第17話 後輩社員とタワーマンション
「えっ……なんですか、ここは」
タワーマンションに着くと、篠田は不審そうな顔で俺とマンションを交互に見ていた。
「俺の家だよ」
「……宮本さん、仕事しすぎて頭おかしくなったんですか?」
同じ会社の人間だから、お互いの給料はだいたいわかっている。豊洲のタワーマンションなんて、うちの社員一人ではローンも組めない存在だ。
「冗談だよ。ここに親戚の子がいて、保護者代わりに住んでるんだ」
「ええ……それ最高じゃないですか……」
疲れきっている篠田は、いちいち驚く余裕もなく、俺についてきた。最上階までのエレベーターでは「はははエレベーターはやーい」なんて別の世界に行ってしまっているような声で言っていたし、本当にそろそろ限界だ。
理瀬はリビングで待っていた。疲れで覇気を失った俺と、おそらく理瀬が見た中で一番荒れ果てた女となっている篠田を見ると、目を丸くしていた。
心が折れている篠田は『親戚の子』というのが女の子であっても驚く力すらなく、すぐにソファに座り込んだ。
「……あのひとが、さっき言ってた人ですか」
理瀬が俺のところに来て、小声で話す。
「そうだ。俺の後輩の篠田彩香。俺と一緒にずっと仕事して疲れ切ってる。豊洲はホテルとかあんまりないし、もう電車に乗る体力もなさそうだったからここに連れてきた」
「わかりました。とりあえず私にまかせてください」
理瀬は篠田の隣に座り「こんにちは。宮本さんの又従姉妹の理瀬です」と自己紹介をした。よく顔色一つ変えず嘘がつけるものだな、と俺は関心してしまう。
しばらく小声で、俺に聞こえないよう話したあと、
「宮本さん、今から私がいいって言うまで部屋にいてもらえますか」
と理瀬に言われ、俺は言われたとおりにした。
そのあと理瀬が篠田に何をしたのかはわからない。風呂とトイレの音は聞こえた。俺は俺で疲れていたから、久々の綺麗なベッドで仰向けになり、ぼうっとしていた。
これからのことを考えると、俺は眠れなかった。
理瀬と俺の危ない関係を、篠田に晒してしまったのだ。
明らかに限界だった篠田を放っておけなかった、という点ではこの選択を後悔していない。俺自身、修羅場を迎えて胃潰瘍になり、何週間もまともに飯を食えなかったことがある。篠田をそうさせたくはなかった。
とりあえず、理瀬は遠縁の親戚だと言ってごまかす。しかしいつまでその嘘がもつかどうか。実は篠田も、栃木の田舎のほうの出身で、田舎者の親戚縁者関係が強いとはいえいまどき同居までさせないということは理解しているはずだ。
ごまかす理由はある程度作れるだろう。精一杯ごまかしていれば、事実はどうあれ『知られたくないこと』だと思われて、不問にしてくれるかもしれない。
だが俺には、別の気持ちがあった。
いつまでこんなことを繰り返すのだろうか?
どう見て俺のことが好きらしい会社の後輩・篠田彩香。
何年も前に別れたが、趣味の音楽のこともあって未だに付き合いがある地元の元彼女・薬王寺照子。
そして、仮想通貨取引でうん億円の資産を得ながら、心も身体もまだ不安定で放っておけない女子高生・常磐理瀬。
この三人の女と、自分の気持ちにいろいろな嘘をつきながら、当たり障りのない範囲で接触を続ける日々。
そろそろ整理すべきではないのか。
そうするとしたら、整理する方法は一つしかない。
社畜として生き延びるためには、一つしか選択肢はないのだ。
「もう出てきていいですよ」
などと長い間考えていると、理瀬が俺を呼んだ。リビングに出ると、理瀬は少し怒っていた。
「本当にすまん。俺の後輩の世話なんかさせて」
「別にいいですよ。それより、なんであんなに疲れるまで働かせちゃうんですか。宮本さんの会社ってやっぱりブラック企業なんじゃないですか?」
篠田を連れてきたことより、篠田の疲れっぷりを心配している理瀬。
「んー、まあ、五年に一回あるかないかの修羅場だったから仕方ないと言いたいが、俺の監督不行き届きなのは間違いないな」
「どうして早く止めなかったんですか?」
「何度も休めって言ったんだけど、もともと篠田の持っていた案件で、自分で処理するっていう責任感が強くてな」
「それはなんとなくわかりましたよ。ずっと『宮本さんごめんなさい』ってうわ言みたいに言ってましたもん」
「そうだったのか……篠田は今どうしてる?」
「私のベッドで寝てますよ」
「すまん。本当は俺の部屋で休ませるつもりだったんが、言うの忘れてた。俺はシャワーだけ借りて会社に戻るから、今日は俺のベッド使ってくれ」
「宮本さんも休んだほうがよくないですか?」
「俺はまだ耐えられるよ」
「仕事をするのは止めませんけど、一晩くらいちゃんとベッドで休んだらどうですか?」
「お前のベッドがなくなるだろ」
「私が宮本さんと同じベッドで寝ればいいんですよ」
「……は?俺と一緒に寝たくなんかないだろ?」
「今日は特別ですよ。私のベッドとられちゃったし、宮本さんもそっちのほうが嬉しいでしょ?女子高生と一緒にお寝んねですよ?」
「いや……お前、俺が変な気起こしたらどうするつもりなんだ?」
「大声を出しながら篠田さんを起こして、レイプされそうになったと伝えます。宮本さんは社会的に終わります」
「こわっ!」
「こういう状況なので、宮本さんが変な気を起こさなければ二人ともベッドで眠れるんですよ」
相変わらず、俺と一緒にいながら襲われたときの最終防衛ラインまで完璧な理瀬。
「わかった。風呂入ってくる」
俺は軽く風呂に入り、部屋に戻った。理瀬はすでにベッドで横になっている。
疲れていた俺は、理瀬のことをあまり気にせず、どさっと布団に潜った。
理瀬は無防備で、手を伸ばせばいくらでも触れる距離にいる。今更になってそれを自覚したのか、少しだけ理瀬の顔が赤くなっていた。
「俺はもう寝るよ」
「ど、どうぞ」
「顔、真っ赤だけど?」
「わ、私、お父さんとは小さい頃に別れたし、よく考えたら男の人と寝るの、初めてですよ」
「嫌なら、今すぐ出ていくけど」
「嫌じゃないです。嫌じゃないんですよ。でも緊張するんですよ」
俺は理瀬の髪をそっと撫でてやった。
最初は「ひっ」と驚いていた理瀬だが、ただ髪を撫でるだけでそれ以上のことはしない、と気づくと、猫みたいに身体を丸めていた。
「……なんですか、これ」
「昔、妹によくこうしてやってたんだよ」
嘘だ。
俺に妹はいるが、こんな甘々な関係ではなかった。
これは、昔付き合っていた照子が好きだったことだ。セックスが終わってから眠るまで、俺はずっと照子の髪を撫で続けていた。理瀬と何かしたわけではないが、仕事のあとの風呂でセックスをした後のように疲れていた俺は、自然とそれを思い出したのだ。
まずいな、と俺は思う。女子高生に触るなんて。しかも同じ布団の中で。
だがもうダメだ。疲れで意識がはっきりしない。
「妹さん、いたんですか」
「いるよ。まだ高校生で、実家にいるけど」
「高校生の妹さんにこんなことするの、ちょっとまずくないですか」
「俺も妹もガキだった頃の話だよ」
「私も、宮本さんがお兄さんだったらよかったかも」
俺の記憶に残っているのは、そこまでだ。
一週間も徹夜をしている社畜が、暖かい風呂でくつろぎ、ふかふかの布団に入って、五分も意識を保てるわけがなかった。
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