第28話 逃げられた
ロマーナ王国の国王アレンドロス三世は、人々から英雄王と称されている。
しかし彼の生涯の始まりは、決して順風なものではなかった。
前王の子として生まれるも、母親の出があまり良いものではなかったせいで、王位継承権は与えられず、幼い頃は王族として扱われていなかったのだ。
そんな彼は、早くに王族である自分に見切りをつけ、冒険者となった。
するとメキメキと頭角を現し、二十代半ばにして世界で数人しかいない超硬金級にまで上り詰める。
そして彼が再び王宮へと帰還するきっかけとなったのが、この国に災厄級の魔物が出現したことだ。
王太子を初め、彼の兄たちが国を捨てて我先にと他国へと逃亡する中、彼は仲間たちとともにその魔物に挑み、激闘の末に討伐してみせたのである。
そんな兄たちに失望したアレンドロス三世は、自分こそがこの国を導くに相応しいと悟り、王位を奪取。
当初は反対派との小競り合いもあったものの、国民の圧倒的な支持を受けて、安定した政権を確立させてしまった。
そうした経緯があるからこそ、彼が発表した「王都は安全である」との声明は、住民たちを大いに安心させることとなった。
「聞いたぞ。もしアンデッドが来たら、国王陛下が自ら迎え撃つらしい」
「かつて災厄級を討伐された陛下だ。きっと今回もこの国を救ってくれるはずだ」
お陰でパニックは最小限に抑えられており、王都からの出入りが制限されても暴動が起きるようなことがなかった。
……もちろん中には恐怖に怯える者もいた。
王都内のとある宿。
食事の時間になっても、部屋から一向に出て来ない宿泊客がいた。
「お客さん、聞きましたよ? お客さんは名のある冒険者なんですよね? こんなところで引き籠ってていいんですか? 少しでも陛下の助けになろうと、冒険者ギルドも応援を集めてるって話じゃないですか」
「う、うるさいねぇ! そんなのあたしの勝手だろう!」
宿の主人に扉越しに咎められて、涙声でそう怒鳴り上げたのは、赤い髪が特徴的な冒険者である。
しかも白金等級という、全冒険者のたった一パーセントにも満たない特別な等級を与えられた実力者だった。
「ああっ、こんなことなら王都になんか来るんじゃなかった……っ!」
部屋の隅っこで毛布に包まり、エスティナはぶるぶると身体を震わせる。
当初は王都なら安全だと思っていたが、あのアンデッドが近づいてきていると新聞で読んでから不安がどんどん募ってきて、今やこの有様だった。
「まさか、このあたしを追ってここまで来たんじゃないよね……っ? だとしたら、今度こそ殺される……っ! ああっ! 何で出入りが禁止されているんだいっ! これじゃ逃げることもできやしないじゃないか!」
頭を抱えて項垂れるエスティナ。
そんな彼女へ、扉の向こうから主人が言う。
「心配しなくても、きっと陛下が何とかしてくださいますよ。なんたって、かつて災厄級を討伐されたほどの方ですから」
「あんたはあいつを見たことないからそんなこと言えるんだよっ!」
エスティナは思い出す。
自分が全力で放った必殺技を受けて、何の痛痒も感じていなかったあの化け物を。
「……たとえ英雄王だろうが、あいつに勝てるとは思えないっ……そして王都は陥落っ……あたしらは皆、アンデッドにされちまうんだっ……うわああああああっ!」
部屋の中から聞こえてくる大声に、宿の主人は秘かに苦言を吐く。
「……まったく、他のお客さんに迷惑だから、せめて静かにしておいて欲しいよ。まぁ、どうせ隣も似たような感じだけど」
そう言いながら彼が視線を向けたのは、エスティナが泊っている部屋のすぐ隣の部屋だった。
「来るなっ……こっちに来るなぁっ……」
そこからは必死に何かを遠ざけようとするような声が漏れ聞こえてくる。
泊っているのは、ジェームスと名乗る商人風の男性だった。
「きっとあいつは私を追ってきたのだっ……やはり逃げられない運命なのかっ……一体、私が何をしたというのだっ! ああ、だがしかし、もう一度あの恐怖を味わうくらいなら、いっそ今ここで……」
鬼気迫るようなその声に、宿の主人は血相を変えてドアを叩いたのだった。
「お、お客さん! 早まらないでくださいよっ! せめて死ぬなら宿の外で死んでくださいっ!」
◇ ◇ ◇
「陛下っ! ノーライフキングと思われるアンデッドが、五キロ圏内に入ってきました! やはり真っ直ぐここ王都に向かってきているようです!」
「……そうか」
兵からの報告に、余は静かに頷いた。
「さすがは陛下……我々と違い、まるで動じておられぬな」
「大災厄級の魔物との戦闘を目前にしても、あの落ち着きよう……」
「恐らく自信がおありなのだろう。やはり陛下がいらっしゃる限り、我が国は安泰だ」
あちこちからそんな賞賛と安堵の声が聞こえてくる。
お陰で、余は深々と溜息を吐きたくなってしまった。
……まったく、どいつもこいつも完全に余を頼り切っておる。
こんなことではもし余に何かあったとき、この国はどうなることか。
英雄王。
余がそう呼ばれて久しい。
歴史と伝統のある我がロマーナ王国は、近隣諸国の急成長に押され、先王の時代まで衰退の一途を辿っていた。
それを余は強烈なリーダーシップにより、たった一代で国を再建、そして再び世界にロマーナ王国ありと印象づけさせたのだ。
しかし人々を導く絶対的な英雄の存在は、諸刃の剣であることを、余は身を持って知ることとなった。
誰もが余の顔色を窺い、余の言うことに唯々諾々と従うだけ。
自らの頭で考えることを忘れ、ただ命令を遂行するだけの道具と成り下がってしまったのである。
今やこの国の未来に、真に責任を持とうとする人間はほとんどいない。
だが、
「余の戦いをよく見ておくがよいッ!」
余は声を張り上げ、この場に集う者たちに訴えかけた。
これから余は、
かつて打倒した災厄級をも凌駕する相手だ。
幾ら余とて、勝つことはできぬだろう。
それでもこの国を護るため、我が身と引き換えてでも必ずや奴を倒す腹積もりだ。
間違いなくここで余は死ぬ。
しかしそれでよいのだ。
余の存在はもはや、この国の癌のようなもの。
荒療治かもしれないが、この国の人々を奮起させるには、余を取り除くしかない。
願わくは、これから余が行う命がけの戦いをその目でしかと見て、この場に集う者たちにせめて余の十分の一でもよいから、この愛国の精神が伝わればと思う。
「ゆくぞ、リューンっ!」
「ひひーんっ!」
余の愛馬であるリューンとともに駆け出す。
ユニコーンの血を継ぐこの白馬は非常に長命で、冒険者時代からの余の相棒だ。
これまで幾度となく、共に試練を乗り越えてきた。
見る見るうちに白髪のアンデッドの姿が近づいてくる。
どうやら向こうもこちらに気づいたようだ。
……ここから見る限り、大した魔力を感じないな。
だがそれで侮るような余ではない。
むしろかえって警戒心を強めたほどだ。
長き年月を生きた聡明な魔物の中には、自らのその強大な力を秘匿しているようなものも少なくないのである。
かつてそれで痛い目を見たことがあった。
余の勘が囁いている。
あのアンデッドは間違いなくそのタイプだ、と。
シャリンッ!
余は腰に提げていた剣を抜く。
相手にとって不足はない。
余は高らかに名乗りを上げた。
「余の名はアレンドロス三世っ! この国に害成す邪悪なアンデッドよ! これより余が神に代わり、貴様に天罰を――」
そのとき何を思ったか、白髪のアンデッドがぐるりと身体の向きを変え、
「――は?」
こちらに背を向けて一目散に逃げ出した。
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