第16話 後輩社員とはじめての修羅場

 停電発生から丸一週間のあいだ、俺と篠田は徹夜で事後処理に走った。

 細かくは言えないが、停電の原因について、うちの会社と相手の電気主任技術者(電気設備の管理をしている人)と揉めている。

 原因は、電気設備に異常があったとき、自動的に停電させる装置が動いたことだった。

 この装置の設定を間違えていて、停電しなくてもいいときに停電を起こしてしまったらしい。

 装置を製造し、設置したのはうちの会社だが、この装置の設定をするのは相手の電気主任技術者で、調査した結果、設定ミスが見つかった。

 だが相手の電気主任技術者は、『メーカーに指示されたとおり設定した』と主張し、一歩も引かないらしい。

 この案件は、篠田が初めて担当する大仕事だった。

 事後処理も自分が主体となって動く、と篠田は言っていたが、そう宣言しようとする篠田は涙目で、何回も噛んでいた。

 相当焦っているな、と思った俺は上司と相談し、俺と篠田のペアで動いた。

 代替の装置とそれを取り付ける施工力の確保、停電に伴う損害賠償の交渉、モノをつくった工場との協議、電気主任技術者に装置の設定方法を説明した作業員への聞き取り……

 下手をすれば何千万円もの損失を伴う大事件で、普段は顔も見たことない会社の役員たちに囲まれながら、俺と篠田はやられ役に徹した。

 もともと自分を社畜として割り切っている俺は、怒られてもダメージを感じない。

 説教に耐え、残業で反省点をカバーすれば、クビになることはない。そういう会社なのだ。

 俺が心配だったのは、自分より篠田のメンタルだった。

 篠田は、女性では珍しく大手電機メーカーの営業職を続けている職場の華。

 男女平等を前提にし、行き過ぎたセクハラ対策のおかげで職場の空気は悪くない。

 だが営業の仕事は、基本的に鼻息の荒い男どもとのガチバトルの繰り返し。そんなものに混ざれる女性はなかなかいない。俺だっていやだ。

 同期の女性が営業から離れていく中、篠田はただ一人残り続けていた。

 そんな篠田が潰れるのは、俺がクビになるよりも残念なことだと思う。

 どれだけ会社に損害を与えても、頑張っている篠田を傷つけてはならない。

 それは俺だけでなく、上司や同僚も含めて思っていることだった。


* * *


 徹夜生活一週間を超えたころ、ある上司が俺に言ってきた。


「篠田さん、そろそろ休ませたほうがいいんじゃないの。なんかやつれてるよ」


 確かに、ここ最近の篠田は、はりのある可愛らしい童顔がどこかへ消えてしまったような感じがする。そろそろ危険信号かもしれない。


「俺もそう思います。ただ、本人に休む気がないんです」

「私も休みなさいと言ったんだけど、聞く気配がないんだ。宮本くん、どうにか篠田くんを説得してくれないか。あれで過労死とかされたらたまったもんじゃないよ」

「わかりました。俺がなんとかします」


 俺もこの上司に同意で、どう見ても疲れている篠田を休ませたかった。

 だが篠田自身のプライドがあって仕事を続けているのだとしたら、俺にそれを止める権利はない。

 この二つの気持ちに挟まれ、優柔不断な俺は篠田を止められなかった。

 だが上司の指示、すなわち服務管理者の指示があるとなれば話は別だ。

 俺は業務の一つとして、篠田を休ませなければならない。もしこれで篠田を傷つけても上司のせい。

 汚いようだが、これが社畜の生き様だ。

 上司とは利用するもの。利用されてはならない。

 すぐにでも篠田を説得しようと思ったのだが、工場から今後の方針を説明したい、との連絡があり、俺と篠田は別々の電車で栃木にある工場へ直行。

 結局、豊洲の会社に戻ったのは深夜になった。

 篠田はさすがに疲れたらしく、会社のソファで横になっていた。

 いつもパリッと決まっていた篠田のブラスはくしゃくしゃになり、そこそこ大きな胸がだらんと横に垂れている。

 あまりにも無防備な姿に、俺は一瞬ぐっと反応しそうになる。俺も疲れているから下半身が反応しやすいのだ。死ぬ前に子孫を残そうという本能。生理現象。だから仕方ない。

 まじまじと篠田の身体を見ていたら、気配に気づいたらしく篠田が起きてしまった。とっさに俺は不自然な前かがみ体勢をとる。


「あれ……みやもとさ……きゃっ!」


 俺の不自然な動作をいかがわしいことだと思ったのか、篠田はきゅっと身体をすくめる。


「ちょ、ちょっとまってください!こんなところでやめてください!どうせならもっとムードあるところでしましょう!」

「ば、バカ、何言ってんだお前!」

「誰もいないからって!宮本さんほんとに鬼畜ですね!」

「違う!俺はお前と話しにきただけだ!」

「なんですか話って!また何かあったんですか!?」

「新しいことは何もない。篠田、お前そろそろ休め」

「……このタイミングで、ですか?せっかく装置故障の原因がわかったのに?」

「そこは俺と他のやつらでカバーするよ。それよりお前は休まないと、課長も心配してるし、お客さんからもブラック企業だと思われる。お前だってもうきついだろ?」

「きついですけど……宮本さんはまだ休まないんですか?」

「俺はまだいい。お前よりも修羅場の回数多いからな。でも俺だって限界だと思ったら遠慮なく休むつもりだからな。俺に合わせなくていいから」

「でも……」

「久しぶりに家の布団でぐっすり寝たいだろ?」

「うっ……おふとん……」

「こんなところで寝るくらいなら、さっさと家帰って休め。今ならまだ有楽町線間に合うだろ。会社に寝泊まりなんて女子社員のすることじゃないんだ、ほんとは」

「いいんですか……?」


 よし。いい感じに説得できたな。苦しい時に甘い誘惑をされると社畜は簡単に落ちる。


「ほら、起きろ」


 俺が手をだすと、篠田は俺の手をぎゅっと強く握り、身体を起こそうとして、


「うぬっ」


 ヘンな声を出し、急に手を離してベッドにどさっと落ちた。


「おい、篠田?」


 急に青ざめる篠田。

 やばい。ついに身体がやられてしまったのだろうか。

 かつての俺も、修羅場中に胃潰瘍で戦線離脱したことがある。

 心のブレーキがないと、身体はいとも簡単に壊れる。俺は身をもって知っているから、余計に心配になる。


「大丈夫か?どこか痛むのか?」


 篠田は答えない。涙目になって俺をぼうっと見ている。


「おい、大丈夫かよ!?俺のこと見えてるか?救急車呼んだほうがいいか?」

「きちゃった……」

「きちゃった?」

「……生理、きちゃった」


 生理。

 男には想像できない、女の世界の拷問。

 しまった。配慮が足りなかった、と思った頃にはもう遅かった。


「どうしてこんなときに……どうしてこうなっちゃうの……」


 篠田はさめざめと泣き出す。

 溜まっていたものが決壊してしまったらしい。


「なんで……私の仕事なのに……宮本さんこんなに助けてくれてるのに……なんでわたしだけこんなにダメなの……やだよお……もうやだよお……」

「だ、大丈夫だから!お前が頑張ってるのはわかってるから!だからしばらく休めって!」

「無理ですよお……、パンツ汚れてるのに電車なんか乗れませんよお」


 そこは正直、男の俺には何ともいえないところだった。

 女子社員はもう全員帰宅している。しかしここで篠田を放置するわけにはいかない。


「女の子のことはよくわからんが、今生理用品とか持ってないの?」

「ないですよお。まだ一週間くらいあるから大丈夫だと思って家に置いて来ましたもん。まさか一週間も家に帰れないだなんて思いませんし」

「……わかった、ちょっと待ってろ」


 俺はその場を離れ、理瀬にLINE通話をかける。

 深夜にもかかわらず、理瀬はすぐ通話に出た。


『もしもし』

「理瀬、夜中にすまん。家に生理用のナプキンとかある?」

『……普通にありますよ。なんでそんなこと聞くんですか?』

「実は今、一緒に仕事してる女子社員が生理来ちゃって、何も持ってないらしいんだ。一週間働き詰めだからそろそろ限界なんだよ。理瀬、ほんとに悪いんだけど、今からその子と一緒にお前の家まで行っていいか?」

『えっ……生理用品だけならコンビニで売ってますよ』


 理瀬はあまりいい返事をしない。もともとプライベートを乱されたくない性格だから仕方ないのだが、今はそれより篠田の体調が心配だ。


「もう体力も限界だし、生理中に電車なんか乗って倒れられたら困る」

『私と宮本さんの関係はどうやって説明するんですか?』

「なんか遠い親戚みたいな感じでごまかしてくれ。とにかくゆっくり休ませたいんだ。基本俺の部屋で休ませて、俺はすぐ会社に戻る。お前に迷惑はかけないようにするから、頼む」

『……別にいいですよ。生理で大変なのはわかりますし』

「本当に急ですまん」


 こうして、俺は篠田をタワーマンションの最上階へ連れていくことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る