理想郷からの逃亡者
片瀬竜秀
序章 終末を迎える世界に生まれた最後の魂
しろ、シロ、白、それが周囲を埋めつくすただ一つの色だった。ともすればそれが世界の全てではないかと勘違いしてしまうほどの徹底ぶり。
部屋と呼ぶには不釣り合いな空間の中心部、そこには周囲の色に溶け込みきれず姿をさらしている円柱状の透明な筒がある。
一見何も入っていないかに見える筒には、透明な液体がなみなみと満たされ、起こるべき出来事をたゆたいながら待ちわびていた。
やがて、筒の下部が音もなく開くと、一人の胎児が液体の中へと浮かび上がってくる。酸素すら存在しないというのに、暴れる事も苦しむこともなく眠っていた。
胎児の出現によって部屋の様子が一変する。切れ目も窓すらも無いはずの壁から、機械で出来た腕が多数せり出して筒を取り囲む。
腕の一本は筒の上部から胎児へと近づくと鋭い針を突き立てた。針は真っ直ぐに身体へ突き刺さり、深く深く沈み込んでいく。
身じろぎすらしなかった胎児の身体が細かく震えだすと同時に、筒を取り囲んでいた腕はパラボラアンテナの様な形へと姿を変え、胎児の姿を完全に包み込んだ。
次の瞬間、眩い光と共に全ての腕が消滅する。代わりに現れたのは白金の獣が一体。
そこに胎児の姿は存在しなかった。
これはある実験室の一幕である。
モニター越しにその様子を眺めている一人の男、外見は二十歳程。銀髪を生やした姿は若作りの老人といった風に見えるかもしれない。
「ふふふ、やっと見つけた。終焉を回避する鍵を……」
満面の笑みを浮かべる彼の瞳には、尋常ではない光景が映りこんでいた。
部屋が突然暗くなったかと思えば、紅に染まり、モニターには緊急事態を知らせる表示が絶え間なく現れる。
『エマージェンシーコール、レベル1発令、全隔壁を緊急閉鎖。繰り返す、エマージェンシーコール、レベル1発令、全隔壁を緊急閉鎖』
アナウンスと共に部屋の出入り口が分厚い隔壁によって封鎖された。
「これは……予想以上だ。まさか、覚醒からわずか3秒で最上位緊急コードが発令されるとはな。アレの活動限界まであと28秒、耐えきれるか?」
『博士、博士、対象の暴走が収まりません』
突如として発せられる通信と共に映し出された画像には、バラバラにくだけた人の身体が存在していた。
見かたによってはマネキンの部品にすら見えるだろう。
「喰われたか、いや、破壊されたというのが正しい所か、まあコアさえ無事であればいくらでも再生出来る。今は時間を稼いでもらうとするか」
所員が無残に殺されているというのに、淡々と状況を分析する男。
『博士、2ブロック先で対象を確認。隔壁は意味を成しません。また、魂(コア)が喰われています』
「魂が喰われる? まて、状況を確認する」
『お急ぎください。対象は何らかの手段で、魂のみを感知しているようです』
通信を聞きながら、博士と呼ばれた男は、中空に呼び出したコンソールを叩いてゆく。
研究所全体図が表示され、対象を示す赤い印と各所員の位置が青い点で浮かび上がる。
その点が、ろうそくでも吹き消すかの様に次々と消えていく様がそこにあった。
「壁も距離も意味は無しか、間違いなくアレはコアのみを探知して手当り次第に殲滅している。……我らにとっての天敵ということか」
通信してきた所員の画像に、再び視線を移した彼は、隔壁を貫いて飛び掛かる白金の幻影を目の当たりにする。
それは音もなくモニター内を通り過ぎた。
次の瞬間、所員のコアが存在していた箇所を中心に陥没が発生し、その体は四散する。
散らばった身体はやはり人形のようであり、壊されたと表現した彼の言葉が正しいのだと認識できる状態だった。
「そうか、喰いやぶっているのかと思ったが、あくまで対象となるのはコアのみなのか、なるほど、あれの狙いは自然発生していない、改竄された魂ということだな」
別モニターに映し出された全体図から消えていく青い点を眺めながら、傍らに表示されている残り時間を気にかけていた。
「残り17秒、だか、この表示も当てにならんな。アレはコアを喰う事で活動限界を伸ばしているはず。ここが外海から隔離された研究所であるとはいえ、すべてのコアを集めれば3分は動き続ける事が出来るだろう。それだけの時間があれば、近くの都市まで移動し新たな活動力を得ることも出来る。……ふふふ、まさに世界の終末が始まったという事か、仮初めの不死を得る事で止まった世界のリセットスイッチ、まさか自らで押すことになるとはな」
今の世界に存在するヒトは、ほぼ全てにおいて人間であることを捨てている。
理由は簡単だ。寿命という時間の流れ、そして病気や怪我という死に至る現象を乗り越える術を発見したからである。
その最たる技術が先程まで行われていた魂の物質化作業だ。
たとえ身体が不死になったとしても魂は常に成長を続けるため、本来の寿命を迎えた段階で身体から抜け出てしまう事が判明した。
故に肉体そのものを特殊な方法で圧縮し、球体上のコアを生成する事で魂そのものを固着させたのだ。
しかし、作業の過程で魂の奥底に眠る特性が全面に呼び出される。
俗にいうなら転生前の魂というものだ。
まさか仇になるとは、作業を指示した彼には思いもよらなかった。
大した対策すらも打ち出せぬまま、所員を示す青い点は完全に消失し、残るコアは自身に宿る一つのみ。
恐らく秒を待たずに自らの消失を体験する事となるだろう。
博士は目蓋を閉じ静かにその時を待ち続ける。
研究者ゆえに理解したのだ。何をしても止まることは無く、終わりは定められた事だったのだと……。
しかし、いつまで経っても意識が途切れない。
魂は物質化されると本来戻るべき場所へ向かうのではなく完全な消滅を迎える。
そのため、意識は途切れ、考える事も、感じる事も出来なくなるのだが……。
「何が起きた?」
目蓋を開き、情報を掻き集める。
施設のほとんどを破壊されたのか、全体図の一部は表示されない。
コンソールを叩き終えた彼が見たのは、ピクリとも動かない赤い印と活動限界時間残り0秒という表示だった。
「そんな馬鹿な、抑える術など、この施設には存在しない。何がアレを止めた。……くっ、情報が少なすぎる。判明するまで動くのは控えた方が良いのだが、そうも言ってられんか」
画面から離れ、腕輪型の簡易端末を右腕にくぐらせる。
そして護身用のビームガンを左手に持つと、閉められた隔壁の前に立った。
本来であれば自動的に個体識別装置が認識をはじめ、隔壁は解放されるはずなのだが……。
「ダメか、仕方ない、破壊する」
手にしたビームガンの出力最大に調整し、10歩ほど距離を開けたのち、トリガーを引いた。
目も眩むほどの光と共に、分厚い隔壁がチーズの様にドロドロに溶け、人が通れるほどの大穴が開く。
「計算上開くことは想定済みだが、やはり、この程度では役に立たんな、次に研究所を建てる時はより強固にしなくてはなるまい」
起こった現象にいちいち感想を口にしながら、彼は開いた大穴へと足を踏み出す。
ただ、一歩を踏み出しただけだというのに彼の身体は硬直してしまう。
「何だこれは……」
壁や隔壁をえぐる円形の隙間、どう考えても支えきれない程に体積を減らした支柱、落ちる事すらしない人の生首。いや、生首だったナノマシンの塊、どれを目にしても明らかに物理法則を超越した状況なのである。
「いや、こんな現象で驚いている場合ではない。今知らなければならないのは、対象がどのような状態なのか、何がアレを止めたのかだ」
動かない身体を振い上がらせて、一歩一歩と目標地点へ歩み出す。
「っく……」
不意に苦悶の表情を浮かべた彼は、痛みの元である右手を見下ろした。
そこには、存在するはずの薬指と小指を失った自らの手が見える。何か鋭角な物に当たったわけでもなく、何もない空間を通り過ぎようとしただけだ。
「……何故だ? なぜ再生しない?」
人間であることを捨てた彼は、失った部分をナノマシンによって秒の間を置かずに復元できる。しかし、それは全く作用しなかった。
「そうか、これがアレの特性であり、物理現象を無視した状況の答えか」
腕に装着した簡易端末を操作すると、周囲の空間における異常部分を瞬時に視覚化、類似現象が起こっている部分にも同様の処置を行った。
抉られている部分や、浮いているナノマシンの下部には全て、円形の空間断絶が発生しているという観測結果が彼の視覚にもたらされる。
「アレが食い破った部分は空間が抉られ、触れた物全てが消失するのか、また時空間干渉も受け付けない。その為に消失した部分の再生処置は決して行えぬ……か、厄介な」
現象を解析しながら、異常部分を避ける様に進んでいく。
時には地面を這い、壁に寄り添い、そして助走をつけて飛び越える。
原因が解明されたためか、その動きに恐怖特有の鈍さはなく、例えるなら、一昔まえのアスリートを彷彿させるものだ。もちろん、この時代にアスリート等と言う無駄な物は存在しない。
そんな行動を10分程続けた彼は、目的地に到達する。
周囲は他と変わらず、異常空間があちこちに存在し、無事な空間を探す事が難しい。
マネキンの様に散らばったナノマシンの塊、抉られた隔壁、そして、何かを守るように倒れ伏した女性の人型。
「ん? 何故この個体だけは身体を抉られていないのだ? 職員の反応は消失しているのに……」
異常空間に触れないよう、這いずり寄った彼はゆっくりとその身体をひっくり返す。
いや、返そうとした途端、それは砂の様に崩れ去り、砂埃を舞い上げつつ地面に広がっていった。
「ぶっ……この個体だけはコアの制御を正常に離れているのか、ちゃんと砂粒子化している。くそ、前が見えん」
塞がれた視界が徐々に戻り始め、そこに一つのシルエットが浮かび上がる。
「む……、うう?」
自分の理解を超えた結果に思考が一瞬停止する。
呆然とした視線の先にあったのは一人の赤子であった。
恐怖に顔を引きつらせるでもなく、無表情でたたずむその赤子は、新しいおもちゃで遊ぶかの様に一つの球体を握っている。
「そのコアはまさか……」
我に返った彼は、赤子の持つ球体を装着した簡易端末でスキャンする。
「やはり、アレか、しかし、何故アレはこの赤子を喰らわなかった? 原因は何だ」
赤子を調べても職員の反応はおろか、コアの反応すらもない。それはすなわち……。
「生身の人間だというのか、そんな馬鹿な、出生記録も登録すらされて無い個体などあり得るはずが……。いや、まて、出生時間は」
端末から導き出されたこの赤子の出生時間は、実験対象であるあの赤子と全くの同時刻、コンマ数秒の差すら存在しない程に合致していたのだ。
「だから、気づかれなかったのか、出生率の低下した現状では考えられん現象と、この現象……実験対象は女性体であったのに対し、この赤子は男性体。そうか、そう言う事か、何と言う事だ。我が身かわいさのあまり、私は新世界を生きるはずの申し子、その片割れを消失させたのか、――ははは、何てことだ、そうまでして私は生き続けたいというわけでは無いのに」
こうして、一つの事件と共に最後の魂はこの世に生を受けた。
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