終章 かけがえのない日常と共に。

 各々の願いを掛けた死闘からひと月、学校は修復され、多くの生徒達が談笑しながら登校する風景が馴染んだものへと戻りつつある。

 そもそも、一部の人間しかあの戦いを知らない。

 戦いの翌日に担任が入院していて、トラブルメーカーと認識されていた綾香が怪我でボロボロの状態だったのだ。

 他の生徒からすれば何があったのか? と問いかけたくなっただろう。

 しかし、一人の少女が見せた風貌によってそんな疑問も掻き消えた。

 眼鏡をしてない鈴音を目にして言葉を奪われていたのだ。

 普段は眼鏡に隠れて冷徹で毒舌家な印象が強かった少女が、ほんのりとした雰囲気を纏う可愛らしさを感じられる。

 そんなギャップによって、主に男子の間では話題が絶えなかった。

「あきれた。たかだか眼鏡一つでここまで変わるなんて、本当に悲しい性よね」

 という鈴音のぼやきが耳に残る。

 唐突に来なくなった少年に関しては、残念ながらそれほど話題には上がらなかった。

 転入時期も唐突であり、関わった人もそれほど多くない。

 教室の一角で起こっている日常を眺めていた綾香は、そっと息を吐いた。

「な~にため息ついてるのよ。あんたらしくない。熱でもあるの?」

 塞ぎ込んでいる綾香を見かねたのか、ショートカットが似合う活発そうな少女が声をかけてくる。

「楓か、……熱はないわよ。ただ、思うところがちょっとね」

 歯切れの悪い言葉が吐き出される。

「そう、身体がまだ治りきって無くて体調崩したのかとおもったわ。うん。あとは綾香自身の問題だろうし、ゆっくり整理をつけたらどう?」

 サバサバしたもの言いながらも気を使っているのが感じられる少女の言葉、それは今の綾香にとって有難い事だった。

 彼女の視界には当たり前の様に、ある表情が入り込んでいる。

 話をするクラスメイト、じゃれ合っている男子、窓辺に立つ女子、こうしてみると本当に多くの笑顔が目に映る。その表情も全て同じというわけじゃない。中には影のある物や、愛想笑いなど様々だ。

(これを見て竜也は何を感じていたのだろう?)

 少しでも彼が抱いた感情を理解したくて、同じ景色を追いかけているのだが、全く理解できない。

 彼に関しては、一応休学という形で話を進めている。

 担任と鈴音とで相談した結果だ。無論目覚めるという保証は何処にも無い。

 今はいばら姫のごとく、部屋の一室で横になっている。

 楓や美枝はお見舞いに来たいと言っていたが丁重に断った。何しろ生気をまるで感じないのだから死んでいると思われても不思議ではない。いや、そもそも生きているのかという考えもあるにはある。

 でも、何処かで期待してしまうのだ。何事もなかった様に起き上がってくるのではないかと、人ではない身体なら、起こりえない事も起きるのではないかと。

 そんな考えがあの日から頭を離れてくれない。

 時間は過ぎ、全ての授業が終わった教室、そこに綾香の姿は無かった。代わりに居たのは眼鏡をしていない。イメージの変わった鈴音。

「ねえ、綾香知らない?」

 教材を片付けていた鈴音へ声を掛けたのは楓だ。

「さあ? 帰ったのかも知れないわね」

「最近おかしくない? 急にしおらしくなったと言うか、何処か心此処にあらずというかさ」

 感じていた事をストレートにぶつけてくる楓。事情を知らない者からすれば当然の反応かも知れない。ただ、それを直接聞かない辺り彼女なりに気を使っているようだ。

「まあ、彼が心配だっていうのは解るんだけどさ」

「綾香なりに向き合おうとはしているみたいだけど、時間は掛かるかも知れないわね」

 ここにはいない少女の姿を思い浮かべつつ息を吐く。

「そういえば、鈴音はそれほど変わらないよね。実は結構ドライなの?」

 歯に衣着せぬ一言を聞き、思わず吹き出す鈴音。

「ドライね。ふふ、本当に貴方はストレートだわ。ただ、そんなものではなく、頼まれごとを果たそうとしているだけよ。ささやかな願いのね」

 含みのある笑顔を浮かべた少女は教室の外へと歩き始める。

「それじゃ、行くわね。調子は狂うかもしれないけど、暫く付き合ってもらえると助かるわ」

 去り際の一言に対し無言で頷くものの首をかしげる楓。

「はて? あんなに物腰穏やかだったっけ鈴音って」

 彼女の疑問に答えられるものは存在しなかった。


 館の一室、ベットに横たわった少年の顔は穏やかなものである。

 それは作られた表情なのか、それとも本心から生まれた物なのか、判断する術は存在しない。

 そんな彼を眺め続ける黒髪の少女、腰にまで届くほど長い髪は風に揺れている。

 飽きることが無いと言っていた景色が開いた窓の先に広がっていた。

「また、ここに居たのね」

 扉を開いた音はしなかった。それとも気が付かなかっただけなのだろうか?

 声を掛けられるまで綾香は解らなかった。

「何時までそうしているつもりなの? 貴方だって聞いた筈よ。《あの笑顔を守りたい》って言葉を、私には未だ何を示しているのか解らないけど、少なくとも綾香、貴方の笑顔も含まれている。なのに貴方は未だ塞ぎ込んでいるわ」

 諭すように優しい口調、普段の鈴音からは感じられなかった声色だ。

「頭では理解しているつもり、ただ、心が追い付かない。どうしても、もしもを考えてしまう。あの時出会わなければ、もっとコイツは生きられたんじゃないかって」

「確かに生きられたのかも知れないわね。でも、出会ったからこそ彼は気付く事が出来た。本当に譲れない願いを。それだけは確かよ。もし、貴方が彼を悼むのなら、彼の願いを叶えなきゃ、貴方自身が笑顔にならなきゃ、その願いを叶える事も出来ないのよ」

 鈴音の言葉は鋭く綾香の心を抉った。そうなのだ。竜也の願いを叶えるには、彼女自身が笑顔を見せられるようにならなければ達成出来ないのだ。

「わかってる。……わかってる。でも、やるせなさの方が先に出ちゃうのよ」

 どうにもできないもどかしさがこみ上げて、少女の瞳から雫が落ちる。

 それは少年の顔にかかるとゆっくり広がっていく。

「綾香、……貴方、彼の事、好きだったの?」

 鈴音の問いかけに顔を拭いながら息を整える。

「……あ、アンタはどうなのよ」

 憎まれ口に似た口調を聞き、少しホッとしたのか、鈴音はそっとドアを開いた。

 振り向いて涙をぬぐい続ける綾香を目にした彼女は扉を閉じる。

 そのさなか、見慣れない光景が目に映り、彼女は閉じかけたドアを開き中を確認した。

 そこにある光景を確かめた鈴音は穏やかな笑みを浮かべて口を開く。

「随分と遅いお目覚めね。もう、夕方よ」

 その言葉を耳にした綾香は、鈴音の気が狂ったのかと顔を向ける。そこには笑顔を浮かべる少女の姿、彼女の視線を追っていった先には……。

「えっと、教えてもらってもいいかな? こういう時どう言ったら良いのかな? おはよう、なのかな? それとも、ただいま、なのかな?」

 以前と変わらない彼の口調に思わず歯を見せて笑う鈴音。

「ふふふふ、どちらでも良いと思うわ。好きな方を選んだら?」

 彼女の言葉に頷いた青年はこくんと頷くと口を開いた。

「ただいま。二人とも」

 思わずクラっと来るほど眩しい笑顔で呟かれた言葉は熱い物を胸に抱かせた。

「えっと、綾香? 大丈夫?」

 呆けた表情のまま動かない少女に手を振りながら問いかける。

 そこに返ってきたのは、バシーンという音が響く、鋭いビンタだった。 

「アンタねえ、どれだけ心配したと思ってるのよ」

 わなわなと震える少女の肩。何が起きたのか理解できないままキョトンとした表情を見せる竜也。

「大丈夫よ。混乱してるだけだから、すぐに落ち着くわ。目覚めないと思ってた人がいきなり目覚めたのだもの」

「そっか、何かいけない事したのかと思った。でも、僕も思ったんだ。もう目覚めることは無いんだろうなって、だけどこうして目が覚めた。何でかな?」

 不思議そうな表情を浮かべる彼から目を離した鈴音は、綾香に向けて口を開く。

「さっきの答えだけど、……私は好きよ。それだけ、じゃあ」

 言いたい事だけを告げた彼女は、扉を閉めると部屋から離れていく。

「今のは何だったんだろう?」

 ますます困ったように首を傾げる竜也。何を言っているのか把握することが出来なかった綾香は呆けた表情を浮かべつつ眉根を寄せている。

 ややあってその意味に気が付いたのか、少女の顔は急激に赤く変化した。

「ど、どうしたの? 顔赤くなったよ。熱でも出た?」

 慌てふためく彼をよそに、プルプルと両手を震わせる綾香。

「あ、あたしへの当てつけかあ~!」

 すっくと立ちあがった彼女は乱暴にドアを開くと足音を立てて立ち去っていく。

「す~ず~ね~~!」

 部屋にまで届く声が廊下に木霊する。

 強い口調ではあるものの、その声色にはどこか楽し気な響きが含まれていた。

「なにか解らないけど、危険はなさそうだね」

 ほっと一息吐いた彼の脳内に声が聞こえてくる。

(目覚めたばかりだというのに、やかましい事この上ない。まだまだ安息には程遠いようじゃ)

「みたいだね。でも楽しそうだからいいじゃない」

(何を気楽な事を、原因は主にあるというのに)

「なに、それ?」

(今の主には解らん事じゃ、まあ、解る時が来るかも怪しいがのう)

「んんん?」

(気にせずともよい。暫くは退屈せずにすみそうじゃ)

「それはそうかも」

 願いの為に戦い、日常に帰ってくることが出来た。これからはもっと沢山の笑顔に出会うことが出来るのだろう。それが竜也にとってかけがえのない出来事だと思えた。

 窓の外には白い綿の様な代物がふわり、ふわりと舞い降り始める。まるで新しい日常を祝うかのように……。

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