世界樹アパート

 枝を広げた木は世界を支えていたが、終末が近いのでそろそろ朽ちようとしていた。まあ自分一本で世界を支えているわけではなく柱の一つみたいなものだから、役目を終える日だってそれほど慎重に選ぶことはない。西の隅の木はそんな風にして葉を一枚一枚落としていった。

 雲を突き抜けた空から葉が降ってきて、鳥は驚くし、瞑想にふけっていた男は半分寝惚けて悟りを放り出してしまった。木の葉は空の色をしていたので、空のペンキが剥がれたと、みなが箒を手に掃除する。ちりとりに山盛りの葉を見ると想像したくなるものだ。雲の向こうの空色は美しいのであろうと。人々は世界の柱を久しぶりに眺めた。身長を刻んだ柱を撫でるように住処を愛でた。

 木は世界樹と呼ばれる種で、その背の高さゆえに神話を幾つも抱える身だが、生物だからいずれ朽ちるものだ。巨獣が鼓動を止めて倒れ臥すように、草原が乾き枯れるように、冬が訪れるように、世界の柱も他の木々と同じように朽ちるのだ。ただ少しだけ長く生きていただけのこと。西の隅の木を見た隣の柱が、ああそんな時期かと陸を見渡し、海を見渡し、ふうと息をついた。空がさわさわと鳴った。葉の雨が増える。

 当の木が長閑に落葉の先を見据えているので、世界樹に住む生物たちも慌てはしなかった。

「ああ、そんなものだ」

 受け入れる声が伝播する。終わり支度を始めた住処に倣う。どれほどの生物が住む木だろう。柱の一本であり一つの世界だ。幹や枝に住む小さな生物たちが、母木に似て長閑なことを知るや知らずや、天に届く木は「世界はもう少しだけ続くのさ」とひとりごちた。葉が落ちきって幹が腐り地に横たわるまで、もう少しだけ時間があると言うが、住人はその長さを予測出来るだろうか。

 世界樹の木こりが大きな大きな木食い蟲を呼び起こし、木に歯を入れ始める。朽ちて傾ぐ先を海へ。蟲の咀嚼音を聞いた木の住人は、引っ越すでもなく一足先に終末を迎える準備に入る。カリコリと囓る音は時計の音。秒針が止まるときには、世界にさよならを。ふわり消えゆく命の前に、世界樹アパートの喪失は象徴的であった。

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