第4章 穏やかな日々を砕く影、解かれる記憶

 木々から落ちる葉の色が、緑から土に近い模様を纏い始めた晴れの日。校庭に竜也達の姿があった。

 クラスの全員が体操服に着替え、並ばされている。

「じゃあ、これから魔導技術の実技に関して授業を行うよ。ああ、竜也君は聞いてるだけでいいからね。理屈と発動現象を観察するだけでも勉強になるから」

 先頭に立って声を出しているのは担任である鎌倉裕也である。実技を行うといっているのにスーツと眼鏡着用という何ともアンバランスな出で立ちだ。

「まずはおさらい。魔導は脳内の使われていない七割を使用して行う物だけど、高いレベルの技術を行使するには一種類の属性に特化した方がいい。何故か解るかな? ん~~~眠そうな顔をしている楓君」

 不意に名前を呼ばれた少女は弾かれたように教師へと視線を向ける。

「え~と、確か、複数の属性を使おうとすると脳内で混乱して発揮出来る力が限定される。でしたっけ?」

 奥底に眠り込んでいる記憶を掘り起こすようなたどたどしさで彼女は答えた。

「及第点かな? もうちょっと勉強しようね。厳密には一度決めてしまった属性領域に新しい属性領域を書き込む事が出来ないからだよ。一般生活に使っている部分は応用が利くし、書き直すのも簡単なんだけどね。使われてないエリアはもともと不要と判断されているから応用が利かないんだよね」

 やおら手を翳した彼は土の塊を作り出す。大きさはサッカーボールほどで表面はデコボコしている。

「知っての通り、僕の属性は土なんだけど。一見関係なさそうな力も再現することが出来る」

 土塊の中心に穴が開いたかと思うとそこから激しい風が吹き荒れ始める。

「魔導は属性領域へイメージを行う事でアクセスして現実化させるってのが基礎なんだよ。そこで偏ったイメージを持ちすぎていると応用が利かなくなる。まあ元から魔導士として生きてる人たちは脳内領域以外の部分で足りない術式を構成したり、一時的に自分の属性を変化させたり出来るみたいだけどね」

 手を下ろした途端に土塊は霧散してその姿を消した。

「今回は実技だからね。今のを踏まえて誰かに披露してもらおうと思うんだけど……目が合った楓君、とそうだね。竜也君。相手をお願いするね」

『え!?』

 竜也の名前が挙がった事で、生徒たちからどよめきが聞こえてくる。

「はいはい。言いたい事は解ってるよ。魔導を使えないのに何でさ? ってことだよね。今からやってもらうのは楓君は持っている能力を使って一撃を加える事。そして竜也君はどんな動きをしてもいいから、それをかわし続けてもらうよ。時間は2分間」

 二人は促されるままに広い場所まで歩み出ると、お互いに向き合った。

 構えを取る楓に対して、竜也は棒立ちで両手も下げている。

「参考までに、楓君の属性は氷だよ。それがどんな変化をするか、あと竜也君の動きをよく見ておいてね~。んじゃ、始め!」

 担任の合図とともに楓は走り出し距離を詰める。特段能力を使っている様には見えないがその動きは常人より速い。

 一方、迫ってくる楓の姿には目もくれず、竜也は周囲を注意深く観察していた。

 風に紛れる小さな煌めき、観察していなければ気が付かない程の変化を発見した彼は、直前に迫った楓に向かって走り出した。

 一瞬前に存在していた箇所、ちょうど彼の背面に氷塊が生まれると、鳳仙花の様に方々へと弾け飛ぶ。

 当たったところで大した打撃にはならないかもしれないが、広範囲に広がるソレはかわすのが難しい筈だった。

 楓の隣を走り抜けると彼女を盾にするように身を隠す。

 意表を突かれた彼女だが、すぐさま目標を定め直すと次々に氷塊を生み出して解き放つ。

 機関銃のように放たれる攻撃を上半身を反らすだけでかわす竜也。

 下半身の動きが止まっていることに気付いた楓は氷塊に混ぜるように足元から柱を突き上げる。

 普通であればここで決まっていたのだろうが、何を思ったか空に向かって飛びあがった。

空中に逃げ場はない。

「これでチェックメイト!」

 身動きが取れない竜也に向かって大き目の氷が向かっていく。後少しでぶつかるという所で彼の身体は急降下した。

 両腕を体に寄せて空気抵抗をなくしたことで普通より速く落下を始めたのだ。

「予測済みよ」

 足元に残っていた氷柱はぐにゃりと変質し網に変わる。

 もう何をやってもかわせないと誰もが思った。

 しかし、氷の網につかまる姿は訪れなかった。代わりに起こったのはふわりと地面へ降り立つ彼の姿。

 何が起こったのか楓以外には誰も理解出来なかった。

 氷塊が掠めた瞬間、竹とんぼの様に身体を回転させたのだ。それにより僅かな浮力を得た竜也は着地点をギリギリでずらしたのである。

「そこまで! 中々良いデモンストレーションになったよ」

 担任の声と共に大きく息を吐く彼女、短い時間だったけど、かなり消耗するらしい。

「あ~~っ、惜しかった。って言うか、あの状況でかわせるとか人間技じゃないでしょ」

 ぺたんと尻餅をつきながら、悔し気に漏らすその姿は、清々しいほどの笑顔で彩られている。

「今見たように、イメージの仕方で発生する現象も様々に変化する。それと、魔導が使えないからといっても脅威にならないって事は無いんだよ。要は方法の問題。どうやって自分の持っている能力を生かすのか、考えながら行動すればいいんだ。決められた答えなんて何処にも無いんだから」

 地面にへたり込んでいる楓に歩み寄った担任は、手を差し出して立ち上がらせる。

「さて、みんなにもやって貰うからね。二人一組で四組ずつ、制限時間は2分、終わったら次のグループへ。彼ら見たいにかわす方と攻める方じゃなくて攻めも守りも両方するんだよ。魔導を上手く使ってどちらが先に相手へ、きめられるか」

 言っている事は正しい筈なのに、状況に合っていないスーツ姿のせいで、何処かズレた印象を抱かせる彼。その言葉で組手が繰り広げられていく。

 水や炎、雷やらが飛び交う様は、さながらサーカスの舞台でも見ているかのように鮮やかだった。


 授業も終わり、昼食がてらの昼休み。教室の中では若干くたびれた様子の生徒たちが食事をとっている。

 竜也も食事をしているのだが、疲れた様子は一切なくケロリとした表情で教室内のあちらこちらを眺めていた。

「よっ、大先生、窓の方を眺めて面白い物でもあるんすか?」

 人懐っこい微笑みを纏いながら声をかけてくる一人の男子。名前は登渉だったか、限りなく坊主に近いスポーツ刈りのせいで実年齢より若く見られているとのこと。

 制服を着ていなければ中学校に入りたての少年と評されてもいいのかもしれない。

「ん~どうなのかな? 僕が楽しいと思っていても渉君が楽しいかは別だと思うし」

 そう言いながらも視線を外さない竜也の見ている先を目で追った彼は、はは~ん。と口元をゆがませる。

「なるほど、鈴音ちゃんと綾香を見てたわけか? 鈴音ちゃん綺麗だもんなあ」

 ウンウンと頷く渉に不思議そうな視線を向ける。

「なんで綾香だけ呼び捨てなの?」

「え? だって、ちゃんってイメージ無いだろ? 威圧的な所もあるし、まあ、そんな事はどうでも良いんだけど。どっちを狙ってんの?」

 特に意識した訳でない渉の質問に対して出てきた答えは……。

「僕は魔導使えないし、今は授業の時間じゃ無いよ」

 真顔で言い放つ竜也、あんぐりと口を開いた渉をまじまじと眺めている。

「それ、マジで言ってるの? 普通どちらを狙ってるか聞かれたら好きな方はどっちかって意味だと思うんだけど」

「……ごめん。それは解らないんだ。物に対しての好きや嫌いって言うのは解るんだけど、人に対しての好意というものが理解出来ないんだ」

 素の表情に戻った渉が感慨深そうに頷いている。

「魔導以外は完璧だと思ってたけど、心とか感情の動きは解らないのか、何か安心したよ。それなら何を見てたんだ? 女の子が可愛いとか綺麗とかじゃないんだろ?」

 問いかけつつ再び竜也の視線を追った彼は壁際に立っている男の子二人が目に入る。

「今度は男か、まさかとは思うけど、ソッチ方面の趣味とかないだろうな」

 若干後ずさりながら言葉を漏らす。

「ソッチの方面という意味が解らないけど、見ているのは人そのものじゃないんだよ」

「……はい? じゃ、何?」

 訝し気な表情で尋ねる渉に一指し指を立てた竜也はにこやかに言い放つ。

「笑顔だよ」

「……笑顔? んん? 珍しいものでも無いよな? そこら中で見れるじゃん」

「そうだね。でも包んでくれるような優しさとか暖かさを感じるんだ。人それぞれに笑顔の表現は違うのに、どうしてか同じような感覚を得られるというのが不思議なんだ」

「そんなものかねえ。俺には解らないな」

 彼に習って笑顔を眺めて見る物の、渉にはその感覚が解らない。その視界にふわりと巻き上がる白い布地。

 小さな悲鳴と共に押さえつけられたその姿を目にした渉は、残念そうに握り拳をこしらえる。

「くぅぅ~っ、後少しだったのに惜しいなあ」

「どうかしたの?」

 いきなり変化した彼の表情を不思議に思った竜也は問いかける。

「いや、後少しで見えそうだったんだよ」

 具体的な言葉を述べない彼に首をかしげる。

「主語がないから何の事か解らないんだけど」

「だからさあ、今、風でスカートが巻き上がったじゃん。後少しでパンツが見えそうだったって話だよ」

 竜也に向かって力説する彼、もちろんの事ながら話の内容は周囲に聞こえている。

 当人は周囲の冷ややかな視線に全く気が付いていないようである。

「ひとつ質問なんだけど。それって楽しかったり、嬉しかったりする事なの?」

 表情一つ変えず、真顔で問いかける竜也の言葉に別の意味で視線が集中する。

「……熱があったりはしないよな。って事はマジか?」

 竜也の額に手をかけて確認するも平熱であり、表情からみると疑いようのないほど正気の様だ。

 どう答えた物かと悩む渉の後ろに表れた女の子は、有無を言わさずに鋭いパンチを後頭部へと叩きこむ。

「――ってえなあ。誰だよ。……げっ、綾香」

 振り向きざまに文句を言った彼は、危険を感じ取ったのか竜也を盾にするように回り込む。

「げっ、じゃ無いでしょ。真っ昼間からなんつう事口走ってるのよ。TPO位弁えなさいよ」

「いや、だって、コイツがあまりにも的外れな反応してたから、ハッキリ口にしないと分かんないんだろうなって」

 激しい口調の綾香に対し、既に逃げ腰の渉は弱々しい声色を風に乗せる。

「思ってても口にするな変態。なんでアンタは昔っからそうなのよ」

「知り合いなの?」

 語彙を荒げる彼女に素朴な疑問を挟む竜也。

「まあね。悲しいかな腐れ縁よ。見ての通り変態で周囲の見えないトラブルメーカーよ」

「そりゃ、綾香もだと思うが」

 息をまく彼女にボソリと一言口にする渉。どうやら言われっぱなしは嫌なようである。

 ただし、鋭い視線を向けられた途端口をつぐんでしまったその姿は、力関係を如実に示している。

「んで、あの発言に至った原因は何よ」

「ああ、それなんだけど。気になったんだよ。毎日のように何をするでもなく眺め続けてる此方さんが」

 普段のトーンに戻った彼は竜也の肩に手を置いて素直に答えた。険悪そうな雰囲気はあっという間に消え去っている。

「それ、あたしも気になってた。いつも何を見てんのか」

「だろ? そしたら笑顔だって言うんだよ」

 渉の言葉を聞いた彼女は目を丸くして竜也を見やる。

「……は!? 何でそんな当たり前にある物を見たがるのよ」

「やっぱり、同じ反応だ。んで習って眺めてたら」

「変態的な言葉が飛び出してきたと」

「あー、いや、まあ、そうなるかな」

 冷や汗をかきつつ頬をポリポリと掻く渉。

「解らないでも無いけどね。アンタにとってはソッチの方が魅力的に見えるでしょうよ」

 ため息交じりではあるが、彼の意見を尊重する綾香へと視線を向けた竜也は口を開く。

「そう言えば、出会ったときの[見たでしょ?]っていう言葉はこういった内容だったのかな?」

「ちょっ、竜也、何言ってんのよ」

 しれっと口にされた内容に、顔中を真っ赤に染めた彼女が慌てた様子で止めに入る。

「何!? もしかして見たのか! 何色だった。是非ともそこのところ詳しく」

 水を得た魚の様に目を輝かせた渉が、飛び掛からんばかりに詰め寄った。

 あまりの迫力に口を開こうとした竜也だったが、視界の端に眩い光を放ちながら揺らめく深紅の塊を目にして口を紡ぐ。

「どうしたんだよ。いきなりダンマリ決め込むなんて、頼むよ大先生」

 なおも食い下がる彼に対し、静かに後ろにある脅威を見るよう促した。

「なに? 後ろ? それがどうかし……わああ! ちょっと、綾香さん。それは何かな」

「何だと思う? こういう時察しが良くて助かるわ、竜也は」

 ニッコリ笑顔を浮かべつつも全く笑っていない視線が渉を射抜く。

「えっと、校内だし、燃え盛る物は遠慮したいかな、と思うんだけど」

 じりじりと後ずさりしながら教室のドアへ向けて移動し始める彼。

「大先生、助けてもらえると嬉しいかなと感じるんだけど」

 わずかな希望を込めて言葉を投げかける。

「それは、ムリ。何かすると僕まで黒焦げになりそうだし」

 キッパリと否定された彼はおもいっきり廊下へと飛び出した。

「薄情者~!」

 去り際に吐き捨てられる台詞に苦笑いを浮かべる竜也。

「大人しく黒焦げになっとけ。変態」

 獲物を狩る猛獣のような勢いで後を追う綾香。廊下に出た途端、教室内に見えるほどの紅い煌めきが廊下を走っていくのが目に入る。

「のああ、ホントに放ってきた。洒落にならないって。校舎燃えたらどうするんだよ」

 必死に走っているだろう足音に紛れるよう渉の悲鳴が聞こえてくる。

「大人しく食らっとけばアンタ以外は燃えないわよ」

「ひでえ。ただじゃ済まないだろ、それ」

 緊迫しそうな内容の話だと思えるのだが、聞こえてくる声色はどこか楽しそうだ。

 クラスの皆もニヤニヤとほくそ笑みながら聞き耳を立てているのが見て取れる。

「相変わらず。あの二人は騒がしいわね」

 何時移動してきたのか、竜也近くに現れる鈴音。珍しく教室内に残っていた彼女は少し騒がしそうに二人が立ち去ったドアを眺めている。

「まあ、止めに入らなかった貴方の選択は正しいわ。下手な事するとこじれるから」

 いつも通りの無表情、なのに何処か柔らかく感じる口調で言葉を紡ぐ彼女。

「でも、大丈夫なのかな? 渉君、怪我したりとかしない?」

「心配するほどでもないわ。よくある光景の一つだから、周りもそういう反応しているでしょ?」

 周囲を見やりながら鈴音は息を吐く。

「今日は珍しくクラスの女子達と話してたみたいだけど。何かあったの?」

 ふと感じた疑問を問いかける彼。確かに鈴音は昼休みを一人で過ごすためにいち早く教室を出ていく。それが、今日に限って綾香と一緒に女子達で会話していたのだ。

「気にかかる事があって、それを知りたかったからよ。噂話ではあるのだけど」

 そこで言葉を切った彼女は竜也の目を見て言葉を続ける。

「最近、野犬の死骸が多く見られるようになったらしいわ。ただの死骸なら大した事ではないのだけれど、頭部しか残ってないそうよ」

 彼女の視線は何か知ってることは無いの? という疑問に満ちたものだった。

「う~ん。変だねそれは、狩りとかなら一部だけ残ることは無いと思うし、イタズラであるなら全身が残るよね?」

「そう、引っかかるのはそこなのよ。しかもその頭部はちぎられたような残り方ではなく。初めから頭部のみだったかのように全く切断面がないの」

 新聞の切り抜きらしいものを竜也の前に差し出した。そこには恐怖に歪んだ形相の野犬、その頭部と切断面があるべき首の部分が写真で載っている。

「自然界で起きる事じゃないんだよね? 魔導でも使っているのかな?」

「私もその可能性は考えたけど、ここまで可笑しな事を出来る能力なんて、魔導では研究されてないのよ」

「それで調べてたのか、……残念だけど僕にも思い当たる事が無いみたいだ」

 いつもと変わらない口調と表情の竜也を確認した彼女は静かに息を吐き出す。

 どうやら少し緊張していたらしい。

「僕に力になれる事があれば良かったんだけど、ごめん」

「気にする必要は無いわ。貴方が知らないという事が判明しただけで大きな前進よ。ただ、もう少し周囲の事に気を配らないとならないみたいね」

 窓の外へ視線を投げかけながら鈴音は心配そうに言葉を漏らした。

 一方、全力疾走に近い逃走劇を繰り広げていた渉は、軽く黒焦げになりながらシャツの首元を引っ掴まれて、引き摺るように戻ってきた。どうやら怪我らしきものは無いらしい。

「ふう、手間取ったわ」

 額に浮かんでいた汗をぬぐう綾香は、晴ればれとした笑顔を浮かべてる。

「おお~焦げてる焦げてる。毎回懲りねえなあ」

 覗き込むように男子が一人歩み寄る。それを合図にワラワラと取り囲んでいくクラスのみんな。シャーペン片手にツンツンとつついてみたり、遠巻きに眺めつつ口元を抑えながらコロコロと笑う女子。

 みなそれぞれに違った反応を見せているのに、浮かんでいる笑顔には一様に暖かい雰囲気が取り巻いている。

(何でこんなにも暖かい感じがするのだろう)

 自らに浮かんでくる感情がどこから湧いてくるのか、何故そう感じるのかが竜也には解らない。

 綾香に出会い。学校に通うようになって、初めて感じる感覚が心を満たしてくれる。

 それが何とも心地よい。もし願う事が出来るなら、ずっとこの光景を眺めていたい、それはささやかな願いだった。


 授業も終わり、生徒達は各々に校舎から立ち去っていく。

 そんな中、誰に声をかけるでもなく佇む白髪の男性。全身を黒のタキシードで着飾ったその人は一見すると老人にも見える。

 焦点の合わない眼球が俯瞰するように周囲へ向けられ、人でありながら獣の気配を漂わせる危険な雰囲気を放っていた。

 生徒達も気にはなっているが声をかけようとはしない。

「もし? この学校に何か用事がおありで?」

 スーツ姿に眼鏡をかけた男性が佇んでいる人物へ声をかける。ニッコリとした笑顔を張り付けたその男は、綾香達の担任、鎌倉裕也だ。

「いや、念のために確認しておきたかったんですよ。生徒を守る立場として。どう見ても貴方、怪しいですから」

 歯に衣着せぬ発言、それは害をなす存在だと直感で感じ取っているからなのか、考え無しの台詞であるのか判断しにくい。

「そうか、悪かったな。ヒトを探しているのだ。正確には人の形をした物だが」

 視線すら動かさず。表情にも変化は無い。

「安心していい。今のところ魔導士に用はない。目的には含まれていないのでな」

 事務的な口調で告げられた言葉、それを境に一切反応を示さなくなった。

《今のところ》と男性は口にした。どれだけの期間かは判断出来ない。

 付かず離れずの距離を保ち、ジッと観察を続ける担任、温和な表情と違い、視線は鋭く射貫いている。

 五分が過ぎ、一〇分に差し迫ろうとするさなかも石像の様に動かない二人。

 やがて生徒の数は減り、担任がほっと胸を撫で下ろしたその時、男性は首を動かした。

 人の気配がしなくなった昇降口、そこに焦点を合わせて。

「見つけた。出現まであと一〇秒、対象外が二つか、巻き込んだとしても不慮の事故というものだな」

 物騒な言葉を漏らした男に。只ならぬ気配を感じた担任は土の壁で男を覆いつくす。

 そんなやり取りを知らぬまま、三人の生徒は昇降口から歩み出た。

 白い修道服姿の少女二人とブレザーを羽織った少年。綾香達である。

「なんか見慣れない土塊があるけど、アレ何?」

 指をさす綾香と対照的に、鈴音は素早く身構えた。視界の端に穏やかさを何処かへ置き去った担任を捉えたからだ。

「綾香!」

 短く強い言葉が警戒を促す。鈴音の緊迫した声色に綾香も視線を土塊に集中させる。

 次の瞬間、カメラのフラッシュに似た瞬きが発生、昇降口に小さな穴が開いていた。

 その間には竜也が立っていた筈である。威力から考えると即死は免れない。

「竜也!」

 悲鳴にも似た綾香の叫び、身体を貫かれた彼が居たであろう場所には、傷一つ無い制服姿の人物、しかし、竜也ではなかった。

 長い黒髪に整った顔立ち、可憐ともいえる容姿に張り付いた意思の薄い表情。

「あんた。誰よ」

 戸惑いを口にする綾香に対し、鈴音は冷静に周囲を観察していた。

 声色が風によって流されるか否かという瞬間、目前の土塊は爆砕し、一人分の影が制服姿の少女へ迫る。

 迫りくる影を最小限の動きでかわしつつ蹴り飛ばす。昇降口を破壊しながら突っ込んて行く塊、その影から瞬きが三度煌めいた。

 姿を霞ませた少女は視認するのも難しい光の弾道をかわし切る。

 同時に鈴音と綾香へ駆け寄るなり二人を小脇に抱えると、人の物とは思えない跳躍力で一気に校舎から離れていく。

 瓦礫から身体を起こした男は綾香達が立ち去った方角へと歩き出す。

「エマージェンシーモードか、生命活動を守る為の緊急回避プログラム。しかし、相当な負担が掛かるだろうな」

 遮蔽物のない位置まで歩み出た男は両膝をまげ前屈姿勢から天高く飛び上がった。

 しかし、跳躍する軸線上に分厚い土壁が現れ、地面へと叩き落される。

「――今は用がないと言った筈だが?」

「そちらに無くても私にはあるんですよ」

 立ち上がりながら声がする方へと視線を向けると、先ほどまでのにこやかな雰囲気を捨てた担任が身構えていた。

「アレがどのような存在か知らぬのか?」

「知りませんね。知りたいとも思わない。たとえ短い期間であるにしろ、私の生徒に違いは無い。ならば全力で守る。それだけです」

 決意を込めた言葉と共に十数本の土で出来た槍が男を串刺しにする。

 容易く命を奪えるほどの攻撃は何の変化ももたらすことが出来なかった。

 貫いている筈の先端は何かに喰われた状態で抉られ、残された柄の部分も崩れた砂の様に吹き散らされる。

「土の魔導士らしいが、無駄だ。貴様の魔力容量では、こちらの構成素材1%ですら削ることが出来ぬ」

 忠告なのか、言葉を呟くのみで動こうとすらしない男性。

 その姿に構うことなく砂を巻き上げ、高速で回転させる。細かい粒子が振動し熱を帯び始める。やがて色が変わるほどに高熱を帯びた砂が空気の流れを加速させた。

「土がダメならこれでどうです」

 建物を壊さんばかりに成長した竜巻が男へと襲い掛かる。無論竜巻の中には高熱の砂がチェーンソーの様に回転しているため対象を細切れに切り刻む事が出来る。

 筈だった。竜巻の収まった場所に男の姿は無い。

「忠告はしたつもりだったがな」

 不意に担任の視界が手のひらで覆われる。

「度胸も知恵も認めよう。が遅すぎる。相手の移動速度を考慮に入れず行動すべきではなかったな。……命までは取らん。しばし寝ていろ」

 考えられない程の握力で頭をつかみ上げた男性は校庭に向けて身体ごと叩きつけた。

 少しばかり地面をえぐり、意識が途絶えた事を確認した男性は再び天高く飛び上がった。


 一方、可憐な少女に抱きかかえられた綾香と鈴音は凄まじい速度で街中を移動していた。

「あれは何? って言うかアンタ誰よ。竜也は?」

「やかましい。しばし黙っておれ、今は人のいない場所へ移動する事の方が先決じゃ」

 耳元で騒がれた少女は早口でまくし立てる。

「どこか人気のない場所は無いか?」

「それなら、貴方が現れた所なんてどうかしら? 周辺に民家は存在しないし、山の上よ」

「なるほどのう。理解が早くて助かる」

 ひと際高く跳んだ少女は方向を確認すると住宅の屋根上を弾むように走っていく。

 やがて一〇も数え切らない程の時で目的地までたどり着いた彼女は、木々の生い茂る林へと姿を隠した。

「ここならば多少は時間が稼げよう」

 二人を下ろすと周囲を警戒しつつ息を吐いた。

「じゃあ、さっきの質問に答えて」

 少女の前に立ち、腕を組んで威圧するように睨みつける綾香。

「仕方あるまい。あれは対魔導兵装。魔導士殺しの兵器じゃ。正式にはラグナロクシリーズの一体じゃがな」

「人にしか見えなかったのだけれど、どうして」

「素材が人であるから、あの形なのじゃ。同種に見える個体であれば油断させる事もできよう」

 少女の答えに鈴音は納得したように頷いている。

「で、アンタは誰よ。竜也は?」

「気づいておるかと思ったのじゃが、意外と鈍いの、ぬしは」

「綾香、その少女が竜也よ。二つあるうちのもう一つの魂でしょ?」

「え? だって、体つきが違うじゃない。竜也は男だったわよ。そいつは女でしょ?」

「ぬしらには理解できぬかもしれぬが、こやつと我を構成しているのはナノマシンと呼ばれる意思を持った砂のような物じゃ。魂の情報にしたがって形を変化させるようになっておる」

 ペタペタと少女を触りながら、そんな馬鹿な話があるか? という視線を投げかける綾香。

「じゃあ、竜也はどうなってるのよ。入れ替わってるんでしょ?」

「ああ、こやつは今眠っておるような物じゃ、じゃが、記録は共有している。我が出る事で封じていた記録も開放されよう」

「妙な言い回しね。記録って、まるで自分も道具だって言ってるみたいじゃない」

「みたいではなく。その通りじゃ、我もこやつも対魔導兵装の一つ、型は違うがの」

 いぜん周囲を警戒しつつ質問に答える少女。綾香はその姿に妙な物を感じていた。

「魔導士殺しの兵器なのよね。……じゃあ、狙いは魔導士なわけ?」

 その問いに小さく首を振る。

「アレの狙いは我じゃ。もとより魔導士を目的として現れたわけではない」

「何で狙われるの? 私や綾香が見た限り、竜也にも貴方にも危険な感じがしないのだけど」

 鈴音の指摘通り、少女や竜也には誰かを傷つけようという意思が見られない。

「そう思ってもらえるならば、こちらでは恵まれたようじゃ。この世界に同じ伝承があるか解らんが、北欧神話は知っておるかの?」

「大雑把に言うと神々と巨人族の話だっけ? 確か双方ともに滅びたんじゃ無かったけ?」

 記憶を絞り出すように言葉をひねり出す綾香。その言葉を耳にした少女は大きくため息を吐く。

「やはりそのような伝承になっておるか、恐らく、神々の黄昏と呼ばれる戦争によって互いが滅ぼし合ったように伝えられておろう」

 静かに頷く綾香と鈴音。

「厳密には違う。戦争というのは正しいが、災厄から逃れるために全ての命と一つの獣が戦った記録だ」

「獣っていうと有名どころだと……」

「名を口にするな!」

 口を開きかけた綾香を鋭い怒号が止めに入る。

「こやつしか封印は解けぬようになっておるが、何かの間違いで解けぬとも限らぬ」

「名前はともかく、その獣というのが貴方ということでいいのかしら?」

 口をつぐんだ綾香の代わりに問いかける鈴音。少女は警戒を緩めず周囲の様子を探りながら頷いた。

「神話の再現をしないために貴方を倒しに来たと考えればいいのね。だとすると、竜也は貴方を封じることが出来る存在だということになるけど、特別な魂だったりするの?」

「それは違う。神話の再現ならば我は何者かに倒されるという結末が用意されておろう。じゃが、実際は誰も生存しておらぬ。全ては滅ぼされた。我によって……。そもそも神等と言う存在は後の人間が便宜上つけただけ。居たのはヒトだけじゃ。この星の話ですらない」

 さらりと告げられた内容に二人の目は大きく見開かれた。

「ちょっと、この星で起きた話じゃないとか冗談でしょ? まだ幻想だとか言われた方が納得いくわよ」

「であろうな。じゃから伝承内容が都合よく改ざんされる。神話ではなく。人話だ。もとより人に際限などなく。不老不死じゃった。それ故に進化する事を途中で辞めてしまう事がある。そういった出来事に合わせ、我または同様の概念がその世界に発生する。既存の物を滅ぼし、一からやり直させるために。ここまで口にすれば解ろう? 滅びに逆らう為、全ての命が我に対して戦いを挑んだのじゃ、結果滅びを迎え、新たな星で新しい生命が活動を始める。全ての話には基となった出来事が必ず存在する。数ある伝承の終わりが例外なく滅びによって終えられている理由は、その数だけ星を渡っておるからじゃ」

 あまりの内容に呆けた表情を浮かべる綾香、対して鈴音は首をかしげていた。

「貴方が言うヒトと人間ではどう違うの? 人と人の間に生まれたから人間なのではなくて?」

「それは固定概念というやつじゃ、一からやり直すにしろ、同じ能力のままでは同様の結末を迎える可能性が高い。ゆえに持っている能力を限定させた新しい種族を構築し、繁栄期間を永らえさせる方法がとられた。その結果生まれたのが人限じゃ、寿命という活動限界を設定し、使える能力を限定、脳機能の七割を休眠状態で生涯を終えるよう遺伝子を操作された。それが人間なのじゃ」

「人間はこの星で生まれたわけではないと?」

「いや、人間はここで生まれた。その過程で生まれたのが猿や、人間の進化過程と呼ばれている種族となる」

 何やら考え始めた鈴音に対して、今度は綾香が口を開く。

「話の流れだと如何にも他の星から来ましたって感じがするけど、その認識であってる?」

「それも間違いじゃ、今の話は我を示す事柄に対する蛇足に過ぎぬ。こやつも、アレも全く別の世界から来た。正確に言えばこやつは逃がされてきたというのが正しい」

「別の世界? 何それ、似たような世界がいくつもあるっての?」

 与太話もたいがいにしてよ、と言わんばかりに呆れ顔見せる。

「根源はみな同じじゃが、時が進む過程でいくつもの可能性に別れ分岐する。細かな物を含めれば無限に世界が並んでいると考えればよい。例えば、先ほどの攻撃で我が破壊されていた世界と逃げ延びた今の世界は既に別物じゃ」

「なるほど、魔導の発展しなかった可能性世界から貴方達とあの男性は来たのね。でも、貴方が危険だという事は理解出来たけど、竜也には何か理由があるの?」

 黙って聞いていた鈴音は納得がいったように口を開いた。

「……何も、何も無い。こやつはただ適していただけじゃ、あの世界においてただ一人、純粋で無垢な魂の持ち主、我と同じ時刻に誕生し、唯一生き残れる可能性を持った生命。それがこやつじゃ。我が創主より与えられていた特性は、変革した魂とソレを生成した文明の消去。その枠から外れていた。ただそれだけの理由で宿主として選ばれた」

「なにそれ、じゃあ、竜也は選ぶ権利すら無かったっていうの?」

 今までとは違う険しい表情を張り付けた綾香が少女の胸元へとつかみかかる。

「その通りじゃ、こやつの稼働時間の殆どは主らに会ってから、この世界に飛ばされてからの時間でしかない。知識も技術も後天的、人工的に付けられただけ、何かを感じたり、学んだりする事すら出来なかったのじゃ。残された記録も強制的に戦場へ送り込まれ、暴走と共に国を消し去った記録のみ。こやつには何も与えられておらん」

「……だから、あんなにも色々なものに興味を抱いてたのか」

 竜也の行動原理を思い返しながら綾香は深い息を吐く。

「悪いけど、哀れんだり悲しんだりするのは後回しよ。今は少しでも情報が欲しいわ。アレの情報を教えて、対策法とか」

 落ち込みかけている綾香へ釘を刺した鈴音は、鋭い視線を少女へ向けた。

「解っておる。先にも言ったがアレの構成素材はナノマシン。砂のような物じゃ、コアと呼ばれる物質化された魂を核に身体を作っておる」

「核があるという事は、それを破壊出来れば存在出来なくなるのよね?」

 簡単な事じゃない。と言わんばかりの声色で口を開く綾香。

「出来ればな。主らが一度に放てる魔導をコップ一杯分の水と例えるなら、あやつは砂漠そのものじゃ。それをぶちまけた所で起こる現象は理解出来よう?」

「砂を固める前に吸い込まれるか、蒸発してしまうわね」

 冷たい口調で事実を受け止める鈴音。

「そうじゃ、体積の絶対量に差がありすぎるのじゃ。しかも生半可な魔導は容易く分解され、あやつのエネルギーへ変換される。プログラムが実装されておれば、先ほど行ったレーザー等の兵装を容易く使用出来る」

「あんたには無いわけ? ああいう光線みたいなのは」

 綾香は期待を込めた視線を投げかける。

「我の特性は話したであろう? 暴走を起こす危険性、ともすれば世界そのものを消滅させかねんシロモノに主は兵器を与えたりするのか? ……兵装など一切実装されておらぬ」

「ま、まあ、そうよね。少しだけ期待しちゃったわ」

 人差し指で頬を掻きつつ明後日の方へ視線を泳がせる彼女。

「先ほど我と同行して感じたであろうが、運動性能は人間とは比べ物にならんほど速い。対抗しようと考えるのなら、まず速度に追随する、もしくは行動を予測せよ。それが出来ねば、戦闘にすらならぬ」

「加えて相手にダメージを与えるなら絶え間ない攻撃か、尋常ならざる破壊力を持った一撃を放てか、普通に考えれば絶望的よね」

 うんざりした口調で深い息を吐く綾香。

「速度に関しては、魔力で身体能力を限界近くまで強化すれば何とかなるけど。問題は攻撃の方ね。残念ながら私では決定打を与えることは出来そうにない」

 自分の能力と情報を重ねた鈴音は冷静に分析している。

「攻撃はこっちで受け持つしかないでしょ。問題は決め手を放つまでの下準備と時間稼ぎかしらね。恐らく加減なんか出来ないだろうから周囲の被害も大きくなりそうだし、何よりどこまで効果があるか解らない」

 相方と視線を交えながら考えをまとめていく二人、だが、その内容に少女の役割は含まれていない。

「ねえ、最後に聞かせて、アンタは竜也をどうしたい? 竜也もアンタもよく考えれば被害者のような物でしょ?」

 意思を込めた鋭い視線が少女に突き刺さる。

「――出来うるならば、こやつに生き延びて、貰いたい。」

 絞り出すように呟かれた一言は弱々しく風に消えそうなほど小さかった。

「よかった。心からの願いが聞けて、じゃあ、アンタは逃げなさい。ここからはあたし達の戦いよ」

 出会ったときと同じように、柔らかな微笑みを浮かべた綾香、その顔に悲壮感は無く。

 瞳は澄んだ色をたたえていた。

「しかし、我が訪れたことで今回の件は起きたのじゃ。ならば!」

「やかましい! 起こった事に対して責任擦り付けるような人間じゃないわよ。あたし達にだって戦わずに逃げるって選択肢もあるの! でも、それじゃ解決にならないし、何よりあたしの主義に反する。あたしはね。自分の願いを叶える為に戦うの、他の誰かに指示されるわけでもなく。自分の意志で、アンタにも叶えたい願いがあんじゃない。だったら、全力でそれを叶えなさいよ。他人に流されるな! 自分の意志を貫け! 人よりハンデ背負ってるんだから」

 すがろうとする少女を厳しい言葉で追い払う。

 なおも食い下がろうとした少女だったが、綾香の視線を目の当たりにして深々と頭を下げた。

「すまぬ」

 短い感謝の言葉を残した少女は木々の間を縫うようにして遠ざかっていった。

「ふふ、綾香らしいわね。言葉では辛辣な事を言っているのに、思いっきり他人に流されているじゃない」

「そうでもないわよ。さっきも言ったけど願いがあるもの。大したモノじゃないけどさ、あたしも鈴音も魔導士として育てられたでしょ? 隠匿しながら技術を鍛えて、いずれは大本に辿り着けとかいう、アホらしい信念のもとにさ」

 おどけた表情で魔導士としての理を口にする彼女、その姿を責めるでもなく眺める鈴音。

 生粋の魔導士からしたら侮辱にすら取られかねない言葉も、意味のない出来事として認識しているのだ。

「そうね。おじい様の決断前に聞いていたら殺意を覚えそうな言葉だけど」

 表情も変えずにさらっと口にした言葉を聞いて思わず爆笑する。

「はははっ、まあそうなるわよね。でもあたし達は普通の生活を知った。これからはそう過ごしてもいいんだって、体験したらさ、思いの外楽しいのよね。馬鹿みたいにじゃれあって、他愛のない話をしたりさ。そういった事を体験したら、やっぱり大切だって感じたのよね。大それた事じゃないけど。せっかく手に入れた日常を失いたくない。壊されたくないのよ。鈴音はどうなの?」

「文句があるなら、口をはさんでいるわよ。貴方ほど上手く溶け込めてはいないけど、新しい体験をするのは興味深かったわ。彼が来てからは特に強く感じたかしら」

 穏やかな表情を浮かべながら考えを吐息に乗せる鈴音に、チラリと視線を向ける綾香。

 ゆっくりと瞬きをした鈴音は、少女が立ち去った方角とは反対側の林に視線を凝らす。

 木々が生み出す影の中から銀髪を生やしたタキシード姿の男性が現れた。

「貴様らだけか? アレはどこへ消えた?」

 抑揚のない声色が低い音階を奏でる。

「さあ? 何処に行ったかな?」

 素知らぬ素振りで言葉を返しながら男の正面へ歩み出た。

「――そうか、退去した後か、ならば貴様らには用はない」

 くるりと踵替えして林の中へと歩いていく、しかし一分も経たぬうちに同じ場所へと帰ってきた。

「何か、したな」

 表情を変えぬまま視線を二人へ向ける。

「そりゃあするでしょ。アンタを放置してあたしらに一つの得も無いんだから」

「用は無いと言った筈だが? 干渉はしないと明言したのだがな」

 やれやれと両手を広げた男はおどけた様子をさらした。

「言葉の先に《今は》というワードが付くのでしょう? それなら見逃せる訳がないわ」

 鈴音の一言に苦笑を浮かべると、小さく息を吐く。

「こちらの事は聞いているようだな。存在意義なのだから仕方あるまい? 貴様ら風に言うならば本能というやつだ。本来であればすぐにでも駆除するところだが、優先順位と俺の目的とはかけ離れている。ゆえに眼中にないのだよ。無駄にエネルギーを消費したくもないからな」

 何処か気の抜けた表情のまま風に言葉を乗せ、謳うかの様に声色を震わせる。

「だが、排除しなければ追えないというなら、仕方ない。駆除するとしよう」

 言葉が二人の耳に届く、その瞬間、男の姿は綾香の目前へと迫っていた。

 大きく開かれる右の手が彼女の頭部を包み込む。

 尋常ではない速度により行われた行為は何もつかめないまま空を切った。

 男が視界から消えたのと同時に後ろへと全力で跳んだのである。

 着地を待たず綾香は右手をふるう。 一瞬前まで自分が存在していた場所に発生する高熱を有した火球、男がぶつかるの待たずに激しい爆発音をまき散らし空気を振動させた。

 続けざまに生み出される火球が六つ、爆発した場所を中心に反時計周りの円を描くよう連続で爆砕した。

 黒い煙が視界を塞ぐ、その中を雷にすら近い速度で走ってくる男、どうやら全くの無傷らしい。

 その神速を留めたのは肩口で切り揃えられた黒髪の少女。

 あろうことか、ほぼ同じ速度で近づくなり、鋭い回し蹴りで蹴り飛ばしたのだ。

 呼吸すら乱さぬまま、蹴り飛ばした男へ追いつくなり、地面に叩きつけるよう双掌打をお見舞いする。

 どこにそれだけの力が内包されているのか、男の身体は地面にめり込んでいく。

 よく観察すると掌を叩きつけた身体の一部は魔法陣が明滅していた。

 反動を利用してバク転した少女は間合いを取って身構える。魔導士という名称から想像する姿とはかなりかけ離れた戦闘方法だろう。

 秒の間を置かず立ち上がった男性は、少女の姿を発見するなり目を大きく見開いた。

 しかし何かが起こる訳でもなく少女は健在である。それどころか一瞬生まれた戸惑いの間に、真後ろへ表れた少女から大きく蹴り飛ばされた。

 先程まで少女がいたであろう空間に到達した瞬間、どこから生み出されたのか六条もの光によって身体を貫かれる。

「馬鹿な、発動タイミングを遅らせられただと?」

 そう、本来であれば、その光は少女をズタズタに引き裂いていた現象なのだ。

 間髪入れず、視界を塞ぐほどの爆炎が男を包み込む。

 決定打には程遠いが動きを止めるという観点では実に有効な攻撃だ。

「くく、さすがはアヤカ、スズネの同一個体というわけか、戦い慣れしているな」

 データ上では脅威であると知覚していたが、戦闘を行うのは初めてであった。

 そのためどのような戦闘方法を用いているのか、男は知らなかったのである。

 ランダムパターンを形成し、連続で中空にレーザーを照射させる。

 その悉くは発動した瞬間、空中に張り付いたまま動きを止めていた。

「なるほど、空間制御、それが貴様の能力か」

 身構えている少女に向けて右手を掲げる。

 掌を中心に光が集い、人を飲み込むほどのエネルギー弾が放たれた。

 それに呼応するように中空に張り付いていた光は一斉に姿を消したかと思うと、エネルギーを迎え撃つように太い光の帯となって解き放たれる。

 拮抗していた時間はわずか数秒、光の帯を飲み込んだエネルギー弾は少女の方へ真っ直ぐに向かっていく。

 人の姿を飲み込んだエネルギーはそのまま林の中へと突き進み大きな爆発を生み出した。

 その様子を確認した男は綾香に向かい視線を動かす。

 爆炎の合間に彼女の姿を捉えた途端、脚部に鈍い衝撃、続けざまに身体が中空へと打ち上げられた。

 浮遊する身体を制御しつつ、自らを攻撃した存在へ視線を向けると、エネルギーに飲み込まれた筈の少女。

「鏡像か、空間そのものに自らの情報を映し、身代わりとした。データの中にある忍者のような方法だな」

 呟くさなかにもレーザーを中空に照射させていく。

 今度は全く阻害されず。狙い通りに光が放たれるが、掠りもせず地面をえぐるのみだ。

 把握出来る数に限界があるのか、確実に危害が及ぶもののみを留めているのか、判断できない。

 一見、互角以上に渡り合っているように見えているが、実際は楽観出来る状況ではなかったりする。

 何しろ二人とも魔力による身体強化を全力で行っていて、尚且つ、攻撃も途絶えぬように立ちまわっているのだ。その消耗たるや、並大抵のものではない。

 魔力が尽きるのが早いか、それとも綾香の準備が終わるのが早いかという賭けにも似た状態なのである。

 そんな戦いが続いている一方、林を疾走している少女は……。


(止まって、止まってよ)

「ならん。今は一刻も早く身を隠せる場所へ移動せねば」

 心の中に響く声へと否定を口にする少女。

(いいから、止まって、止まってよ!)

 意思を込めた心の叫びは少女の体を止めると一人の少年へと姿を変えていた。

(何故止まる? 存在し続けたいのではないのか?)

「消えるのは、怖いよ。……でも」

(あの二人を助けたいのか? あやつらは主を消去しようとした存在と同一個体じゃぞ)

「解らない。君の言うような記憶があるのも理解したけど……」

 言葉に出ない。何を伝えたいのか、何をしたいのかが解らない。

「このまま逃げるのだけは、違う気がするんだ」

 何かしこりの様な感覚が胸の奥を揺さぶり、言葉に出来ない感情を吐き出させようとしている。

(ならばどうするのじゃ? 主の選択次第では、消滅も覚悟せねばならんぞ。我としては主に生き延びて貰いたいが)

「僕が消えると、……君も消えちゃうからね」

(我の事などどうでも良い。我だけが消えるというなら、甘んじて受けよう。じゃが、主は巻き込まれただけじゃ、本来ならば生まれた事を望まれても良いのじゃ。じゃから……)

「その気持ちは嬉しい。でも、ただ生きてるだけじゃダメなんだと思う。博士の残した言葉、自分だけの幸せを見つける為には」

 掌を自らに向けて両手をじっと眺める。動かしてすらいない筈なのに小刻みに震えていた。

 消滅という絶対的な恐怖、なのに身体は逃げようとしない。

「多分何かを守りたいんだと思う。……それは彼女達そのものじゃない。でも関係はあるんだと思う。――曖昧な表現でごめん」

(……そうか、ならば何も言うまい。主の思うままにせよ)

 心に語り掛ける彼女の言葉に頷いた竜也は、開いていた両手をギュっと握りしめる。

「今の僕が出来る限界まで封印を解くよ。それでも力は及ばないと思うし、ラグナロクシリーズに対してどれだけの時間が保つかも解らない」

(解っておる、みなまで言わずともよい。目的はあやつの力を削ぐ事じゃな?)

 コクリと頷いた彼は自らの奥底に眠る封印へと意識を飛ばす。

 体の奥、肉体を越え精神へと沈むその瞬間、眩い光により感覚を埋め尽くされた。

 やがて光が収まると大きな門の前に佇む自分を認識する。

 門を取り囲むように八つの南京錠が存在している。鍵穴はあるものの鍵そのものは何処にも見当たらない。

「深層領域、プロテクト解除。コードナンバー5」

 短い言葉の認証と共に五つ鍵が虚空に浮かび上がる。

「マキシマムドライブ」

 言葉に導かれるよう、対応する鍵穴へと吸い寄せられる鍵、そして五つ同時に南京錠は開かれた。

 開錠した数と同じだけ扉が開き、封じられていた力が解放される。

 それを見届けた彼は領域を背にした。

 意識が通常空間とつながった時、少年だった筈の姿は少女へと変化していた。

(今の僕にはここまでしか出来ない。難しいとは思うけどお願いするよ)

「承知した。むしろここまででよいのかも知れぬ。これ以上は我が自らを制御出来るか、危うい処じゃ。……では、往くぞ」

 長い黒髪をなびかせた少女は、風すらも置き去りにする速さで来た道を駆け抜ける。


 剣閃にも似た光の帯が地面を薙ぐ。一瞬遅れていたら綾香の身体は真っ二つになっていたことだろう。

 絶え間なく閃光が飛び交う中、全力で走り回りながら、魔導を行使する彼女。残念ながら、空間を制御する等と言う便利な能力ではないので、身体的な疲労度は鈴音に比べて溜まりやすい。

 解き放たれた力が爆炎をまき散らし、空間の温度を上げていく。

 一見すると無秩序に行動しているように見えるが、一定のリズムと強弱をつけて攻撃を行っている。

 絶え間なく放ち続ける威力を抑えた火炎と、時折放たれる空間を焦がすほどに強力な一撃。

 彼女は距離を測りながら対象の周りへ円を描くように走り続けている。

 その行為は決定的な打撃を与えているとは思えない。どちらかと言えば相手の力を利用している鈴音の方が目に見える成果を出している。

 しかし、全く無意味な行為ではない。空間に絶え間ない力を放出する事で魔力を満たし、発生する変化を鈴音がより鋭敏に感じ取れるよう立ち回っているのだ。

 それを感じ取ったのか、男は鈴音より先に綾香を狙い始めた。

 彼女を捉えようとするレーザー光の数は増え、機敏な動きでかわし続ける綾香の動きにもキレが無くなっていく。

「あっ!」

 もつれた足に動きを取られ地面へと倒れこむ。その隙を逃すような男ではない。

 かわし切れない程の閃光が収束し放たれる。

 一瞬後にはズタズタに切り裂かれた彼女の姿が出来上がる筈。

 だが光は地面を薙いだだけだった。

「サンキュー! 助かった」

 レーザーによって生み出された煙から這い出るように走り出す綾香。

 閃光が着弾する地点と、近くにある何もない空間を入れ替える事で彼女を移動させたのである。

 ただ、それはとてつもなく魔力を消費する為、余裕のない二人にとっては致命的ともいえる誤算だ。

 その変化を見逃さなかった男は鈴音へと近づくなり蹴り飛ばした。

 腹部に叩きつけられた強い衝撃に、意識を失いかけながらも体制を整えようと試みる。

 空間を制御して勢いを殺そうとするが、直前に綾香を移動させたことによる消耗が足かせとなり、上手く集中することが出来ない。

 飛ばされた勢いのまま大木へ向かう彼女。綾香に助ける手段はない。鈴音自身も回避することが出来ない。どちらか一人でも命を落とした瞬間、勝ち目は消えてしまう。

 その事実を悲観するでもなく当然の事として鈴音は受け入れていた。

 奇跡など願える筈は無いのだ。出来る事を尽くし、それでも叶わないのなら……。

 そこに一陣の風が吹き荒れる。

 風は鈴音を優しく受け止めると、そっと地面に立ち上がらせた。

 間に合うはずは無く。訪れる事すら想像もしていなかった助け人がそこにいた。

「な、なんで……」

 驚きのあまり言葉が続かない。何のメリットも無いのだ。彼女達に加勢しても。

 長い黒髪に風を纏い、悠然とした姿で大地を踏みしめるその姿、ついさっき別れた筈の少女。

「呆けておる場合か、主らは、なすべき事をするのじゃ。……こちらは気にするな。巻き込んでも構わん。目的を達する事だけを考えよ」

 言いたい事だけを言い放つとその姿が瞬時に消える。三度ほどの着地音が鈴音の耳に届く頃、少女は男と取っ組み合っていた。

 鈴音は自分の目を疑った。何故なら全身の機能を魔力によって限界まで強化している状態なのだ。その視界に捉え切れない程の速度で少女は移動している。

 身体能力の異常さが背筋を凍り付かせた。

 しかし、少女の言う通り呆けている暇はない。周囲の状況変化を感じ取るために意識を集中させる。

 一方の綾香は、助かった鈴音の姿を認識すると同時に男に対して火炎を続けざまに解き放つ。

 炎に巻き込まれつつ男に掴みかかる少女を目にするなり口を開く。

「何で来た! あんたにメリットなんて無いでしょ!」

「こやつの願いじゃ、我の意志ではない」

 振り向くことすらせず男と共に地面を転がる少女は言葉を吐き捨てる。

 押さえつけた男の左腕を掴むなり力任せに引き千切る。真っ赤な鮮血が大地を濡らし、千切れた腕が宙を舞う。

 バランスを崩した男の頭をつかみ地面に叩きつけ、さらなる一撃を加えようと右腕を振りかざした。

 だが、その行為は現れた左腕によって阻まれる。先程千切れて使い物にならなくなった筈の左腕である。

 次の瞬間、鋭い閃光により少女の右腕が一閃されると今度はその腕が失われた。

 焼き切られたのだ。だというのに苦痛の表情を見せるでもなく少女は再び右腕で殴りつけた。失われた筈の腕で……

 その戦いは綾香にとってあまりにも異質なものだった。

 限界に近い能力上昇で、自分の目が幻覚を映しているのではないかと勘ぐってしまう程。

(これがコイツらの戦い。自分を兵器だと評していた少女の言葉に誇張は無かったって事ね)

 鈴音と違い動体視力が優れているのか、辛うじて少女たちの動きを目で追う事が出来る。

 ただ、その動きに身体能力はついていかない。あくまでも見えるだけだ。

 逆に言えば男の戦い方は本気ではなかったという事だ。綾香や鈴音と戦っていた時に比べ明らかに速い。それは視覚を捨て空間に発生する変化のみに集中し始めた鈴音を目にしたことで実感出来る。しかも、あの二人はまだ余力を残しているように見える。

 腕をちぎられ、肉を抉られ、大量の血をまき散らしながらも、次の瞬間には再生し互いの体をぶつけあう。身体の一部を失う事を痛手とは認識していないのだ。

 もちろん、全くの無傷というわけではあるまい。表面化していない部分で消耗を続けている筈だ。

 彼女らの戦いは如何に効率よく相手を消耗させられるかが重視される消耗戦である。

 絶え間ない打撃によって対象の内部を劣化させ、身体を引き千切る事で保有体積の容量を減少させる。

 二人にとっても劣化した部分というのは再利用出来ない為、なんらかの方法で外部に排出しなければならない。その現象が吐血である。

 ドン! という鈍い音と共に少女の腹部を重い衝撃が走る。

「かはっ」

 吐血の際に起こる小さな呻き、痛みからの物ではなく。

 排出時に起こる必要最低限の音ではあるのだが、その一瞬ですら少女には惜しい。

 口から流れる血を気にも留めず、男の左足を引っ掴むと力任せに振りまわす。

 周囲の木々に身体をぶつけられながらも、空いている右足で少女の頭部を蹴り飛ばした。

 少女の手を離れた男は激しい衝撃に自らの体をさらしながら強引に体制を立て直す。

 だが、間髪入れず間合いを詰めていた少女の蹴りが、男の頭をクリーンヒットしていた。

 再び弾け飛ぶ身体、中空で立て直すのは隙が出ると判断したか、飛ばされた体制のままで少女を照準すると数十にも及ぶレーザー光を解き放つ。

 放たれた光のいくつかは見えない壁に阻まれたように屈折し、何もない空間へと散らされる。

 少女が行った行為ではない。出来ないのではなく余裕がないのだ。

 許された能力のすべてを攻撃に集中させなければ、男に肉薄することが出来ないのである。

 そのため、阻まれなかった光は真っ直ぐに少女を貫いていく。

 身体から流れる血をそのままに、男へ追いついた少女は右足による踵落としで大地に叩きつけ、頭部を踏みつけつつ男の左足を捻じり切った。

 瞬時に再生していく足を横目に蹴りを放ちつつ飛び退く。

 攻撃を続けて居たい願望はあったが、致命傷に至るほどのレーザーにより照準されていた為、回避したのである。

「我が身かわいさに逃げ出した魔獣が、戻ってきたかと思えば、どんな冗談だ? 何故その姿のままでいる」

 ユラリと身体を揺らしながら起き上がった男は睨みながら少女へと吐き捨てる。

「そのままじゃ勝ち目が無い事なんか、お前が一番理解している事だろう?」

「そんな事は百も承知じゃ!」

 腰を落とした少女は一足飛びで離した間合いつめていく。

「理解しておきながら同じ行動、それはお前の意志か? それとも小僧の意志か?」

 半身を捻りながら少女の突進をいなした男は、すり抜けざまに腹部を蹴り上げ、宙に浮いた足を引っ掴みその体を大地へと叩きつける。

 二度、三度と叩きつけ、棒切れでも捨てるかの様に放り投げた。

「行動する程にお前の動きは鈍っていく。このまま続ければ機能停止すら免れんだろう。何がお前を駆り立てる」

 ぎこちない動きながらも起き上がってくる少女。その姿を視線で射貫きながら問いかける。

「――願いじゃ」

「願いだと? 滅びをもたらすように創られた魔獣が何を願う」

 男は不意に左腕で何かを振り払う。それは援護のタイミングをうかがっていた綾香の一撃。散発的に行われていた物ではなく。明らかに彼を狙っていた重い一撃。

「我の願いは……こやつの願いを叶える事」

 崩れた体制を立て直した少女は言葉と共に四肢へ力を込めていく。

「じゃあ、訊く。そいつの願いとは何だ?」

 男の問いに少女は言葉を詰まらせる。

「そうだろうな。何をしたいのか定まっていないのだろう? 一見すると全力でこちらを叩き伏せているように見えるが、動きにムラがあるんだよ。迷いが見えるんだよ!」

 怒号と共に男の姿が消えると、見えない槌にでも殴られたかの様な衝撃が少女を襲う。

「力も速さも違う。願いすら定まっていない中途半端な状態なら、とっとと逃げ出せばよかっただろうが!」

 嵐のような連撃が少女の身体を襲う。

「かつてのお前なら、躊躇せず世界ごと消し去っていただろうが! 機械よりも冷徹だっただろう? 俺はあの時感じた屈辱を忘れていない。例え身体や世界が変わろうが、あの時に刻まれた恐怖と苦痛は、今もこの魂にこびり付いている」

 ひと際強烈な衝撃と共に弾丸のごとく打ち出された少女は木々を抉り、折り倒しながら飛ばされた。

「俺はこのトラウマを振り払う。ただそれだけの為にお前追ってきた。だが、今のお前を破壊したところでこの苦しみは振り払えん。願いの為に戦うというなら、この小娘達の方がよほど魂に響くわ!」

 折れた木々に埋もれたであろう少女に向かって数百にも及ぶ閃光が襲い掛かる。

 ズタズタに破壊された木々に紛れるよう姿を見せたのは少女ではなく。竜也だった。

 身体の再生も追い付かず。既に動かす事すらも難しい。

 そう、解っていたのだ。この様な結果を迎える事は、定まらない願い。それでも何もしないよりは良いのではないかと感じた心は間違いだったのだろうか?

 あるいはこのまま消え去る方が良いのだろうか?

 浮かんでくる想いとは裏腹に、竜也の視界は荒野によって埋められていた。

 大地を抉る巨大なクレーター。壊れたマネキンのように転がる人だったモノの手足。

蒼さを失った黄昏色の大空。

 ……それはかつて起こした現象だ。瞬きの暇すら存在しない刹那の現象。

 動くものすら見えず。ただ一人佇む悲しさ。

 夢だと思っていた光景は現実のものだったのだ。存在したいという一心で意識を爆発させた。

 その結果が孤独という世界。――そう、それを知っているからこそ力を恐れる。

 竜也の意識は力への恐怖と定まらない願いによって壊れかけていた。

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