第15話 女子高生と停電

 停電。

 電力事情が異常によい日本では、なかなか遭遇しない一大イベント。

 ここのリビングは窓がない構造のため、外からの明かりもなく本当に真っ暗だった。


「えっ、ちょっと、ちょっと宮本さん!返事してください!」


 俺が黙っていろいろ考えていると、じたばたしていた理瀬が手探りで俺の身体をつかみ、最後は俺にがっしりと抱きついてきた。

 ……柔らかい。


「返事してくださいよ!」

「お、おう」

「なんですかこれ……すごく怖いんですけど……」

「停電だろうなあ。ブレーカー飛んだ音とかしなかったから、マンションか電力会社のトラブルだと思うけど、一応ブレーカー見てみるか」

「ちょっと、行かないでくださいよ!」


 俺が立とうとすると、理瀬がいっそう強く抱きしめて制止する。


「……お前、暗いところ怖いの?」

「怖いというか、こんなに暗いの初めてですよ……夜も電気つけて寝てますし」

「要するに怖いんだな」

「怖いかどうかは別として、離れないでくださいよ」

「わかったわかった、まあまず落ち着け。ちょっと停電したところで死ぬ訳じゃない。とりあえず、スマホのライトでもつけるか」


 俺はスマホを取り出すが、画面が反応しない。


「あー、充電してなかったからバッテリ切れてるわ。懐中電灯とかないよな」

「あるわけないですよ。こんなことになるってわかってたら準備してましたよ」

「常磐さんのスマホは?」

「部屋の中ですよ」

「俺、手探りでそこまで進んでみるから、今だけ部屋の中入ってもいい?

「……いいですよ。そのかわり離れないでくださいよ」


 理瀬はかつてないほどに焦っている。軽い口癖の『~よ』がほぼ全ての言葉についているのは、偶然ではないだろう。

 俺は理瀬にしがみつかれながら、明るかったときの記憶を頼りに理瀬の部屋の前まで進み、扉を開けた。するとカーテンの隙間からわずかに外の光が入り、視界にある程度の情報が入る。

 理瀬のスマホは、パソコン机の上にあった。


「常磐さん、ほら、ロック解除して懐中電灯つけて」


 ひどく怯えていた理瀬だが、見慣れたスマホの画面を見ると少し落ち着いたらしく、俺と離れてスマホを操作した。でもまだシャツの袖を掴まれている。

 ライトが点く。


「……ちょっとベランダ出ていいか?」

「どうしてですか?」

「どこが停電しているのか確認したい」


 なぜか、とても嫌な予感がする。

 周りを見てみると、街頭や近くのタワーマンションは明かりがついていた。

 どうやら、このマンションだけ停電しているらしい。


「真っ暗ですよ……何があったんでしょうか?」

「悪い、ちょっと俺にライト貸してくれ」

「えっ?」


 俺は理瀬からスマホを奪い、自分の部屋に直行した。


「えっちょっとまって!ちょっとまってくださいよ!」


 まだ怖がっている理瀬をかまう余裕がないほど、俺は焦っていた。

 鞄から仕事用の手帳を取り出し、自分の仕事同様に記録してある篠田の案件リストを確認する。


『クレセント豊洲 受電設備更新』


 予感が的中した。

 ここのマンションの電気設備、篠田の案件じゃないか。

 俺は鞄からモバイルバッテリーを取り出し、自分のスマホに接続する。急速充電モードだが、スマホはすぐ復活しない。


「何かわかったんですか?」

「……この停電、うちの会社の仕事のせいかもしれない」

「宮本さんの仕事……あっ!」


 理瀬のスマホのライトが切れた。

 こちらも充電していなかったらしく、もう反応しない。

 俺が持っているモバイルバッテリーの小さなLEDだけが頼りになってしまった。

 俺はベッドに座り、理瀬はまたしがみついてくる。


「いつ直るんですか、これ」

「わからん。三十分くらいで復旧できるかもしれないが、そうでなければ何時間もかかる」

「なんでそんなに停電に詳しいんですか」

「そういう仕事してるからだよ」

「……ずるいです、宮本さん。いつもパッとしない社畜さんなのに、こんなときだけかっこいいのずるいですよ」

「いつもはぱっとしないんだな……」

「私、今ここで宮本さんに変な気起こされたら、抵抗できませんよ」


 さっきから理瀬はずっと俺に抱きついていて、当然ながら胸(よく見ないようにしていたが、細身の割に大きめで柔らかい)がずっと当たっている。

 だが俺は、そんな理瀬の身体に全く反応しないほど焦っていた。

 この大停電、うちの会社のせいだとしたら――

 そう考えていると、復活した俺のスマホが起動と共に激しく震える。

 篠田からだった。


『宮本さん!お、遅くにすみません!』

「わかってるよ。停電のことだろ?」

『えっ?宮本さん千葉にいるのになんで豊洲のマンションの停電知ってるんですか?』

「あ、いや、今なんか他のやつから聞いた」

『今、タワーマンションのクレセント豊洲の主任技術者から電話かかってきて、よくわからないけど受電がトリップして全停してるって話なんです。会社と課長には電話しましたけど、誰もでなくて』

「わかった。俺が今から歩き……いや、車で会社行くから。篠田は女子寮だろ?主技からの情報全部俺と課長にメールで送れ。そのあと、朝一までは待機でいい」

『わ、私もすぐ行ったほうが――』

「俺のことは心配するな。この時間に何人も出たって仕方ない。大事件確定だから、お前はもう寝て体力を蓄えとけ。わかったか?」

『は、はい、明日朝一でお願いします!』


 最悪の事態が起こっていた。

 俺は頭をフル回転させ、これからの対応を考えながら立とうとする。


「か、会社行っちゃうんですか?」

「ああ、すまん。あとで説明はするから」

「ひ、一人にしないでくださいよ!」


 しかし、停電に怯えている理瀬はまだ解放してくれそうにない。


「理瀬。頼みがある」

「はい?」

「さっき、お前はもう料理を覚えたから俺はいらない、と言ったな。だがこの通り、俺の仕事が最悪な状況になった。悪いが、もう少しだけここに住ませてほしい」

「そ、それは別にかまいませんよ」

「これは俺のわがままだ。請求されれば、あとで家賃は払う」

「そんなの気にしないでいいですよ。でも私を置いていくのはやめてくださいよ」

「ああ……」


 よく考えたら、千葉にいるはずの俺が停電発生の数分後に会社へ出るのはおかしい。

 まだ酔いもあるし、一時間程度は待っている必要がある。

 くそ、会社に内緒で豊洲なんかに住んでるから、この焦っている時に待ち時間なんか発生するんだ。くそ。会社に言えないことを平気でやってたのがいけないんだ、くそ。

 久しぶりに頭が興奮していて、俺はまともではなかった。

 力を抜くため、俺はベッドで横になる。合わせて理瀬も。

 なんか、理瀬が俺を押し倒したような形になってしまった。


「……まだ離れないの?もうスマホのライトもつけてるけど」

「スマホのライトなんてすぐ消えますよ。変な気起こさないでくださいよ?」


 冷静になると、非常にまずい状況だと俺は気づく。

 アラサー社畜が女子高生に押し倒されている。胸をぎゅっと押し当てながら。

 俺は、自分から触るのは絶対にダメだとわかっていながら、理瀬の頭に手をあて、そのつやさらな髪をゆっくり撫でてやった。


「なんですかそれ」

「ちょっと落ち着いてきただろ?」

「……確かにちょっと気持ちいいですよ」


 気持ちいい。

 俺に触られて。

 理瀬にそんなことを言われると、今まで頑張っていた理性が息絶えそうになる。

 やばい。この状態で俺の息子が反応したら絶対バレる。かたいのがあたる。

 俺が必死にこらえていると、とつぜん明かりが点いた。停電発生から五分後くらいだろうか。

 理瀬もそれに気づき、身体を起こす。


「……私、今相当恥ずかしいことしたと思うんですけど」

「まあな」

「忘れてもらえます?」

「忘れるのは無理かもしれんが、誰にも言わないから安心しろ」

「……宮本さん、そういうところ意地悪ですよね」


 理瀬は俺の胸をぽんと叩き、離れていった。

 これから大仕事が待っているというのに、約五分間抱きついていた理瀬のぬくもりが消えると、俺は急に寂しくなった。

 ついさっきの新宿で、照子が俺の腕から離れていった時よりもだ。

 この気持は非常にまずいことだと頭の中でわかっていたが、俺は仕事のため、他のことは考えないように頭を切り替えた。

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