第14話 女子高生と酔っぱらい

 結局、豊洲駅に到着したのは日付が変わった後だった。

 豊洲だから帰れる、とは思ったものの、深夜に酒臭い姿を女子高生の理瀬に見せるのはあまりよくない。だがもう千葉に帰る電車はない。

少し負い目を感じながら、俺はタワーマンションの最上階にたどり着いた。

 玄関を開けると、リビングにいた理瀬が急いで歩いてきた。俺としてはもう寝ていることを期待していたのだが。若いし、けっこう夜更かし好きみたいだし仕方ない。


「遅くなってすまん」

「別にいいですけど……お酒飲んでます?」

「たまにはな。酒臭いからあんまり近寄らないほうがいいぞ」

「大丈夫ですよ。お母さんもよく酔って帰ってきたので慣れてます。お水でも飲みますか?」

「……ああ、頼む」


 正直に言うとそこまで酔っていなかったし、女子高生に酔っ払いの介抱をさせるのは気が引けた。だが理瀬のどこか慣れている対応と酔っぱらい特有のだるさに押され、俺はリビングのソファにぐだっと座って待つことにした。

 じきに理瀬が水を持ってやってきた。


「あの、宮本さん今までお酒飲んでなかったですよね?もしかして私に遠慮してました?」

「いや、家では飲まない。付き合いで飲むだけだ。自分から飲むことはないし、お前に遠慮なんかしてない」

「大人になったらみんな毎日お酒を飲むんだと思ってました。お母さんがそうだったので」

「そういう人もいる。俺は酒飲んだら二日酔いで余計に疲れが溜まるタイプだからな。あ、常磐さんはまだダメだよ」

「わかってます。法律は守る主義なので」

「俺は適当にシャワー浴びて寝るから、こんな酒臭い男の近くにいないでもう寝なよ」

「……酒臭いというより、なんか女の匂いがするんですけど」


 理瀬が座っていたのは、照子が抱きついていた右腕のほうだった。


「……そんなことわかるの?」

「女っていうか、香水の匂いですけどね」


 理瀬は愛猫三郎太のように俺の腕をくんくんと近くで嗅ぐ。自分の腕より、近くにいる理瀬の甘い香りのほうが気になって仕方ない。


「会社の人と飲み会って言ってましたけど、女の人だったんですか?」

「女もいたよ」

「こんなに匂いがつくなんて、その人がべったりくっつかないと無理だと思いますけど」

「……酔ってそういうことする女もいるよ」

「私、宮本さんには嘘ついたこと一度もないんですよ?」


 最後の質問で、理瀬が少し怒っていることに気づいた。

 無理はない。夜遅く帰ってきて、その理由も話してないんだから。

 高校生にしてはおそろしく理知的な理瀬には、どちらかというと男性的なイメージもあったのだが、こういうところは案外、女っぽいものだ。


「本当は、誰と遊んでたんですか?」

「……この前LINE通話かけてきた、昔付き合ってた女の子だよ」

「やっぱり。そう思ってました」


 理瀬にはLINE通話に表示された薬王寺照子の名前を見られている。その後部屋に戻って小声で通話したが、なんとなく怪しいと思われていたのだろう。


「その人のこと、まだ好きなんですか?」

「それはない」

「だったら、なんでこんなに夜遅くまでお酒飲んでるんですか?」


 理瀬の追求がすごい。

 浮気をとがめる嫁みたいだ。俺嫁いないけど。

 隠しておきたい事は多かったが、酒が入っていて言い訳が思いつかなかった。


「……そいつとは高校からの付き合いで、大学卒業するまでインディーズバンド組んで活動してたんだよ。卒業前にバンドは解散したけど、そいつは作曲で有名になって、今でもたまにそいつの作った歌を俺が歌ったりしてる」

「宮本さんがバンドマン……しかも歌うってことはボーカルですか?」

「悪いかよ」

「いえ、そんなこと言ってません。ぜんぜん想像できなかったのでちょっと驚きました。私、宮本さんは仕事して寝てるばかりの人だと思ってたので、趣味とかないのかなあって」

「ここではそう見えるかもな。俺にも趣味くらいあるよ。まあ今はボーカルなんてできないけどな。音楽って身体使うから、基礎トレーニングとかやってないとできないんだ」

「バンドマンってみんな、そんなに真面目なんですか?」


 バンドマン信用してなさすぎだろ、こいつ。

 まあ、元々エレンみたいなリア充とか、ちゃらそうなの苦手な感じだし仕方ないか。


「……いや、大半は酒のんで女捕まえたいヤツばっかりだ。俺は高校の合唱部とかで声楽の基礎を教えてもらったから、やり方がちょっと違う」

「真剣にやってたんですね。どうしてやめちゃったんですか?」

「大学時代の最後のほうでレコード会社に声かけられて、プロデビューの話があったんだ。あいつは乗り気だったけど、俺は歌手で食えると思ってなかったし、どうしても決断できなかった。そのせいで当時の彼女と喧嘩して、今は新曲のことくらいしか話さない」

「なんですか、そのかっこいい過去のお話」

「かっこいい過去?」

「羨ましいですよ。私もかっこいい過去がほしいです」


 理瀬はぽす、ぽすと俺の腕を弱く叩きながら、どこか拗ねたように言う。


「常磐さんはまだ高校生だから仕方ないよ。そのうち嫌でもできるさ」

「高校生の頃、アラサー社畜おじさんと同居してた黒歴史とかですか?」

「黒歴史なんだな……」

「なんとなくですけど、宮本さんは普通の社畜じゃないって思ってましたよ」

「普通の社畜じゃない?どういうことだ?」

「夢があるというか、夢を諦めきれていない感じがしてましたから」

「……どういうところが?」

「うまく言えませんけど、会社から帰ってすぐ死んだような目をしている時と、私やエレンと話す時の感じが全然違うので、なんだろうと思ってました。私が思うに、普通の人は他人の、特に世代の違う人のことなんてどうでもいいと思います。大人は特にそうです。でも宮本さんは私を助けてくれて、そのうえ仮想通貨で成功したこともすんなり受け入れてくれたうえで、私にいろいろ教えてくれています。女子高生が仮想通貨で何億円も稼いだなんて、普通の人ならちょっと引くような話ですよ。宮本さんは、過去に成功というか、それに近い経験があったから私の気持ちを理解してくれたんですよ」


 具体的な内容はともかく、理瀬は気づいていたのだ。

 今はただの社畜だが、過去の俺は特別な人間になろうとしていたことを。

 過去の夢を諦めるため、社畜という一般人になろうともがいていることを。


「そうだなあ。そうなのかもなあ。もう夢は諦めたつもりなんだけどな。実際、何の努力もしてないし、しようとも思わない」

「夢があるのは、それだけで羨ましいですよ」

「お前だって、きちんと計画立てて勉強や投資を進めてるじゃないか」

「私のは、夢というより必要最低限の目標であって、希望とかやりがいはあまり感じないんです。シンプルにそのことだけ考えていたいような、楽しい夢が欲しいんですよ」

「そのうち見つかるよ。まだ若いからな」

「そういうところ、おじさんくさいですよ」


 ぐだぐだしていると、俺の腹が盛大に鳴った。

 食べすぎないようにつまみのフライドポテトしか食べなくて、帰ってから腹が減るという逆に太りやすいパターンだ。


「ご飯食べますか?私、今日肉じゃが作ったんですよ」

「肉じゃが?一人で?」

「はい。そろそろできるんじゃないかと思って、クックパッドで調べてやってみました」


 アラサー社畜おじさんとしては、この時間に肉じゃがなんて中年太りの元でしかない。だがビールばかりで塩味が不足している俺は、肉じゃがという甘い誘いを断れなかった。


「……ちょっと味見してみようか」

「わかりました。いま温め直しますね」


 俺がぼうっと待っていると、すぐにキッチンから香ばしい醤油の香りが漂ってきた。

 出てきた肉じゃがは、荷崩れを起こしたものは一つもなく、味付けは濃すぎず、あたため具合も完璧でとてもうまかった。少しだけにしようと思っていたが、ご飯と合わせて一食分完食してしまう。


「どうですか?」

「普通に美味いけど、これ全部自分で作ったの?」

「そうです」

「もう俺が教えることないんじゃない?」

「えっ?」


 自慢げだった理瀬の顔が、一気に崩れる。


「肉じゃがは自分で作れましたけど……クックパッド見ただけですし、まだまだ知らないことは多いですよ」

「クックパッドってクソなレシピも多いから、その中から自分で作れるものを選べるだけですごい進歩だよ。あとは経験値だけだから、同じようにクックパッドでトライアンドエラーを繰り返せばいい。ひょっとしたら、もう俺の腕も超えてるかもな」


 俺は褒めているのに、理瀬の顔はどんどん青ざめていく。

 まともな料理を教えるという大義名分がなければ、俺と理瀬が一緒にいる必要はない。


「……宮本さん、出ていくつもりですか?」

「料理教えなかったらただのヒモだし、ここの家賃払う余裕はないからなあ」

「私は、かまいませんよ?料理以外にもいろいろな相談に乗ってくれてますし」

「親がそばにいないのは大変だと思うけど、そういうのって学校の友達とか先生とかにするべきだと思うぞ」


 俺が少し冷たい感じで言うと、理瀬は寂しそうに目を背ける。


「……やっぱり、宮本さんにとって私はただの子供なんですね」


 こうなることは予想していた。

 俺との関係に慣れた理瀬は、別れるのを嫌がるだろう。

 異性として見られているかどうかは不明だが、今の俺は理瀬にとってなんでも相談できる兄のようなもの(父親ではない、と思いたい)。

 誰も、安定した人間関係をわざわざ壊したくない。

 だが、いずれは必要なことだ。

 会社の篠田とも、元彼女の照子との関係も整理できていない俺が。

 億り人女子高生と一緒にいるなんて、どう考えても俺のキャパシティを超えている。

 俺と理瀬のどちらかが、理性の壁を破り、相手を異性として見てしまったら――

 そのときは、もう戻れなくなる。

 女子高生とサラリーマンの駆け落ちなんて、バッドエンドに違いない。

 だったら、早めに手を打ったほうがいい。

 酔った勢いでも、なんでもかまわないから。


 ――こうして、俺と理瀬の関係は終わり、視界は真っ暗になった。


 視界が真っ暗になった?


「えっ?えっ?」


 俺の隣で、驚いた理瀬がじたばたと動いている。

 停電だった。

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