Part.10

「なんてしつこいお方かしら!」


 通りすがりの自動車整備工場の入口が僅かに開いているのを発見した三人は、急いで中へ忍び込むと隠れられそうな場所はないかと伺っていた。


 工場内に従業員の姿は見当たらず、すでに就業時間を終えているようだった。周囲には油や錆の臭いが充満し、整備前の車体パーツやドラム缶が大量に並べられている。


「シルマ、こうなったらあなたの船で逃げることにしましょう。わたくしの船探しは改めて参ります。すぐに準備を!」


「…………」


 彼女の言葉にまるで反応を示さないシルマは、顎に手を添えたまま鉄骨造りの屋根を見つめていた。時おり、「はてはて」、「うーむ」などと唸り声を上げながら目を瞬いている。


「シルマ?」とピスカが問いかけると、彼は諦めたように左腕のワイシャツの袖を捲り、何も巻かれていない手首を彼女に見せた。「どうやら、ユニーロを置いてきてしまったようにございますね」


「……まぁ。それでは少し危険ですが、あなたの船の停泊場所に向かいましょうか」


 ピスカの言葉にシルマはまたも考え込み、「噂によると、狭い都市だと聞いていたのでございますがね」と残念そうにため息をついた。


「まぁ大変! すぐに思い出して!」とパニックを起こしたピスカは、彼のネクタイを掴んで激しく揺さぶっている。


「どうしてあなたはいつもそうなの!」


「ピスカ様の方とて、同じようにお忘れになったのでしょう!」


「あなた、世話係の分際で何を――」


「船……?」


 二人の遣り取りを聞いていた新は不思議そうに首を傾げると、「ピスカの探しものって船なの?」と尋ねた。「乗り物の?」


「……まぁ」


 思わずピスカが手を放した拍子にシルマが跳ね飛ばされると、彼女は気まずそうに目を背けながら、「な、何のことかしら。そんなことは言っておりませんけれど?」と答えてわざとらしく口笛を吹き始めた。


「え、言ったよ、今。『わたくしの船探し』ってさ。ねぇ、シルマさん?」


「ピスカ様、問題はございません!」立ち上がったシルマは衣服に付いた埃を払い落としながらピスカの方へ歩み寄ると、「この場所ならば、そうそう見つかる心配もございません」と言って新の言葉を聞き流した。


「あ、誤魔化そうとしてる」


 シルマを指差した新はため息をつき、「そういえば、さっき僕らの居場所がバレたのだって、絶対にシルマさんのあの電話が――」と言いかけたところで、再びシルマの携帯端末が鳴り始めた。


 彼はそれを耳に当て、「おぉ、カタリーナ様!」と興奮した様子で応えている。


「あぁ、残念にございますね。つい先ほど店を離れてしまいました。――今でございますか? 少々問題が起こりまして、どこかの工場にて休息を取っております。――座標でございますか? なるほど。それほどまでに私のことが。かしこまりました、すぐに!」


 彼は耳から一度端末を離すと、現在地の座標を入力し始めた。


「ねぇ、まずくない?」と新はピスカに注意を促したが、彼はてきぱきとした手つきで素早く座標を送りつけてしまった。


「完了でございます。これで私たちはいつでも共に夜を過ごせ、――おや、もしもし? もしもーし」


「また突然切られたのかしら。少々失礼な方ではなくて?」


 ピスカがそう問いかけたものの、シルマは気にする素振りも見せずに携帯端末をポケットにしまうと、「彼女はお忙しい方なので、空いた時間に限ってご連絡を寄越して頂けるのです」と答えた。


「それほどまでに、この私を!」と彼が大袈裟に天を仰いだところで、入口の扉を開く音が聞こえてきた。


 慌ててドラム缶の陰に潜んだ三人は、入り口の様子を窺った。扉から先ほどラーメン屋を壊滅状態に追いやったアルゴが勢いよく姿を現すと、背後には一人の女性が続いていた。胸の開けたタイトなドレスに派手なファーコートを身に纏い、およそ凶器にもなり得そうなほど尖ったヒールを履いていた。


「……まぁ。あの方はまるで、プリティーウーマンのようね」


 ピスカが古い映画に登場するコールガールに例えた女は、何やらアルゴに話しかけながら手に持った端末を覗き込み、続いて工場内を見回し始めた。


「おっと、噂をすれば――」と女の顔を見たシルマは興奮した声で、「あれはまさしく、カタリーナ様にございませんか!」


「あぁ、やっぱり」新は埃で汚れた眼鏡を拭きながら、「ピスカの居所がバレたのって、絶対にあの人が教えたよね?」と言った。


「……まぁ」


 驚いたように口元へ手を遣ったピスカは、「シルマはスパイだったのね!」と言って彼に詰め寄った。


「ピスカ様。それは誤解にございます」


 シルマは目を逸らしつつも身だしなみを整え、「アラタ様も、さすがに失礼ではございませんか。カタリーナ様はそのような事をするお方では――」と彼が言いかけたところで、アルゴが女に札束を手渡している様子が目に入った。


「まぁ!」ピスカは女を指差し、「あれがというやつかしら」


「多分あの女の人は、アルゴって人にお金で雇われてシルマさんに近寄ったんだね」


 新がそう言うと、シルマは小さく笑い声を漏らしながら左右に首を振り、「いやはや、まさしくハニートラップにしてやられましたか」と言って肩を竦めた。


 まるで反省の色が見られないシルマに新がまたもやため息をついていると、いつの間にかそばまでやって来ていたアルゴがドラム缶を軽々と持ち上げ始めた。二つ隣に身を隠していた彼らは慌ててその場を離れると、さらに奥の方へ素早く移動した。


「何あれ……! 片手で持ち上げたよ?」


 新が試しに目の前のドラム缶に触れると、それは地面に張り付いたようにへばりつき、ピクリとも動きそうになかった。


「彼らは我々と違い、腕力に長けた民族なのでございます」シルマはカタリーナの方を執拗に眺めながら、「力比べでは、どう足掻いても太刀打ちできませんな」と冷静な顔つきで答えた。

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