第70話 幻覚じゃなかった

「く……っ!」


 迫りくる地面を前に、私は風魔法を発動させました。

 先んじて大地に叩きつけられたイルランとロンダの二人と違い、私は肉体的に貧弱な魔法使いです。


 このまままともに地面に激突しては、恐らく一溜りもないでしょう。

 ……もっとも、この見ている光景が真実であれば、の話ですが。


 それでも恐怖に突き動かされ、私は懸命に風を操作します。

 飛行魔法は恐ろしく高度で、私もほとんど使えませんが、体勢を整えたり、落下速度を軽減させたりすることくらいは可能です。

 そうしてどうにか勢いを殺して、私は地面に足から着地することに成功しました。


 周囲を見渡すと、街の城壁から一キロは離れた草原にいました。

 肌を撫でる微風や草のにおいは、あまりにもリアルで、現実か厳格かの区別がつきません。


「く、くそっ……本当にこれがすべて幻覚だって言うのかよ!? マジで全身が痛ぇぞ!?」


 痛みに呻きながらイルランが叫んでいます。


「むう、随分と飛ばされたものだな」


 ロンダは立ち上がりながら感心したように呟いています。

 少なくとも二人の反応は、私が知っているいつもの二人そのもののようです。


 一方で、ミットの姿が見当たりません。

 代わりに落下してきたのは、ノーライフキングでした。


 軽々と着地を決めた奴は、怒りに満ちた目で私たちを見回します。


 それだけで自分の心臓がきゅっと縮み上がったのが分かりました。

 かつてドラゴンに遭遇したとき以上の恐怖が押し寄せてきます。


 しかしこれもすべて、奴が見せている幻覚……の、はず。


 奴が本当は脆弱なアンデッドだったとすると、こんな遠くまで我々を投げ飛ばすことなどできないでしょう。

 となれば、我々はまだ街の中にいる?


 ではミットはどこに?

 我々を恐怖に陥らせるため、彼の姿だけあえて見せないようにしているのでしょうか?


 そもそも幻覚で偽りの強さを見せつけるというのなら、街の外に飛ばすよりもっと有効な方法がある気もするのですが……。


「おらぁっ!」

「はぁっ!」


 考えを巡らせる私を余所に、イルランとロンダが揃ってノーライフキングに躍りかかりました。

 大剣と巨拳が同時にその華奢な身体に叩き込まれます。


「なっ!?」

「むぅっ!」


 普通の人間なら、それだけで身体がひしゃげてもおかしくないほどの威力。

 にもかかわらず、ノーライフキングはまったくの無傷で、平然とその場に立っています。


「こいつ、まったく効いてやがらねぇぞ!?」

「もしくは幻覚を見せられ、虚空を攻撃しただけかっ?」


 驚愕しながら、慌てて後退するイルランとロンダ。

 一方、ノーライフキングは攻撃を受けたというのに、動く様子はありません。


 と、そのときでした。


「「「~~っ!?」」」


 突然、ノーライフキングから凄まじい魔力が噴出したのです。

 その圧力だけで押し潰されそうになる中、さらに奴は拳へとその魔力を集束させていきました。


「な、何を……」


 次の瞬間、ノーライフキングが拳を思い切り地面に叩きつけました。


 ズガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!


 世界が割れたのではないかという轟音と激震。

 大地が一瞬にして十メートル以上も陥没して巨大なクレーターが生まれ、さらには蜘蛛の巣状の地割れが広がり、百メートル先の大木が開いた穴に落ちていくところが見えました。


「「「な、な、な、な……」」」


 衝撃で吹き飛ばされ、破砕した石の破片や砂煙を全身に浴びてはしまいましたが、幸い我々は無傷でした。

 それでも目の前で見せられた圧倒的な力を前に、もはや言葉すら失ってしまいます。


「だ、大丈夫です……! これも幻覚のはず……!」


 恐怖と焦燥を振り払うように、私は必死に自分に言い聞かせます。


 これは幻覚……これは幻覚……。

 くっ、この腕輪さえちゃんと効いていれば……。


 …………え?

 そのとき私はある重大な事実に気づいてしまいました。


「腕輪が……そもそも反応して、いない……?」


 この幻惑耐性は魔法付与によるものです。

 敵の幻惑魔法を受けた際には、たとえ耐性を凌駕されていたとしても、それに反応して魔力が発せられるはずなのです。

 しかし今はまったくの無反応。


 そんな馬鹿な……だとしたら、そもそもノーライフキングは最初から幻惑魔法など使っていないということ……?


 あるいは、これすらも幻覚?

 いや、ノーライフキングが私のこの腕輪の性能を知っているはずは……だとすれば、我々が今見ているものはすべて、真実、ということに……。


 その考えに思い至った瞬間、全身から血の気が引きました。


「う、嘘です……こんなはずは……」


 気づけばガチガチと奥歯がぶつかり、心臓の動悸が止まりません。

 手足が震え、喉が渇き過ぎて痛いほどです。


「ベルエール!? おい、大丈夫か!?」


 イルランが私の異変に気づいて怒鳴ってきますが、私は声すら出なくなっていました。


 ノーライフキングは我々を睨んでいるだけで、何かを仕掛けてくる気配はありません。

 いつでも我々など殺すことができるというのに、あえて焦らしているのか。

 じっくりと時間をかけ、十分な恐怖を味わわせながら殺すつもりかもしれません。


 そのとき私が思い出したのは、かつてこの国を震撼させた、ある大災害級アンデッドの話でした。


 死霊術を応用し、人間を生きたまま、しかも痛覚を維持させた状態で、様々な恐ろしい〝人体実験〟を行っていたと言います。


 全身のパーツを組み替えるなどは序の口。

 他の人間と頭を付け替えたり、動物や魔物と融合させたり、酷い場合には何人もの人間を混ぜてしまったり。


 我々はこれからノーライフキングの手で、似たような目に遭わされるのではないか。


「い、いや……や、やめてくれ……た、た、たしゅけて……し、しにたく、ない……」


 気づけば視界が涙で滲んでいました。

 鼻孔からは鼻水が垂れ、全身からは汗が噴き出し、温かくなった股間から足元の地面が濡れていく。


 なぜ我々は銀等級の分際で、災厄級の魔物に手を出そうとしたのか。

 金等級、いや、神金級オリハルコンの冒険者が相手をするような化け物だというのに。


 ――どこからともなく巨大な剣が飛来し、猛烈な速度で地上に突き刺さったのは、そんなふうに私が自らの無謀を呪っていたときでした。


 ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!


「……え?」

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