第17話 差し伸べられた手に
ミラー越しに詩と目が合う。
「上手く行ったね」
「ああ」
海沿いを真っ直ぐに、何処までも伸びる道。生温い夜風を切って、スクーターが駆ける。
正面切って麻酔を守る事は難しい。だから、俺達は最も大きな隙を突く事にした。
つまり、マフィアが襲撃に成功した瞬間だ。
護衛が麻酔を守り切れるならそれで良い。俺達は保険。そういう手筈だった。護衛連中に俺達の存在は知らせていない。切羽詰まって、助けを求められても困るからだ。
ただ、この方法では、バンに積まれた全ての麻酔を取り戻すことはできない。そして、護衛も救えない。詩が抱えた一箱の段ボール。それが、俺達にできる精一杯だった。
全て思い通りになるなんて、端から思っていない。
だけど、こうして、ほんの少しだけでも、何かを変える事が出来た。
上出来じゃないか、と自分に言い聞かせてみる。
それでも、思ってしまうのだ。
「もっと、強くなりたい」
呟いた柄でもない言葉は、夜風が吹き流してくれた。
「証。今、何か言った?」
「……いや。何も」
流石に少年漫画みたいで恥ずかしい。
「強くなりたいの?」
「聞こえてんじゃねえか!」
「私もだよ」
ふと、耳元で詩が囁いた。一段低い声の調子。彼女が思うのも、俺と同じらしい。
「そうだな」
俺が同意すると
「意外に、お熱い所も有りますなあ」
と言って俺の頬を指でつつく。
「止せ」
「照れないでよ」
「違う。マジで止めろ」
ミラー越しにトラックが見えた。四台。マフィアだ。まだ遠い。しかし、ジワリ、ジワリと迫ってきている。骨董品の電動スクーターより、連中のトラックの方が速い。おまけに、こっちは二人乗りだ。
しかし、ダンボール一箱の僅かな麻酔のために、わざわざ追って来るだろうか。
「……詩姉。殺してないよな?」
「するわけ無いでしょ!」
「だよな」
これで、復讐という線も消えた。
「証! 撃ってきた!」
「慌てんな。この距離じゃ、滅多な事じゃ当たんねえよ」
弾丸が頭頂部を掠めた。髪の毛が揺れる。
「滅多な事って?」
冷や汗が、こめかみを伝う。
「煙幕、頼む」
「了解」
詩が俺の胸のホルダーを弄る。筒を抜き取ると、着火。パシュッ、と気の抜けた音がして、濃い煙が吹き出す。それが俺達の姿を隠す。断続的に飛来する弾丸。しかし、見当はずれな方向を通り過ぎていく。
それでも、次第にトラックとの距離が詰まる。身体の傍を通り過ぎて行く弾丸が増えた。銃弾が巻き起こす風が、身体を撫でる。その時、詩が言った。
「証。使って良い?」
「存分に」
詩が背負った刀を抜く。
緋兎丸。
刀身を横に寝かせ、持ち手に唇を寄せるように構える。
瞬間、刃が夜に溶けた。
瞬閃の万象律
夜に走った一閃が、道の両脇に立っていた樹を、その根元で切り結ぶ。倒れた木が道を塞ぐ。しかし、トラックはスピードを緩めなかった。それどころか加速さえしたように見えた。
「え?」
詩が間の抜けた声を出す。
衝突。
トラックという大質量が、百キロを超える速度で衝突したのだ。樹は簡単に吹き飛んだ。当然、トラックも無事では済まなかった。車両は自然に右に逸れて行き、ガードレールにぶつかって止まる。
一台のトラックが動かなくなったけれど、木のバリケードは撤去されてしまった。残りの三台は、まだ俺達を追っている。距離は次第に縮まる。その時だった。ガクン、と何か固い物を踏みつけた感覚。後輪に弾丸が突き刺さったのだ。
「証⁉」
「喋んな! 舌噛むぞ」
空気が抜けて、アスファルトの凹凸が直に伝わる。岩だらけの山道を走っているのかと思うほどスクーターは揺れた。アクセルを全開にしているのに、まるで速度が出ない。
その時、前方に橋が見えた。あの橋を渡れば、そこから先は江戸河区。青色地区で最も樹々が生い茂った場所だ。あそこの森に紛れ込めば、或いは。
橋を渡り切る。
生い茂る樹々。殆ど森だ。そこにスクーターで突っ込む。張り巡らされた枝葉が、ピシピシと顔や身体を打つ。俺達はスクーターを乗り捨てると、そのまま手近な茂みに跳び込んだ。
息を潜める。
しばらくして、叫び声が聞こえた。
「×××! ××!」
「××××!」
「××××××!」
知らない言葉だったけれど、とにかく悪態であることだけは分かった。木立に向けてやたらと弾丸をばら撒いている。
「しつこ過ぎだよ。どうして?」
樹の幹に背中を預けながら、詩は言った。確かに、この麻酔一箱に、トラックを一台潰してまで取り戻すほどの価値は無い。
「大方、敵対組織だとでも勘違いしてんんだろ」
まさか、ただの個人が攻撃を仕掛けてくるなんて、マフィアは思わないだろう。普通は、黒幕の存在を考える。だから連中は、その黒幕の正体を暴くために、こうして血眼になって俺達を探しているのだ。
「……最悪」
詩が呟いた。
「俺は面白いけどな」
「呑気なこと言ってないでよ」
詩が俺を睨む。この襲撃の黒幕が、ただの善意の一個人だなんて、連中は一生かかっても思いつかないだろう。俺も思わない。
そうは言っても、危なくなってきた。懐中電灯だろうか。光の束が、身を潜めた俺達の頭上を行きかっている。このままでは、見つかるのも時間の問題か。
「×××! ×××!」
その時、直ぐ近くで叫び声が聞こえた。その鋭い響き。「見つけたぞ!」という類の言葉だと、直感的に理解する。葉擦れの音や怒声が近くなる。
「詩姉。息、止めて」
「何?」
「悪あがき」
俺は太股に括って置いた発煙筒を抜く。最後の一本だ。それを肩越しに放る。気の抜けた音と共に、煙が広がる。視界が死んだ。俺達も何も見えない。
「×××! ×××!」
「××××!」
マフィアの声が聞こえた。混乱しているらしい。
ただ、この霧もやがて晴れる。時間稼ぎにしかならない。
しかし、その時だった。
手に、何か柔くて、温かい物が触れた。
それが人の手である事は、直感的に気づいた。
「え、何⁉」
と、詩。
彼女の手にも、その柔い物が触れたらしい。
「だいじょうぶ」
何者かはそう言って、俺達の手を引く。
「そこ、おおきな、き。たおれてる」
足を前に出すと、確かに、硬い何かに触れた。跨いで越える。辺りは濃い煙。暗視装置も意味がない。微弱な光を捉えた所で、結局見えるのは煙だけだから。それでも、声の主は俺達の手を引きながら、闇の中をスイスイと進む。
やがて、煙を抜けた。
虫の声がする。見上げればポツポツと星明かり。薄暗闇の中に、俺達の手を引く者の姿が現れた。小さな背丈。モサモサの茶色い髪の毛。目深に被った鳥打帽。彼女は紛れもなく、リンゴだった。
「たすけにきたよ」
彼女は言った。
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