Part.5

「……あれ?」


 新よりもひと回り背の低いその男は、白衣を纏っていた。ポケットに片手を突っ込んだまま眠たげに目を細めて大きな欠伸をする姿は、どこかぶっきらぼうな猫のように思えた。


 やがて欠伸で溢れた涙を片手で拭った男は、もう片方の腕に抱えていた紙袋を押し付けるようにして新に手渡した。紙袋の底はわずかに温かく、中を覗くと大量のパンが入っている。


「……くれるの?」と新が問いかけると、男はつま先で小刻みに地面を打ちながら不機嫌そうに頷いている。「ありがとう!」と彼は一応お礼の言葉を述べるものの、やはり男の顔には見覚えがない。


「ところで君は、どちら様?」


「朝比奈」


「朝日が?」


「違う、あ・さ・ひ・な」と彼は即座に訂正し、「朝比奈リョータ」と補足した。


「あぁ、名前ね」と新が頷くと、男は一瞬だけつま先の動きを止め、「――この名前の組み合わせさ、どっかで聞いたことない?」と彼に尋ねた。


「さぁ。分かんないな」


 新が惚けた声で答えると、がっかりしたようにため息を漏らした男は白衣のポケットを漁り始め、小さな懐中電灯のようなものを取り出した。続いて彼が壁に向けて放射させた光には、シルマから送られてきたチップと同様の仕組みで映像が流れ始めている。画質は多少粗いものの、それがどこかの路地裏であることはすぐに分かった。


 男がボタンを操作すると、まるで時間が巻き戻るようにして画面の左端から新が後ろ向きに姿を現し、続いて現れた救急車の後部ドアが開くと、先日病院へ運び込まれたスーツ姿の女性が吐き出された。やがて忙しなく動き回る救急隊員や救急車が画面左に走り去ると、横たわった彼女と新が二人きりになった。


 そこまで戻したところで、男は映像を一度停止させる。


「見たのか?」


「なにを?」と新が首を傾げると、男は苛立ったように舌打ちしながら再び映像を巻き戻した。さらに遡った映像の中では横たわった彼女の毛先が宙に浮かび上がり、新がそれを凝視しながら立ち止まっている。


「あっ。こいつ!」


 男が映像を停止させた瞬間、巻き戻している最中には映っていなかった影が彼女の背後に姿を現した。それは新があの時に目撃した大型の重機で、画面上でも身体が半分透けている。「……気のせいじゃなかったのか」


「こいつの行方、知ってる?」と男は呟くように尋ねた。


「え、君って警察の人?」とすぐさま尋ね返した新は、続けざまに「ねぇ、これって監視カメラの映像なの? その懐中電灯はどういう仕組み? え、どうやって僕のアパートが分かったのかな? ねぇ、あの機械って一体な――」


「あぁもう! いっぺんに聞くなよ!」


 男は新の言葉を遮るように声を上げると、ぼさぼさの頭を掻きむしり、「トレースしたら、ここに辿り着いただけだろ」とぶっきらぼうに答えた。「あんた、もしかしてここの奴か?」


「もしかしなくても、ここの住人だけど」


「違うよ、かって聞いてんの」


「えっ……」


 台詞から、男の言わんとするところを瞬時に読み取った新は、「まぁ、そうだけど」と小声で答えた。すると彼はこれみよがしに大きなため息をつき、「面倒だな」という表情を浮かべながらそのままの言葉を口にしていた。


 男の様子を観察していた新が「ひょっとして、朝比奈くんは地球人じゃなかったり?」と尋ねると、彼は鋭い眼差しを向け、「あんたまさか、入星管理局の人間か?」と警戒するように言った。「一応こっちも、許可取って来てるんだけど」


「にゅうせい、何?」


「まぁ、管理局員なら話は早いか」


 新の質問を聞き流した彼は、吐息混じりにそう呟いている。


「えっと、あの機械は一体どういう――」と新が言いかけると、男は手に持った懐中電灯の先端を新の方に向けながら、「知ってることだけ答えて」と冷たく言い放った。


「これさ、モードを切り替えると結構やばめの凶器になるんだよね。……こういうこと、本当はしたくないんだけど。隠し事はしない方が良いかも」


「…………」


 新が思わず黙り込んで息を呑むと、安心したようにため息を漏らした彼は「よし。それじゃあ」と続けて何か言いかけたが、突然身体をふらつかせると、白目を剥いて玄関に倒れ込んだ。


「えっ、どうしたの!?」


 新が顔を覗き込むと、辛うじて意識を保っていた男は頬を赤らめながら目を逸らし、返答の代わりにお腹から「ぎゅるぎゅるぎゅる……」と派手な音を響かせた。


 腕に抱えていた紙袋からパンを一つ取り出した新は、それを彼の前に差し出し、「良かったら、食べる?」と言って笑顔を浮かべた。

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