そんなことがあるのか」
「うん。命に関わる傷やない限り、何ともないと思うてしまうんや」
比較的博識なラモンでさえ初めて聞いた症例だが、そういうこともあるのだろうと思う。
「だが、そんな娘を最前線に立たせていいのか?」
「いいわけないわな。けど、自分の身くらい自分で守れるようにならんとあかんのも事実や」
野間はため息をついてそう呟いた。
「ラモンはんこそ、足のケガは大丈夫?」
野間が心配そうに、ラモンの足の傷を覗き込む。
出血こそ止まっているものの、痛みは止んでいないはずだった。
しかしラモンは、痛みなど元からないかのように、事も無げに言ってのける。
「心配ない。あとで縫合糸と針を用意してくれ」
「いや縫合糸て……まさか麻酔もなしに自分で縫うん!?」
「昔ケガをした時はよく自分で縫った。誰も治療なんざしてくれなかったからな」
「……お願いやから、ちゃんと医者に診てもらって。後で呼ぶから」
「そうか。たまにはこういうこともやらないと、勘が鈍るんだがな」
野間は想定外のラモンのタフさに、驚きも呆れも通り越したような顔をした。
「やっぱラモンはん、とんでもないな……でもこれからは、うちのことも少しは頼ってや?」
「そいつはあんたが信頼出来るかどうかによるな」
ラモンはストレッチャーへ横になったまま、ふと思いついたことを口にした。
「そういえば、敬語で喋るの止めたのか?」
普通に受け入れてしまっていたが、再会してからの野間はすでに敬語ではなかった。
「うちももう組織の連絡員やないしな。それにホンマは、うちの方がラモンはんより歳上やし」
「組織を抜けたのか」
「ちゅうか、有力な幹部が二人も死んでもたし、放っといても跡目争いで自壊するんと違う?」
まるで関係ないことのように、野間がさらりと言う。
「ボスはそこまで織り込み済みだったってことか」
「そやな。自分が死んだ後の組織が維持出来なくなるんも、想定の範囲内やったみたいやで?」
ロマネスクという巨大な屋台骨を失った現在、組織は大きな危機に直面していると言える。
矢面に立って彼の代わりを行える人材は、ラモンの知る限り存在しなかった。
そしてその逆に、隙あらば組織を失脚させようとする敵対者は、掃いて捨てるほどいる。
「どちらにしろ、今の俺には関与出来ないことだがな……」
「せやな。今組織に戻ったりしたら、十中八九ラモンはんは的にされてまうで」
「なぁ、野間。ロマネスクの恩赦とは、結局何だったんだ?」
ラモンはようやく、問題の核心へ触れようとした。
しかしそれを野間は、紙一重でのらりくらりとかわす。
「教えたいのは山々やけど、目的地に着くまで辛抱してもらえん?」
「……確かに、逃走中に聞ける話でもないな」
そこからラモンは、意識を途切れさせないようぽつぽつと独り言を語り始めた。
起きてからの騒動で、滲むような疲労がじわじわと彼の肉体を襲っている。
しかし、移動中は敵からの襲撃を考え、絶対に眠らないよう心がけていた。
野間はラモンの殺し屋としての経歴を聞きたがった。
特にロマネスクと関係する思い出を、聞こうとしているようであった。
口に出来ないようなことがほとんどだったが、語って聞かせられる範囲のことは話して聞かせた。
「ボスはあんたを巻き込んだこと、後悔してるような様子だったな」
「……そうかぁ」
ロマネスクの最期を思い起こしながら、ラモンはそう伝えた。
しかし野間は、聞きたがった割には淡白な反応で、ラモンの言うことに遠い目をするばかりであった。
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そうして一時間ほど車を走らせ、救急車はようやくラモンの見知った市街地へとたどり着いた。
「こっから先は、もうすぐやで」
野間がそう言うと、山間部から出るまで一言も喋らなかったジョージが、突然声を上げた。
「ってことは、もうアレ使ってもいいよな?」
「ちょ、ちょお待ち!アレは追っ手が来たらって約束やったろ!」
「いいじゃねぇかよ、ケチケチせずによぉ~」
ジョージは居ても立ってもいられないといった様子で、座席の前部に設置してあるスイッチを押した。
途端に救急車は、けたたましいサイレンを鳴らし出す。
「ひょっほー!!見ろよ、前の車が全部避けてくぜ!!」
それに合わせてジョージは、車の速度をぐんと上げる。
「アホ!!余計なことすなって言ったやろ!!」
「サイレンの付いた車を鳴らさずに運転するなんざ、男のやることじゃねーだろ?」
一切悪びれる様子もなく、ジョージは軽快に車を飛ばす。
「まったく……飛ばしすぎたら救急車でも警察に止められんねんで?」
「80㎞くらいしか出してねーから大丈夫だって」
「出しすぎや!もっとスピード落とし!」
そんな悶着を、ラモンはストレッチャーの上で何も言わずに見守っていた。
ジョージの暴走により、救急車は予定より早く目的地へとたどり着く。そこは東蕪湾の、とある埠頭であった。
「さ、着いたでラモンはん。クルーも起きや!」
野間はクルーを乱暴に起こすと、まずはストレッチャーの横に積んであった荷物を下ろした。
それを手早くバラし、組み立てると、簡易式の車椅子の出来上がりである。
「ラモンはん、肩貸すから車椅子に移ってもらえる?」
「すっかり重傷者の扱いだな……」
「自力でろくに歩かれへん人間が文句言わんの!」
ラモンは野間とクルーの肩を借り、車椅子へ座った。
それを野間が押し、ラモンは救急車から程近いある場所へと連れていかれる。
「これは……」
「救急車とこれ用意しとったら時間かかってしまってん。さ、乗った乗った!」
ラモンの目の前に現れたそれは、大型のクルーザーであった。
野間はどこからか持ってきた板をクルーザーへ掛け、陸地からの橋渡しにした。
そして車椅子を押す役目をクルーへと任せ、自分はそれが板を踏み外さないよう上手く先導する。
ジョージは三人がクルーザーへ乗り込んだのを確認してから、自分も船へと身を預けた。
「今からちょっと沖の方まで走るから。その間に、ラモンはんが聞きたいこと大体話せると思う」
「それはいいが、船の運転は誰がやるんだ」
「もちろん俺だぜ!」
ジョージがやけにキリリとした顔で、船の運転を請け負った。
「……船舶免許は持ってるんだろうな?」
「大丈夫だ。昨日野間の姉ちゃんに一時間ぱかし教わったばっかだからよ!」
ラモンはジョージに応じる代わりに、野間の方を懐疑の瞳で見つめた。
「ごめんなぁ……うちは運転できるねんけど、そしたらラモンはんに話が出来る人間がおらんくなるやろ?」
「追っ手を気にせず話すんなら、海上が一番手っ取り早いし……沖に出るだけやから我慢してんか?」
ラモンはそれに諦めで応じて、クルーザーの後部へ車椅子を動かした。
野間もクルーも、それに合わせるようにラモンを取り囲んで座る。
そしてジョージが舵を取るクルーザーは、思いの外ゆっくりと、沖合いへ向かって走り出した。
「さてと。まずは何から話せばええかなぁ」
野間は風に髪をたなびかせ、言葉を思案した。
「まどろっこしいのも何だし、ロマネスクの恩赦について、そしてボスの目的について、こんなところでどうだ?」
「せやね。そしたらまずはラモンはんが自分の置かれた現状をどれだけ理解してるか、教えてもらえん?」
野間はまるで探りを入れるように、ラモンの顔を覗き込んだ。
ラモンは数秒思案した後、自身の見解を野間へ向けて話して聞かせた。
「まず、野間。あんたは恐らく、ボスと血の繋がった肉親だ」
「……なんでそう思ったん?」
さして驚いた様子もなく、野間は質問でラモンの言動を促した。
「慎重派のボスが、他人を間に挟んで事を進めるとは考えにくい。やるなら自分を裏切る可能性の少ない人間……忠誠心を重視する」
「ボスの息子は粛清されて亡くなってる。ならば、その子供を自分の腹心として育てることは十分に有り得る」
「ボスとの間に立てるあんたは、さしずめボスの実の孫ってところじゃないか?」
野間はそれに小さく頷き、ラモンの言うことを肯定してみせた。
「さすがやなぁ……少ない情報から的確に真実を掴んでくるやん」
「その通り。うちはリチャード=ロマネスクの孫、ノービス=ロマネスク。名前を略して、通称野間ちゃんや!!」
「ほんで?それ以外には何が分かってる?」
ラモンは野間の言葉に合わせるように、淡々と語った。
「ボスの病気による時間的制約が、恩赦が始まった最大の原因であること」
「これほど巨大になった組織の力でも成し遂げられない何かが、あんたたちの目的にあること」
「だからボスは、組織から離れたところで事を起こそうと試みていた……それくらいだな」
「うん。そやね」
「だが、その当の目的についてはさっぱり見当がつかないな」
今度はラモンが、両手を挙げて平服するポーズを取った。
「殺し屋同士を殺し合わせて、得られる利があるとは考えにくい。俺を組織から離反させたいなら、そうボスから命令すればいいだけだからな」
「そうやね。その通りや」
「その過大な損失を受容してまで、ロマネスクは何をしようとしていたんだ?」
「そやね……まず、ラモンはんが選ばれた理由から教えよか」
「あぁ」
「ラモンはんがじいちゃんに選ばれた理由は、抜きん出た才能とその出自にあったんや」
「じいちゃんは、あんたがミックスチャイルドやから、この計画に選んだんよ」
「……!」
野間は神妙な顔つきになり、風に浸すように右手の人差し指を立てた。
「じいちゃんが必要としてたのは、才に溢れカリスマ性に富んだミックスチャイルド。それが、ラモンはんやったんよ」
「ボスは出自に関係なく、能力のみを見ていると思ったが……」
「組織の中でなら、そうやったと思うよ。けど、恩赦の裏にある本当の目的のためには、その産まれが必要不可欠やったん」
「その目的とは?」
野間はいったん目をつむり、気を落ち着けるために口を閉ざす。
そして出てきた次の言葉に、ラモンはかつてないほど驚愕した。
「革命や」
「……なんだと?」
「アメリカから日本の主権を取り戻すための、革命の切り札。じいちゃんはそのために、あんたを自分の跡継ぎとして選んだんや」
クルーザーのエンジン音が、やけに大きく響いていた。
ラモンは驚愕し、野間はその反応を窺い、クルーは居眠りし、ジョージは操舵に精を出す。
その全てが、白々しいほどにゆっくりと感じられた。ラモンが次の言葉を発したのは、それから一分ほども経過してからだった。
「……それはあまりに突拍子が無さすぎるんじゃないか?」
「そうか?」
「論理が飛躍しすぎてる。俺には目的と手段がかけ離れてるように思うが……」
「そうやろか?言うてしまえば、めっちゃ簡単な理屈やで?」
野間は至極真面目に、その理想を語って見せる。
「アメリカの横暴と失策によって生まれた、悲劇のヒーロー。そういう肩書きは、自分たちの行為に正当性を与えるもんや」
「もしそんなあんたが革命を主導したんなら、カリスマなんてもんやない。凄まじい指導者になると思わん?」
しかしラモンは、話についていけないとばかりに、露骨なため息をついた。
「……俺は老人の妄言に付き合うつもりはないぞ。だいたい、たった三、四人で革命なんて、起こせるはずがないだろう」
「そらそうや。ここにいるメンバーだけやったら、不可能やろな」
「……なに?」
「もしじいちゃんが、その辺の準備も抜かりなくしてたとしたら……ラモンはんはどうする?」
「……どういうことだ」
ラモンの問いかけに、野間は質問でもって返した。
「その前に、ラモンはん。うちのじいちゃん、なんて異名で呼ばれてたか覚えてる?」
「忘れるはずがない。≪死神≫ロマネスクだろう?」
「そや。組織の人間でさえ逆らったら粛清される。その恐怖の象徴が、死神の異名やった」
「そうだ。だからこそ、敵対者はおろか内部の人間でさえ、ボスを恐れた……」
「ちゃうねん」
「なに?」
「死んでへんねん、その人ら」
「……何を言ってる?」
ラモンは眉をひそめたが、野間は構わず話を続けた。
「死神の粛清の実態はな、スカウトやねん」
「口が固く、それでいて実力と忠誠心の高い人間を、死んだことにして海外に送っとったんや」
「革命の、手駒として生かすためにな」
ラモンは徐々に埋まっていくパズルのピースを、ただ黙して見守っていた。
どんな殺しに臨む時でさえ浮かばなかった汗が、その額に僅かに滲んでいた。
野間はそれを見て、ゆっくりとしかし確実に、話を進めていった。
「粛清されて死んだことになってるうちの両親も、今はカンボジアで戦闘訓練受けてるよ」
「そして、ボス直系の殺し屋いうのも、元々は計画のための兵隊の育成やったんや」
「うちもじいちゃんとの血縁を感じさせないように、海外で整形して日本に帰って来てん」
「ラモンはんの補佐をするよう、じいちゃんに言われてな」
ラモンは言葉を探すようにして、口を開いた。
「それが本当だとしたら、現在の構成員は何人いるんだ?」
「千人くらいかな……じいちゃんが世界中回って、信頼出来る人間を勧誘したらしいで」
「そしていざ事を起こすとなったら、金で雇った傭兵が力を貸してくれる。それがざっと、五千人くらいやろか」
「なんや傭兵同士の海外のコミュニティにも、頻繁に顔出してたって聞いたなぁ」
そしてラモンは、ひとつひとつ答えを精査するかのように、明るみになった事実を確認した。
「確かにそれなら、組織の力が及ばないのも当然だ。国家の闘争に、一介のヤクザが介入しようがないからな」
「そやな。そして本来その計画は、ラモンはんが三十歳になるのを待ってスタートするはずやった」
「それが前倒しされたのは、ボスの病気のせいか」
「そやね……数年前、ガンに犯されたことが判明して、根治は不可能やと悟った。その時から、ロマネスクの恩赦の構想はあったって聞いたわ」
「人の知らないところで、とんでもない話を進めるてやがるな……」
感慨に耽るかのようなラモンを見て、野間はまたひとつ質問をした。
「ラモンはん、今年で二十二歳やったっけ?」
「あぁ。正確な誕生日は分からんが、便宜上はそうなってる」
「三十歳で始動するはずやった計画の、その八年分の埋め合わせ。恩赦の本当の目的は、それやったんや」
「そのために組織の殺し屋をぶつけて、あんたを精神的にも肉体的にも練磨するっちゅう腹やったんやろな」
その言葉にラモンは、今日何度目かの納得の表情を見せた。
「そしてその総仕上げはボス自ら務める、か……」
「うん。実際ラモンはんは、これまでより飛躍的に強なってるはずやで。なんせ、世界最高峰の殺し屋との戦いを制したんやから」
「だが、俺は恩赦に参加するつもりはなかった。もしも俺が知らぬ存ぜぬを決め込んでいたら、ボスはどうするつもりだったんだ?」
野間はその言葉に、ラモンの瞳をじっと見て答えた。
「ラモンはん。よう考えてみ?あんたが恩赦に参加する原因になったのは、誰のせいやった?」
「それは……デルが余計な真似をしたから、俺は恩赦に参加する羽目になった」
「そうやな。じゃあそのデルはんを指導したのは、誰や?」
「……デルはボスの直系。ボスから直接指導を受けた人間の一人……!」
「そや。デルはんは、ボスからラモンはんを信奉するよう洗脳されてたんや。しかも意図的に、歪んだ方向で信奉するように」
「……!!」
そこまで野間が話したところで、クルーザーがエンジンを止めてストップした。
そして操舵室からジョージが下りてきて、自然とその会話に加わる。
「姉ちゃん、ここまで来りゃあもう追っ手は大丈夫だろ?」
「うん。八方海に囲まれてるから、どこから敵が来てもすぐ分かるわ」
ジョージはどかりと音を立てて、ラモンの車椅子の横に座った。
「しっかし、物騒な話に巻き込まれたなぁラモン。ぼんやりとだがこっちにまで聞こえてたぜ?」
「物騒言われたら間違いないわ。元々デルはん、思い込みが激しい質やったらしくてな」
「それを助長するようにじいちゃんが教育したら、すぐあんたを神聖視し始めたらしいで」
ラモンは噛み締めるように言葉を呟く。
「ボスは構成員の性格を熟知してる。それくらいは確かにやりかねんな……」
「そや。そんでデルはんが死んだ後に、鯉衣はんと交代でうちが連絡員やる手筈やったんや」
「まぁ、トゥーンはんのせいで鯉衣はん死んでもうたから、その辺の準備は無駄になったけどな」
「うちのボスは、改めてとんでもない化け物だな……」
「まだまだ、こんなともんちゃうよ」
野間は緊張していた背をほぐすように後ろ手をつくと、首をコキコキと軽く鳴らした。
「あの人は自分が死ねば、組織が瓦解するんを知ってたんやと思うわ」
「そうだろうな。もし本当に有力な幹部を引き抜いていたなら、残ったのはボスからの信用がない輩ってことになる」
「そうや。そして自分の葬式に合わせてラモンはんと戦えば、誰も葬式を抜けてまでラモンはんを追わん、はずやったんやけど……」
野間はそこまで言うと、ラモンの横に座るジョージを睨んだ。
「ジョージのおっちゃんだけは、ボスの葬式抜け出してラモンはんを探しに来たんやで?」
「そうだったのか?」
ジョージは何でもないことのように、けろりと言ってのける。
「いやー、あの時オメェの様子がおかしかったからよ、こっそり教会抜け出して後を着けたんだよな」
「したら野間の姉ちゃんがなんかコソコソやってやがるだろ?こりゃ何かあるなーと思って話しかけたんだよ」
野間はそれを聞いて、巨大なため息をつく。
「ホンマは他人に作戦を知られたら、その時点で殺さなあかんねんけどな……」
「カジノの収益一ヶ月分で手を打ってもらったぜ!」
ラモンは呆れた様子で、ジョージを見ている。
「そんな勝手なことをしていいのか?組織が黙っていないだろうに」
しかしジョージは、全く悪びれる様子も見せずにぬけぬけと言ってのける。
「いやーそれがよぉ、俺のカジノってアルフレドさんの直轄だったんだよ。だが、アルフレドさんもゴードンもボスも死んだんだろ?」
「てなるとアルフレドさんの後釜が決まるまで、上納金を納める幹部がいなくなっちまったのよなぁ~」
「てことはだ、俺がちょーっとばかし懐にカネ入れても、気づかれねーと思わねぇ?」
これにはラモンも、何も言えなくなってしまった。
さらには野間まで、ラモンを追い込むような話し方をする。
「ラモンはんが教会で暴れたりせえへんかったら、ジョージはんが疑うこともなかってんけどな?」
「……それは、すまん」
「ま、ええわ。話戻そか」
野間は諸々のツッコミどころを無視して、話を進めることにしたようだった。
「以上が、ラモンはんの知りたがってた恩赦の目的や。何か質問はある?」
「要するに俺は、革命の広告塔に指名されたってことでいいんだな?」
「その通りや。それも自分で戦える広告塔やで」
「勝手な話だが、まぁいい。最後に、もうひとつ聞かせてくれ」
「なんや?最後と言わず好きなだけ聞いたらええで?」
「ボスはこの計画、一人で立てたのか?」
「……!」
そのセリフに、野間の視線が一際鋭くなった。
「単独でこんな計画を立てたというなら、信じることはやぶさかじゃない。だが、そもそもあの人はアメリカ人だろう?」
「それがなぜ、日本の主権の回復なんて面倒を計画してるのか、そこが微妙に引っ掛かったもんでな」
野間は言葉を選ぶように、慎重に何かを告げようとした。
「……あの人は、正確にはアメリカと日本のハーフでな。ミックスチルドレン政策の施行された直後の日本で産まれたんよ」
「……なるほど。それだけでどんな辛苦を舐めたか、想像に難くないな」
「うん。孤児を利用してるのも、一種の職業斡旋的な、同族救済のつもりやったのかもしれんなぁ」
「そして、革命を起こす動機には第三者が関わっている。違うか?」
野間が、あからさまに動揺した態度を取った。
「……な、何でそんなこと言うん?」
「裏でのしあがった人間が政治にまで関わろうとするには、苦労だけじゃ動機が薄い気がしてな」
「今や世界一の金持ちにも劣らない闇の要人なら、日本の主権なんて些末な事じゃないのか?」
野間はため息をついて、細い指で自身の首をなでた。
「ふー……やっぱりラモンはんはそこまで行き着いてしまうかぁ……」
「本当はラモンはんが気づいた時だけ話せ言われた事があるんやけど……話さんと納得せんやろな」
野間はラモンとジョージをちらりと見ると、他言無用であることを目で伝えた。
「じいちゃんが日本をアメリカから取り戻そうとしてんのな、ある人からの依頼なんよ」
「誰だそれは。右翼系の政治団体にでも絡まれたか」
「んーん。旧天皇家」
「……は?」
「アメリカに解体された、旧天皇家の一族の一人に依頼されたんやて」
さすがのラモンも、これには開いた口がふさがらなかった。
ジョージはひゅうと口笛を吹いて、野間を茶化すような仕草を挟む。
「なんとまぁ、うちのボスが天皇陛下様とクサい仲だったなんてなぁ。面白くなってきたじゃねーの」
「それはさすがにデマじゃないのか?一国の象徴が革命を依頼したなんて知れたら、大スキャンダルだぞ」
「けど、ラモンはんも聞いたことあるやろ?ボスが天皇家と交流があるっちゅう話」
「それは……確かに昔、皇室関係者と知り合いだという噂が流れたことはあるが……」
野間はラモンの戸惑いすら無関係に、ただ事実のみを述べているように見える。
「ホンマやからそういう情報が漏れたんやろし、じいちゃんが情報の炙り出しのために意図的にバラした節もあると思うで?」
「……本当なのか?」
ラモンはそれでも信じられないといった様子で、野間に尋ねる。
「ホンマやで。世が世なら天皇の座におわす、元皇位継承権第一位」
「豊篠宮郁仁(とよしののみやゆくひと)殿下からのご依頼やったんや」
野間の語りに待ったをかけないよう、ラモンは慎重に言葉を選んで問うた。
ジョージもそれを察してか、それ以上野間を茶化すようなことはしなかった。
「ボスとその人は、どういった経緯で知り合った?」
「なんや、えらい金持ちだけが使えるサロンがあるみたいでな。そこでじいちゃんと殿下は意気投合したみたいやで?」
「皇室関係者を騙る詐欺もあったと思うが、本物なのか?」
「まぁその辺は、本物は本物を知るっちゅうことなんかなぁ。話してるうちにピンと来たらしいで」
野間は腕を組んで、物思いに耽るかのような顔をした。
「向こうさんも、じいちゃんがカタギやないことは勘づいてたみたいでな」
「それでも、会う度何も言わずに、じいちゃんに頭を下げ続けてくれたんやって」
「そしてある日、じいちゃんの手を取って、『日本を救ってほしい』って涙ながらに言われたらしいで」
「『私には、あなたの生き方を詮索する権利などありません』」
「『ですが、困窮する国民をこれ以上見るのは耐え難いのです』って……」
「そこで二人は、お互いの素性を明かしあったって話や」
ラモンはそれを、黙って聞くしか出来なかった。
ラモンには組織のトップの思惑も、国を思うトップの気持ちも、到底理解できない。
だがそこに、筆舌に尽くしがたい感情がこもっていることだけは分かる。
まるで咀嚼しても飲み込めない、石を噛んでいるかのような心情だった。
「以上が、じいちゃんが革命に手を染めようとした本当の理由や。他に何か質問はある?」
野間はようやく長い語りを終え、ラモンに向き直った。
「いいや、ない。子細は概ね把握した」
「そか。それじゃ、ここからがこっちの本題や」
そして野間は、あぐらをかいた太ももの上に手を乗せ、ラモンに選択肢を提示した。
「ラモンはんには今、じいちゃんの理想に協力するかせぇへんかの二つの選択肢がある」
「協力するんやったら、すぐ海外に身を隠す。協力せなんだったら、組織を抜けてめでたく新天地へ、や」
「どないする?」
ラモンは車椅子から空を仰ぐと、存外キッパリと言い放つ。
「今のところ、俺がその仕事を受ける利点は見当たらないな」
「ま、ラモンはんならそう言うやろな。あんたはボスの理想のためやなく、ただ自分のために殺してただけやもん」
「あぁ。そういうことだ」
「さよか。それなら仕方ないなぁ」
ラモンは野間のその言動に、不自然なものを感じた。
「……あんた、食い下がったり説得したりはしないんだな。ロマネスクの理想が潰えてもいいのか?」
「それはそれ、うちはうちや。むしろ断ってくれた方が有り難いねん」
「なんだと?」
「ラモンはんがそれを断るなら、うちは第三の選択肢を用意できんねんからな」
そして野間は、前傾姿勢になりラモンへ思い切りよく顔を近づけた。
「ラモンはん。まずは国内で、うちと一緒にちょっとした人助けやってみんか?」
「どういうことだ。あんたはロマネスクの仲間じゃないのか?」
「仲間やし、革命にも成功してほしいと思ってる。けど、じいちゃんのこと好きか聞かれたら、素直にうんとは言えへんねん」
「……」
人の感情の機微に疎いラモンは、その真意を測るように野間を見詰め返す。
「うちな、年端もいかない子供の時から、不慣れな海外で過ごすの強制されてるんやで?」
「来る日も来る日も戦闘訓練ばーっかで、おまけに多感な思春期に整形まで強要されて、たまらんかったわ」
「日本のために人生を犠牲にすることを強いられた、うちの気持ち分かる?」
ラモンは野間を諭すように付け加える。
「……さっきも言ったが、ボスはあんたを巻き込んだこと、後悔してる様子だったがな」
「知ってるわ。けど、そない言われても簡単に許すことは出来へんもんなんよ」
それは、家族という体系を知らないラモンには、想像しかねる感情であった。
野間はそれにあえて関知せず、自分の言葉のみを続けた。
「だからうちは、うちの目的のためにラモンはんに力を貸してほしいねん」
「なんだ、その目的ってのは?」
「うちな、クルーみたいな娘を自立させてやりたいねん」
野間は、クルーザーの片隅に横になって眠るクルーを見ながら言った。
「あの娘、衰弱して倒れてたとこを、うちが拾って色々仕込んでんけど、そうやなかったら今ごろ死んでたかも分からんのよ」
「うちは革命より先に、まず犠牲になる弱者を減らさなあかんと思ってる。そのためにまず、ラモンはんに協力してほしいんや」
野間の言うことは、尤もであるという側面もある。
たとえロマネスクの望んだ革命が成されたとしても、国民一人一人の生活力が著しく低ければ、国家は容易く崩壊する。
それをケアするために自立を促すというのも、あながち間違った方法ではない。
しかしラモンは、相変わらずの懐疑的な目を野間へ向けた。
「その案を飲むか飲まないかは別にして、勝算があまりに低くはないか?」
「たとえばボスの死んだ今、誰が海外の革命軍をまとめあげる?」
「俺が海外に渡らないと言ったら、あんたはそいつらを納得させられるのか?」
野間はそれに対して、人差し指を立てて言った。
「それについては、うちがひとつ決定的な弱みを握ってるんや」
「それは?」
「じいちゃんの隠し財産……まぁ今は革命派の運営費やな。それ、うちしか引き出して使えんようになってんねん」
「……それが本当なら、ボスも思いきったことをしたな。あんたが裏切ったら、全てがご破算だろうに」
「だからうちの両親には教えてへんのよ。もしもの時の人質にするためにね」
野間は頭を抱えるように下を向き、ロマネスクの冷酷さを語る。
「うちが財産の隠し場所を漏らせば、たとえ肉親でも即座に殺すよう手筈してるはずやで」
「なんちゅうか、ほんま目的のためには徹底して手段を選ばん人や……」
そこまで言うと野間は真っ直ぐラモンを見据えた。
「けど、それはうちの勝機でもある。財産の一部を流用して、子供たちが自立するまでの足掛かりにするんや」
野間の語気は、徐々に強くなってゆく。
「ラモンはんにも、覚えがあるやろ。ミックスチャイルドは、ヤクザに拾われて使い捨てにされるしか生きる道はない」
「だからうちは、そういう子らが自立できるように助けてあげる組織、作りたいねん」
「弱者同士の相互協力扶助組織。その名も、『メリーメニージェーン』や!」
「そのためには、絶対強者であるラモンはんの助力が必要不可欠なんや!」
「お願いや、ラモンはん!条件はなんでも飲みますさかいに!」
「五年……いや、組織が軌道に乗るまでの三年だけ、協力してもらえんやろか?」
ラモンは詰問するように、車椅子の上から野間へ問いかける。
「万が一バレた場合はどうするつもりだ。ボスの財産に手をつけたとなったら、命の一つや二つじゃ済まされないぞ」
しかし野間は、それにも一切怯まない。
「莫大な財産のほんの一部なら、露呈することもまずない。それに名目上は、革命派の活動拠点となる日本支部を作るっちゅうことにしとく」
「実際に自立した子供たちはラモンはんに協力を惜しまんやろうし、万が一バレたとしても、なんも問題なしっちゅうことや!」
「どうや、ラモンはん。うちに一枚噛んでもらえん?」
ラモンは車椅子に深く座り直すと、ひとつだけため息をつく。そして、野間の目を見返しながら、ゆっくりと言い放った。
「悪いが、俺はボスの意志にもあんたの理想にも、協力するつもりはない」
「なんでなん?」
「第一に、俺は日本の行く末に興味が持てない。そんな人間が革命の御旗なんざ、握っちゃならない」
「第二に、俺にボスの代わりは勤まらない。ボスのようなカリスマも、人脈も人望も、俺は持ち合わせていない」
「第三に、俺は常に孤軍で戦いに挑んできた、ただの殺し屋だ。客観的に見ても、人を先導する役割を担えるとは思えない」
「説明は以上だ。食い下がるつもりなら、もっと理由を挙げてもいいぞ」
ラモンはそれだけ告げると、車椅子の背もたれに深く腰を預けた。
さしもの野間も、これだけ言えば少しは引くだろうという思惑があった。
しかし野間の口から出たのは、ラモンにとって意外な言葉だった。
「じいちゃんの言うてた通りやなぁ……」
「……何?」
「じいちゃんな、きっとラモンはんには迷いが生まれるやろうって言うてたんや」
「そしてそれは、自分の力を低く見積もることで現れるってな」
ラモンは、内心の驚きを隠して野間の言葉に耳を傾けた。
「じいちゃんの見立てやと、ラモンはんが断るのは、ボスの期待に添えへんって思てるからなんやって」
「けどそれは決して悲観することやない、それはラモンはんが人間になったことの証やって。そう言うてたで」
ボスが人心掌握に長けているのは知っていたが、それが己に向かってくるとは思っていなかった。
ロマネスクはかつてラモンが言っていた、人間になりたいという言葉を記憶していたことになる。
一体どこまでが彼の策で、どこまでがそうでないのか、判断が曖昧になってゆくのをハッキリと意識する。
ラモンは、まるでボスとの闘争がまだ終わっていないかのような底知れなさを、その身に味わっていた。
「……少し疲れた。答えは眠ってからにさせてくれないか」
「あ……うん、そやな。ちょっと長う話しすぎたな」
ラモンは野間へ、わざと情に訴えかけるような言い方をした。
ケガを押してまでラモンへ答えを求めることはしまいという考えである。
それはラモンが初めて行う、答えを先送りにするという無意味な行為だった。
それまで黙っていたジョージは、会話が途切れたのを聞き届けて、クルーザーの操舵室へと戻っていく。
野間もそれと同じタイミングで、ラモンの前から立ち上がろうとした。
「ほんなら、船室のベッド準備してくるから待っとってな」
「いい、大丈夫だ。ここで眠れる」
「車椅子なんかで寝たら、首バキバキになるで?」
「構わん。こういう不便な場所で寝るのは慣れっこだ」
「まだケガの治療もしてないのに……」
「起きてからでいい。俺に構うな」
そしてラモンは、車椅子に腰かけたまま目を閉じた。
「追っ手が来たら勝手に起きる。何があっても俺を起こす必要はない」
「……分かった。そんなら、最後にひとつだけ聞いてもええ?」
「なんだ?」
「うちのじいちゃん、最後になんて言い残して死んでった?」
「……さぁな。もう忘れた」
「嘘や。じいちゃんはラモンはんなら絶対覚えてるって……」
「ボスもお前も、俺を買いかぶりすぎだ。俺はただのケチな殺し屋、それ以上でも以下でもない」
「……そうか。ごめんなラモンはん、勝手に巻き込んでしもて」
「謝るな。お前にはお前の、ボスにはボスの事情がある」
「……うん。おやすみラモンはん」
野間は再び、ラモンの隣へと腰掛けたようだった。
それから数刻もしないうち、ラモンの意識は浅い闇の中へと溶けて、消えていった。
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─────
─────
どろりとした粘度の高い夢は、もう見なかった。
ラモンの体を這いずる黒い怨念たちは、どこにもいなくなっていた。
代わりに、体の周囲を不思議な浮遊感が包んでいる。
海と空との境で波に揺すられているような、そんな気分にさせられる夢である。
暖かい羊水のような水温の中で、ラモンはぼんやりと、これまでのことを思った。
数多の戦い、数多の仕事の中で、ラモンが手にかけた人間は百をとうに越えているだろう。
そんな自分が、誰かを率いて日本を救うなど、出来るはずがない。
そう思っているはずなのに、心のどこかで何かがそれを強く否定している。
どこか遠くの方で、ウミネコの鳴く声がしていた。それ以外には物音ひとつ、自分の呼吸音さえ聞こえてこない。
ラモンは何故か、そのウミネコの鳴き声を聞かないといけないような気がした。
ラモンは、両の耳に全ての意識を集中させて、その音の正体を探る。
耳鳴りのような高い音だったそれは、ウミネコの声ではなかった。
それは次第に明瞭になってゆき、やがて人の肉声のようなものへと成り変わっていった。
『へ……へへ……だって、アニキは……最高の殺し屋じゃないッスか……』
『最高の殺し屋が……こんな最高な祭りに参加しないなんて……あり得ないッしょ……?』
『アニキの凄さは……俺一番分かってますから……』
ああ。これは、デルの今際の際の話し声だ。確かあいつは、こんなことを言って死んでいった。
野間が妙なことを言ったせいで、人の末期のセリフを、こうして夢にまで見てしまう。
それは後悔からなのか、それとも自責の念からなのだろうか。
『……あぁ、マリア……ソニヤ……やっと、俺もそっちへ逝ける……』
これは、ダイヤモンド=トゥーンの。
『俺……俺やっぱり、まだ死にたくないよぉ……』
『……ウッ……ウェェェン……ウェェェ……』
これは、フェイクファー=ドクの。
『私……あんたの子供なら、産んでも良かったけどな……』
グラン=ウィッチの。
『……ありがとう、ヒイロ。最後まで、共に逝こう』
ダブルフェイス=クロウの。
『ふざけるなァッ!!!だとしたらアタシは……アタシは……!!!』
『アタシは何のために生まれてきたんだァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!』
ダブルフェイス=ヒイロの。
『そおさ……おそれないで……みーんなの、ため……に………』
『愛と………勇気だけが…………とーもだち、さ…………』
ツイン=ザミエルの。
皆の最後の言葉は山彦のように何度も繰り返され、その都度何度も、耳の奥で響いた。
そして、ラモンはその山彦の何度めかで、ようやく気づく。
この中の誰一人として、己を殺めたラモンに恨み言を残すものはいなかった。
皆ラモンとでなく、抗いがたい何か他のものと戦っていたからだ。
ラモンを信奉するあまり、ラモンの望まない未来を夢見たデル。
最後の死に場所を探し求め、ついにはラモンにそれを見出したトゥーン。
己の能を過信し、行き過ぎた行動により道を誤ったドク。
組織崩壊の兆しを察知し、逃亡を企てたシャオ。
自らの存在を証明するため、ヒイロと共に画策したクロウ。
ラモンに挑み、直視し難い己の弱さと対峙せざるを得なかった春日兄弟。
皆、真っ当な理由で殺しあっていた訳ではない。そのどれもが歪で、利己的で、荒んだ理由ばかりである。
人はなんと不完全で、哀しい生き物なのかとラモンは思う。
だがその不完全さゆえに、ラモンは初めて人の心を理解した。
彼らは、言っていた。
逃げるな、と。
殺す者は、殺されるまで逃げてはいけない、と。
それが、人の死の業を背負う殺し屋の責務である、と。
諦念からではなく、自身の生を全うするために。
自分たちはそうしてお前に挑み、そして死んでいった、と。
そう、ラモンに告げていた。
ならば自分も、潔く散ろうなどとは思わない。思ってはいけない。
最後の最後、吸った息を全て吐き尽くすまで、足掻いてもがいて、そうして死んでゆく。
それが、己の殺した者たちへ見せることの出来る、せめてもの自分なのではないだろうか。
そう考えた時、ラモンの頭上に、ひときわ大きな虹がかかっているのが見えた。
『なぁ、ラモン……虹を掴めよ……お前だけが……掴むことの出来る虹を……な………』
その虹と共に聞こえてきたのは、リチャード=ロマネスクの末期の言葉だった。
「虹を掴め」。
それが、ボスであるロマネスクの遺言だった。
ではボスの言う虹とは、何を指しているのだろうか。
日本という国家の、行く末のことか。それとも、ラモン自身の未来のことを指しているのか。
分からない。
分からなかった。
分からなかったのなら、やることはひとつしかない。
『とことんやれ』。
それが、師であるロマネスクから受け継いだ、ラモンの心の奥底に刻まれた教えだった。
目が覚めた時、ラモンの頭上にかかるこの虹は、すでに消え去っているだろう。
今見ているこの夢のことさえ、覚えていられるかも分からない。
ラモンの行く末に何が起こるか、それはまだ確定していない未来の話なのだ。
果たして数年後、その手に握られているのは虹色の輝かしい未来なのか。
それとも、血塗られた殺し屋としての暗く、どす黒い運命(さだめ)なのか。
現段階で、それを伴ずるのは不可能としか言えない。
だが、少なくとも今、この夢を見ている間だけは。
虹の行方を探す、一人の小さな少年でありたいと、ラモンはそう、切に願っていた。
────
─────
─────
【Endroll & All cast Profile】
≪FOLKLORE=Ramon≫
Age:22
Ht:176 Wt:73
nameless
後に『ロマネスクの後継者』と呼ばれる男。
≪Dell≫
Age:20
Ht:170 Wt:64
nameless
熱狂的ラモン信者。全てはラモンのために。
≪Contact Person≫
Age:40
Ht:163 Wt:84
Name:Koiginu=gisaburo
連絡員。アル中。
≪DIAMOND=Toon≫
Age:36
Ht:160 Wt:77
Name:Andrica=Tzandy
怪力を宿す男の娘。妻はマリア、娘はソニヤ。
≪FAKEFUR=Doc≫
Age:19
Ht:156 Wt:43
nameless
ロボット技師兼武器開発員。ラモンの使うランダムカウントアプリの製作者でもある。
≪GRAND=Which≫
Age:28
Ht:171 Wt:Secret
Name:Xiao=Peyni
毒使いの女。確実に殺すと決めた相手にのみ自分の諱(いみな)を教える
≪DOUBLE FACE=Clow≫
Age:46
Ht:181 Wt:64
nameless
爆発物製造班長。吃音障害はストレスの大きさに比例して発症する。
≪DOUBLE FACE=Hero≫
Age:46
Ht:181 Wt:64
nameless
クロウの第二人格。趣味はクロウいじめ。
≪General Manager≫
Age:36
Ht:169 Wt:70
Name:George=Longhill
カジノホテル総支配人。後にラモンの傘下へと入る。
≪TWIN=Zamiel≫
Age:23
Ht:175 Wt:72
Name:Kasuga=Akiya
狙撃手。弟思いの兄貴。
≪TWIN=Zamiel≫
Age:23
Ht:175 Wt:70
Name:Kasuga=Otoya
観的手。兄の心弟知らず。
≪Noma≫
Age:25
Ht:162 Wt:Secret
Name:Norbith=Romanesck
連絡員兼ロマネスクの伏兵。敬語は嫌い。
≪Berserker≫
Age:14
Ht:140 Wt:Secret
Name:Crewsia=Yamada
野間の育てた少女兵士。無自覚な無痛症患者。
≪LAST MAN=Standing≫
Age:Secret
Ht:166 Wt:66
Name:Richard=Romanesck
全てを見通す組織の首領。ラモンに未来を託して逝く。
【Special Thanks!!】
≪Ms.Nemuko≫
≪and you...≫
THE SEVEN KILLERS NO MORE DIE !! ~殺し屋ラモンと七人の刺客~
【 THE END!! 】
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