Part.13

 しばしの沈黙があった。再び時が動き始めたようにアルゴが走り出すと、シルマは掴みかかる彼の手を間一髪で躱し、さらに逃げ惑う。入口付近に立つ手下たちは頭上を指差しながら何やら言い合いをしていた。


「えっと、失敗しちゃったかな……」


 ピスカの方を振り向いた新が、そう尋ねた瞬間だった。後方から強烈な風に煽られた彼は、あまりの勢いに押し倒されそうになった。


「やったわ!」と喜ぶピスカと身を寄せ合いながら船の方を振り返った彼は、思わず言葉を失った。カバーの外れた銀色の円盤は薄らと光り輝き、眼前で緩やかに回転しながらまさしく宙を舞っている。


「ねっ! ねっ! 言ったでしょ? ほら、ステイシーはすごいの!」


「ピスカ様。それよりも脱出のお手配を!」


 なりふり構わず走り回るシルマは、脱いだジャケットを振り回しながら彼らの方へ走り寄った。


「ステイシー!」


 ピスカが叫ぶと、船はまるで彼女の言葉を理解したように動き出し、一瞬にして目の前に飛行してきた。風圧をものともせず船体に手を触れた彼女は嬉しそうに微笑みながら、「こんな狭いところでごめんね。すぐに外へ連れて行ってあげるから」と言った。


 辛うじて逃げ延びたシルマを含め、三人を守るようにして立ちはだかった飛行船に行く手を阻まれたアルゴは、咄嗟に後方へと下がり始めた。「……こっちゃあるクソが!」と顔を歪ませ、入口の方に退散していく。


「アラタ、乗って!」


 飛行船のハッチによじ登ったピスカは、新に向かって手招きをした。彼女に続いて新が円柱状の搭乗口から乗り込むと、飛行船の中は見た目よりもずいぶんと広い空間だった。淡い色の壁紙には愛らしいデザインの装飾品が配置され、彼はまるで少女の部屋にお邪魔しているような錯覚を起こした。


「これ、ほんとに飛行機……?」


 部屋の出窓部分を思わせるコックピットには外の様子が映し出され、そこには工場内を走るアルゴの後ろ姿が見られた。


「一気にここから離れるわ。ステイシーはちょっと操縦が荒っぽいけれど、しばらく我慢して――」というピスカの言葉を待たずして、飛行船は唐突に上昇を始めた。工場の天井をいとも簡単に突き破った船は、そのまま上空へと飛行していく。


 破損した屋根を呆然と見下ろしていた新は、ふと気づいたように「あっ、僕のアパート!」と眼下を指差した。「…ここって、ご近所さんだったのか」


 彼は思わず両手を合わせると、謝罪の意を示して頭を下げた。


「やっぱりアラタは、私にとっての幸運の神だったわけね」


 モニターを眺めて操縦席に座っていたピスカは笑顔で彼の方を振り向き、「これでお父様にも、叱られずに済むかもしれないわ」


「正しくは”好転の主”にございます、ピスカ様」


 ひどく汗ばんだ様子のシルマは、それでも涼しい顔つきでジャケットを羽織り直すと、「旦那様にこっぴどく叱られることは、家を飛び出した時点ですでに確約事項にございます」と彼女に向かって言った。


「……まぁ。さも他人事のように話して」


 ピスカは作り笑いを浮かべながら彼を睨みつけると、「シルマだって船は失くすし、能力は使うしで、とても怒られるのでしょうね」と言い返した。「あなたのおかげで危険な目に遭ったことも、きちんとお父様に報告させてもらおうかしら」


「ふむ……」


 沈んだような声を漏らすシルマは黙って目の前のモニターを眺めていたが、やがて新の方へ素早く近づくと、「アラタ様、次は私の船を探すのを手伝っては頂けませんか?」と懇願するようにすり寄った。


「今からでも、私と会釈を致しましょう!」


「え、嫌だよ」執拗にすがりつくシルマを躱しながら新は頭を掻き、「……どうしたもんかな」


「その必要はなくてよ」


 計器に触れながら斜め下に設置されたレーダーを見つめたピスカは、「この子がもう見つけたみたいなの」と答えた。


「なるほど。すっかり仲直りをされたようで何よりでございます」


 シルマはすぐさまモニターを指差すと、「それではピスカ様。早速、高級宿泊施設のバイキングへ向かいましょうぞ!」と元気を取り戻したように言った。


「あら、残念ね」ピスカは周辺の地形をユニーロに読み込ませながら、「そんな所に寄っていたら、またアルゴが来ちゃうかもしれないわ。またの機会になさい」


「そんな、殺生な……」


 珍しく落胆した様子を見せながら肩を落とすシルマは、指先でしきりにネクタイを弄っている。「そんな殺生な……。殺生な……」


「お礼にその辺を軽く飛行しましょうか」


 ピスカは手馴れた様子でハンドルを握ると、緩やかに機体を方向転換させた。「――あ、さっき見たサクラだわ! 綺麗よねぇ」


「…………」


 黙ってモニターを眺めていた新は、しばらくして船内の様子を観察し始めた。そこはリビングのように寛げる空間でありながら、コックピットには謎の計器や数えきれないほどのスイッチが配置されている。印字された文字はこれまでに見たこともない言語で、広範囲を見渡せるモニターに映る景色は、まるで目の前にそれらが広がっているかのように現実味を帯びていた。


「ピスカたちって、もしかしてどっかの国の軍事関係者とかなの?」


 新が真剣な顔つきでそう尋ねると、二人はまたも互いに目を合わせて何か意思の疎通を図っているようだったが、ピスカは黙って前を向くと操縦系をいじりながら、「アラタ、そこに座って」と言った。「――良いものを見せてあげるから」


「ピスカ様!」


「別に良いのでなくて? アラタは私たちの命の恩人なのよ。今さら隠す必要なんてないわ」


 そう言うと彼女は複雑に配置されたスイッチを操作し、シートベルトで身体を固定し始めた。


「えっと、何が始まるのかな?」


 新が呆けた顔で尋ねると、「アラタ様、急いでベルトをお締めください!」と急かしながら、シルマはすでに隣の椅子に腰かけて身体を固定していた。


 新も慌てて空いた席に腰かけると、見様見まねでベルトを締める。それを確認したピスカがハンドルを操作して船首を上方に傾けると、その瞬間に身体が重くなった。

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