Part.6
「なんて感動的なのかしら!」
映画を見終わって劇場を後にしたピスカは、興奮した様子でワンピースを翻し、「あんなにロマンティックな空間はないと思うの」と新に戯れながら言った。
「デートでは鉄板だよね」と新が答えると、頬を赤く染め上げた彼女は身体をもじもじさせ、「……まぁ、さぞかし素敵な時間が作れそうね」とうっとりした声で言った。
改めて井の頭公園を目指しながら、新の隣を歩くピスカは先ほどの作品についての感想を延々と述べている。彼女はなかなかの映画通だけあってか、(視点はかなり独特だったが)、様々な作品を引用しながら饒舌に批評していた。
「この際、主人公が女性というのはどう? そしたらもっと可愛くなると思うの!」
「それじゃ、あの話の基本設定がおかしくなっちゃうよ。それより次はこういう能力の敵が出たりしてさ――」と新が説明すると、彼女は感心したように目を見開き、「……まぁ。アラタは物語の才があるのね」と言った。
「ただの漫画のパクリだけどね」と新が照れたように答えると、「マンガ?」と彼女は首を傾げ、「それはどのような物かしら?」
「ピスカは、漫画を知らないの?」新は驚いたように目を見開き、「漫画っていうのはね、このくらいの紙の束で、ページを捲りながら絵と台詞を読むんだよ」と動作付きで説明をした。
「紙の束。あら、絵画かしら?」
「違うよ、それは画集」と新は左右に首を振って答え、「漫画はね、人物と背景の絵に合わせた台詞や効果音で物語を描くんだ。さっきの映画みたいにさ」
「……まぁ。それは興味深いわ!」
彼女はひときわ目を輝かせ、「それはどこで手に入るの?」と前のめりに尋ねた。
「うーん、本屋かな」
新は彼女に身体を揺すられてズレ落ちた眼鏡の位置を直しつつ、「コンビニにもあるけど、それだと最新刊だけだしなぁ…」と言ってから手を叩き、「そうだ! 僕の家に結構持ってるから、今度貸してあげるよ」
「まぁ! それは至れり尽くせりだわ」と満面の笑みを見せたピスカは、次いで物欲しそうな表情で人差し指を唇に当て、「それを楽しむ時も、ポップコーンを食べたりするのかしら?」と尋ねた。
「あぁ、漫画の場合はポテトチップスかな。あとコーラとか」
「まぁまぁ!」
「それにしても、ピスカは随分とポップコーンが気に入ったみたいだね」
新がそう言うと、彼女はうっとりした表情で頬に手を当て、「キャラメルというのかしら? あれほど上質な甘味は初めての経験でしたわ」と、上映前に新が買ってあげたポップコーンの味を思い返すように答えた。「後に広がる塩気が、また何とも言えないの」
「――なるほど。確かに、甘美な口当たりにございます」
「え?」「あら!」
気づけば二人の間には、黒いスーツに身を包んだ男性が気配もなく割って入っていた。ポップコーンの紙袋を片手に、もう一方の手で素早く摘みながら口に含んでいる。
「探しましたよ、ピスカ様」
「あら、シルマにそっくりな方が私の目の前に。どうしたものでしょう? 叩いてみれば本物かどうか分かるかしら」
拳を握りしめたピスカが手を振りかざすと、男は無表情のまま彼女の方へ詰め寄り、「叩かずとも! 本物のシルマにございます」と言ってポップコーンをむしゃむしゃと頬張り始めた。
「屋敷を出たきり一度も連絡も寄越さず、今まで何をなさっていたのでしょう。奥様も旦那様も、それはそれは&$%%!#$!」
「その食い意地の悪さ……。シルマに違いないわ!」
ピスカは興奮したように男を指差すと、どさくさ紛れに彼のポップコーンに手を伸ばしたが、「これは、私のものにございます」と勢いよく手を弾かれた。
彼はじんじんと痺れた自身の手を眺めつつ、「ふむ。ピスカ様こそ、相変わらずお硬い」と言って痛みに耐えている。
「ねぇ。この人って、ピスカの知り合い?」
新が二人を覗き込みながらそう尋ねると、ほっそりとした長身の男は彼を見下ろしながら、「はて、こちらの紳士はどちら様でしょう?」と表情を変えずに言った。「まさかピスカ様が、私に隠れてこのような方と交際をなさっていたとは……」
「いや、交際してないから。どちらかと言えば、僕の方が一方的に連れまわされて――」
「ほう! ピスカ様の方から誘惑をなさったと! それにしても、幼女の誘いにほいほい乗ったことは、お認めになるのですね」
新の言葉を遮ると、男は彼の顔をじっと眺め、「はて。ところであなた、ご出身はどちらで?」
「またその質問?」
ピスカと同じ問いかけに困惑しながらも新がしぶしぶ出身地を答えると、シルマはぴくりと眉を動かし、「これはまずいことになりましたね」と言いながら彼の身体をまじまじと眺めた。「ふむ。されど実に興味深いものです」
そこでシルマの服の袖を引っ張ったピスカは、手招きをしてから彼の耳元に向け、「この人はアラタと言ってね、私と三度会釈した人なの」と笑顔を作った。
「なるほど」
それを聞いて納得したように頷いた男は、新の方へ向き直ると突然跪き、「アラタ様、ご無礼をお許しくださいませ」と言って頭を下げ始めた。
「えっ。それで通じちゃうの?」
「もちろんですとも」
立ち上がった男は食べ終わったポップコーンの紙袋を握りつぶすと、さも当然のごとく新にそれを手渡し、「偶然に三度の出会いがあり、互いが無言のままに会釈を交わす。それはすなわち<好転の縁>であると、我々の間では代々言い伝えられております」と大袈裟に両手を広げながら説明をした。
ピスカはそんな彼の姿を見つめながら、「まぁまぁ。その割に早速紙屑を手渡すお茶目なところが、シルマらしいのね」と無邪気に笑っている。
「はて、私としたことが……」
新が手に持った紙屑をシルマはちらりと眺めたものの、取り上げる素振りは一切見せず、「おっと失礼。申し遅れました。私、ピスカ様のお世話係を申し付かっております、シルマと申します」と演劇のように派手な身振りをしながら言った。
「この度はピスカ様が多大なご迷惑をお掛け致しました。改めて何かお礼を差し上げませんと。なんでしたら、ピスカ様とこのまま交際してしまわれては――」
「シルマ。おふざけが過ぎますよ」
笑顔を浮かべたままピスカが静かにそう言うと、彼は胸ポケットから出した白いナプキンで口元を拭い、「失礼致しました」と呟いて黙り込んだ。
「別にいいよ、このくらい」
笑顔でそう答えた新は、手渡された紙屑を数メートル離れた屑入れの中へと投げ入れた。シルマは感心したようにそれを眺めていたが、素早くピスカの方に向き直ると、「ピスカ様。旦那様がご心配なさっております!」と言った。
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