第13話 地元の女の子と昔の趣味
どんなにつまらない人でも、その人の知り合いの中には一人、成功者が混じっている。
あいつらは強い力でいろいろな人間とつながり、凡人たちを踏み台にして成功者へとたどり着いているからだ。
根拠は全くないが、俺はそう思っている。
薬王寺照子は、俺の少ない友人の中で唯一、成功者と呼べる存在だ。
照子は大学時代からインディーズバンドを組み、バンド活動に明け暮れ、今は作曲家として有名な歌手に楽曲提供をしている。芸名はYAKUOJI。
ちょっと変わった名字だが、これは徳島県の南にある四国八十八ヶ所の二十三番札所である薬王寺からきているらしい。ただし本人とお寺には関連がなく、単に薬王寺が近かったから、という由来でこの名字になったらしい。田舎の名字なんて、明治政府に言われていきなり考えたものだからど適当なものばかりだ。
とある日曜日、俺は薬王寺照子と新宿で会うことになった。いつもタワーマンションに囲まれた豊洲に住んでいるから、オフィスも商業施設も充実している新宿に来るとその賑やかさに驚かされる。自分がここにいていいのか、と思うくらいだ。
「よっ!」
待ち合わせ場所に着くと、照子は俺を見つけて駆け寄ってきた。
エスニック系のコーデで、ニット帽と大きなマフラーがよく目立っていたが、なにせここは新宿。ちょっと派手な格好の若者なんていくらでもいる。
俺も照子も二十八だけど。
「ごめんなー、仕事忙しいのに」
「……日曜だからいいよ」
高校からの幼馴染である照子と話すのはなんとなく照れくさい。
誰が相手でも笑顔を心がけ、相手の話すことを全て肯定しながら腹の探り合いをしてゆく都会人の会話スタイルが、照子には通用しない。
すべての言葉は、お互いの直感で選ばれる。
照子とは、そういう仲だ。
「スタジオ予約してあるけん、行こ?」
「お前、まだ阿波弁喋ってんのか」
「剛とおる時だけよ。たまには地元の言葉使いたいやん?言葉のリズムも音楽の一つかもしれんし。剛も阿波弁にしてよ」
「俺はもう標準語に慣れちまったからなあ」
「標準語ちゃうよ。東京弁よ、それは」
「何だそれ?」
「東京が日本語の標準ってなんか嫌やもん。言葉に標準なんかないよ、歌と同じで」
相変わらず、照子の感性は独特だ。
俺たちはそんな話をしながら、音楽スタジオに向かった。
防音の効いた狭い部屋に、照子と二人。
昔の感覚が蘇ってくる。
「はい、これ。メカで全部打ち込んであるけん歌ってみて」
照子は手書きの楽譜を俺に渡した。メカで全部打ち込んである、というのはDTMソフトでバンド演奏を作ってあるから、それに合わせて歌えという意味だ。
「……いつも言ってるけど、俺、今はもうカラオケすら行かないし、有名になったお前の助けになれることなんかないぞ」
「ほんなことない、ってうちもいつも言よるんやけどなあ。あれだけインディーズを騒がせた名ボーカルなんやから、元からの才能だけで十分じゃ」
照子はパソコンとミキサーをセッティングしながら、呆れたように言う。
「誰が歌う曲なんだ?」
「あとで教えたげるけん、とりあえずなんも聞かんと歌ってみて。剛のフィーリングで聞いてみたい」
背が低いこともあり愛嬌のある照子だが、音楽の事となると急に仕事師の顔だ。場を和ませるための明るい会話はなく、そこにはただ音楽だけがある。
楽譜を読むと、少し暗めのバラードだった。音域と歌詞の内容からして男性歌手向けだろうか。俺の音楽勘はなまっているが、照子の書いた楽譜はすぐに読めてしまう。
メカの伴奏が始まり、俺もなんとなく声に出して歌ってみる。だが数ヶ月ぶりに歌うためか、まともに音程を合わせられない。
「今のは練習な?」
照子が苦笑いをして、もう一度伴奏を再生する。
何度も繰り返して歌うと、だんだん曲の中身がつかめてくる。適度に高音が響くメロディ、歌詞の切なさ……そして、それを照子がどうしたいか、ということまで。
「うーん。もうちょっと高音張らせたほうがええかな?」
「歌い手によるけど、これ以上高くするときついぞ」
「剛やったら余裕やん。その曲でプロデビューしたら?うちがドラムやるよ、昔みたいに」
「俺はいい。それよりここのコード間違いじゃないか?」
「えっ?」
俺にぐっと身体を近づけて楽譜を覗き込む照子。
若干胸があたっているが、気にする様子もない。
「ほんまじゃ!ありがとう、最近間違っとっても誰も教えてくれんのよな。YAKUOJIの独特なアレンジとか言われて」
「大御所になった証拠だろ」
「手伝ってもらわな曲書けんのに、そんな偉いわけないけん」
そうやって、俺は照子が作った曲を何曲か試しに歌い、間違いやメロディの感触など、様々なアドバイスをする。
照子は俺の意見を聞き、ほとんど作り直しにすることもあれば、反論してきて何も変えないこともある。
昼過ぎにスタジオへ入り、外へ出た頃にはもう日が落ちていた。夜になっても新宿は昼間みたいに明るい。
* * *
数ヶ月に一度、照子に曲作りのアドバイスをする代わりに、俺が照子から飯をおごってもらう。
これが、高校時代から大学卒業前まで付き合っていた照子との唯一の接点になっている。
いつも照子からの誘いで、俺から何か言ったことはない。ここ最近お互いに仕事が忙しく、その間隔は徐々に長くなっている。
晩飯は、照子お気に入りのレストランバー。照子はカシスオレンジとハンバーガーを頼み、俺は適当にビールとつまみのフライドポテト。
「お前、ハンバーガー好きだよなあ」
「高いハンバーガーって都会にしかないけん、都会人て感じがするやん?」
照子は俺と同い年で、高校卒業と共に上京したから十年は都内にいる。でも阿波弁を喋り、嬉しそうに大きな口でハンバーガーを食べる姿は都会にはしゃぐ田舎者そのものだ。
「そういや今日の曲、誰に提供するんだよ」
「え?多分新井賢さんとかやと思うよ。まだ決めてないけど」
「あ、新井賢て……」
誰でも知っている有名歌手の名前が上がり、俺は恐縮する。
昔と何も変わらない姿で美味しそうにハンバーガーを食べ、カシスオレンジを飲んでいる照子が、今はもう別世界にいるなんて。
「でもやっぱり、剛に歌ってもらうんが一番なんよなあ」
「俺は歌手にはならない、って言っただろ」
「ほんまに?」
「ほんまじゃ」
「ぷっ、今阿波弁になった!」
照子が嬉しそうに笑う。
俺が昔みたいな姿になると、照子は喜ぶのだ。
社畜になった俺は、照子とインディーズバンドを組み、少しだけ業界で目立っていた時代とはもう違うのに。
「ほなけど剛、なんでまだ東京におるん?うちはこの仕事東京でしかできんけど、サラリーマンだったら慣れとる徳島のほうがええんちゃうん」
「地方の会社は給料安いし、遊びにいくところもないからなあ」
「仕事ばっかりしよって遊び相手うちくらいしかおらんのに?」
「……遊び相手くらいいるよ」
「えっ?」
不意打ちで照子の強烈なアイコンタクトを喰らい、思わず目を背ける。
アーティストだけあって勘がいい照子。俺が言わなくても、その遊び相手というのが女だというのは直感的に気づいている。
「彼女できたん?」
「彼女、ではないけど」
「もしかして、いつも話しよった会社の後輩ちゃん?」
俺は照子に、会社での人間関係や悩みなどを色々話している。照子とうちの会社の人間が会うことはないから、安心してつい話してしまうのだ。
だから照子は、篠田のことを言っているのだが。
この時、俺の頭に浮かんだ女は、なぜか理瀬だった。だが今の理瀬と俺の関係は、うまく言葉にできない。
「その後輩とは一回、デートしたけど」
「デート!?どこまでいったん!?もうエッチしたん!?」
「バカ、大声出すな!普通にドライブして、美術館行って、ランチして帰っただけだよ。やましいことは何もない」
「もしかして、ホキ美術館?」
「そうだよ」
俺がホキ美術館へ初めて行ったのは、照子と付き合っていた頃だ。
ホキ美術館の展示にハマったのは、俺よりも照子の方だった。絵心がなくても、照子は高度な芸術であれば何でも興味をもち、それなりに理解する。
なんとなく綺麗だな、としか思わない凡才の俺とは違う。
篠田を連れて行ったのも、喜んでいた照子の顔を思い出したからだった。
「懐かしいなあ。あの頃はまだ学生やったけん、レストランが高すぎて近くのラーメン屋行ったんよな。そこそこ美味しかったけど」
「社会人だからなあ。女の子と遊ぶ時くらい、見栄張りたくなるもんだよ」
「うちももう一回行きたい」
「一人でいけよ」
「ぶー」
カウンター席に座っているため、隣のカップルが俺たちを変な目で見ている。男女で店にいるのに俺が照子を冷たくあしらっているのが不思議なのだろう。
俺たちはカップルではない。音楽活動の協力はするが、俺は照子との間に越えられない壁を建てている。
俺が、一方的にだ。
そんなこんなで近況報告をしあい、夜が更け、俺たちは店を出た。
会計を照子がクレカで払ったあと、すぐにふらふらと俺の腕に抱きついてくる。
「酔った。まっすぐ歩けん」
カシスオレンジしか飲んでいないのに、照子は酔っ払っている。
「相変わらず酒弱いんだな。女なんだから外でそんなに酔っ払うなよ」
「剛がおる時だけじょ」
「で、家まで送れって?」
照子の家は下北沢だから小田急線ですぐ。
何のことはない、いつものパターンだ。照子は酒が入ると、最後まで俺と離れられなくなる。
「送ってくれてもいいけど、今から下北沢まで行ったら多分千葉まで帰れんよ」
「えっ?」
時計を見ると、確かに遅い時間だった。スタジオに長くいたし、そのあとの照子の飲みっぷりも中々だったから気づかなかった。
「どっかホテル泊まらん?お金はうちで出すけん。それかうちの家泊まってもええよ」
照子がぐっと俺の腕を抱き、体全体を押し当ててくる。
俺と照子はあくまで元バンドメンバーであり、異性として見ないようにしている。だが俺も酒が入っているためか、照子の柔らかい身体に触れると、ざわ、と体中に熱いものが走る。
かつて生肌どうしで何度も触れ合った、照子の暖かい身体が。
そして照子は、かつてと変わらず俺の身体を求めている。
だが俺はそれに応じてはならない。
俺は照子を、一生謝っても許されないほどに傷つけてしまったのだから。
「いや、下北沢まで送っても帰れるぞ」
「えっ、今から千葉とか無理やん。東京駅の京葉線ホームめっちゃ遠いし」
「あれでも総武線快速より早く着けるんだよ……今、千葉じゃなくて豊洲に住んでるから」
「豊洲?どこやっけそれ、会社の近く?」
音楽活動しか頭になく、田舎者で東京の地理にも詳しくない照子は、今都内で最も熱いタワーマンション林立地である豊洲のことを知らなかった。
これはありがたい。豊洲は俺の身分で住めるような街ではないから、あまり勘ぐられると億り人女子高生と同居しているところまでバレるかもしれない。
「仕事忙しすぎるから、会社の近くに住んでるんだよ」
「ふうん……今日、珍しく遅くまでおったのはそれが理由なん」
「ああ……」
正直に言うと、今日は千葉に帰るつもりだったし、遅くまでいるつもりはなかった。
何気ない昔話や近況報告をしながら、俺はずっと理瀬の話をすべきかどうか迷っていた。
仮想通貨で億り人になった女子高生と、豊洲のタワーマンションで同居。
長い付き合いの照子は、俺が真人間のふりをしながら時々とんでもない事をすると、なんとなく知っている。
軽蔑されるかもしれないが、理瀬との関係をこの先どうすべきか、相談に乗ってくれるはずだ。
だがどうしても言えなかった。
元恋人の照子に、理瀬との関係を上手く説明できる気がしなかった。
「ほら、小田急線行くぞ」
「あー、ええよタクシー乗るけん。今日はありがとう」
照子は俺の腕を離し、ふらふらと新宿街道の大通りに出てタクシーを捕まえ、都会のどこかへ消える。
酒癖の悪い照子がああいうことをするのには慣れていたが、この日はなぜか、消えた照子のぬくもりを愛おしく感じてしまった。
こんなんじゃダメだ、と俺は思った。
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