第25話 弾丸、少女に注がれるもの。
「詩。証。こないで」
リンゴは、酷く悲しそうな表情をしていた。
俺達に背を向け、一歩を踏み出す。
その踏み出した一歩を、音も無く飛来した弾丸が貫いた。
「リンゴ!」
詩が叫んだ時には既に、俺はリンゴを抱きかかえるようにして地面に伏せていた。詩も地に伏せる。
リンゴの細い足に空けられた穴からは、泉のように赤い血が溢れた。彼女の顔が苦悶に歪み、額に玉の汗が浮き出る。俺はゴムバンドで彼女の足を縛りながら、視線を巡らせる。
居る。
居る。
居る、居る。
黒色の迷彩服を着た連中が、ゴミ山を取り囲んでいた。彼らは瓦礫に身を隠し、或いは、地面に伏せながら、銃口をこちらに向けている。
逃げ場は無かった。
銃弾が頭上を通り過ぎる。少しでも頭を上げれば、潰れたトマトみたいになること、請け合いだ。
ただ、この襲撃のおかげで、大体の事情は把握した。
恐らく、あの自動車事故は、ただの事故じゃない。何者かが、リンゴを狙って意図的に引き起こしたのだろう。それを察したリンゴは、俺達を巻き込まない為に、自ら距離を取った。
リンゴを付け狙う連中がいる。
しかし、何故。
その時、跳弾が俺の腕を掠めた。
相変わらず、頭上を弾丸が飛び交っている。その中を、匍匐前進で近づいてくる迷彩服が居た。
「証。詩。わたしをおいてにげて」
リンゴが言った。この期に及んで、彼女はまだ、一人で背負おうとしているらしい。
「リンゴ……」
帯磁の万象律
お前さんには、ちと重すぎるだろうに。
ここは新・夢の島。ゴミ溜の島だ。土に還ったプラスチックに、電化製品が分別もされないで埋まっている。そいつらを磁石に変えた。
磁場に引きずられて、飛び交う銃弾が向きを変える。弾丸は導かれるように、迷彩服に飛び込んだ。四方八方から悲鳴が聞こえる。
「殺してないよね?」
「急所は外した」
嘘だけど。
こんな切羽詰まった状況で、そこまで気にする余裕は無い。
不意に、弾丸が飛来する。
何人か、討ち漏らしたらしい。
「詩姉」
名前を呼ぶだけで、詩は俺の意図を察した。彼女はリンゴをお姫様のように抱えると
「ごめんね。ちょっと我慢して」
と言って、ぴょん、と跳んだ。彼女の足が地面から離れる。瞬間、握った拳を、ゴミ山に叩きつける。
金属の中では、常に電子が移動している。それでも電流が発生しないのは、電子の向きがバラバラだからだ。
多数の電子が、「無秩序」に行ったり来たりしているので、打ち消し合って電流は流れない。だから、そのバラバラな電子に「秩序」を与えた。移動する向きを揃えてやる。
ゴミ山に埋められた、大量の家電や廃材。俺を起点に発生した電流が、それらを伝う。伝った電流は迷彩服を捉えた。数十メートル先で、迷彩服がビクンッと跳ねると、そのまま動かなくなった。
「まあ、ホームグラウンドだしな。負ける気はしねえよ」
その時、俺の眼前で火花が弾けた。
気づけば、俺の前に、刃が、十重、二十重に張り巡らされていた。
瞬閃の万象律
それは、刃の網が銃弾を弾いた火花だった。
まだ、襲撃者が居たらしい。
「しっかりしてよ」
そう言って詩が、柄だけになった緋兎丸を薙ぐ。その動きと連動して、数十メートル先、迷彩服の持った小銃が真っ二つに割れる。
「万象律、使って良い?」
詩が訊く。
「もう使ってんだろ……」
ふぅ、と詩は息を吐き、刀を収める。
俺は途中だったリンゴの止血に取り掛かる。ゴムバンドを結び直し、傷口に止血用のパウダーをまぶす。
「終わった?」
「ああ。一応」
辺りを見渡す。新たな襲撃者は居ない。ただ、あれで終わるとは思えない。早くこの場所を離れなければ。
「リンゴ。痛むと思うけど、少しだけ、我慢して」
詩はそう言ってしゃがみ込むと、リンゴに背を向ける。おぶされ、という意味だ。
しかし、リンゴは一歩、後ろに下がる。そして、訊いた。
「どうして?」
質問の意図が分からず、詩が訊き返す。
「どうして、って?」
「だって、あぶないのに」
「危ないから、一人にできないんでしょ?」
「詩まで、あぶないめにあう。そんなのいや」
「私だって嫌だよ。リンゴが危ない目に遭うのなんて」
彼女たちは優しさを押し付け合う。
このゴミ溜で、二人の少女だけが気高い。
ただ、世界は、この二人のように、優しさを分け合うような事はしない。
二人の少女に注がれるのは、祝福ではなかった。
弾丸。
無機質なそれが、音の速さで飛来する。
「知ってたけど」
この世の中が、こんな場所だって事は、ずっと知ってた。
だから、新・夢の島を囲むビルから、狙撃手が狙っている事も予想していた。
帯磁の万象律
銃弾はグイッと向きを変え、ゴミ山に突き刺さる。
「誰だか知らねえけど、こいつらは殺させない」
心の中で宣言した。
「詩姉。リンゴ。後にしろ。逃げるぞ」
「何処へ?」
「とにかく、青色地区の外だ。外ならどこでも良い」
市街地に入ってしまえば、敵も派手に動けない。
「分かった」
詩は有無を言わせず、リンゴを背負うと走り出す。俺がそれを先導した。先ほどの
一撃で、狙撃手の位置は分かった。ゴミの山を遮蔽物に使いながら、島の外を目指す。
その時、足元に銃弾が突き刺さった。
「何で?」
先ほどの一弾から、射手の位置は把握していた。
ここはゴミ山の陰になって、射手からは死角のはずだ。
別の狙撃手か。
周囲を見渡しても、他に狙撃が可能なビルは無い。
しかし、弾丸はその山を越えて飛来する。
その軌道が、曲がっているのだ。
音速を越える弾丸の軌道を曲げるなんて真似は、少なくとも俺は出来る。
万象律なら可能だ。
前方の山の頂上に、一人の人間が立っていた。
黒い迷彩服に身を包んだそいつは、冷たい目で、俺達を見下ろしていた。
「こんな事だろうと思ってたぜ。……春譜」
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