Part.14

 胸を圧迫する感覚と同時に恐ろしい速度で上昇した機体は、あっという間に雲をすり抜けて大気圏を突破していく。視界が開けて一面が果てしない闇に覆われた空間に辿り着くと、そこには膨大な数の星々が光り輝き、足元の透明ガラスからは巨大な青い球体が見下ろせた。


「もう動いても良くてよ」


 新がシートベルトを外すと、身体がふわりと宙に浮き始めた。椅子の背もたれを蹴って何とか移動した彼が窓から外を眺めると、そこには幼少期に天体望遠鏡で覗いた星空よりも遥かに澄んだ光のパノラマが広がっていた。


「これって、宇宙……?」


 窓に張りついた新は、高揚した表情のまま彼らの方を振り返った。


「アラタ、本当に感謝しているわ。星を代表してお礼を言わせて」


 操縦席から彼の瞳を見つめたピスカは、腕時計の方に一瞬だけ目を遣り、「ステイシーも、感謝を伝えてほしいですって!」と言って無邪気に笑った。


「星?」


 新が首を傾げていると、ピスカは自身の胸に手を当てながら、「私たちね、本当は地球人じゃないの」と言った。


「ちょっと離れた星から遊びに来たのだけれど、私は宇宙船を停めた場所をすっかり忘れてしまって……。そんな時、幸運にもあなたが現れてくれた」


「へ、へぇ」


 彼女の言葉に呆然と口を開けて交互に二人を見遣った新は、優しげに笑みを浮かべながら見つめる彼らと目を合わすと、「えっと、二人ともなの?」と尋ねた。


「左様でございます、アラタ様」


 シルマはそう答えると、少々気まずそうに俯きながら、「このような辺境の地で、まさか正体を知られることになろうとは露とも思っておりませんでしたが……」


「えっと、冗談、……じゃないんだよね?」


 思わず自身の頬をつねった新は、しっかりと痛みが感じることに喜びを感じ、「そっか。本当に二人は宇宙人なんだ」と呟いた。


「まぁ、アラタったら。もっと驚いても良くってよ」


 彼の反応の薄さにに少々不服そうな表情を浮かべたピスカは、「私たちのような者を見たのは、初めてのことではなくて?」と尋ねた。


「そりゃ、驚いてるさ」


 新は首筋の辺りをぽりぽり掻きながら、「まさか本当にいるとは思ってもみなかったけど、考えてみれば君たちって何だかとってもおかしな人たちだったし、正直言うと、僕には都会の人たちも宇宙人みたいに遠い存在に思えていたから」と俯きながら答えた。


「アラタ様、この事はどうか」


 シルマは何か言いたげに彼を見つめていたが、顔を上げた新は二人を見ながら、「教えてくれて、ありがとね」と笑みを浮かべて言った。


「君たちがたとえ都会の人でも宇宙人でも、僕にとっては都会で初めてできた友達には変わりないわけだし」


「……アラタ様」


「こちらこそ、良き友人に出会えて幸運でしたわ」


 正体を伝えて気分がすっきりしたのか、ピスカははしゃいだ様子でハンドルを握り直すと、「もう少し遊びましょうよ!」と言って周辺の宇宙空間を散策し始めた。


 彼にとっては幼い頃から見慣れたはずの月の姿も、至近距離で眺めると全くの別物のように思えた。まるで真珠のような佇まいをしたその衛星は、地球のそばを付かず離れず、一定の距離を保っている。


 その姿を眺めた彼はふと、幼少期に出会った友人を思い出した。


「じいちゃんがこれ見たら、きっと腰を抜かすだろうな」


 やがて三人を乗せた船が大気圏を降下すると、地上はすっかり日が暮れていた。されど都会の闇夜は新にとって暗闇とはおよそ程遠く、上空から眺める景色はまるで夜空にあるべき星々が地面に降り注ぎ、それらが地上で美しい星座を織りなすように感じられた。


「都会って、空と陸が反対みたいだな」


 そう言って上空から夜景を俯瞰する新は、都会の喧騒に対して今まで抱いていた苦手意識を少しばかり改めることとなった。


 新の自宅付近にある小さな公園に船を着陸させたピスカは、彼と握手をしながらお別れの挨拶を交わしていた。


「もう帰っちゃうの?」


「そうね。そろそろ行かないと、このがまたどこかの女性に居場所を教えかねないもの」と、ピスカは隣に立つ彼を指差しながら言った。


「あ、それさっき僕が教えたやつ」新はくすくす笑い、「ピスカは応用が早いね」


「えへへ、そうかしら」照れた様子で頬に手を添えたピスカは、「きっとまた遊びに来るから、今度はぜひ<漫画>というものを貸してちょうだいね」と言って柔らかな笑みを浮かべていた。


「――アラタ様、少々よろしいでしょうか」


 ピスカが宇宙船に乗り込んだのを確認したシルマは、新のそばに近寄って口元を隠しながら、「我々の存在は、くれぐれも他の地球人の方々には内密にお願い致します」と言った。


「え、どうして?」


 新が首を傾げると、シルマは一度短い咳払いをしたのち、「この惑星では未だ、宇宙人の存在は民間単位には認知されておりません」と答えた。


「いわゆる辺境の【情報秘匿区域】と呼ばれておりまして、この地を訪れる異星人たちはみな、素性を隠して生活しているのでございます」


「暮らしてる? それって、君たちの他にも宇宙人がいるってこと?」


「はい。それはもう数えきれないほどに」


 シルマは珍しく神妙な顔つきをしながら、「入星にゅうせい管理局はその辺りを厳しく取り締まっておりますし、他にも自星の機密漏洩を防ぐべく陰で暗躍する組織も蔓延っております。もしもその者たちに知られますと、アラタ様や周辺の者に危険が及ぶ可能性がございますので、どうかお気を付けくださいませ」


「そんな危険なこと、どうして僕に話しちゃうのさ」


「それは、アラタ様が私共と――」と彼が続けて何か言いかけたところで、ピスカが搭乗口から顔を出した。


「何を二人でこそこそと話しているのかしら?」


「くれぐれも、ご内密に!」


 素早く新から身体を離したシルマは、それだけ言い残すと彼の元を去った。二人が乗り込んだ船は宙に浮かんだ途端に見えなくなり、その姿なき飛行物体を目で追うようにして新は夜空を見上げた。「また遊びに来るからね!」というピスカの声がどこからか響いた後、周囲はそれきり静まり返った。


 薄明かりの空に浮かぶ上弦の月を、新はいつまでも名残惜しそうに見つめていた。



「新のアパートは、何も被害なかった?」


 帰宅して早々の彼のもとを訪問した咲は恒例の三段重ねタッパーを手渡すと、心配した様子でそう尋ねた。


「被害って?」


「あんた知らないの?」


 惚けた顔で尋ね返す新に向け、咲は呆れたようにため息をつくと、「そっちの自動車工場で事故があったのよ」と言ってとある方向を指差した。


「事故?」


「なんでも工場の中が荒らされてて、天井には大きな穴まで空いたんだって!」


 目を見開いて興奮気味に話す咲は人差し指を立て、「それも、重機でも使わない限り出来ないような仕業だったらしいんだけど、そんな形跡は全然見当たらなくて、目撃者もいなかったらしいの。――あっ! あとね、近所のらーめん屋さんに強盗が入ったのよ。窓を割って入った男が店の中で暴れ回ったんだって。結局何も取らずに出て行ったらしいんだけど、この辺も案外物騒よね」


「へ、へぇ」


 新は何も知らぬ風を装いつつ、「何だか、やけに詳しいね?」と彼女に尋ねた。


「まぁね」と答えた咲は肩を竦め、「帰ってきたら通りに記者がうじゃうじゃいたから。しつこくインタビューしてくるもんだから、鬱陶しくて仕方なかったけど」


「僕はついさっき帰ってきたばかりだから、全然知らなかったなぁ」と新が棒読みで答えると、咲は思い出したように彼を指差し、「あ、それよ!」と言った。


 新はすぐさま手元のタッパーを眺めながら、「え、どれ?」


「違うし!」と語調を強めた咲は、「部屋の片づけを手伝う約束だったのに、新は全然帰って来ないし、どこほっつき歩いてたのよ?」


「い、いやぁ……」と言葉を濁した新は、しばし考えた末に、「友達とちょっと、お花見にね」と笑顔で答えた。


「友達?」


 咲は咄嗟に口を開いて固まっていたが、やがて嬉しそうに口元を緩めると、「それならそうと、言ってくれれば良かったのに」と言って目を逸らした。


「……待ってて損したじゃない」


「あぁ。だから帰ってきたら、早速駆けつけてくれたわけだ」


「…………」


 新の言葉にぷいっと後ろを振り返った咲は、そのまま歩き出すといつものように派手な足音を立てながら階段を降り始めた。


「咲って、昔から怒りっぽいよな」


 殺気だった彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送った新は、靴箱の上に置かれた黄金色の小箱へ視線を移した。そこには彼の部屋の鍵とともに、ピスカから貰った一枚の紙幣が収められていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る