第1章、理想郷

 ある研究所で起こった事件から、一月程経ったある日、ロンドン上空を卵型の物体が飛行していた。

 表面上には隙間などは見つからず、傍から見ると、どうやって飛んでいるのかすら解らないだろう。

 その卵には一人の少年が詰め込まれていた。外見は16歳程、肉体的は鍛えられている訳でもなく、顔立ちも幼い。

 暗闇に占められていた卵の内側が急に明るくなった。

「……んん、あれ、ここは何処?」

 身じろぎをしながら目を覚ました少年は無意識に声をもらす。それに反応した卵の内壁は外部に広がる光景を全面に映し出した。

『ロンドン上空、時計塔附近となります。作戦宙域まであと2分』

 無機質な音声が事実のみを知らせてくる。

「作戦? 何かしてるの?」

 状況がまるで呑み込めていない少年の質問に対し、3秒程の間を置いて内壁は変化する。

『現在、我々は魔導師と呼ばれる異分子との戦闘状況にあります。事の発端はある博士が発見した不死に至るための研究成果です。魂の物質化、肉体のナノマシン化を行う事で物質さえあれば半永久的に活動を続けられるようになった我々は、死という概念から解き放たれました。ですがそれにより、出生率は激減、現状に至っては全く新しい命が誕生しなくなりました。博士が言ではありますが、流れを止めた水には新しい生命は生まれない。新しい物を求めるのであれば失うこともまた必要、今の状態はヘドロの詰まった沼のようなものであるという事だそうです。これに反旗を翻したのが魔導師と呼ばれる存在です。止まった魂の流れを再び起こさせる事で、原初に至る道を目指しているのではないかと推測されます』

 無機質で冷淡とも取れる音声は、ずらずらと情報の羅列を一気に吐き出した。

「……ようするに魔導師と言う人たちの所に僕は行くのか、でも何で僕なのかな」

 実のところ彼がこうしてカプセルに包まれたまま運ばれていくのは三度目にあたる。

 これといった攻撃手段も持たず、身体的な特徴も控えめだ。どう考えても戦地に向かうには適さない。

 あれやこれやと少年の頭に疑問が浮かび始めたところで、ガクンとした揺れがカプセルを襲い、次に急激な落下感覚が彼を包み込む。

『目標地点に到達、地表到達まで10秒、到達と同時に本機はパージされます。以降は自己の判断にて行動を、……健闘をいのります』

 音声が途切れると共に全身を揺るがす振動と大きな爆発が少年にまとわりついた。

 光と熱に身を包まれながらも彼は何も感じていない。

 それは彼もまた人間という枠を取り外された存在であることの証、ゆっくりと立ち上がった周囲には大地を抉った跡が広がっていた。

 なにをするでもなく立ち尽くす少年、自己の判断と言われたところで、判断すべき内容も出来事も理解できていないのだからどうしようもない。

「う~ん。なにをしたらいいんだろう?」

 呆けたままの彼に対してまっすぐに飛んでくる青白い塊、一瞬のスパーク、そしてもたらされる激しい衝撃が、彼を木の葉のように中空へと跳ね上げる。そして受け身すら取れぬまま地面に顔をこすりつけた。

「ねえ、アレがそうなの? とても新しい兵器とは思えないんだけど」

 元気そうな少女の声が聞こえくる。

「さあ、情報ではそうだというだけよ。デマかどうかとか私が知るわけないでしょ、人に頼らず少しは自分で判断したら?」

「鈴音、あんたねえ、何時もそんな感じじゃない」

 カプセルの声にすら似た、無機質なセリフを放つ儚そうな少女の声へ向けた悪態が少年の耳に届く。

 体を起こしながら、声のする方へと視線を向けた先には、二人の少女が立っていた。

 緊張感のない掛け合いをしながらも、二人の少女は鋭い眼光で彼を射抜いている。明らかな敵対の意思表示。

 彼の網膜には瞬時に相手の情報が映し出される。

〈魔導士、綾香、非常に好戦的で主に炎を用いた魔導を駆使する。最上位排除対象〉

 腰に届くほど長い黒髪に、引き締まった身体が印象的な少女は、腰に手を当てながら注意深くこちらを観察している。

「見たところ何にも取柄なさそうだよねアレ」

「確かに見た目ではそうね。判断材料にはならないけど」

〈魔導士、鈴音、冷酷な性格で封印や結界と呼ばれる魔導を使用、脅威判定 高〉

 同じ黒髪ではあるが、肩口付近で切りそろえられた大人しそうな印象の少女は、興味なさそうに眺めていた。

「ごもっとも、まがりなりにも直接来たんだから、きっちり処理しとかないとね」

「それはいいけど、綾香、なぜ一度で終わらせなかったの?」

「なにそれ、あたしが手を抜いたと思ってんの? 単純にアレの密度が高かっただけよ。一応は新型ってことじゃない?」

「そう、ならいいわ、初めて出会うタイプだから何か思うところがあるのかと少し思っただけ、どちらにしても人形には違いないんだから、手早く終わらせてくれると助かるわ」

 物憂いげに髪をかき上げながら彼に対して手をかざす鈴音と呼ばれた個体。

 不意に少年の体は動かなくなり、身じろぎ一つ出来ない状態へと追いこまれた。

「わかったわよ。まあ、あんたに恨みも何にもないけど、目的のためだから大人しく消えて、……じゃあね」

 長い髪をたなびかせながら右腕を一振りさせる綾香と呼ばれる個体。次の瞬間、彼の右腕は切り取られたように空を舞っていた。

 その様を目の当たりにした彼は、恐怖によって全身をこわばらせる。

「綾香、なにしてるの? せっかく動きを止めたのに」

「違うわよ。あたしが外したんじゃない。アレが曲げたのよ」

 自分に降りかかる非難にかまうことなく、綾香は起こった事実を口にした。

 そう、合図とともに爆散するはずだった彼の体は、如何なる方法を用いたのか、力の発動点をずらし、自らの右腕のみに被害をとどめたのだ。

「油断するつもりもないけど、侮れないわね。いいわ。全力で消し炭にしてあげる」

 必殺であるはずの一撃をかわされた彼女は、聞き取ることすら難しい程の早口で何かの羅列を並べ始める。

 動きを止められた少年の周囲には瞬時に魔法陣が展開され、高速で回転を始める。

 回転は秒単位で鋭くなり、空間に膨大なエネルギーを収束させていく。包み込むように展開された力は解き放たれる一瞬に向かいその輝きを増していった。

 弾けんばかりに力が収束されたそのとき、不意にその動きがぴたりと止まる。

「大したことじゃないんだけど、何であんた、怖がってるのよ。造られた人形でしょ? 無駄な感情とかいらないと思うけど」

 訪れる絶対的な消滅に対しての恐怖が全身を駆け回る。

「演技とか、作り物じゃないのね。油断を誘うためかと思ったけど」

 にこりともしないのっぺらな表情で淡々と言葉を漏らす綾香。

「いいかげんになさい。貴方の気まぐれで時間をかけるわけにはいかないのよ。他の場所では今も戦いが広がってるのだから」

 表情は変えないものの、明らかな苛立ちを感じさせる鋭い声が大気を震わせる。

「ん、そうね。――じゃあ、さよなら、感情を持った人形さん」

 いつの間に掲げられたのか、空に向かって伸ばしたその手を勢いよく振り下ろす。

 それを合図に収束されたエネルギー球が次々に彼の身体へと群がっていく。それは肩を砕き、足を焼き、胸板を溶かし、ありとあらゆる破壊によって彼は蹂躙されていった。

(ああ、何もできない。何もしてない。それなのに、何で僕は消えなければならないんだろう。何で、なんで、ナンデ、僕は、僕は…………嫌だ、嫌だ、消えたくない。怖い、僕はただ、存在していたいだけなのに……)

 身体は何も感じていないのに、自分の体が失われていく恐怖は急激に高まっていく。

 それは彼の視界に迫る光弾によって限界を超えた。

 光によって包まれた彼は、二人の少女からは青白い炎の塊として映っている。

「消えないわね。消し炭になれば消えるはずなんだけど」

「確かにそうね。もう、とっくに終わっているはずだけど、密度がそれだけ高いのかもしれないわね、でも、放置しておけばいいじゃない。あれから逃れる術なんて無いのだから」

 興味を無くしたのか、くるりと向きを変えて歩き出す鈴音、じっと観察している綾香のことすら気にも留めていない。

「……そうね、さすがに気にしすぎか」

 視線を外して彼女も歩き出す。

「嫌だあ~!」

 大気を割らんばかりの絶叫が少女たちの鼓膜を貫いていく。

 何事かと振り向いた二人の視線には、爆発的に広がる光の壁、それは魔導によって作られたものでもなく高密度の炎でもない。

 走り出す暇すら与えぬまま壁は二人を通り抜け、さらに大きく周囲に存在するものを次々に飲み込んだ。

 

 ひと時の間を置いたその空間には、体を砕かれ消滅を迎えるはずだった少年が無傷のまま転がっていた。

 彼の周囲には人らしきものはない。

 ゆっくりと立ち上がり、周囲ぐるりと見まわしてみるも、目立ったものは視界に入らなかった。……いや、それは周囲に散らばっていた。

 壊れたマネキンのように、砂地に残された木の根のように、辛うじて人であった頃の形を残した身体の一部が落ちていた。

 それ以外は何も見えない。遠くに存在するはずだったビルや建物の影も、生い茂っているはずの木々も、空に浮かんでいたであろう雲ですらもきれいさっぱりと姿を消している。

「あ、ああ、また、またこの景色なの、どうして、どうして」

 膝を折り、地面に両手をついた彼はうなだれる。

 そう、彼は自分が消えることも、他の誰かが消えることも望んでなどいない。ただ存在したいという一心だっただけなのだ。

 しかし彼には慟哭する時すら与えられなかった。瞬時に黒い球体に包まれたかと思うと、空高く飛び上がっていく。   


「以上が、第3次稼働試験結果です。そしてこれが事態収束後の光景となります」

 事務的な女性の声色が闇に染められた部屋の中に響く。

 部屋の中心に球体上のスクリーンが展開され、一つの風景が映し出された。

 はるか上空から撮影されたであろう映像の中に、ロンドンを中心としたイギリス地方の地形が丸ごと、姿を消している。変わりに広がっていたのは巨大なクレーター、海の一部すら削りとったそれは、海水の侵入すらゆるさない。

「……またしても、この結果か、フランス地方に、日本を中心としたアジア、そしてイギリス、3箇所目の不可侵領域の誕生か」

 しわがれた男性の吐息が不満そうにもれている。

「制御はできていたのではないのか? 3度とも暴走して終わるとは話にもならん」

 非難の言葉は別のところから飛んできた。

「そうだな繰り返す毎に範囲も大きくなっている。このまま続けば、間違いなく我らの存在出来る空間が消えてしまう」

「どうなのだ博士、アレの制御は出来ているのか?」

 その言葉と共に闇は晴れ、部屋の全容が明らかになる。円形のテーブルを囲むように5人の人物が顔を向き合わせていた。フードを被った老人風の男性に白髪の少女、スーツを着込んだ灰髪の男性、そして場に不釣り合いな帽子をかぶった若い少年、統一性はないものの、そこに黒髪を保った者は一人もいない。

 4人の視線は白衣を着た銀髪の男性に向けられている。

「……言ったはずですがね、アレの制御は出来ないのだと、私がしたのは被害を抑えるための調整だけ。それを無視して使い続けているのはご老人達でしょうが」

 男性は薬指と小指の存在しない右手で、他の4人を指さしながらけだるそうに息を吐く。

「博士、我々は戯言を聞きたいわけではない。調整しろ! と言っているのだが?」

 スーツを着込んだ男性は声を荒げながらくってかかる。

「ほう、なるほど、貴方は滅びたいということですか、運よく滅びを回避する手段に巡り合い、やっとの事で最悪の事態を防げるようになったというのに、出来もしない調整を行い、不安定にして、滅びの道へと逆戻りしたいと? さすが、半永久的な時間を得た所で頭の固さは治せませんか」

「貴様! その不安定なものが貴重な戦力であるラグナロクシリーズを3体も消失させたのだぞ」

「それこそ戯言でしょうが、……一つ聞きたいんですがね。障害となる排除対象は完全に消失したわけでしょう? 何のために戦力が必要なんです?」

 激高する男性を見据え冷静に質問する博士。そう、彼の指摘通り敵対する存在はもういない。 

 何かに脅かされる必要もない。なのになぜ戦力だの、出来もしない調整だのが必要なのか。

「一時的に敵対勢力がいなくなっただけだ。外宇宙からの侵略者や他世界からの干渉が起こる可能性すらある。その様な事態に対応するために戦力は必要だ」

「ぷっ、ははははは」

 身を乗り出してまで力説する男性に博士は盛大に吹き出した。

「何がおかしい?」

「いや、何世紀前の娯楽作品を持ち出してくるのか思ってね。……あのねえ、今ある魂の物質化も、ナノマシンによる体組織の構成方法も、元々合った技術を再現したに過ぎないものなんだ。魂に関しての研究課程でアカシックレコードの情報を断片的引き出して原理を解明したから、今のあなた方が存在出来ている。そこできっちりと判明したんだよ。外宇宙に存在する生命体はいないってね。地球以外に生命が存在していたのは何十兆年も前の話だ。しかもそれは我々の祖先といってもいい。現在残っている伝承や伝説は全て、過去に他星系で起こった出来事を我々が忘れないように残されただけのことだ。それがわかっていたからこそ、滅びをもたらす存在を事前に察知して対策を行うことが出来た。それはご老人達には話していたと思いますがね。長く生き過ぎて健忘症にでもなりましたか?」

「万が一ということは?」

 フードを被った老人から問いかけられる。

「起こりえません。……そうやって他人を恐れ続けて、そのたびに排除して、っていうのを何時まで続けるつもりです? 最終的には自分以外のすべてを滅ぼすまでですか?」

「その様なつもりは無いのだがね。まあ、いい。ただ今回の件、責任を取ってもらわなくてはなるまい。これから必要かどうかはともかく、貴重なラグナロクシリーズを失う事になったのだからな」

「今すぐにどうこうしようという問題でもありません。しばらく博士は頭を冷やすべきかと。そうですねえ、以後300時間研究所の敷地内からの移動禁止処置とします。あくまで処分内容が決定するまでの暫定的な措置ですが」

 穏やかな口調で淡々と言葉を紡ぐ白髪の少女。その吐息が途切れた途端、博士の体は青白い光に包まれ何処かへと消え去ってしまった。

「ねえ、謹慎とかじゃなくてさあ、サクッと機能停止させちゃえばよかったんじゃない?」

 今まで話に参加すらしなかった少年が、足をぶらぶら揺らしながらぽつりと漏らした。

「短絡的に考えすぎではないか? 少なくとも博士の頭脳がなければ問題が起こったときに対処できん」

 馬鹿な事を口走るなという口調で押しとどめるスーツの男性。

「いや、確かに危険な考えの持ち主ではあるだろう。少なくともアレを消去できる可能性を持った戦力を3つも失ったのだ」

「トール、ポセイドン、アポロン。どれも一級品の能力を持った個体ですね。ただ、アレに対して有効であったのかは疑問ですが」

「残ったのは後何体だっけ?」

「ラグナロクシリーズは全部で13体。魔導士どもとの闘いで5体を失い、今回3体失った。残るは5体のみ、すぐに戦闘可能なのは1体のみだ」

 スーツ男性が手をかざした先に詳細情報が展開される。

「先行量産型のヴァルキュリアシリーズを全機投入しても殲滅するには足りんな。そういうことか、戦力が整うまで300時間、その後にアレを完全に消去するわけだな」

 フード姿の老人は感心した表情で少女へと視線を送る。

「ええ、でも消し去るのはアレだけではないわ、博士にも責任を取ってもらわないと」

「機能停止させるということか? あの知識は失うには惜しいものばかりがあるぞ」

「知識はコアを破壊した後、残されたナノマシンを私たちで吸収してしまえば問題ないでしょ。完全なものでは無くなるけど、残すことは出来る、それにね、知識を分けてしまえば今回の博士みたいな増長者を生むことも無くなるわけだし」

「な~んだ、結局みんな頭にきてたんじゃない。意見も合ってるみたいだし、やっちゃおうよ」

 好戦的な意見に頷いた4人は、互いの顔を見合わせつつ青白い光に飲み込まれていった。

 後に残るは人のいなくなった暗い部屋と、博士、そして少年の居た場所に表示されたカウントダウン表示だった。 


 乱雑に荷物が散らばり、申し訳程度のソファーと毛布が置かれた部屋をまばゆい光が包み込む。

 一息飲み込むほどの時間がかかっただろうか、その光は溶けるように消え去り、代わりに一人の男性が姿を現した。

 白衣に身を包んだその人は周囲に視線を送ると息を吐く。

「研究室か、まさか強制転送で送り戻されるとはな。……しかもご丁寧に転移遮断フィールドで施設を包み込んだか、そこまでせんでも、逃げも隠れもしないけどな」

 どっか、とソファーに体を投げ出して中空に左手を伸ばす。

「検索、施設状況及び備蓄エネルギー」

 短い言葉によってスクリーンが展開、円グラフと3種ほどの映像が現れる。

「備蓄エネルギーに関しては100%オーバー、問題なしか、それと、彼はまだ眠りについている。最下層の機材も破壊された様子もなし、マザーシステムも正常に稼働しているか、なるほどな。わざわざ小細工をするまでもないということか。老人たちの考えることはやはり短絡的だな。次の行動がすごく読みやすい」

 ソファーから起き上がると部屋の外へ向かって歩き出す。

「動きがよめるのなら、後はどう出し抜くかだな。彼と私を同じ施設に隔離したのは恐らく排除する際の効率を考えてだろう。不要になったもの、邪魔になりうる存在を排除って考えが、老人達の最重要事項だからな」

 部屋を出ると細長い通路が緩やかにくだっている。速足で歩を進めながらブツブツと考えをまとめているようだ。

「施設から外へ脱出は不可能、それはいい、方法があるとすれば、お歴々を力で排除して脱出、……これは論外だな。力で解決しようというのは老人達と変わらない。それにそうまでして生きながらえる事もないだろう。となると、彼らが困るのはアレが生き残ることだな。ならば転移させるか、時間転移だけではすぐに割り出される。かと言ってこの世界では空間転移も行えない」

 通路を歩いていた男性はくるりと振り返る。

「しまった、行き過ぎた。転移出来んというのも不便なものだ。今は時間が惜しいというのに」

 歩いて2分程の距離を戻った彼は、壁に手をついて息を整える。

「封印解除、コードナンバー2」

 短い言葉に続いて小さな駆動音、それが終わると共に壁が自動ドアへと姿を変える。

 男性がドアの中へと潜り込むと共に元の壁へと姿を戻した。

「何かのためにと造りはしたものの、本当に使う日が来るとはな、エレベーター等、飾りにしかならんと思っていたのだが」

 軽く眠気が訪れるほどの時間が経過したころ、駆動音がピタリと止まりドアがゆっくりと開く。

 そこは申し訳程度の非常灯が薄暗く照らし出す何もない部屋だった。

「アレの覚醒場所である、この場所がやはり一番適しているか」

 空間に手をかざし仮想スクリーンを表示させると考え込むように息を吐く。

 かつては白一色で統一されていた部屋も壁面が波打ち、床は力の余波だろうか、クレーターのように抉れている。

「よし、悩んでいる時間もない、始めるか」

 スクリーンを多数展開した彼は一心に作業を始める。それと共に部屋の外壁は作り替えられ工場に存在するような大きな機械が姿を現していく。

「ナノマシンが発展した今だから一人でもなんとかなるが、大昔は大人数で数か月かけてようやく完成するような機材か、方法が無いとはいえ、当時の人間は意味のない行為になぜ時間や労力をかけられたのだろうな。次元間転移など片道切符で確認しようもないというのにな」

 独り言をつぶやきながらも彼の手はスクリーン上をせわしなく動いていく。

 彼の言う大昔の人間から見た場合、その作業はさながらパズルゲームでも行っているように見えるだろう。

 スクリーンに展開された設計図に合わせて表示されたピースをはめ込んで完成させる。

 一つの図形が終わると、また次の図面へ。

 その工程が終わるたびに機材は増え、何もなかった部屋は機材で作られたジャングルへと変化する。

「機材に関しては当時の技術を再現するだけでいいが、問題は調整とエネルギーの調達か、備蓄エネルギーを利用しても精々2回起動させるのが限度だろう、稼働試験を考えると残り1回分……出たとこ勝負だな。まあいい、転移座標さえしっかりしていれば」

 動いていた手はゆっくりと下げられ、彼の視線が目の前に出来上がった物へと向けられた。

 それは空想作品などでみられる転移装置。大きなリングの中心に人が乗れるほどの台座、それを取り囲むように配置されたとげとげしい機材の数々。

「しかし、人間か、辞めてしまった私がいうのもなんだが、わざわざ元々の能力を70%も限定させてまで作られた意味とは何だろうな。人の間に生まれたものという意味が一般としては広いようだが、厳密には能力を限定されたもの、それが人限、ならば枷を外してしまった我々は何なのだろうな」

 誰に問いかけるでもなくつぶやかれた言葉、それを合図にしたのか装置は激しい光を放ち部屋全体を大きく揺らめかせた。


 彼が転移装置の調整を始めて5日目、なんとか実働可能状態へとこぎ着けていた。

「ふう、流石に睡眠をとらぬまま動き続けるのは無理があるか……そろそろ仮眠をとるべきだが、その前にやらねばならんことがあるな」

 軽くふらつきながらエレベーターに乗り込むとそのまま壁に寄りかかる。

「コードナンバー3」

 短い言葉とともに扉は閉じ、横方向に引っ張られる感覚が身体を包む。

 さしたる時間もたたずに身体を包む感覚は取り払われ、吐き出されるようにエレベーターから転げ落ちた。

「いっつ~、流石に急造で作った装置だと慣性のキャンセルに関しては調整しきれなかったか」

 頭を軽く振りながら立ち上がり、部屋の中心へと歩き出す。

 部屋の中央に陣取った円柱上のケースに一人の少年が浮かんでいる。

 あどけない容姿と中性的な体型、短い黒髪に白いYシャツと黒のスラックスといういで立ちは大昔の学生を連想出来る。

 博士が近寄ってきた事で反応したのか、閉じられていた少年の瞼はゆっくりと開いた。

「やあ、お目覚めか?」

「はい、博士、ちょうど目を覚ましたところです。ですが、何か良くない夢を見ていたような気がします」

「そうか、もう、見ないで済むようになればいいんだがな」

 少年が言う夢とは、間違いなく第三次稼働試験の状況である。あえて夢だと認識させることで二次被害を起こさせないように調整していたのだ。

「それはそうと彼女と変わってもらってもいいか?」

「は、はい。今変わりますね」

 瞼を閉じて数秒、短いフラッシュとともに少年の体は変化する。短かった黒髪は腰に届くまでの長さへ、Yシャツの胸部はわずかながら膨らんでいる。

「――我を呼び出した理由はなんじゃ?」

 変化を終えた少年の姿は冷たい表情を張り付けた美しい少女になっていた。

「いきなりご機嫌斜めなのか? メビウス」

「その名は我の名ではなく、こやつのものであろうが」

「君の名前は封印の解除コードだからな、万が一にでも彼が口にしないように仮称で呼ばせてもらうよ。まあ、そんなことはどうでもいい。……本題に入る。実時間であと7日経つと我々は排除されることになる」

「そうか、ついに廃棄が決まったか、じゃが、我が黙って従うと思うか? こやつは存続を望んで居る。こやつの一部となった今の我にとって、最優先で行うことはその願いをかなえる事。その様なことは主にも理解できていよう」

「もちろん知ってる。だからそのための手段を講じている。現状を正しく理解してもらうために君を呼び出したんだ」

 全てを射抜くかのような冷たい視線を浴びながら、臆することなく言葉を紡ぐ博士に少女はその表情を緩めた。

「申してみよ」

「まず、君の力に関してだが、余りにも強力すぎるから段階ごとに幾重にも封印を施している。その解除法は彼しか知らない。唯一の例外として、生命維持に危険が迫ったときのみ限定的に一部の能力を開放する機能は設定してある」

「ふむ、それは構わぬ、もとより滅びをもたらす力として生み出されたこの身、不要であるのなら使わぬに越したことはない」

 彼女の同意に満足した博士は再び口を開く。

「解除法に関しては彼がどうしても望んだときにのみ、記憶が解放される。ただ、すべてを開放したとき制御しきれる保証はどこにもない。可能な限りの限定は行っているが、君の特性上、狙った効果のみを発現させることは不可能だった。ここまでは君たちの体に関する事柄だ」

 話を区切った彼に口を開くことなく待ち続ける少女。

「ここからは君たちの存続にかかわる内容だが、ずばり、この世界から脱出してもらう」

「ん? 施設から、ではないのか?」

「施設から逃げたところで何も変化しない。この世界に君たちが存在する限り追手は放たれ続けるだろう――だから全く違う世界へと転移してもらう。一度でも転移を行えばこの世界に戻ってくることは不可能、これからの生活は新たな世界で行ってもらうことになる。また、バックアップも受けられなくなるから自給自足で何とかしてもらわなければならない。まあ、元々メンテナンスフリーだから外部から物質の補充さえできれば問題ないだろう」

「バックアップを受けられぬか……主はどうするつもりじゃ?」

 博士の言葉にあるバックアップ無しという部分で察したのだろう。即座に問い返す少女。

「気にするな。今回の行動で重要なのは君たちが生き残るということだ。何しろ転移可能な回数は1回のみ、転移可能物量も1体分だけ、自分の事を考えていられる余裕もない。まあ、転移後の後処理も必要だしな」

 努めて明るく切り返す彼に声色ほどの余裕はなかった。

「我は気にせぬが、こやつは違うだろう。主はこやつにとって親であり、心の寄る辺ともいえる存在じゃ」

「それは解ってる。けどこればかりはどうしようもない。後続の憂いを断つためには残るしかないんだ。装置の破壊だけでは防げない。転移先を巧妙に隠しても恐らく探し出されるだろう。ふつうでは考えられない方法で老人達を出し抜かない限り、永久に君たちは追われ続ける事になる。すぐに追手を防ぐことは難しいだろうけど、回数の制限をつけることは出来る。そのためには私という素材がどうしても必要なんだ」

「ならば、主の言葉でこやつに伝えよ。我を伝達役に使うでない」

「そう、だな。今はまだその時じゃないけどな……」

 言い訳のように呟いたまま博士は床へと崩れ落ちる。

「やれやれ、手のかかる創造者じゃな」

 すり抜けるようにケースから出た彼女は博士を抱きかかえ、部屋の端に置かれたソファーへと横たわらせた。

「今は休むがよい。我に出来ることはこの程度じゃ、主の人生にかかわることは出来ぬが、せめてやり遂げられることを祈ろう」

 ケース内へ戻ることもせず傍らで見下ろすように立ち続ける彼女、その表情には少しばかり困惑したものが浮かんでいる。

「しかし、このものは何故我らを生かす事にここまで力を注げるのだろうか、自らの存続すらあきらめて。もともとは滅びを回避するために我とこやつを融合させたのではないのだろうか、目を覚ました時にでも問うてみるかの」


 全く動かなかった博士の体が小さく震え、ゆっくりと目を覚ます。

「ん、ん~~。ん? しまった。落ちていたか……」

「そのようじゃな、話の途中で意識を落とすとは我も思わなんだが」

「私はどのくらい落ちていた?」

 彼は首を振りながら少しずつ意識を覚醒させていく。

「そうじゃの、2時間ほどか、もう少し掛かるかと思ったが、以外に早かったの」

「そんなにか、今は時間が惜しいというのに……」

 ソファーから起き上がりふらつく足取りでエレベーターへと進んでいく。

「何をそんなに急いておる。装置とやらの調整が未だできておらんのか?」

「いや、そっちは終わった。もう一つ、どうしてもやっておかなければならない事があるんだ」

 振り返った彼の瞳には強い意志の光が宿っていた。それは諦めではなく、重大な決意による強さ。それを目にした彼女はそっと歩み寄り肩を貸した。

「――珍しい事もあるんだな。君は私達のことを好いてはいなかったと思っていたが」

「ふん、そのような次元でものを言うでない。何を成すかは分からぬが、その決意だけは認めてもよいと思うただけじゃ」

 二人を乗せたエレベーターは勢いよく動き出す。

「問うてもよいか? 主は何のためにここまでの事をする。我らを見捨てれば如何様にでもごまかしは効いたのではないか?」

「罪、滅ぼしだな。君たち二人に対しての……自らの目的のためとはいえ、私は君の肉体を消し去った。本来君たちはこの世界を浄化した後、新たな世代を担う申し子として生まれてきた。破壊と再生の象徴といってもいいだろう。私はその未来を奪った事を悔いているんだ。長い時を生きるという目的のためだけに、可能性という希望を滅ぼした自分を」

「人とは存続を望む生き物であろう? ならば主が行った行為は当然の事じゃと思うがの」

 目的地へと到達したエレベーターは急激に動きを止め二人を外へと放り出す。

「乱暴な箱じゃな、もう少しまともに作れなんだか?」

「それは少し前に感じた。まあ今更だがな」

 そこは人位の大きさを持つ円柱型の水槽と机に乗るほど小さなビーカーが立ち並ぶ異質な部屋、端には流し台と注射器やフラスコ等、旧世代の医療機器が置かれている。

「ここは何じゃ」

「ナノマシン調整区画といったところか、今のナノマシンは調整の必要すらないから、こんな場所は必要無いのだがな」

 部屋に着くなり水槽の前に立ちスクリーンを展開すると作業を始める博士。

 透明であった水槽内は小さな煌めきが多くなり、やがて鈍い色へと変化していく。

「これではすぐに気づかれる。もう少し緩やかな調整が必要か」

 目の前で構成される鈍い煌めきを眺めながら、その指先は絶え間なくスクリーン上を駆け回る。

「ああ、さっきの問いかけに関してだけど、理由がもう一つあるんだ」

「ほう、興味あるのう」

「単純な話だがな、どうやら君たちを自分の子供のように感じているらしい」

 一瞬手を止めて彼女へと顔を向ける博士に怪訝そうな視線を返す少女。

「笑わないんだな。てっきり吹き出されるか、失笑されるかのどちらかかと思ったが」

「何を笑う必要がある? 我らのほうがこの世界で生きている時間が短いのじゃから、おかしな事ではなかろう?」

「いや、自ら子を育てたこともなく、嫁をめとった事も無いのに自らの子供だと思い込んでいる状況をおかしな事だと考えてしまってな。正直なところ、君たちには多くの事を体験して欲しいと思ったんだ。それを行うにはこの世界はあまりにも閉じてしまっている」

「……なるほど、主の考えはよく分かった。我も親と言うものを正しく知っている訳ではないが、その感情は嬉しく思う」

 作業を続けながら言葉を紡ぐ彼の姿は、旅路へ送り出す前の父親の様にすら見え、彼女の口元は小さく微笑みを浮かべている。

「よし、構成に関してはこんなものだろう、後はこれを投与して馴染むのを待つだけ」

 水槽内に構成されていた鈍い煌めきの結晶はビーカーへと抽出され、液体金属のようなものへと姿を変える。

 博士は、注射器を手に持つとそれを吸い上げ、そのまま自らの身体へと投与した。

「まて、主は今、何を投与した?」

「ん。んん、何って特別製のナノマシンさ、老人達を出し抜くための特効薬、気づかれないよう身体に馴染ませるのに時間が掛かるから、まともに動けるようになるのは彼らが突入する5分前だろう、だから時間がないって言ったのさ」

「まるでこの後に起こることを予知しているかのようじゃな」

「そ、それはな、老人達の求めるものが分かれば、想像はつく。彼らにとって私という個体は不要、しかし知識は喉から手が出るほど欲しいだろう。私が生かされていた理由はただそれだけだからな。となれば私を排除した後どうやって知識を得るのか想像すればいい」

「そうか、主を構成しているナノマシンを吸収すればよい」

「正解。だからさ、自分のナノマシンに仕掛けを施しておけば出し抜くのも不可能じゃない。ただ、変化が早ければ気づかれる、遅すぎても対策を講じられる。気づいた時には手遅れというタイミングが必要でな」

 ぐったりした表情で彼は床に倒れ込む。息は乱れ意識を保つのもギリギリと言う状態。

「済まない。これから私は休眠状態に入る。もし時間より老人達の侵攻が早かったら、この地点まで私を運んだ後に叩き起こしてくれ」

 研究所内の地図をスクリーンに表示させ該当箇所を表示させる。

「万全の体制を整えてくるのであれば、起こりえぬのではないか?」

「例外は何にでもある。気の早い人物がいるからな。待ちきれないで独断専行という可能性も考慮しなくては」

「承知した。他に何かあるか?」

「いや、何も、後、出来る事は君たちを転移させる事だけだ。ただ、転移座標の計算とカムフラージュの設定を行うのに時間が掛かるから、ギリギリの転移になると思う。……全く、終わりの時が近づくにつれて時間に追われるようになるとは、皮肉なものだ。――後はた、の、む……」

 まるで息を引き取るかのような台詞を吐き出しながら彼は意識を失った。

 残された彼女はスクリーンを眺めながら時を待つ。表示されているのは地図と突入予想時間、そして座標計算にかかる残り時間だった。

 彼の方へ視線を移した彼女は複雑な表情を浮かべている。

「――親、か、我には関係の無いものじゃと思うていたが、一人の者が消えようとしておるのを目の当たりにすると、さすがに引っかかるものがある。滅びをもたらす我が言うのもおかしな話じゃが、残すことすら出来ぬまま消滅を迎えるこの者の人生は、幸せだったのじゃろうか?」

 慟哭にも似たその言葉は、答える者すらいない部屋の中、溶けるように消えていった。


 突入予想時間まで後5分となったとき、スクリーンの表示が赤く変化した。

 その瞬間、彼女は博士を素早く抱きかかえると、光すら灯らない通路を人外の速度で走り出す。

 黒一色に染め上げられた闇の通路を躓く事も、道を間違う事も無く、足音すら立てぬまま進む彼女。

(灯りが消えたのは制御装置を破壊されたからか、ならば動力を使う機械は使えぬはず)

 目標とするべき場所は研究所の最下層、エレベーターが使えない現状では、尋常ならざる移動距離がある。

 居場所を知られぬように移動するには非常用の階段をひたすら下るより他にない。

 音が反響するのか小さな爆発音や、カランカランという落下音が耳に届く。

(物音を立てるとは、どうやら思慮の足りぬ者が先行しておるようじゃ、この分であれば多少の時間は稼げよう)

 長い長い階段を下り終えた彼女は、不可侵領域が点在する最下層エリアへ到達した。

(我には影響がないのじゃが、この者は別か、慎重に進む必要があるのう)

 慎重に身体をよじり博士が触れぬよう、奥へ奥へと歩みゆく。

 その間にも爆発音は大きくなり、追いつかれるまでそれほど間がないという事実が感じ取れる。

 距離として400メートルほど移動しただろうか、固く閉じられた扉の前にたどり着いた。だが、それはぴくりとも動かない。

(やはり動力が切れているか、ならば強引にこじ開けるしかないのじゃが)

 そっと博士を降ろし、扉に手をかけた所でふと思い至る。

(む、この者は目を覚まさせよと言っておったな。もしや……)

 床に横たわる彼に向き直ると、みぞおちの部分に素早く拳を食い込ませた。

「ぐっ、ほ……かはっ」

 短いうめき声とともに閉じられていた扉が音も無く開く。

(なるほど、この者が覚醒していることが鍵じゃったか)

 再び彼を抱え上げようとすると、ふらつきながら博士は立ち上がった。

「……叩き起こせとは言ったけど、もう少しやりようがあったんじゃないか?」

 おぼつかない足取りで扉の中へ進み、不満そうな表情のまま装置に備え付けられたコンソールを操作する。

「主の指示には従ったはずじゃが? どこを殴れという指示までは無かったからの」

「はいはい。私が悪かった。時間がないからな。その台座の上に立って。後は彼に変わってもらっていいか?」

 円形のアーチで括られた台座の上に移動した彼女は博士の方へ視線を動かす。

「我の助けは、もうよいと言うことじゃな」

「ああ、助かった。ここから先は装置によって守られるから、自衛の必要も戦闘もしなくていい。残された時間は彼との会話に使いたいんだ」

 コンソールの上で忙しなく両手を動かしながら穏やかな声色が言葉を紡ぐ。

「……そうか、なんと言ってよいか分からぬが、無事目的を達成することを祈る」

 戸惑いを含んだ言葉が博士の耳に届く頃、台座の上にはあどけない少年の姿が立ちすくんでいた。

 何が起きているのかと、困惑した表情を浮かべながらオロオロしている。

「やあ、メビウス。かなりの時間束縛して済まなかった」

「えっと、あの、今、どうなってるんです?」

 博士の方へ手を伸ばそうとした彼は見えない壁によって動きを遮られた。

「彼女には説明したんだが、今から君には旅に出てもらう」

「また、カプセルでどこかの街へ飛ばされるんですか?」

「街に行くのでも、カプセルに乗るのでもないよ。……行き先は別の世界さ」

 作業を終えたのか少年を見据えてきっぱりと断言する。

「別の、……世界?」

「本当ならこの世界で安住の地を用意したかったんだか、そんなモノは無かった。もうすぐこの部屋へ君を排除しようとする存在がやってくる」

「大当たり、ずいぶん奥まった場所で妙な機材を用意してるじゃん」

 いつの間に辿り着いたのか、幼い子供が楽しげに語りかけながら右手で指をパチンと鳴らした。

 ザシュッ――

 耳障りな音と共に博士の胸に一本の腕が生える。

 腕の先には心臓ではなく、鈍く輝く丸い結晶が握られている。

「かはっ……」

 胸を貫かれた彼は大量の赤い液体を吐く。

「お、遅かったなあ、ぼうや、私の作業は、……もう終わっている。後は時間を待つだけだ」

「博士!」

 悲鳴にも似たメビウスの声が部屋に反響する。

「何、人の心配なんかしてんの? たかが道具のくせにさ、見ていて気味悪いんだよね。ラグナロク、そのまんまの体制でいいからアレ、さっさと壊しちゃってよ」

「了解しました。我が主」

 博士の背後から発せられた無機質な声色は空いているもう片方の腕を台座へ向けるとまばゆい光を手のひらから放射する。

 真っ直ぐに進む光は台座に届く寸前で見えない壁によって吹き散らされた。

「え? 手加減でもしてたのか? さっさと壊してよ」

 望んだ結果が得られず苛立ちをあらわにする子供。

「主よ。不可能です。事象変異領域、あれは我々が封印武装を展開する際に使用するフィールドと同じモノに守られています」

「そうだ……その認識は正しい。あるじと違って優秀じゃないか、ラグナロク」

 事実だけを淡々と述べる者へ向かって、賞賛の言葉を博士はかける。貫かれた胸のことなど無かったかのように。

「ああ、外界に影響を及ぼさないように保護するってあれか、なるほどね。どんな攻撃も通さない代わりに解除されるまでは身動きも出来ないんだっけ? ちょうどいいじゃん。機材を壊せばそれも消えるだろ? やっちゃえ、ラグナロク」

 胸を貫いた状態のまま、抱えるようにして博士を移動させると、命令を完遂させるべく左手を機材に向けて一閃させた。

 鋭い煌めきと共に両断される機材。それと共に壁は消えるはずだった。

「な、何で消えないんだ」

 驚く声の通り、何ら変わらない姿で存在し続けるメビウス。その足下には台座もなく。

 形を失った砂が散らばっているだけである。

「そんな簡単な事で消えるような調整をすると思うか? 座標演算も、その他の処理もフィールドに組み込んである。だから何をやっても遅い」

「こ、この~!」

「委員会の失態は、効率を追い求める余り、私と彼を同じ施設に幽閉したことだ。その時点で君たちの敗北は決定していたんだよ。さあ、どうする? 後は私を処分するくらいしか残された手は無いのだろう?」

 身じろぎ一つしないまま挑発するような言葉を紡ぐ博士。

「さすがにそれまで先にやっちゃあ、僕が大目玉食らうし、待つしかないね。おじいさん達がくるのをさ、後1分ほどもあれば着くだろうし」

 両手を上げて降参ポーズを示す子供。それを見た博士は満足そうに目を伏せると胸に生えた腕、その先にある球体へと両手を添える。

「メビウス。よく聞くんだ。君はこの世界に望まれた存在では無かった。このようにうとまれ、恐れられている。この世界にいる限り、君に安息の未来は無い。別の世界でそんな未来が訪れるかも分からない。でも可能性はある。そのために出来る調整は全て施した」

 一瞬息をのんで大きく呼吸を整える。

「何が正しいのか、何をしたいのか、自分で考え、感じ取り、選ぶんだ。誰かに与えられる答えや考えじゃなく。義務でもない。君が感じたことを、大切だと思ったことを信じろ。それが新時代を育んでいく筈だった君たちに出来る、たった一つの事、だから」

 伏せられていた目は見開かれ両手に力が込められる。

「何してんだ! 博士」

 不意を突かれた子供は、ラグナロクに命令を出すことすら忘れて博士の下へ走り出す。

「自分だけの幸せを、探しに行けーー!」

 絶叫と共に両手は自らのコアである球体を握り潰した。

 制御を失った博士の身体は途端に銀色の砂へ変化し流れ落ちていく。

『転移コード発動を確認、座標固定まで5、4、3、2、1、転移開始』

「博士、博士、はかせ~!」

 ゆがんでいく空間に飲まれながら、もう届かない声は虚空へと溶け消えた。

『転移完了――』

 わずかな隙を突くように行われた現象に、残された二つの個体は為す術もなく佇んでいる。

「まさか、博士そのものが起動コードだったなんて、しかも自分で自分を終わらせるなんて、予想もしなかった。……本当にこっちの惨敗だ」

 後悔の言葉を漏らす子供とは対象的に、ラグナロクはかつて博士であった砂に埋もれたまま身動きすらしない。まるで電池の切れた玩具のようにすら見えるだろう。

 動力源を失った部屋は光を失い。重く暗い闇がにじみ出す。

 やがて複数の足音とサーチライトが闇を切り裂いて近づいてきた。

「む、遅かったか、アレはどうなった?」

 やや若い青年のような声色が部屋の中へ問いかける。

「――転移した」

 覇気を無くした声色がかろうじて帰ってくる。声を頼りに光りが照らされ子供の姿を作り出した。

「そうか、……博士はどうなった?」

 しわがれた老人風の声が優しげに問いかける。それに対して言葉ではなく、指し示す事で彼は表現する。

 示された先にあった物は砂に埋もれたラグナロクシリーズの1体。見た目は青年風ではあるが動きは止まったまま。それを目にした老人は指をパチンとならした。

「こちらも手遅れであったようだな。劣化を防ぐ必要がある。……まずは掃除をしてもらおうかの」

 動かなかったはずのラグナロクは丁寧に砂を身体から取り除くと子供の方へ向かい歩き出す。

 そして博士のコアを抉り出した右手で子供の頭を鷲づかみにした。

「な、なんだよ。何してんだよ。お前は僕の命令を聞くようになってた筈だろ? やめろよ」

「その命令は受諾出来ません。元命令者」

 言葉をまき散らす彼に向かって、顔だけを向けると、そう一言漏らし闇の中へと消えてゆく。短い絶叫が響き渡り、しばらくするとラグナロクのみが部屋へと戻ってきた。

「はあ、散り際ですらやかましいままか、独断専行してアレには逃げられ、博士の処断ですら待つことが出来ないとは、思慮のかけらもない」

「博士がいなくなることで、最優先命令コードが書き換わるということも知らなかったのでしょうから、仕方ないのでは? 起こった事を嘆くより、まずは博士のナノマシンを回収しましょう」

 ため息を吐く青年をやんわりと諭すように少女の声色が部屋に溶ける。

 照らされた砂のやまへ向かって3つのキューブが投げ込まれた。

 サイコロ状のキューブはバランスをとるように自ら転がると、水を吸い上げるかのように砂をかき集めていく。

 時間にして1分も掛かっただろうか、砂はきれいに姿を無くし、大きさの変わらないキューブのみが取り残された。

 闇の中から姿を現した3人の人影は互いに一つずつキューブを手に取ると頷き、口の中へと放り込んだ。

「ナノマシンの回収は済んだ。アレの追撃に関してはナノマシンが馴染み次第、知恵を集める事としよう」

 しわがれた声の提案に異論は挟まれず。サーチライトは部屋から離れていく。

「せめて、機材が残っておれば、追撃も容易だった物を……手間ばかり増える」

 怨嗟の滲みを感じさせる声色を残し、部屋は闇の底へと沈んでいった。

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