第24話 リンゴを探して、ゴミ砂漠。
非常に幸運な事に、リンゴは施設に受け入れて貰えることになった。「獣の耳」という異形を持ちながらも、前を向く彼女の事を、俺は誇らしく思う。同時に、幸せを願わずにはいられなかった。
俺と詩は、東京市街へと出発するリンゴを見送った。
そんな彼女の乗ったバンが炎上していた。
「……うそ?」
詩が言った。
強視の万象律
「本当だ」
強化した視覚で見ても、見間違いではない。リンゴが乗ったバンが燃えていた。燃え盛る炎の、その濃淡まで見て取れた。見間違いなどではない。
俺は貯水タンクの上で、動けないでいた。
情けない事に、足が震える。
ああ。
また、炎。
こうやって、俺から、大切なものを奪っていく。
「行かないと」
ただ、そう言う詩も、一歩を踏み出せないでいた。それでも、意を決したらしい。
彼女が俺の手を取る。
「証。行こう」
「……分かった」
俺は答えたが、行きたくはなかった。焼け焦げになったリンゴなんて見たくない。それでも、詩に手を引かれて、事故現場を目指す。
俯きながら歩いていたら、いつの間にか、事故現場に辿り着いていた。
詩が野次馬の人垣を掻き分ける。
一瞬、事故現場が見えた。
俺は直ぐに顔を下に向けた。自分の靴の爪先だけを見る。
「大丈夫」
そう言う詩も、俺の手を握る力が強くなる。俺は、彼女の手を握り返しながら、恐る恐る、前を見た。
凄惨な現場だった。
歩道に乗り上げたバンは、そのままビルの壁面に衝突して止まったらしい。アスファルトの上に、ブレーキ痕が残っていた。
炎は既に消えている。しかし、白かった車体は、焦げて黒く変色していた。煤と、消火剤の匂いが鼻を刺す。その自動車の傍に、黒っぽい塊が転がっていた。すぐに、それが死体である事に気が付く。のたうち回った跡が残っていた。
我慢できず、俺は顔を背けた。
その時、詩が言う。
「証。一つしか無いの。……死体が」
「え?」
俺は事故現場を見る。確かに、バンの傍に転がる焦げた死体は、明かに大人の大きさだ。その死体が一つだけしかない。
口元を抑えつつ、横転したバンに近づく。まだプスプスと微かに黒煙が上る。金属やプラスチック、ゴムが燃える、明かに身体に悪い匂いがした。
「詩姉。悪い」
「うん」
詩が、俺の手を、強く握ってくれた。
そして、俺達はバンの中を覗き込む。
座席が黒焦げになっていた。
しかし、そこには、誰も居ない。
もちろん、死体だって転がっていない。
俺は、近くの野次馬に訊いた。
「お前、この事故が起きるところを見ていたか?」
俺より頭一つ大きい、禿頭の男だった。
「何だお前?」
「良いから答えろよ」
身体で死角を作りながら、男にだけ見えるように、ナイフを抜く。
「……み、見たよ」
「女の子は居たか?」
「女? 知らねえな。……いや。ガキなら見たよ。いきなり車がビルに激突したんだ。そしたら、車の窓からガキが飛び出して、走って行っちまった。それで、いきなりバンが燃えた」
「何処へ?」
「し、知らねえよ。あっちの方だ」
男が路地裏の方を指さす。
「そうか。ありがとうな」
遠く、サイレンの音がした。面倒事は御免だとばかりに、野次馬が散っていく。俺達もその人混みに紛れ、事故現場を離れる。足早に歩きながら、他人には聞かれないように、小声で言葉を交わす。
「詩姉。さっきの聞いたか?」
「ああいう訊き方は駄目」
「それより、リンゴは多分、生きてる」
「うん。本当に良かった」
「詩姉。喜んでるところ悪いけど、妙だ」
「リンゴが生きてるのに、嬉しくないの?」
「リンゴが生きているなら、今、何処に居るんだ?」
「あ」
一度、事務所に戻ってみる。誰も居なかった。
リンゴにとって、俺達は唯一の身内だ。事故に巻き込まれたならば、何故、俺達の所に来ないのか。男の話では、リンゴは薄暗い路地に消えたらしい。少なくとも、怪我で身動きが取れない状況ではないはずだ。
彼女は、何処へ行ってしまったのか。
「どうしよう……」
詩が呟いた。
「心当たりならあるよ。行こう」
スクーターを走らせること十数分。辿り着いたのは、見知った場所だった。俺たち姉弟にとっては、ふるさと、と呼んでも良いかもしれない場所だ。ただ、戻って来たいとは思わなかったけれど。
「ねえ、証。ここって」
後部座席の詩が言った。
「そうだよ。新・夢の島だ」
青色地区には、当然、ゴミ処理施設なんて洒落た物は無い。その代わり、ここで出たゴミは、ヤクザが取り仕切って勝手に埋め立てていた。
旧東京二十三区で言えば、多田区の辺りか。誰が名付けたのか、このゴミ溜めを、人々は「新・夢の島」と呼んでいた。
青色地区で出たゴミは、やがて、この新・夢の島に流れ着く。もちろん、物に限った話ではない。例えば、行く当ての無い人間も、この島に流れ着く。そして、金目の物を漁って命を繫ぐ。かつての、俺達みたいに。
「どうして、ここに?」
「リンゴはここの出身だ」
「聞いたの?」
「いや」
リンゴは多くを語ろうとしなかったけれど、見当はついていた。
獣の耳を持つ彼女は、人を避けて一人で生きていた。何も無い孤児が一人で生きて行こうと思ったら、ここでゴミを漁るしかない。居場所の無い奴の居場所なんて、そんなに多くない。
「詩姉。大丈夫か?」
この場所は、きっと、楽しくない事も思い出すはずだ。
「証こそ」
「大丈夫だよ。一人じゃきつかったけど」
「馬鹿」
そう言って、詩は手を繫いでくれる。
ゴミの山が、何処までも連なる。
砂漠のようだが、その山を成すのはゴミだ。
ただ、こんな場所でも緑は芽吹いている。土に還ったプラスチックを苗床にしているのだ。その緑と、金属、ゴム類、ガラスといった、土に還らないゴミが、奇怪なコントラストを織り成す。
しばらく歩くと、ゴミ山の麓に、廃材で作られた小屋が在った。中にはヤクザ崩れのチンピラが住んでいて、そのゴミ山を取り仕切っている。
「邪魔するぞ」
中には、老婆と、やたらと背の高い男が居た。男は、黄土色の不健康そうな肌をしていた。
「クソガキ。何の用だ?」
男は鼻と鼻が降れる距離まで顔を近づけると、血走った眼で睨みながら言った。要約すると、「こんにちは」という意味だ。面倒なので、雷霆の万象律で適当に気絶させると、老婆の前に座る。
「……ガキ。見覚えがあるよ」
「あんた、まだ生きてたのか」
「なかなか死ねなくてね」
老婆は笑う。足りない前歯が見えた。
「仕事を頼みに来た」
「何だい?」
「探してる奴がいる。詩姉」
詩が携帯端末を立ち上げると、リンゴの写真を表示する。それを見て、老婆はいやらしく笑った。
「良い趣味してるね。そのくらいの年頃の女の子なら、何人か紹介できるよ」
「そう言うんじゃねえ。こいつに用が有るんだよ」
「へへ……。そうかい。それで、金は?」
数枚の紙幣を渡す。
「足りないね」
「相場だろ。こっちも青色地区育ちだからな。知ってんだよ」
「まあ、同郷のよしみで、安くしておいてやろうか」
老婆は気絶した男に水をかけて起こす。二言、三言、言葉を交わすと、男は外に出て行った。間もなく、ゴミを漁っていた連中が集まって来た。男が彼らに向かって指示を飛ばす。
すると、三々五々、彼らは散って行った。後は、口から口へこの事が伝わり、やがて夢の島中のゴミ漁りが、リンゴを探し始めるだろう。
詩は、そんな彼らの事を、複雑そうな表情で見ていた。
「今はリンゴだ」
「……分かってるよ」
詩はそっぽを向いて言った。彼女もリンゴを探しに行こうとするので、俺は引き留める。
「何でよ?」
「リンゴは、俺達を避けているのかもしれない。俺達が出て行ったら、見つからない」
彼女は耳も良い。
「そっか。でも、どうして?」
「さあな」
普通の事情でない事は確かだ。
不意に、視界が暗くなる。見上げれば、雲が太陽を隠した所だった。先ほどまでは青空だったけれど、雲が増えた。嫌に分厚い灰色の雲だ。
俺と詩は、ゴミ山の中腹に腰かけて、夢の島を眺めて居た。
「なんだか、狭くなった?」
「俺達が大きくなったんだよ」
三十センチも視点が高くなれば、見える景色も変わる。
「……リンゴ、大丈夫かな?」
「大丈夫だろ。ああ見えて、あいつは弱くないよ。青色地区育ちだからな」
「だよね」
しかし、時間が経つのが遅い。携帯端末を見ても、幾らも時間が経っていない。いつの間にか、さらに雲は増えて、空の青い部分がほとんど無くなってしまった。
その時だった。遠く、ゴミ漁りの集団がこちらに向かって歩いて来る。数人で、一人を取り囲んでいる。彼らは手に手に棒を持ち、中心の一人が逃げないように囲みながら、その棒で歩くように突っつく。
強視の万象律
間違いない。
リンゴだ。
しかし、彼女もこちらに気が付いたらしい。俺達を認めるなり、ゴミ漁りを振り切って走りだす。
「リンゴ!」
詩が駆け出した。
俺も後を追う。
しかし、リンゴは速かった。小柄な体で、ゴミの間を縫うよう、ヒョイヒョイと走っていく。
「リンゴ! 待ってよ!」
詩が叫ぶ。
「きちゃだめ!」
そんな声が返って来る。
「どうして⁉」
「だめなの!」
リンゴは精一杯に走る。必死に吐いて、吸う、その呼吸の音が聞こえた。肺に血が滲むようなあの感覚が、俺にまで伝わってくるようだった。
見ていられない。
ゴミ山の斜面に差し掛かり、リンゴの速度が緩む。
大股で一気に駆け上がると、俺はリンゴの肩を掴んだ。
振り向いた彼女は、泣いていた。
恨めしそうに俺達を睨みながら、拳をギュッと握る。リンゴはかすれた声で言った。
「……きちゃだめなのに」
リンゴは言った。
「大丈夫だよ」
詩は優しく、しかし、力強く、リンゴに声をかける。
「怖かったよね。だけど、大丈夫。私も一緒だから。証もいるし」
詩は膝立ちになると、初めてリンゴと出会った夜にそうしたように、リンゴを抱きしめた。あの時、リンゴは驚きに満ちた表情をしていた。しかし、今は、悲しそうに睫毛を伏せている。
とん、と詩を押した。
決して強くは無い。
しかし、確かな拒絶の表明。
「詩。証。こないで」
リンゴは、酷く悲しそうな表情をしていた。
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