第6話:≪ツイン=ザミエル≫

 男が二人、蕪新町の廃ビルの屋上に寝そべっている。

空は曇天、陽光は厚い雲に阻まれ、地を照らすことはない。


 そこに和やかな雰囲気はなく、一抹の張り詰めた空気だけが漂っている。

二人の男は迷彩模様のシートを被り、その身を隠していた。


 片方の男は両目に双眼鏡を当て、もう片方の男はシートの中から長い銃身を覗かせていた。

スナイパーライフルである。黒光りする銃身は正確に固定され、微動だにしない。


 その銃身の反対側、シートの下に、スコープから外を覗く男の瞳があった。

男は呼吸を浅くして、視線を遥か彼方へと向ける。

一方、双眼鏡の男は、小声でぶつぶつと何かを呟いていた。



「そぉさ、怖れないでみーんなのために、愛と勇気だけが友達さー……」



 双眼鏡の男が口にしていたのは、有名児童向けアニメのテーマ曲である。

場違いと言えばあまりに場違いなそれに、もう片方の男は注意しようともしない。

やがて男は、先ほどの歌よりもやや大きな声で、隣にいる男へ告げた。



「兄貴、ターゲット確認。頭部周辺に南西微風時速0.2……いや0.3。軌道修正ヨロ」


「南西微風把握。修正した」



 男は銃身を僅かにずらし、その時に備えた。それを見た双眼鏡の男は、再度ライフルを構える男へ言葉をかけていく。



「ターゲット、6秒後に制止。カウントダウン開始」


「了解」


「4、3、2、1……Go.」



 その合図にあわせ、男が引き金を引いた。

弾丸の軌跡は滑るように空をなぞり、そしてターゲットへ着弾した。

ターゲットは額から血液を流し、横向きに倒れる。

それを確認すると、寝そべった男はもう一度銃を構え、再度スコープの先の標的を撃った。



「イェッス、ターゲットの被弾確認!!バッチリだぜ、兄貴!!」



 双眼鏡の男が、隣の男へ向けてガッツポーズを見せる。

それを見て、ライフルを持った男は呆れたような表情を見せた。



「いきなり起き上がるな。誰に見られてるか分からないんだぞ」


「おお、悪い悪い」


「それにしても、お前の射線誘導は相変わらず頭おかしい精度だな……」



 男はライフルを手早くばらしながら、双眼鏡の男の手際を褒めあげる。



「何をどうすりゃ、ターゲットが立ち止まるかなんて分かるんだよ」


「呼吸だよ、こ・きゅ・う」



 男は説明になっていない説明をしながら、迷彩柄のシートを片付けようとした。



「おい。片付ける前に写真!」


「おっと、そうだった」



 男は傍らに置いてあった鞄から、望遠レンズ付のカメラを取り出す。

それを自分たちが撃った男へ向けると、二、三回無造作にシャッターを切った。



「その写真、現像したら本部に送っといてくれ」


「了解。しかし、ロマネスクの恩赦、だっけ?なんだって兄貴はそんなもんに参加する気になったんだ?」



男はカメラをしまいながら、軽快な口調でそう述べた。



「戦りあいたい男が一人いてな。あいつは必ず、ロマネスクの恩赦に参加するはずなんだ」



 真剣な表情となる銃の男とは対称的に、双眼鏡の男は手の中でカメラをくるくると玩んでいた。



「へー……まぁいいけど」


「すごいどうでも良さそうだな……」



 興味なさげな双眼鏡の男を見ながら、銃の男は廃ビルを後にする。

残されたものは、周囲に立ち上る硝煙の、微かな香りだけであった。



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 野間はラモンから呼び出しを受け、隠れ家としているいつものボロアパートまでやって来ていた。

軋むドアを開け遠慮なく入室すると、暗いアパートの一室でラモンは、相変わらずの無表情で座っていた。


 何か急用でもあるのかと思っていたが、そういう訳でもなさそうだ。

彼は地図を床に起き、あぐらをかいてそれを眺めている。

地図には幾重にも印がつけられ、細かな注釈が書き加えられている。



「こんちわー……って、なんですのんそれ」



挨拶もそこそこに、野間は脇から地図を覗き込んでしげしげと見詰めた。



「来たか、野間。こいつは、次の殺し屋への対策だ」



言うとラモンは、隣に座るよう野間へ促した。



「直接対決するには厄介な相手がいる。ここ何日か、相手への対策を考えていたところだ」



ラモンは言いながら、地図の上に一枚の写真を投げ置いた。



「これは……恩赦の表明写真でっか」



 野間はその写真をさらりと見ただけで、中身の詳細を察していた。

対象は銃で眉間を撃ち抜かれていたが、問題はそこではなかった。

その写真はどうやら、望遠レンズを使って遥か遠方から撮ったもののようだった。



「それを撮ったのは恐らく、≪ツイン=ザミエル≫。双子の狙撃手だ」


「あちゃあ~、狙撃手でっか!そら確かに敵いませんなぁ」



 野間はわざとらしく額を右手で叩き、大げさなリアクションを取って見せた。



「中・近距離の敵なら幾らでも制圧できるが、遠距離から撃たれちゃどうしようもない」


「その上で、あんたにも少々協力を願いたいことがある」



 仕事の後処理と道具の調達以外で、ラモンが連絡員を頼ることはほとんどないと言っていい。

それだけ今回の相手が、一人で対処するのに困難な敵だということなのだろう。



「何の何の!ラモンはんの頼みとあらば、何でも聞きますよ~!」



 野間は力こぶを作って見せながら、軽々しく安請け合いをしてみせる。



「まずは、狙撃手の二人に対する情報を共有しよう」


 ラモンはそれを横目に見ながら、今回の敵の説明へと移った。



「ツイン=ザミエル。本名は春日秋哉(かすがあきや)と春日音哉(かすがおとや)。さっきも言ったが、双子の狙撃手だ」


「兄の秋哉が狙撃を務め、弟の音哉が観的手に回る、コンビネーションスナイパーだな」



 ラモンの説明に、野間はいちいち頷いて見せる。



「観的手でっか。二人は軍隊上がりか何かなんです?」


「いいや。兄は組織の生え抜き、弟は中途参加の元一般人だそうだ」


「へぇー。軍人でもないのに観的手やるん、珍しいですねぇ」



 観的手、それは一般人にはあまり知られることのない職業である。

観的手は狙撃手とセットで行動し、その狙撃の補助をする役目を担う。

風向や標的までの距離を正確に割り出し、狙撃手へ伝えるのだ。


 手練れの観的手ともなると、標的の着衣のはためきを見ただけで、風向を即座に計算してみせることも可能だという。

狙撃に必須ではないものの、円滑な仕事を求めるならば欲しい役割である。



「珍しいどころか、とんでもない難敵だ。兄の方とは何度か仕事をしたことがあるが、弟が参加してからは狙撃の精度が尋常でなくなった」


「ほんまでっか。具体的な数字で言うとどんなもんなんです?」


「狙撃成功率は現在まで100%、二発目の弾丸を使ったことすらない」


「なんですの、それ……人間業やないですやん……」


「そうだな。対策せず狙われたが最後、俺でも間違いなく死ぬだろう」



 ラモンは物騒なセリフを、事も無げに吐いていく。

それに異を唱えるように、野間は自らの抱いた疑問を彼へとぶつけた。



「でも、その双子が参加してきたってなんで分かりますの?見たとこ、写真には犯人を特定できそうな要素は……」



 しかしラモンは、恩赦の写真を手に取りながら、野間の言葉を否定してみせた。



「ところが、これは奴らにしか出来ない芸当なんだ」


「この銃創、よく見ると弾丸が同じ傷口に二発撃たれてる」


「全く同じ場所を遠隔から正確に撃って見せる、そんな技量の持ち主はそいつらしかいない」



野間は写真を光に透かすように持ち上げて、首をかしげる。



「はぁー……よう分かりますなぁ。うちには普通の銃創にしか見えへんですけど」


「さすがの俺も、今回ばかりは単独で相手するのは骨が折れる。だから、あんたに協力願ったんだよ」



そしてラモンは、今回の仕事の説明に移った。



「まず俺は、今日のこの日までに色々と布石を打っておいた」


「というと?」


「狙撃地点を特定しやすくするために、行動パターンを敢えて一定にしたんだ」



ラモンは地図に指を滑らせると、一本の経路をなぞった。



「毎日同じ道を通ったり、癖のように立ち止まって見せたりな。隠れ家のローテーションもその一環だ」



野間はぽんと手を打つと、合点がいったという表情になる。



「あぁ!アパートと一軒家と廃ビル、ぐるぐる回ってましたねぇ。あれもそれやったんですか!」


「そうだ。奴らは標的の行動の把握に一週間はかける。そろそろあっちも、動き出す頃合いだろう」



そしてラモンは、地図の一点を指差した。



「奴らが俺を狙うのはここ、A地点でほぼ間違いない。ここで奴らを迎え撃つ」



野間はしげしげと地図を見ながら、素朴な疑問を口にする。



「なんでここで狙撃しに来るって断言出来ますのん? 」



その疑問に、ラモンは淀みなくさらりと返してみせた。



「まず、一軒家のある住宅街は予想から除外していい」


「いくら閑静な場所とはいえ、目撃者が出る可能性のある所を狙撃地点には選ばない」


「同様に、アパートのある場所も住人に見られる可能性が0じゃあない。やるなら九割九分、廃ビルのどこかだ」



 実際にラモンが用意した地図も、廃ビル地域周辺のもののようである。



「この一週間、行動を絞っていたおかげで先方の動きの予測も立てやすくなった」


「このA地点は、邪魔になる立木も障害物もない。おまけに、場が拓けてるせいで上から狙うのにうってつけだ」


「奴らなら、この絶好の狙撃ポイントを見逃しはしない」



しかし野間は、ラモンの推測を疑ってかかる。



「でもこれ、さすがにラモンはんの誘いやってバレてたりしません?」


「十中八九、バレてるだろう。それでも奴らは、ここを狙撃地点に選ぶ」


「なんでですか? 」



 野間は純粋に分からないと言いたげな顔で、ラモンの横顔を凝視した。

それに応えて、ラモンはさらに説明を付け加える。



「狙撃ってのは素人が考える以上に、気力も体力も必要なもんだ」


「ここぞという場を一点見つければ、よほどのことがない限りそこを選ばないはずがない」


「たとえそれが、罠だと分かっていてもな」



ラモンの説明は、的確に野間の不明な知識を埋めていった。



「奴らは距離という圧倒的なアドバンテージを持ってこちらへ挑んでくる。いくら俺でも、やれることはほとんどない」


「なるほど!せやからうちの出番って訳ですね!」



野間はようやく納得のいった顔になり、ぽんと手を打ってみせた。



「問題は、相手がどこから狙撃してくるか、だ」


「そんなもん、見つけるのは無理と違います?」


「そうも言ってはいられんだろう。見つけられなければ、俺が死ぬだけだからな」


「そうですなぁ……」


そこでラモンは顔を上げ、短く舌打ちをした。


「本来なら相手が万全の体勢を作る前に潰すところだが、こっちも巻き込まれた立場上、動き出しが遅かった」


「奴らのアジトを調べたときには、もう雲隠れした後だったのさ」


「だからこそ、狙撃されることを前提とした策に、方針を転換したんだ」



 野間はうんうんと頷きながら、ラモンの横顔を見ていた。



「そこで、この地図を見てほしい」


「はいな」



 ラモンは畳へ直に置かれた地図を指差した。

その地図には、コンパスで引かれた綺麗な同心円が三つ、描かれている。



「この丸は何ですか?」



 野間は地図の円を指しながらラモンへ尋ねた。



「これはA地点を中心にして、半径1km圏内、2km圏内、3km圏内の印だ」


「一番内側の丸が1km、そこから外側へ向かって順に2km、3kmとなってる」


「あんたにはこの中から、春日兄弟を探し出して欲しい」


「は、はい!?」



その無謀な提案に、野間は眼を丸くして驚愕した。



「そんなんどう考えても無理ですよ!!こんな広い場所から敵を探すなんて……」


「だろうな。だが、丸きりのノーヒントって訳でもない。奴らは恐らく、1km圏内から狙撃してくる」


「はぁ……けど、なんでそんな断定出来るんです?」


「その前に、まずは的を半径3kmに絞ってる理由から話そう」



 ラモンはそこで一旦言葉を切って、野間と改めて目線を合わせた。



「現在公式に発表されている最長の狙撃記録は、約2.8km。3kmはまず人間の限界射程距離と言っていいだろう」


「そして俺は、3km先から撃たれることはまずないと思ってる」


「それはなんでですのん?」



 野間の疑問を、ラモンは穴埋めでもするかのように淡々と埋めていく。



「春日秋哉は、確実性を重視する殺し屋だ。一緒に仕事をしたときも、1kmの確殺可能な距離しか使わなかった」


「1kmでも相当なもんやけどなぁ。普通狙撃は距離取っても200~300mってとこやし」



 野間の言うとおり、標的から1km離れた狙撃でも、十分に常軌を逸した偉業である。

それを確殺距離と言ってのけるところに、春日兄弟の高い技術力が垣間見えた。



「だからあんたには、1kmの範囲から外へ向けて、順を追って調べて欲しいんだ」


「それでもまだ、ビルの数はめっちゃありますよ?」


「1km圏内までなら、狙撃に使える高さのビルは限られる。地図上で赤い印のしてある建物がそれだ」


「なるほど……高いとこを掌握するんは攻撃の基礎ですからねぇ」


「それに、人気のない廃ビルに忍び込めば、必ずどこかに痕跡が残る。それを見逃さないよう、細心の注意を払って探してくれ」


「めっちゃプレッシャーかけますやん……」


「今回俺は的になるしか出来ないんでな。あんたが頼りなんだよ」



 野間はそれを聞いて、ごくりと喉を鳴らして唾を飲んだ。

これまで全て単独で事を成してきたラモンが、初めて人を頼る。

それがどういう意味かは、付き合いの短い野間にも分かるのだ。



「明日の正午ちょうどに、俺はA地点を通る予定だ。それまでにあんたには、奴らの居場所を探して狙撃を妨害してほしい」


「どうやって?」


「作戦はこうだ」



 ラモンは野間に耳打ちするように、作戦の概要を伝えた。

野間はそれを一通り聞くと、腕を組んで懐疑の表情を浮かべる。



「うぅーん……あまりにも雑というか、単純な作戦過ぎません?」


「敵の動揺を誘えればそれでいい。単純な方が成功率は上がる」



 ラモンは作戦の成功を微塵も疑っていないらしく、その態度にいかなる不和も見せてはいない。

それが不敵と写るか、慢心と見えるかは、相対する者によって違うのだろう。



「奴らのコンセントレーションを乱せれば、こちらの勝ちだ。俺の生死は、あんたの肩にかかってる」


「……そこまで言われたらやらんと女が廃りますわな。いっちょやったりますわ!!」



 野間は大きくガッツポーズをして見せると、ラモンに己の意思を表明する。

しかしラモンはそれを見ても、表情を微動だにさえさせることはなかった。



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 一方のこちらは、蕪新町から遠く離れた市街地に位置する、春日兄弟のアジトである。

半地下になったビルディングの狭い一室に、雑多に物が置かれているだけの簡素な部屋だ。

ここは有事の際に身を潜めるよう、連絡員にも伝えていない彼らの隠れ家である。


 ラモンがその足取りを掴めなかったのも、恩赦への参加を表明してすぐここへ隠れたためだった。

弟の音哉は固いソファへ座り、兄の秋哉は床へ直に座ってライフルをいじっている。

そして暇そうにする音哉があくびをしようとした時、秋哉がおもむろに口を開いた。



「3kmで行こうと思う」


「……何が?」



あくびを噛み殺して、春日音哉が聞き返す。



「明日の狙撃だよ。お前もそのつもりで準備しとけ」



兄、春日秋哉は、何でもないことのようにさらりと返した。



「はぁ?本気か、兄貴。3kmの狙撃なんて、俺やったことないぞ?」



 音哉が困惑するのも無理はない。それほどまでに3kmという距離は、狙撃手にとって大きく立ちはだかる壁なのだ。

秋哉は動揺する弟を尻目に、ライフルの調整を進めた。



「お前はいつもみたいに、標的の動きを読んでくれればいい。後は俺が、正確に事を済ませるだけだ」


「にしても、ぶっつけ本番で挑む距離じゃないって。3kmも間合い取ったら、風向きも読めないぞ?」



 音哉が抗議するのも尤もな話である。彼が訓練で挑んだ最大距離は、せいぜい2kmまでなのだ。

狙撃自体は秋哉の仕事とはいえ、それを補助する側に経験がないでは話にならない。



「なぁに、やることはいつもと変わらん。それだけ俺は、お前の才能を買ってるんだよ」


「……今度のターゲット、そんなに距離を置きたくなるぐらい面倒な相手なのか?」


「あぁ、その通りだ」



 そこで秋哉は一旦ライフルを置くと、部屋の電灯を見るように天井を仰いだ。



「フォークロア=ラモン。こいつは俺の知る限り、完璧に最も近い殺し屋だ」


「フィジカルとメンタル、そのどちらにおいても欠けた部分が見当たらない」


「パーフェクトキラーって言葉があるなら、俺は奴にくれてやってるね」



 しかし音哉はというと、兄の言葉を胡散臭げな顔で聞いていた。



「そんなやつ、本当にいるとは思えんね。大抵の人間は、どっかに必ず弱みというか、穴があるもんだ」



 性格面の弱点と、肉体面での弱点。そのどちらも皆無ということは有り得ない。

二人がこれまで対峙したどの標的にも、余さず例外はなかった。



「だからこその3kmなんだよ、音哉」


「あいつは標的でありながら、俺らを特定の狙撃地点に誘導しようとしてる」


「それを上回るには、予想の遥か外から撃つしか方法はないんだ」



 怯えとも取れるほどの兄の慎重さに、音哉はソファから身を起こした。



「兄貴がそう言うならそうなんだろうが……俺は一緒に仕事したこともないし、いまいち実感湧かないな」


「もし知ってるなら、そのラモンとやらがどんな殺し屋なのか、教えてくれよ」



 音哉が真面目に聞く体勢になったのを見て、秋哉はその唇にうっすらと笑みを浮かべる。



「そうか……それならちょうどいい機会だ、お前に話しておいてやるよ」


「俺がなぜ、ロマネスクの恩赦に参加したのかをな」



そして秋哉は、狭い室内にこもるような声で語り始めた。



「これはまだ俺が、お前と組んで仕事をする前の話だ」


「蕪新町の代議士とうちの組織が揉めて、その殺しが俺に回って来たことがあった」


「その時に組まされたのが、ラモンだったんだよ」


「筋書きとしては、ラモンが組織の顧問弁護士を装って代議士を呼び出し、俺が狙撃する単純な算段だった」



 その当時ラモンはまだ十代前半に過ぎず、弁護士を騙るには若すぎる年齢であった。

これは、若いラモンを前に出すことで、敵の侮りや驕りを誘発する組織の作戦だった。

自分が優位に事を進められると認識すれば、他への警戒が自然と薄れるのである。



「その時に俺は、妙な違和感に気がついたんだ」


「組織の息のかかった喫茶店に呼び出して、代議士を窓際に座らせるまでがラモンの役目だったんだがな」


「あいつ、椅子に深く腰かけて、窓枠に絶対顔が入らないようにしてたんだ」


「歩くときも何というか……定まりのない酔っ払いみたいな歩き方だったな」



想像上のラモンの意図が掴めなかったせいか、音哉が思わず口を挟む。



「ラモンは、なんでそんなことを?」


「その理由を察したのは、仕事が全て終わってからだった」



秋哉はまるで、昨日のことのように鮮明に、当時の情景を思い浮かべながら話す。



「ふと俺は、狙撃態勢に入ってからラモンの顔を見ていないことに気づいた」


「それがどういう意味か、音哉は分かるか?」



 音哉は両手を挙げて、すぐに降参のポーズをして見せた。

秋哉はそれを確認するまでもなく、ラモンの意図を秋哉へ話して聞かせる。



「あいつは、仲間から狙撃される可能性を考慮してたんじゃないかと、俺は思ったんだ」


「はぁ?」



音哉は呆れたとしか言えない様子で、秋哉の言葉に茶々を入れた。



「仮にそんなもの気にする奴がいたとしたら、それはただのバカ野郎じゃないのか?」


「戦争中ならともかく、味方が寝返ることまで心配してたら、命がいくらあっても足りないぜ」



しかし秋哉は、緩やかに首を振ってそれを否定した。



「それがそうとも言い切れん。あいつくらいになると、恨みを買ってる連中も相当数いるだろうしな」


「組織内部の人間だからといって、安易に信用しないよう身に付いてたんだろう」


「『身内でも信用しない』、言葉にするのは簡単だが、実践するのは最も難しい行為だ」


「奴はそれが出来る。だからこそのパーフェクトキラーなのさ」



 そこまで聞いた音哉は、想像を遥か越える世界を耳にして、再びソファへ体を横たえた。



「はぁ~~~……いろんなヤツがいるなぁ。この世はバケモノだらけかよ」


「それ以来かな。俺があいつの警戒心と、勝負してみたいと思うようになったのは」



 秋哉の瞳に、にわかに強い光が宿った。確固たる意思と、静かな闘争心を感じさせる光だった。



「俺の狙撃とあいつの回避、どちらが上かやりあいたかった。そのために、ロマネスクの恩赦はうってつけだったって訳さ」



 兄の表情の変化に、音哉はニヤリと頬を歪める。

その光が瞳に宿った時、彼の弾丸から逃れた標的がいないことを、知っているからだ。

その笑みは双子というだけあって、秋哉のそれと瓜二つであった。



「……ラモンって奴も相当だけど、兄貴もけっこうな変わり者だよなぁ」


「お前も今に分かる。頼りにしてるぜ、音哉」


「へいへーい」



そして秋哉はライフルの手入れを終えると、厳かに宣言した。



「狙撃地点は、旧大本営ビルの屋上からだ。細かな設営は向こうへついてから行う。いいな?」


「オーケー。任せとけ」


「確認事項がなければ、今日はもう休め。明日は早いぞ」


「把握」



秋哉はそこで、終始真剣だった面持ちを僅かに崩して、音哉へ冗談めかして話した。



「恩赦を手にして組織を抜けたら、南の島で美女でも侍らせてバカンスでもするか?」


「ハハハ、取らぬ狸の何とやらだな。まぁ、せいぜい楽しみにしておくよ」


「そうしろ。こんな世界だが、生き甲斐ってのは必要だからな」


「あぁ。じゃ、おやすみ兄貴」


「あぁ、おやすみ」



 そうして音哉は同室にしつらえたベッドへ、秋哉は音哉の座っていたソファへ横になる。

後に室内へ残ったものは、緩慢で乾いた、夜の静寂のみであった。



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 さてこれより先、ラモンと兄弟の邂逅は、弾丸一発分の刹那に終始する。

よってここで春日兄弟の過去に触れておかねば、それを語る機会は永遠に失われることとなるだろう。


 前章で秋哉は、生き甲斐という言葉を使い、殺し屋の人生を比喩した。

その言葉を借りるならば、秋哉の生き甲斐はまさしく音哉であると言って遜色なかった。


 春日秋哉と春日音哉、二人は組織に属する気鋭のスナイパーである。

両親はすでに亡く、家族は二人を置いて他にいない。

物心つく前に亡くなったらしいが、それすらも養護施設の教員から聞いた話である。


 寂しいと思わないことはなかったが、それでも二人はそれなりに楽しく暮らすことは出来た。

施設の職員は親切で、友人と呼べるような人間も多少なれ出来た。何より彼らは、二人で遊ぶことを最も好んだ。


 そんな彼らに転機が訪れたのは、彼らが義務教育を終える年齢になった頃である。

彼らの暮らす養護施設が、経営不振を理由に潰れる運びとなったのだ。

増え続ける孤児への支援が間に合わず、国が補助金を打ち切る政策を立ち上げたためだった。


 おりしも彼らは、進学先を決めなければいけない時期に差し掛かっていた。

二人は施設長へ働きに出て稼ぎを渡す旨を伝えるものの、時はすでに遅し。

施設の解体は決定し、子供達の受け入れ先も決まっていない。

頼るものもなく、行く先も定かでなくなってしまった施設の子らは、ただ路頭に迷うのを待つばかりであった。


 その時、彼らを引き取ると申し出たのが、組織の外部団体であった。

折衝や渉外を行うその団体は、身寄りのない子供たちを引き取って育てる役目をも負っていた。


 もちろんそれは、慈善などが目的ではない。子供相手ならば、どれほど汚い仕事を課せようが、反発されることは少ないからだ。

彼らはまず低年齢の子供たちから無条件に引き取り、分別のついた子供たちには面談を行った。


 物分かりの良さとはすなわち、組織に対する洗脳のしやすさでもある。

義務教育を修了した年齢だと、反抗されたり逃げたりされることがあり効率が悪い。

組織の勧誘員(スカウトマン)はまず秋哉と面談し、彼らにとって従順となりえる素材かをよく観察した。


その時、秋哉は言ったのだ。



「俺ならなんでもしますから、弟には普通の暮らしをさせてやってください」



健気にも秋哉は、弟を生かすための人身御供となろうとしていたのだ。


 相対する大人たちが普通の者でないことは、秋哉も察していた。だからこそ、弟を彼らに関係させる訳にはいかなかった。

その気概を察した勧誘員は、弟を盾にすれば兄が反抗することはないと判断。


 弟を真っ当な施設に送ることを条件に、秋哉を組織へと迎え入れることに決めた。

こうして秋哉は弟と別れ、闇の世界の住人となった。そこからの修行は、壮絶を極めるものだった。


 たとえ子供であっても、何らかの成果を挙げねば報酬は与えられない。

組織にとって益となることが出来なければ、大人たちに振り返ることすらされはしなかった。


 彼は日夜殺しの技術を磨くことに明け暮れ、その肉体は日に日に鋭利になっていった。

死と隣り合わせの過酷な日常も、弟のことを思えば我慢することが出来た。

その日々の中で、彼は自分に射撃の素質があることを見出だされた。


 自分でも、初めて撃ったとは思えないほどに銃は手に馴染んだ。

まるで体の一部であるかのように、グリップは彼の手と一体化した。

弾丸は思い通りの軌道を描き、狙った的へ吸い込まれてゆく。

初めて射撃訓練を受けた彼が、撃ちながら笑っていたという伝説は、今でも語り草となっている。


 それを組織の幹部に見込まれた彼は、同期の子供たちとは別メニューの訓練を施された。

さらに過酷な追い込みの中で、兄者は集中力と忍耐力を研ぎ澄ましていった。

そうして数年後。彼は、一匹の獣として完成していたのである。


 ラモンと仕事を共にしたのも、この時期である。

殺し屋としてはラモンが数年先輩であるが、狙撃技術は競うまでもなく秋哉が上だった。

もっともこの時は、後年ラモンと争うことになるなど、予想だにしていなかったが。

そして狙撃手としての組織での地位を確固たるものにした年、秋哉にまたしても転機は訪れる。


 それは、ほんの気まぐれのつもりだった。珍しく予定のない日、彼はトレーニングへ向かう足を止め、蕪新町の街中に現れた。

そこは、組織に教えられた弟の住む施設のある住所だった。不意に弟の安否が気にかかったのである。


 遠巻きに眺め、弟の姿を確認できればそれで気が済むはずだった。

しかし、その施設は遠巻きに見てさえ、何か様子がおかしかった。

人気がなく、どう見ても荒れ果てた廃院にしか見えなかったのである。


 住所を見間違ったかと思い、もう一度中を窺おうとしたその時、施設の一室から怒鳴るような大声が聞こえて来た。

不審に思った秋哉が、室内を覗ける位置へと侵入したところ、そこでは頬を真っ赤に腫らした音哉が、年長者に殴られているところであった。


 目を疑う光景とは、このことである。よくよく見れば音哉の腕は痩せ細り、筋と骨とが浮き立ってガリガリだった。

決して裕福とは言えない前の施設でさえ、そんな風になったことはなかった。


 秋哉は、弟が安全な場所へいるのだとばかり思い込んでいた。

だが、その実態は何のことはない、目を覆いたくなるようなただの地獄であった。


 音哉は申し訳なさそうな顔で、ただ黙って殴られるがままになっている。

放たれる罵詈雑言は、どれも音哉とは関係のない、己の境遇を呪うものばかりだった。

その様子があまりにいたたまれなく、秋哉は思わず目を逸らしてしまった。


 そして彼は、後ろ髪引かれる思いを胸に、その場を後にする。決して逃げ帰った訳ではない。

弟に手を上げた相手を、殺すためにそうしたのだった。


 それからきっちり十時間後の午前0時。音哉を殴っていた男は、眉間に銃弾を受けて死亡していた。

そして、秋哉は弟を救出することに成功する。

ほんの十時間で狙撃を成功させる圧倒的な集中力は、弟の危機を救うためだったとしか言い様がない。



「兄貴……」



 音哉は呆気に取られた様子で、自分を車へと運んだ兄の姿を見つめていた。

腫れていたせいで分からなかったが、近くで見れば、頬も肉が削げ落ちて痩せていた。


 よほど栄養状態が悪かったのだろう。何があったのかは、敢えて問わなかった。

どうせろくでもないことをやらされていたに決まっているからだ。


 その代わり、彼は弟をアジトへ招き、温かいシャワーと飯を提供した。

たったそれだけのことで、音哉はぐずぐずと泣き出して止まらなくなってしまった。

どれほどの劣悪な環境で過ごせばそうなるのか、秋哉には見当もつかなかった。


 それから秋哉は、懇意の組織幹部を通して、勧誘員へ苦情を入れた。

数年越しのこととはいえ、弟をまともな施設に入れるという約束を違えたからである。

しかし組織は、秋哉からの抗議をまともに取り合おうとはしなかった。


 まず最初に、音哉を預けた当初は間違いなく普通の施設であったことを強調された。

信用してはいなかったが、後に調べたところによれば、それは事実でしかなかった。

不幸にも音哉が預けられてから経営者が代わり、あのようなことになっていたらしい。


 そして第二に組織の代表は、秋哉が断りなく勝手に殺しを行ったことを、厳しく追及した。

私情からの殺しは、ボスであるロマネスクの最も忌み嫌う行為である。

それは本人はおろか、組織そのものを危機へと追いやる行動だからだ。


 それでなくとも組織の幹部は、仕事の殺しとして施設の責任者を消す予定だったはずなのだ。

組織との約束を違えたということは、組織との繋がりを軽んじたということに相違ないからである。

それを無視して何の相談もなく殺しに走ったのは、秋哉が軽率であったと言う他にない。


 弟を虐げられて我慢ならなかった、などという言い訳は聞き入れられないのだ。

本来ならば秋哉には、死かそれに準ずる制裁が加えられてもおかしくない事件である。

だが今回は、組織側の落ち度も省みて、厳重注意程度の対応に落ち着いたようだった。


 その代わり秋哉には、組織から厳しいペナルティが課せられた。半年間、殺しの仕事を回さないと通告されたのである。

蓄えはあるものの、スナイパーとして半年ものブランクが空くのは致命的である。

腕が落ちたと判断されれば、ますます仕事は回されなくなるだろう。


 ましてやこれからは、弟の食い扶持も稼がなければならない。仕事の口は多いに越したことはないのだ。

そこまで考えたところで、音哉が横から、意外すぎる一言を口にした。



「兄貴。俺、兄貴と同じ仕事やってみたい」



なんと音哉も、秋哉と同じ殺し屋になると言い出したのだった。


 秋哉はもちろん、ここはお前の居ていい世界ではないと反対した。ここは地獄だ、とも釘を刺した。

ここでその申し出を受諾してしまえば、秋哉の負った弟への思いは、全て無駄になってしまう。


 だが、音哉もそれに強く反抗した。



「そこが地獄ってんなら、俺がいた場所も地獄だったさ」


「同じ地獄なら兄貴のために、少しでも協力させてくれよ」



 そう、音哉は言うのである。


秋哉は音哉へ普通の生活を送って欲しかったが、どうやらそれはもう手遅れだったようだ。

考えてみれば彼の言うとおり、あの劣悪な環境の施設にいたこと自体が、普通ではなかったのだから。


 思案した秋哉は、ひとまず音哉の適性を見るためにテストすることにした。すると、驚愕の結果が明らかになったのである。


 まず持久力や俊敏さ、腕力などは、話にならないレベルで低かった。

秋哉と組手をすれば一瞬で組み敷かれ、走り込みをさせれば2kmで音を上げた。

食事もまともに与えられない環境だったならば、それが当たり前と言えるだろう。

鍛えるというよりは、同年代の平均より落ちた体力を戻すのが先決という有り様だった。


 その代わり、音哉の射撃の才能には、秋哉も舌を巻くほどのものがあった。

組織の使っている射的場で、秋哉は音哉へ六連装のリボルバーを渡した。

とりあえず弾が空になるまで撃ってみろと命じ、細かいことは後々教えるつもりだった。


 音哉は銃にも物怖じせずに真っ直ぐ構えると、六発の弾丸のうち五発までを的に命中させた。

それは、銃を扱ったことのない素人には、まず起こしようのない奇跡であった。

音哉はまず一発目を無造作に撃つと、火薬の反動で痺れる手を振りながら、こんなことを呟いた。



「なるほどなぁ……そういうことか」



 そして銃身の角度を微調整すると、今度は立て続けに五発、的の中央付近を射抜いたのだった。

構えは無茶苦茶だったが、それで偶然でなく当てられたのは却って信じられない結果だった。


 音哉の呟きから察するに、きちんと弾道を見てフォームを修正したことになる。

どうしてそんなことが出来るのかと聞いても、音哉は何となくとしか答えない。

それはまさしく、天賦の才としか言い様のないセンスだった。


 ただし、それで殺しに向いているかと言われると、そうとも言い切れなかった。

音哉は二度目の射撃は、六発の弾丸全て的を外してしまったのだ。

銃の反動で握力が薄れ、まともに当てることが叶わなかったためである。


 なるべく反動の少ない銃を選んではいたのだが、それですらこの結果だった。

これではいかにセンスに秀でていようと、殺しあいの場に参加させる訳にはいかない。

そこで秋哉が考案したのが、音哉を観的手として使うことであった。


 観的手であれば、直接的に人を殺めることをさせずに済む。

それに、一見しただけで銃弾の軌道を修正できる才能は、スナイパーとしても得難い能力である。


 そこで秋哉は、半年の謹慎期間を全て音哉のトレーニングへ当てることにした。

特に、観的手に必要不可欠な持久力と集中力のトレーニングは、念入りに行った。

時として彼らは、スナイパーと共に一日以上も同じ場所で標的を待つ場合がある。

今の体力では一日はおろか、一時間さえ集中力は持続しないだろう。


 秋哉は音哉を、血反吐が出るまで徹底的にしごきあげた。

吐くまで走り込みをさせた後に、銃と共にビルの屋上へ放置したこともあった。

不眠不休でターゲットを一週間監視し続けるだけ、というトレーニングも行った。

肉体も精神も、限界を越えてからがスナイパーの本番だからである。


 どんな厳しいしごきも、音哉は不平不満なくこなして見せた。それだけ、秋哉の手腕を信用していたのだろう。

その信頼を、兄である自分が裏切る訳にはいかなかった。


 そうして半年が過ぎた頃、音哉は文字通りの進化を遂げていた。

体力の増強とともに集中力も増し、ここぞという時の一点突破力には目を見張るものがあった。

何より、彼の観的能力は、秋哉の想像するところを大きく上回った。


 標的への洞察力を鍛えることにより、音哉は相手が何をしようとしているか察知してしまうまでになったのだ。

本人曰く、空気の流れを読むように相手の呼吸を読み、それに自身の呼吸を合わせれば分かるようになるのだと言う。

本気だとしたら正気の沙汰ではないが、音哉はそれを「同期」と呼んで、さも普通に存在する技術であるかのように捉えた。


 狙撃対象が何をしようとするか分かれば、それは狙撃手に取って大きなアドバンテージとなる。

秋哉は成功を確信し、組織の幹部へ音哉を顔見せさせる約束を取り付けた。

そこで承認が得られれば、晴れて音哉も組織の殺し屋の一員となる。


 二人は緊張の面持ちで、幹部からの呼び出しに応じた。しかしそこにいたのは、幹部だけではなかった。

組織のトップであり、いかな殺し屋が束になっても敵わないと目される男、リチャード=ロマネスクが居たのである。


 彼自身、直系と呼ばれる殺し屋を何人も育成しており、顔見せにやってくる可能性は十分に有り得た。

しかしそれでも、組織の長自らが品定めにやってくるのは二人にとって驚愕であり、恐怖でもあった。


 ロマネスクは二人を睥睨すると、特に音哉を念入りに眺めた。

そして、彼の前へ不躾に歩み寄り、腕や胸板の筋肉へと触れた。



『なるほど、よく鍛えられている。素人をここまでにするには相応の研鑽が必要だっただろう』



 ロマネスクは一通り音哉の体へ触れると、秋哉へそう告げた。秋哉はここぞとばかりに、弟の狙撃能力や、観察眼の特異性をアピールした。



『寡黙なお前がそこまで言うのなら、才覚に関しては間違いなく一級品なのだろうな』



 ロマネスクは、他人を誉める言葉を使ってそう音哉を評した。

同席した幹部の動揺した顔を見る限り、それはよほど珍しいことだったのだろう。



『いいだろう。春日音哉の身柄は、今後我々の預かりとする』


『今後は二人そろって、≪ツイン=ザミエル≫の名を使うがいい』


『組織としての作法やルールは、お前が教えてやることだ』



 そしてロマネスクは、音哉の正式な殺し屋としての雇用を認めた。

秋哉と音哉は深く頭を下げて感謝したが、ロマネスクはその耳へ、意味深な一言を残して立ち去った。



『お前が深淵を見つめる時、深淵もまたお前を見つめている』


『この言葉の意味を理解したとき、お前たちが生き延びているかどうかは、俺の知ったことではない』



 それがどのような意図から発せられた言葉だったのかは、現在に至るまで判明していない。

その文句だけが、場違いな売女のように不自然に浮かび上がって、彼らの耳から離れなかった。


 その後しばらくして、彼らの元へボスからの指令が届いた。敵対組織の幹部を暗殺するようにとの指令である。

それは音哉の力量を知るための、ロマネスクの計らいだったのだろう。


 半年間のブランクから復帰して一番最初の仕事は、音哉の腕試しでもあった。

初めての仕事にも緊張することなく、音哉は標的の動向を探ることが出来た。

その能力があればこそ、半年もの期間が空いても以前に劣らず、むしろ前以上の精度で狙撃を行うことが出来た。


 そうして仕事を重ねるうち、秋哉は音哉が観的するときの癖に気がついた。

どうも音哉は、無意識に小声である歌を歌う癖があるようだった。



「そぉさ、怖れないでみーんなのために、愛と、勇気だけが友達さー……」



 それは秋哉もよく知る、国民的アニメの主題歌だった。

最初は事細かに注意していた秋哉だったが、次第にそれが間違いであったことに気づく。

聞くところによると、あの地獄のような施設で唯一許された娯楽が、幼年者と共に見るそのアニメだったらしい。


 その歌を呟くことで、彼は当時の飢(かつ)えた感情を思い起こしているのではないかと、秋哉は分析した。いわゆる一種の、ルーティーンである。

ある行動を習慣化することで、そこに至るまでの過程を省き、集中力を発揮しやすくなるのだ。


 忌まわしい記憶を喚起するような行為をあえて行うことで、あそこには戻るまいと集中力が増す。

それは彼の立場から考えてみれば、至極必然であるようにも思えた。

そのことに気づいてから、秋哉は音哉が仕事中に歌を口ずさむことを、止めなくなった。


秋哉がその歌の真意に気がつくのは、もう少し後になってからである。


 そして、時は現代へ戻る。二人は狙撃地点である、大本営ビルの屋上へ鎮座していた。

時刻は午前八時。ラモンの通る時間まではまだ間がある。

彼がいつ現れてもいいよう、体調も精神もベストを保てるよう調整していた。



「しっかし、3kmってやっぱり遠いなぁ……無理じゃないか、これ?」



 音哉はスコープを目に当てながら、3km先の狙撃ポイントを眺めた。

兄から渡されたそのスコープは、米軍でも使われる、高倍率の最新型のものである。


 3kmという距離は、言うなれば世界記録にアスリートが挑戦するようなものだ。

本当に当てられるのかという疑念が、音哉の言葉の裏からは感じられる。

秋哉はというと、その言葉を聞き流しながら屋上の床へ伏せて、ライフルの調整を行っていた。



「やるしかないのさ。俺は少なくとも、出来ないなんざ一片も思ってないぜ」



 スコープのつまみを調節しながら、秋哉は言う。それを聞いて、音哉も腹を括った表情になった。



「しょうがねぇなぁ。やってやるか!」


「あぁ、その意気だ」



 だがこの時、二人は未だ何も知らないも同然であった。

彼らを見舞う深淵と、そのもたらす惨劇を。



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  ─────

     ─────



 一方こちらは、ラモンに依頼されて索敵に繰り出した野間である。

車の助手席に乗り込み、膝を両手で叩いて景気よくパンッと鳴らした。



「さ、行こか!!」



意気揚々と答える野間に、運転席の男は渋い顔をした。



「あのよぉ……頼むからお前の仕事に、俺を巻き込まないでくれる?」



 運転席の男は、カジノホテル主任のジョージ=ロングヒルだった。

彼は気だるそうな顔をしたまま、ハンドルに体をもたれさせてぐったりしている。


 今回の野間は、敵が潜伏するビルを探すため運転に専念出来ない。

そのため、彼女とは別に運転手が必要となり、急遽ジョージに白羽の矢が立ったのだ。



「しゃーないやろ!あんたかて、ラモンはんにいつでも頼れ言うてたやんか!」


「恩はいつでも返せるもんちゃうんやで?返せる時に返しとき!」



 母親のような口調の野間に、ラモンは苦々しい顔をして応じる。


「わぁーってるけどよぉ……俺カジノ上がりでこれから寝るとこだったんだぜ……?」



 基本的に夜の仕事の従事者であるジョージは、本来ならこれから帰宅して眠るところだった。

そこを捕まって連れ回されたのであれば、体調も万全であろうはずがない。

野間は内心では不憫だと思いつつ、それでも折れずに何とかしてジョージを宥める。



「それは悪いけど、我慢してもらうしかないなぁ。それにこの車かて、あんたやなかったら用意出来んかったやろ?」


「そらーまぁそうだな……」


「そこを見越してラモンはんに頼られたんや。立派なもんやで!」



 その車両は、とある目的に使うための特別なものである。

ラモンから車種の指定を受けたときは、ジョージでさえ驚きを隠せなかった。



「これであとは、ターゲットがどこにいるか探せばええだけやな」


「ターゲットって?」


「んー……まぁ簡単に言うと、ラモンはん殺そうとしてる敵がおんねん。うちらは今からそいつらを探すでーって話や」


「ほーん、なるほどな」



 ジョージへの説明が後手になっているのは、その身柄を確保することを優先したためであった。

本人にとってはいい迷惑だが、それを鑑みている暇さえ惜しかったということでもある。



「タイムリミットは正午ちょうどや!それまでに敵を探さんと、ラモンはんが敵に殺られてまう!」


「てぇことは、あと五時間か……」


「せやで!あんたもなんか変わったとこ見つけたら言うてな!」


「あいよ」



そしてジョージはエンジンに火を入れ、二人の珍道中は始まった。


 ジョージは、野間の指示通り車を走らせた。もとより明確な目印あっての探索ではない。

そのため、慎重に慎重を重ねて、違和感を精査しなければならなかった。それもあって、車の進みは遅々としていた。


 一旦止まってはビルの様子を遠巻きに伺い、また車を発進させる。

それを繰り返しているうちに、時間はみるみるうちに浪費されていった。



「……あかん!見つからん!赤い印のついたビル全部探したけど、それらしいもん全然ない!」



野間は焦りを隠せなかった。この時点ですでに、出発から二時間が経過していたためである。



「1km圏内はハズレやったんかな……しゃーない、2kmまで範囲伸ばして探すしかないか」



 しかしめぼしい発見は何もないまま、さらに二時間が経過した。

正午までの時間は、残り一時間を切っている。

野間の焦りは、さらに強いものとなっていった。



「あかーん!このままやとうちがラモンはん殺しの戦犯になってまう!」


「大丈夫かよ、お前」


「あんまり大丈夫やないわ……どないしよ……」



ジョージに心配されるほど、野間の焦りは露骨なものとなっていた。



「まさかとは思うがお前、何の見当も付けずに探してるのか?」


「んな訳あるかい!ラモンはんが、この地図の赤い印のビル探せ言うてたんや!」


「そうか。なら、俺にも地図を見せてみな」


「ええけど、あんたになんか分かるん?」


「さぁな。とりあえず見てみにゃ何とも言えん」



ジョージは車を路肩に止め、助手席の野間から地図を受け取った。



「どーれ……この赤いのが、ラモンの指示したビルか」


「そやで」


「で、この地図の丸い線はなんだ?」


「一番内側の線がラモンはんのいるとこから半径1km、そこから外側に向かって2kmと3kmの線や」


「こんな遠くから、敵さんはミサイルでもぶっ込もうってハラなのか?」


「なんでや!狙撃や狙撃、スナイプ!敵は遠くからラモンはんを撃ってくるつもりやねん!」


「ふぅん……」


「ラモンはんによると、3kmは遠すぎてほぼ有り得へん言う話やったけど……」



ジョージはそれを聞くと、顎に指を添えて押し黙ってしまった。



「なぁ、黙ってんとなんか言うてくれん?もう残り時間もあんまりないねんけど……」


「……ラモンの野郎、見誤ったかもな」


「えっ?」


「姉ちゃん、3km地点を探すぞ。いいな?」



言うなりジョージは、助手席に地図を放って車を急発進させた。



「ちょっ、ちょお待ってや!見誤ったってどういうこと?」


「時間がねぇから走りながら説明してやる。舌噛むなよ!!」


「うぇぇぇぇぇ!?」



ジョージは、助手席の野間が後ろへ仰け反るほどにアクセルを踏み込んだ。



「なんやねんあんた!説明もなしに走ってからに!」



 暴走とも取れるジョージの行動に、野間はギャーギャーと不満を述べた。

しかしそれを耳にしても、ジョージはどこ吹く風といった様子である。

先ほどまでのグロッキーな姿は、もうどこにも見当たらなかった。



「悪い悪い。だが一秒を争うなら、そうも言ってらんねーだろ?」


「そうやけど、あんたに何が分かったん?」


「あぁ。俺も殺しについては門外漢だし、黙っとこうと思ったがよぉ」



 アクセルワークとは対称的な繊細なハンドル捌きでもって、ジョージはカーブを減速せずに曲がる。



「今回の敵は、もしかしたらギャンブラーかもしんねぇと思ってな」


「ギャンブラー……?」


「こう見えて俺ァ、カジノのディーラー上がりなんでな。ギャンブラー心理についちゃ、よーく知ってんだよ」



 ギャンブラーと狙撃の間に、どのような因果関係があるのか。

態度でその疑問を示す野間に、ジョージは派手な運転を繰り返しながら答えた。



「姉ちゃん。スナイパーってのはだいたい、恐ろしく辛抱強いもんじゃねぇか?」


「まぁ、そやな。一日二日ターゲットを待つなんて、ザラにあるらしいで」


「俺の経験上、我慢強い奴ほどいざって時の駒の張り方がデケェもんなのさ」



 駒とは賭博場での金銭の隠語である。かつて丁半博打で金銭の代りに、木製の駒を使っていたことに由来する。

駒の張り方が大きいとは、一度に金銭を多くベットするという意味となるのだ。



「今回の件で言うなら、1kmの範囲から撃つのは安全策だ。だが、それだと敵さんの払う我慢の対価として見合わねぇんだ」


「事実1km圏内は、ラモンに読まれて探されてるからな」


「ひたすら我慢する相手は、相応の成果物があって初めて動く。何故ならその一回で相手の裏を掻いて、全部かっ浚う自信があるからだ」



野間はその言葉に、息を飲んでいた。ジョージの放つ言葉には、正しく説得力を感じられたからだ。



「見つかって全てがご破算になるより、3km先から賭けに出る。そう考えるのがギャンブラーの心理ってヤツだ」


「ついでに言うと、3km狙撃が有り得ないってのも、甘い見通しだったと俺は思うぜ?」



 そこで野間は耐えかねたかのように、ようやくジョージの言葉へ異を唱えた。



「なんでや!遠くなるほど狙撃の成功率は下がるんやで?確実に近い距離から当てた方が、いいに決まってるやん!」


「そりゃ、組織の仕事が絡めばそうするだろうさ。外せば制裁として殺されるからな」


「だが今回は完全な私情だろ?だったら、外そうが当たろうが遠くていいんだよ」


「なんでそうなるん?」



尋ねた野間のセリフに、ジョージは被せるように話しを続けた。



「標的から遠い方が、逃げるのにラクで追うのに苦労するだろうがよ」


「生きてさえいれば、失敗してもまたラモンを殺すチャンスはある」


「距離を取るのは、相手にとって有利なことしかねぇんだよ」



 野間はそこまで聞いて、ついに何も言えなくなってしまった。

それは言うならば、殺しに携わる者とは別角度からのラモンへの挑戦だった。

超遠距離狙撃がノーリスクだという考えは、ラモンにも野間にも備わってはいなかった。



「まぁ、お前らがこういう思考に行き着かなかったのも無理はないと思うぜ」


「相手が殺し屋で自分もそうなら、間違いなく確実に殺す手段を選ぶと思うからな」


「その心理の読み合いが、ギャンブルの醍醐味ってヤツだ。ハマるだろ?」



 まるでフォローするかのような発言に、野間はややムッとした表情になる。

そしてせめてもの仕返しにと、ジョージへ突っかかっていった。



「やかましわ!じゃああんたは、敵がどこから狙ってくるかまで分かった言うんか?」


「あぁ、だいたいな」


「ホンマか!?」



その言葉に、野間が色めき立つ。



「3km地点の端にビルの密集地帯があるだろ?たぶん敵は、そこにいる」


「待ちーな!こんなビルが集合してたら、ビル同士影になってロクに狙えもせんで?」


「こういう時は、相手の気持ちになって考えろって教わらなかったか?」


「相手の気持ちになるってことは、自分のされてイヤなことを考えるってこった」



車の勢いを微塵も落とさず、ジョージは軽快に言ってのけた。



「確かにここはビルとビルとの間が狭くて、銃を撃つのにも難儀するだろうな」


「けどそんなビルの密集地帯から狙ったら、どこから撃ったかますます特定しづらくなると思わねーか?」


「あっ……!!」


「ビルの密度が高ければ高いほど、探索の手間も増える。俺ならそう考えるね」



 野間はジョージの思考に、静かに感嘆していた。

そして最後の確認をするかのように、厳しい顔付きとなる。



「……信じてええんやな?外したらもう、よそ探す時間残ってへんで?」


「ちげーよ。俺らに出来るのは信じることじゃなく、人事を尽くして天命を待つことだけだろ」


「……あぁもう、分かった!今だけはあんたの振った賽の目に、乗ったるわ!」



 ジョージはそれに不敵な笑いで応えると、車を走らせて目的の場所へと向かった。

野間は終始気が気でない表情で、ジョージの横顔を睨んでいる。


 やがて、車はラモンのいる地点から遠く離れたビル群へ辿り着いた。

ここから、彼女らは目的である敵を探し出さなければならない。



「ラモンはんは、どこかに必ず侵入の痕跡が残ってる言うてた!あんたも気ィ張って探してや!」


「分かってるよ。俺が絡んでおいて、あいつを殺させる訳にゃいかねーからな」



 野間は双眼鏡をジョージへ渡して、車内から辺りを見回した。

時に車を移動させ、時に上を見、下を見しながら、二人は注意深く周囲を観察した。

そして、とあるビルの直前でジョージは気づいた。



「んっ」


「どうしたん?」


「なぁ、あのビル……非常口が開いてねぇか?」


「ホンマか!?」



 野間はジョージの指差す方へ、双眼鏡を向けた。

拡大してみると、確かに各階の非常口が、全て閉まっていなかった。

屋上の様子は下からは窺えないが、少なくとも人のいそうな気配はしない。

それなのに非常口だけ開いているというのは、明らかに不審である。



「これは……ビンゴかもしれんな!」


「逃走経路の確保に、戸を開け放って上まで登ったのかもな」


「よっしゃ!後は気づかれんよう静かにビルの下まで走ってってや!ここでバレたら全部おじゃんやで!」


「オーケー、任せろ」



 二人は知る由もなかったが、そのビルこそ、双子が狙撃場所として選んだ大本営ビルである。

それは、狙撃開始時刻の十分前という、実にギリギリの瀬戸際であった。



────

  ─────

     ─────



正午まで、残り三分。



「兄貴。ターゲットの姿を確認」


「把握。こちらもターゲットを捕捉した」



 双子は、ラモンの姿をその眼に捉えていた。

秋哉は伏臥位でライフルを構え、音哉もその隣で腹這いになっている。

その弾丸は、いつでもラモンの脳天を貫けるという自信に満ち溢れていた。


 ラモンはというと、その立ち居振舞いに変わった様子は見られない。

いつものように力みなく、ただまっすぐポイントへと歩いて来る。



「歩行速度、秒速約1.0m……恐ろしく無防備な自然体。本当に狙われてるのが分かってるのか?」


「分かってるはずだ。じゃなきゃこの時間に、ここへ現れるはずがない。奴が倒れる瞬間まで、一瞬たりとも目を離すな」


「了解」



 そして二人を包む空気が、ギュッと濃縮された。

正午まで、残り二分。音哉はここへ来てもまだ、ラモンへの同期の精度を高めようと試みていた。



「そおさ、恐れないでみんなのために……愛と勇気だけが友達さー……」



 歌声とともに、音哉のコンセントレーションがみるみる高まってゆくのが、秋哉には分かった。

吸う。吐く。吸う。吐く。そのとめどない繰り返しを、ラモンのそれと合致させてゆく。

反応はやがてラモンと同一になり、音哉はラモンの生きた写し身となる。



「……!」



そして、音哉は察知した。



「兄貴。ラモンは正午ちょうどに、狙撃地点で立ち止まる。そこが狙い目だ」


「把握」



 現時点でそれが音哉まで伝わったということは、すでにラモンが立ち止まるタイミングを決めているということだ。

はっきり言ってこれは、かなりの僥倖であると言えた。


正午まで、残り一分。そこで、全てが決まる。



「29、28、27……」


「19、18、17……」



 音哉はラモンが予定の場所に立つ三十秒前から、カウントを開始した。

起こり得る不測の事態は、全て考え尽くしている。

手の施しようのないものは、諦めるより他にない。

だがそれ以外は、全て二人の有利になるよう働くはずだった。



「10、9、8、7、6、5、4……」



 音哉は、努めて冷静にカウントを行うよう、平静を保っていた。

そのため、次にラモンの取った行動に、予測が追いつかなかった。



「3…」



ラモンが、首を動かすのが見えた。



「2…」



ラモンはその顔を、ゆっくりとどこかへ向けようとしている。



「1……!?」



その瞳は、はっきりと音哉を捉えていた。



「うぁっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!???」



深淵が、スコープ越しにこちらを見つめていた。



 そしてそのとき秋哉もまた、予期せぬ襲撃に遭遇していた。

ライフルの引き金を引こうとした瞬間、階下から爆音が響いたのである。



『ショッコラ♪ショコラショッコラ、ショコラ♪ショッコラ、ショコラ高収入♪♪』


『キャバクラ~♪リフレ~♪デリバリ~♪』


『なんでも揃う求人サイトはショコラまで~~~♪♪♪』



「んな……ッ!?」



 ビルの屋上まで鳴り響くその音は、並大抵の音量ではなかった。

そんな音を鳴らすものが周囲にないことは、事前に確認済みである。

突然のことに秋哉は、迂闊にも照準をずらしたまま引き金を引いてしまう。



「しまった……!!」



 それはほんの数センチのズレでしかなかったが、3km先ではそのズレが、数十センチもの誤差となる。

結果的に秋哉の狙撃は、それが原因で失敗してしまった。



『ショコラ♪ショコラ♪高収入……』



「……どうやろ、ちゃんと妨害出来てるかな」


「何とも言えねぇな……銃声らしき音もしねぇしよ」



 突然の爆音の正体は、野間とジョージ二人の乗った車から発せられていた。

それは、組織系列の風俗求人斡旋サイトの、宣伝車である。

一時期話題となったこの車の特徴は、宣伝音がとにかく大きいことにあった。


 その音量たるや、右翼の街宣車や電車の走行音すらも軽く凌駕し、一説には旅客機のエンジン音にもひけを取らないそうである。

この車が通ると、他の音が一切聞こえなくなると言われ、SNSで取り上げられたこともあるほどだ。

ジョージは、カジノの他に風俗関係への部署へも顔が効く。ラモンはそれに目をつけ、音声による狙撃の妨害を企てたのだった。


 とはいえ、このままでは狙撃に失敗した兄弟に、逃げられるだけである。

野間の仕事は、この後逃げようとする春日兄弟を、捕縛することにあった。

そのためにラモンは野間へ二人の居場所を探してもらい、妨害したのだ。


 いわば野間にとって、ここからが正念場ということである。

最低でも逃げる二人を追って、潜伏場所を突き止めねばならない。

しかし、狙撃から一分が経ち二分が経ち、そして五分が経っても、誰も階上から降りて来なかった。



「……誰も降りて来ねぇが、まさか裏口から出たとかじゃねぇよな?」



 ジョージは険しい顔をして、ビルの出入口を見詰める。

すでにラモンの無事は確認済みであったが、それならば彼らが出てこないのはおかしいはずなのだ。



「だとしても、ビルの外に出る出入口はここしかないはずやで?」



 もしやここには誰もおらず、狙撃場所は全く別の地点だったのではないか。

この宣伝車の音量なら、多少場所がズレていても妨害に支障はない。


 春日兄弟は他のビルに潜伏しており、既に逃走した後なのではないか。

そんな疑念が野間の頭にもたげ始めた頃、突如として屋上から、一発の銃声が轟いた。



────

  ─────

     ─────



 ラモンは野間からの連絡を受け、一人大本営ビルの屋上までやってきていた。

双子は一向に姿を現さず、それどころか謎の銃声まで聞こえて来たのだ。


 最初はラモンを狙う第二の弾丸かと思ったが、彼と連絡が取れたことでその可能性もなくなった。

ということは、春日兄弟の身に何かしらのイレギュラーが起こったこということだ。

このままでは自分の手に余ると判断した野間は、ラモンに来てもらえないか打診した。


 それが今、ラモンがここに訪れた理由であった。

ラモンは不意討ちの可能性を考慮し、ゆっくりと屋上の扉を開けた。



「……よう、ラモン」



そこには、返り血を浴びた秋哉と、血塗れで床に倒れた音哉の姿があった。



「仲間割れか?」



 ラモンは冷静な顔のまま、まずは仲違いを疑ってみせた。

いかな双子といえど、利害に齟齬が生じれば殺しあうことはあり得る。

まして殺しにしくじった直後となれば、どんな不和が生じても何らおかしくはない。

だが秋哉は、そんなラモンの言葉を即座に否定した。



「そんなんじゃないさ。これでも俺たちは、殺し屋として上手くやって来てたんだ」


「……あんたたちに一体、何があった?」



そこで秋哉は、ふぅと大きなため息をついた。



「音哉が……スコープ越しに、あんたと目があったと怯えていた」


「3km先の相手と目が合うなんて、あんた相手じゃなきゃ信じたりしなかった」


「……俺は、あんなに怯えた弟を、初めて見たよ」



 秋哉は、弟の死体からなるべく距離を置こうとしているように見える。

その様子をつぶさに観察しながら、ラモンは秋哉に問い質した。



「たとえ目があったとして、それがなぜ弟を殺す理由になる?」


「あんたなら分かるだろ?怯えた羊は食われるだけ。弱者不要論は、裏社会での鉄則だ」



 死んで当然とばかりの言葉とは裏腹に、秋哉の顔からは一切の血の気が失せていた。


 例えば戦闘を行う者にとって、恐怖は何者にとっても耐え難い難敵である。

恐怖が怯えを産み、怯えが規律を乱し、組織にとって悪影響を及ぼすことは十二分にある。

そのため、怯えを隠すことすら出来ない者は、その場で処分されても言い逃れは出来ないのだ。



「だが、あんたらは組織から抜けようとしていたんだろう。それなら、組織の定めに殉ずる必要もないはずだ」



ラモンは、疑問に感じたことを迷いなく秋哉へとぶつけた。



「あぁ、そうだな。だがあんたには分かるまいよ」


「自分と同じ背格好で、自分と同じ顔をした人間が、狼狽え泣いている惨めさはな」


「俺は弱者不要という基本中の基本すら、こいつに教えてやれやしなかったんだ」



それは、あまりにも身勝手な主張であった。だがそれだけに、秋哉が悲痛な苦しみにのたうっていることは、ラモンにも感じられた。



「そうさ、弟は俺が殺した!こいつは、裏社会になんか居たらいけなかったんだ!」


「それを理解していなかった時点で……俺の、敗けだったんだよ……」



 それはかつて、リチャード=ロマネスクが予見したことそのものだった。

音哉は、その背景に殺し屋としてのバックボーンを何一つ持たない一般人である。

そして二人の才が合わされば、失敗して命が脅かされる危険性すらない。

素人同然の人間が、成功体験のみを糧に裏社会で生きる危うさを、ロマネスクは指摘していたのである。



「俺たちが深淵を見つめるとき、深淵もまた俺たちを見つめている、か……」


「フォークロア=ラモン。あんたが、俺たちにとっての深淵だったんだな」



 ラモンはその言葉を聞いてか聞かずか、秋哉へと一歩歩みを進めた。

秋哉はその分、屋上の縁まで一歩後退する。



「……この勝負、あんたの勝ちだ。そろそろお仕舞いにしよう」


「あぁ、いいだろう」



 ラモンはジャージのポケットから銃を抜くと、秋哉の心臓へと狙いを定めた。

そして最後まで抵抗の意志がないのを確認すると、その真ん中へ三発、正確に鉛の弾を撃ち込んだ。



「がっ……はぁっ……!!」



 秋哉はその弾丸を受け、数歩後ろへよろめいた。

だが、よろめきながらも彼は、床に倒れ伏すことだけはしなかった。



「音哉……すまない……こんな、人でなしの兄貴で……」


「……俺が、お前と同じ所で……死ぬわけには、いかないよな……」


「なぁ、音哉……」



 そして秋哉は息も絶え絶えながら、屋上の縁へと辿り着いた。

古いビルだけにフェンスは撤去されており、コンクリートの縁石で囲われているのみである。

その時、秋哉の脳裡に浮かんだのは、弟がいつも口ずさんでいたあの歌だった。



「そおさ……おそれないで……みーんなの、ため……に………」


「愛と………勇気だけが…………とーもだち、さ…………」



 その歌は不意に、秋哉の口をついて出た。それは、音哉が生きているうちには、ついぞ口ずさむことのなかった歌であった。

それを歌うことで、秋哉はようやく、弟の真意にたどり着いた。



(そうか……やっと分かった……)


(あいつはいつも……人を殺めることを……恐れてたのか……)


(だから、自分を鼓舞するような歌を……ずっと……)


(そんな簡単なことも……俺は分かってなかったんだな……)



 愛と勇気を象徴する、子供じみた歌。それが音哉の精神的な支柱となっていた。

たとえ直接的ではないにしろ、人を殺めるへの潜在的な恐れが、音哉にはあったということだ。

それを払拭するために行うのが、彼にとって歌うという行為だったのだろう。

それは、どれほど殺し屋への適性があろうと、春日音哉が一般人に過ぎないことを示していた。


 秋哉はよろけながらも、意外なほどしっかりした足取りで歩いた。

ラモンの眼には、頬まで伝う春日秋哉の涙の粒が、遠目からでも見てとれた。

そして春日秋哉は、最後の力を振り絞って、弟の死体の残る屋上から飛び降りた。



「……」



ラモンはそれを、一言も発することなく、ただ見送っていた。



────

  ─────

     ─────



 ラモンが双眼鏡越しに音哉と目を合わせたことは、偶然であり、また偶然ではない。

それは、音哉固有の「同期」という技に起因する。


 相手との同調を旨とするこの技は、本来は対象と、相互に影響しあう物なのではないだろうか。

音哉の同期という異能が、ラモンの秘めた能力まで開花させてしまったとは考えられないか。


 普段の標的なら、たとえ音哉と同調したとていかほどのこともないだろう。

だがラモンほどの強者なら、3kmという距離があろうと、何かしら感じるものはあったかもしれない。


 それを無意識に辿り、行き着いた先に音哉の視線があったのだとしたら。

それがあの時、ラモンが何気なく視線を上げた理由であるのかもしれなかった。

音哉の敗因は、「同期」の本質が他者との同調であり、それが相手にも影響をもたらすと知らなかったことにあった。


 あるいはもしも、狙撃の悪魔というものがこの世にいるとするならば。

それは気まぐれに射手の命を玩び、陰惨に奪う悪魔なのかもしれない。


≪魔弾の悪魔(ツイン=ザミエル)≫。


 ザミエルとは戯曲「魔弾の射手」において、魔弾を鋳造した悪魔の名である。

しかしここに、ひとつの疑問が生じる。


 魔弾の射手はそのタイトルが示す通り、銃の射手である男が主人公である。

なぜ狙撃手に射手の男の名ではなく、悪魔ザミエルの名を冠したのであろうか。


 その二つ名の名付けは、ロマネスクの手により行われたこと。

そして魔弾とは、愛する者を射抜く魔性の弾丸であること。

それらの符号が意図されたものなのか偶然か、それは名付け親にすら分からない。

悲劇は常に神の手の内に委ねられており、人はそれに名を与えることしか出来ないのだから。



────

  ─────

     ─────




 そして、恩赦の参加者も残るところ一人となった翌朝。

ラモンの耳に飛び込んできたのは、全ての発端であるリチャード=ロマネスクの訃報であった。



≪続く≫

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