Part.3

「あ痛ぁぁ……!」


 腕を掴んだまま勢いよく迫った少女の頭頂部が顎に直撃した新は、呻き声を上げて仰け反りながら口元を押さえていたが、彼女の方は平然とした様子ですでに髪を整え始めている。


「……な、何なのさ」


 涙目で顎を摩りつつ新が少女の方へ視線を遣ると、床に落ちた彼の眼鏡を拾った彼女は、「あなたなら、きっと見つけられますわ!」と言って彼にそれを差し出した。


 何のことやら訳が分からず、眼鏡を受け取った新が少女の背後に視線を遣ると、そこにはおまけ付きのお菓子がいくつか並んでいた。「――あぁ、玩具か」


 新は腕を伸ばしてお菓子の箱を一つ手に取り、「大きいスーパーで探してみたら? そっちの方が品数も多いだろうし」と言った。すると少女は澄んだ青い瞳を瞬きしながら首を傾げ、「あなたは、……どなた?」と言って彼を凝視している。


 彼女につられて同様に首を傾けた新が「僕…? 僕は、萩原新だけど」と答えると、少女は俯いて呪文でも唱えるように彼の名前を何度か呟いたのち、「、何てお名前なの?」と瞳を輝かせながら尋ねた。


「本当の、お名前? ……何それ」


 訝し気な表情でじっと見つめる新の視線に「……まぁ」と口元へ手を遣りながら声を漏らした少女は、青い瞳を大きく見開いた。間近で眺めると、それはまるで宝石のごとく煌めきを帯びながら、果実のような潤いに満ちている。


「出身は? ……ここかしら?」


 再び勢いよく迫りくる少女の頭頂部を警戒した新は、少しばかり身体を遠ざけながら、「田舎から最近越してきたばっかりだよ」と答えて故郷の名を告げた。「君は? お母さんと一緒じゃないの?」


 新は店内を見回したが、保護者らしき人物の姿は見当たらない。再び少女の方へ向き直ると、彼女は突然あたふたした様子で「……まぁ、大変!」と困ったように声を上げた。


「迷子かなぁ」


 腕組みをした新は目の前の少女をどうしたものかと唸っていたが、おもむろに彼のシャツの裾を掴んだ彼女は、「でも、仕方がないものね」と呟きながら歩き始めた。


「えっ? ……ちょっと!」


 新を引っ張って店を出た少女は、そのまま右手に歩き進むとすぐそばの角を曲がり、人気のない路地裏に彼を連れ込んだ。一体どこへ行く気なのかと彼が尋ねると、立ち止まった少女は周囲を窺って薄暗い路地に誰もいない事を確認したのち、小さく手招きをした。


 新が顔を寄せると、少女は屈んだ彼の耳元へ向け、「恥ずかしいのだけれど、あなたにお願いがあるの」と囁くように言った。


「なーに?」と思わず新も声を潜めて返すと、自身の胸に手を当てた少女は緊張したように大きく息を吸い込み、「……実はね、私には大事な探しものがあるの」と言った。


「探しもの?」


 中腰になったまま新が続きを待って耳を傾けていると、どこか恥じらうように彼から離れた少女は右手の人差し指を顎に添え、「噂では狭い都市だと聞いていたのだけれど……」と言ってその場をぐるぐる歩き回った。


「何も言わずに出て来たから、早く帰らないとお父様にどんなお仕置きをされることか。でもあれがないと、お家に帰れないし……。だからね、あなたならきっといい方法を――」


「玩具の買い物なら、やっぱり品揃えのいい店に行くじゃない?」


 依然として中腰状態のまま腕組みをした新は少女の言葉を遮ると、「そんなにレアなやつ探してるの?」


「オモチャ……」


 その言葉に立ち止まった少女は、「あら、確かにあれは私にとって玩具のようなものかしら」と答えると、嬉しそうに一人で頷いている。「ふふ。でもそれならむしろ、と表現するのが一番相応しいかもね!」


「玩具が、お友達……?」


 彼女のおかしな言動に新は思わず険しい表情を浮かべたが、少女はすかさず彼に詰め寄りながら、「それでね、ピーケの花がついた木を追って来たら、ここにたどり着いたの」と言った。


「ピーケ?」と新が尋ねると、表通りを眺めた少女は視界を横切った桃色のカーディガンの女性を指差した。「あんな色なの!」


「あぁ、ピンク!」と手を叩いた新は、続いて気づいたように、「もしかして、ピンクの花が咲いている場所で遊んでたら、いつの間にか玩具を失くしちゃったってことなのかな?」と言った。


 彼を見上げる少女は激しく同意するように首を何度か縦に振ると、次いで慌ただしく両腕を左右に広げ、「あとね、そこにはすっごく大きな水たまりがあったの。水面にこーんな大きな鳥が浮かんでいたわ! アラタなら、それがどこか分かるんじゃなくて?」


「何それ。全然分かんないけど」


 新が真顔で見つめ返すと、少女は焦ったように彼の胸ぐらを掴んで揺らし、「あなたなら分かるはずでしょ!」と叫んだ。


「いや、そう言われても……」


 新はやんわりと少女の手を振りほどこうとしたが、その拳は何故だか鉛のように重かった。思い切り力を込めたものかどうか彼が悩んでいると、彼女は急にぱっと手を放し、「あなたは私に、無言で三回お辞儀したでしょ?」と言った。


「だから?」


「だからなの」


「えっと、それって都会で流行ってる宗教の勧誘文句か何か?」


 彼女の不可解な物言いに新は都会の罠を感じ取ると、眉間に皺を寄せながら、「そういうのには気をつけろって、父さんに言われてるんだよね」と言った。「気づいたら高い壺とか、宝石とか売りつけられるって」


「タカイツボ?」


 少女は一瞬呆けた表情を浮かべたものの、すぐに切迫した表情で彼に迫り、「あなた以外には、お願いできる人がいないの!」と再び胸ぐらを掴み始めた。


「あぁ、もう、分かったから……」


 今にも泣きだしてしまいそうな少女の瞳を見ると、新は実家で昔飼っていた犬を思い出し、どうにも捨て置けない気持ちになった。「言っとくけど、僕はこの辺には詳しくないよ? 駅へ向かう道だって分かんないくらいだし」


「エキ?」と手を離してまたも首を傾げた少女は、やがて何か閃いたように目を見開き、「あっ、シュタット!」と声を上げた。「そこに行けば、ピーケの花があるのね!」


 急いでその場から移動し始めた少女は、大通りに出ると何故だか来た道とは反対の方向に進みだした。


「ねぇ、君は駅に向かう道を知ってるの? コンビニの人に聞くならあっちに――」と後を追った新が言いかけると、少女は胸に手を添えながら何かを呟いた。


「え、なんて?」


「ピスカ。君じゃなくて、ピスカよ。行き方は知らないけれど、私に任せて!」


 そう言って自信たっぷりに歩を進める彼女は程なくして立ち止まると、目の前の飲料自販機を熱心に眺め始めた。


「あ、喉渇いたの? しょうがないなぁ」と言って財布を取り出し始めた新には反応を示さず、ピスカという名の少女は自販機をじっと見つめたまま、ぼそぼそと一人で呟き始めた。


「うん、うん。――……まぁ、そうなの? 案外近いじゃない。――うん。分かったわ、ありがとう」


 独り言を終えたピスカは自販機に向けて深々とお辞儀をすると、新の方に向き直り、「こっちよ」と言って再び歩き始めた。


「……ねぇ。やっぱり壺とか買わすつもりじゃないよね?」


 そんな淡い猜疑心を胸に秘めつつ、彼女にどこか興味を引かれた新は、後を追って歩き始めた。

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