Part.2
萩原新が自宅でテレビ番組を見ながら柔軟体操をしていると、間の抜けた音の呼び鈴が鳴った。額に滲む汗をタオルで拭った彼は、のそのそと玄関に向かう。
「萩原新さん?」全身から汗の臭いを漂わせる宅配業者は新の名前を読み上げると、頷いた彼にすかさず手のひら大のダンボール箱を手渡した。「ここにサインお願いね」
扉を閉めて室内に戻った彼は、首を傾げながらダンボール箱を眺めた。
「何だろ。父さんかな」
差出人の住所や名前は、すべて英語で記載されていた。――S、Y、R、M、A。
「シルマ?」
新が早速ガムテープを剥がすと、緩衝材が敷き詰められた中央にはきちんとした佇まいの黒い小箱が入っていた。取り出して蓋を開くと、そこには見覚えのある腕時計があった。シリコン製の青いベルトに淡いゴールドの丸い液晶パネル、右側面にはボタンのような突起が三つ付いている。
試しにボタンの一つを押してみると、突如明るくなった画面にはデジタルの文字盤が表示された。
「これって、やっぱりピスカの……」
腕時計を引っ張り出した小箱の底には、桃色のベルトとUSBメモリのような小さなチップが入っていた。新がチップを指で摘むと、持ち上げた瞬間にそこから映写機のような光が伸び始めた。壁に向かって広がる四角錐の底面には映像が流れだし、白を基調とした調度品に彩られた室内でシルマが深々とお辞儀をしている姿が見られた。
「アラタ様。先日は私共のためにご尽力頂き、誠にありがとうございました」
画面のやや右寄りに立った彼は顔を上げると、次いで短い咳払いをし、「ささやかながら、そちらは我々からの感謝の気持ちにございます」と言った。
「アラタ様にとって、それが何かのお役に立てば我々も嬉しゅうございます。追伸、ピスカ様はあれから地球の文化についてより一層猛勉強をされており、アラタ、アラタと毎日のように――」
「まぁ、恥ずかしいことを言わないの」
突然ピスカの声が聞こえてきたかと思えば、画面の右端から突然現れた拳がシルマの肩を勢いよく引っ叩いた。彼は痛みに耐えて打撲箇所を押さえながら、「そ、そちらのユニーロは、アラタ様のために特別に拵えたものにございます」と無表情で続けた。
「へぇ、格好良いな」早速時計を腕に巻いた新は液晶をじっと見つめ、「これって、AIとかいうのが入ってるのかな」と呟いた。
タッチパネル仕様になった液晶を適当に触ると画面が切り替わり、「チュートリアルを開始しますか?」というアナウンスが頭の中に響き始めた。「――おぉ」
「残念ながら、そちらのユニーロは地球産の一般的な腕時計とほぼ同程度の機能にございます」
彼の行動を予測したかのようにそう説明したシルマは、続けてその場で軽く足踏みしながら、「アラタ様はよく外出をなさるとお聞きしましたので、歩くと歩数をいちいち数えてくれる機能を搭載致しました。是非ご活用くださいませ」
「いちいちと言うと、迷惑に思えなくて?」
ピスカがまた横から口を挟み、「他にはどのような機能があるのかしら」
「はい。そちらには簡易的な人工知能が搭載されており、例えば美女の音声による目覚まし機能や空腹時の通知機能、昼寝に最適な環境を検知するGPS機能などが施されている贅沢な品となっております」
「あら。シルマにとっては、すべて必要な機能かしらね」
「それに今なら何と! ピスカ様限定カラーの交換用ベルトも付属しております。――なお、ベルトの交換は専門機関にてお願いを致します」
「何だかテレビショッピングみたいだな」と新が呟いていると、ピスカが再び画面横から腕を伸ばし、「あらあら! お揃いのお色なんてお恥ずかしいわ」と言ってシルマを叩こうとしたが、彼はそれをひらりと躱した。
「では、私はこれにて」と言い残すと、シルマはお辞儀をして後ろの扉からそそくさ出て行った。「――ピスカ様。電源はご自分でお切り下さいませ」
「……まぁ」
それからしばしの間が空き、画面にそろりと姿を現したピスカは、着心地の良さそうなパジャマの上にふんわりとした素材のロングカーディガンを羽織っていた。彼女は頬に手を遣りながら画面に近寄り、「…アラタ、元気? この服はね、地球で購入したものなの。似合うかしら?」と言ってくるりとその場で一回転した。
「次回こそは、ゆっくりとお花見をしましょうね。ふふ。楽しみにしているわ」と言うと、彼女は恥ずかしそうに後ろの扉の向こうへと歩き去った。
その後しばらくは無人の部屋が映し出されていたが、扉の奥から早足にシルマが現れると、「まったく、ピスカ様は……」とぼやきながらカメラに近寄り、そのまま映像は終了した。
翌日、ジョギングのために外出をした新はユニーロを腕に巻いて走り始めた。しばらくして見ると、確かに歩数らしきカウントがされている。他にも一般的なスマートウォッチと同等の機能を有しているらしく、心拍数や消費カロリー、走行距離なども記録されることがチュートリアルのアナウンスで流れていた。
どういった理屈で頭の中に直接声が聞こえてくるのかは不明だが、画面を確認する手間が省けるので楽ではあった。特に興味深かったのはGPSによる地形記憶と、それに伴う適切なランニングコースの算出機能で、ユニーロが快適に走れる道を勝手に検索してくれるようだ。
「うわ、なにこれ」
画面上に出現した点滅箇所に新が触れると、突如透明な膜が身体を覆い始めた。続いて内部に起こった風が汗で濡れた髪や衣服を一瞬にして乾かしてしまった。
「これ、完全にシルマさん仕様でしょ」
新はすっかり乾いた髪に触れながら咄嗟に周囲を見回したが、運よく目撃者はいないようだった。続いて駅前の繁華街に近づくと、人通りが増え始めたので彼は速度を落として進んだ。
「こっちの方面は走りにくいな。信号も多いし、自然も少ないし」
という彼の声を認識したのか、ユニーロが僅かに震え始め、次の角を左へ曲がるようにと頭の中にアナウンスが響いた。
「もう道覚えたの? 君は優秀だねぇ」
指示通りに新が左折しようとすると、曲がり角の先から突然女性の悲鳴が聞こえてきた。声に驚いた彼は一瞬その場で立ち止まったが、すぐさまペースを上げて走り出した。
「あっ……!」
新の視界に入ってきたのは、黒いスーツの女性が仰向けに横たわる姿だった。高層ビルに挟まれた裏通りは周囲に比べると比較的薄暗く、彼女以外には人影も見当たらない。すぐさま女性のところへ駆け寄ろうとしたが、近くまで来たところで彼女の背後に薄らと何かが視界に入ると、足を止めた彼は目を凝らしてそれをじっと見つめ始めた。
それは人間ではなく、明らかに何かの重機のようだった。新よりひと回り以上も大きな影。縦に長い流線型のフォルムには両手と両足が付いており、胴体の右側から伸びた長いアームが彼女の後頭部で結った髪を掴んでいる。
「コード362、コード362、コ――」
重機は何事かを繰り返しアナウンスしていたが、本体は硬直したように動かない。姿が透けて見えることに目を疑った新は思わず俯いて両瞼を強く擦ったものの、再度目を開いて顔を上げると、影は忽然と姿を消していた。
「…………」
新はしばらくの間呆然と立ち尽くしていたが、ふと我に返ると倒れた女性を慌てて抱き起こし、「大丈夫ですか?」と尋ねた。
女性は意識を失っていた。彼は羽織っていたジャージを丸めて枕替わりにすると、すぐに携帯電話で救急車を呼んだ。
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