Part.9
「アルゴというお方がどういう男か、ズズズ、アラタは、ズズ、全然分かっていないの」
新の右側のカウンター席に腰掛けたピスカは、ラーメンを勢いよく啜りながらそう言った。「……まぁ。こんなに美味しい食べ物が世の中にあったのね。でも、音を立てて食べるなど、無作法ではなくて?」
「ピスカ様。これはそのように音を立てるのが最も正しき礼儀作法にございます」
新の左側では、胸ポケットにネクタイを押し込んだシルマがまるで強力な掃除機で吸い上げるように麺を啜り、カウンター越しの店主に向けて早くも替え玉を要求している。
「ただの幼馴染なんでしょ?」
新がそう尋ねると、替え玉を貰ったシルマはそれを早速流し込み、「ピスカ様が幼少の頃は、それはそれはお二人とも仲がよろしかったのでございますが――」と言ってピスカを眺めた。
「だって、あの方は越えてはならない領域へ足を踏み入れられたのよ? もはやお友達ではいられないの」しかめ面を浮かべたピスカはラーメン鉢を両手で掴むと、残りの汁を一気に飲み干し、「あの方と結婚だなんて、そんなの考えられないわ!」
「結婚?」新は口に含んだ麺を吹き出しそうになるのを何とか堪え、「さっきの人って、まさか、ピスカの婚約者なの?」と言った。
「まぁ、アラタ。私をあんな野蛮な一族と同列だとお思いになるの?」
早々とスープまで飲み切ってしまった彼女は、替え玉を啜るシルマを悔しげに覗き込み、「私ははっきりと申し上げましたのよ? 『あなたは私のタイプではないから嫌い』って。でもその日以降、あの方は外出をする度に姿を現して、いつも私を付け狙っているの。ほんとにしつこいお方!」
「断り方が、まずかったんじゃないかな……」
「あら。タイプではない以外に、どのような形容のしようがあって?」
堂々とそう言い放ったピスカは、密かに新の餃子を狙っていたのだが、「アラタ様、問題の本質はそこではございませんぞ!」と口を挟んだシルマが自然な流れでそれをつまみ食いした。
それを目撃したピスカは「まぁ!」と前のめりになって憤り、彼を睨みつけて恨めしそうに拳を握っている。
「彼の一族に伝わる風習が、一番の問題なのでございます」
「風習って?」とシルマに尋ねた新は、餃子を箸で摘むとピスカの口元へ持っていった。差し出されたそれを一口に頬張った彼女は、目をとろけさせながら喜んでいる。
「彼らの一族は、お嫁に迎える女性を自らの住処へ招き入れる仕来りがございます」シルマがさらに餃子をつまみ食いしようとしたところへピスカが爪楊枝を素早く投げつけると、彼はそれを軽々と躱しながら、「彼らの場合、その後が問題でして……」
「一度立ち入ると、二度と出られないのよ」
次弾の爪楊枝を準備しながら、ピスカが代わりにそう答えた。「アラタも見たと思うけれど、あの方は私を連れ去るためには手段も厭わずといった具合で、……ほんと、乱暴な方って大嫌い!」
「君がそれを言っちゃうか」
「あれはまさしく、凶悪な誘拐犯にございます。アラタ様も、お気を付けくださいませ」
「屋敷にいれば、警戒が厳重だから安全なのだけれどね。でも一旦外へ出ると、何故だかすぐに居所を掴まれてしまうの」
ピスカは困ったように眉を下げ、「困ったものだわ」
「どうしてピスカの居場所が分かるの?」
「それが、私にも分からないの」ピスカは悩ましげにメニューを眺め、「発信機でも付けられているのかしら」
とそこへ、拍子抜けするほど風変わりな着信音が鳴り響き、ポケットから携帯端末を取り出したシルマがそれを耳に当てた。
「あぁ、これはこれは! ――いやはや、ありがたいお言葉。私もあなた様にお会いしたいと考えておりましたよ」
「誰?」と新が尋ねると、首を振ったピスカはじっとりとシルマを睨みつけながら、「シルマはね、如何わしいお店に通うのが趣味なのだと屋敷の者に聞いた覚えがあるわ」と囁くように答えた。
「まさか! それは奇妙な偶然にございますな。――……運命? ふむ。そうかもしれません。――今でございますか? 【
やがてシルマは端末を耳から離すと、何事もなかったようにそれをポケットに戻した。
「ねぇ、シルマさん。今の人って、誰?」
新がそう尋ねると、彼はわざとらしく「ごほん」と一度咳払いし、「彼女はカタリーナ様と申します」と自慢気に答えた。
「へぇ。恋人なの?」と続けて聞くと、彼は照れたように身体をくねらせ、「お付き合いにはまだ至っておりません。時おり訪れるお店で働く美しい女性で――」
「なんでもね、女性と一緒にお茶を嗜みながら会話をするお店らしいのだけれど」ピスカは新に耳打ちしながらシルマをこっそりと眺め、「取っ替え引っ替え? というものをしていると屋敷では有名なの」
「ピスカ様。それは誤解にございます」
彼女の言葉に異を唱えたシルマは、胸ポケットからネクタイを出して傾きを丁寧に整えつつ、「この度は彼女の方からお声掛け頂きましたので、私には非がないものと――」
「指名料という対価を相手の方へお支払いになるとも聞いたのだけれど、アラタはそれについて何かご存じかしら?」
「あぁ、それはたぶんね」と新が口を開きかけたところで、突然派手な音を立てて店の窓が割れ始めた。続いて大声で怒鳴り散らす声が響き、彼がそちらへ視線を遣ると、先ほどのアルゴという男が割れた窓枠に身体を詰まらせていた。
「ピスカちゃーん! しったげ、好きだや!」
「ねぇ、何か来ちゃったけど」と言って新が視線を戻すと、二人はいつの間にか入口の方へ走り去っていた。
「まぁ、アラタ。置いて行くわよ」
「二人とも逃げ足はやっ!」慌てて立ち上がった新は、財布から取り出したお金をカウンターに置くと走り出した。「お釣りは、今度取りに来ますから!」
アルゴは彼らの後を追うべく窓枠をぶち破ると、意味不明な言葉を叫びながら入口の扉を叩き割って出ていった。呆気に取られてカウンターの奥に立ちすくんでいた店主は、おもむろに目の前のお金を数え始めると、「……足りねぇし」と言って肩を落とした。
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