第32話 謀略の宇宙
「最高司令部は何を考えているのか!」
軍高官執務室の一室で、ベルツ・オルソンの怒声が響き渡った。
「捕虜交換だと!?」
ウィレ・ティルヴィア軍大将のベルツ・オルソンは地上戦完了後、大人しく身を潜めていた。シュトラウス家に嫌われた挙句、酷烈な西大陸の統治姿勢を政府や議会にまで咎められ、軍内のみならず惑星上層部において孤立していたためだ。
「モルトの害虫どもを宇宙に解き放つなど、言語道断だ!」
と言って、彼が改心することもなかった。己の失脚はシェラーシカ、そして議会の裏切りのためであって自分の過失など存在しない。ベルツにとって、あの西大陸の作戦こそ果たすべき崇高な使命だったのだ。それも、この数か月は口にすることも許されない。軍内は今、アーレルスマイヤーを支持する者たちで溢れ、占められている。議会も元帥らを、特にシェラーシカを支持していた。
ほんの数週間前まではそうだった。
事情が変わりつつあった。戦時外交権を発動したウィレ軍と、それを使うと思ってもいなかった議会の関係はぎくしゃくしだした。その機に乗じて同盟者を鞍替えするなど、議員たちにとっては茶飯事だ。こと、権力者と誼を通じて生き残ってきたシュトラウス家においては。
「これはゆゆしき事態だ、オルソン将軍」
ベルツと向き合っているのはシュスト・シュトラウス副議長。短気な次男坊で、元々ベルツと同盟しているのは既に触れた。だが、今回はそこにもう一人いる。
「こ、このままでは、わ、我々の議長としての職分が脅かされてしまう!」
議長アウグスト・シュトラウスだ。縁戚であるシェラーシカ家、特に大公となったシェラーシカ・レーテに強い影響を受けている彼が、今、ベルツ・オルソンを頼るために訪れている。ベルツは内心でほくそ笑んでいた。
――絶好の機会だ。
ベルツは喜色を用心深く隠して、椅子に深くもたれかかり、憂慮という言葉を顔いっぱいに貼りつけたような厳めしい面持ちで頷いた。
「これはアーレルスマイヤーとその一派……、そして
ベルツは説いた。アーレルスマイヤー、そしてシェラーシカの狙いは戦争が終わった後も影響力を維持するため、議会よりも強い力を得るために戦争を終わらせた功績を独占しようとしている。そのためには戦争指導において介入、干渉をしてくる議会の口出しが邪魔なのだ。
「我々を邪魔者とは……誰のおかげで今日の地位にいると思っているのだ!」
シュストが早速"着火"した。怒りに任せて机に平手を叩き付けている。そんな弟の姿に兄の方はおろおろとして、ベルツとシュストの方を交互に見ている。
「し、将軍、我々はどうすれば良いのだ」
――いけるぞ。こいつらは様々な意味で"弱い"。これまで以上に御せる。
ベルツは確信すると、椅子から身を乗り出した。
「私に再び指揮権を与えるよう、議会を説得していただきたい」
シュストはその言葉を予期していたらしい。すぐにアウグストを見た。
「兄上――」
「い、いや、それは――」
ベルツは押しに出た。
「できましょう。閣下はこの惑星最高議会の長です。貴方の意向は惑星の総意となる。それだけの影響力、そして実としての権力がある」
「し、しかし、この惑星は議会制民主国家だ、私がそんな強権を――」
ベルツは狼狽える議長の眼を覗き込んだ。息の詰まった音を鳴らして、アウグストは黙り込んだ。
「果たしてそうですかな」
「ど、どういう意味だ」
「ウィレ・ティルヴィアを動かしているのが、本当に国民とお思いか? 未熟な女が議会に立ち、たった数分演説をするだけで世論がひっくり返るような、脆弱な民主主義とやらがこの惑星を支配しているとでも?」
アウグストは青ざめた。シュストもこめかみに冷や汗を浮かべている。
「今、この戦争を進めているのは誰です」
「それは――」
「貴方がたではない。議長閣下、副議長閣下」
もはやシュトラウス兄弟は言葉を継げない。
「あの女だ」
ウィレ・ティルヴィアの名家に連なるオルソン家、その当主。ベルツ・オルソンの姿は、怪物そのものだった。若く、争い事から遠ざけられて育った二人の若者はいともたやすく怪物の腹に呑み込まれた。
☆☆☆
「議長、副議長がオルソンと――!?」
惑星最高議会議員にして政府首班のアルカナは、報せを受けてすぐに公都陸軍司令部へと急行した。公用車の中で、アルカナは親指の爪を噛んだ。
「まずい。今、オルソンとシュトラウス家を会わせるわけには――」
「しかし、すでに会ってしまったのなら、もう遅すぎますね」
秘書であるロッシュが呟くように言い、アルカナは髪の毛を掻きむしった。
「せっかく国民議会から議案を上げる目途が立ったんだ! 外交憲章を改正し、合法的にウィレ軍の思惑を潰す。だが、オルソンが復権すれば議会と軍は真正面から激突する以外に道は――」
言いかけた刹那、公用車は急停車した。前へとつんのめったアルカナは目的地に到着したと悟り、車から半ば身を乗り出した。その時だった。司令部の正面入り口から見慣れた二人の男が出てきたのは。
「議長閣下、副議長閣下!?」
シュトラウス家の両名もそれに気付いたようだった。シュストはアルカナを避けるように公用車へと急いだ。だが、遅鈍なアウグストは半歩遅れた。アルカナは駆け付けるとアウグストの行く手を塞いだ。
「オルソン将軍に会ったのですね」
「ア、アルカナ君。我々はオルソン大将と進むべく道を模索することにした」
「馬鹿な事を……!! 彼は軍人ですよ!?」
シュストが振り返って叫んだ。
「だが、議会を想う忠臣だ」
「西大陸で彼が議会を利用しようとしたのをお忘れか!」
「シェラーシカと結ぶ議員の言葉など聞きたくない!」
アルカナははっとした。
「まさか、議長閣下―—」
「……アルカナ君、わ、私は――」
アウグストは固く拳を握り締め、俯いた。
「わ、わわ、私は、シェラーシカ・レーテが怖いのだ。あれは、どんどん大きくなっている……。やがてはこの惑星を覆い尽くす怪物になるだろう。き、君にもわかるだろう?」
「閣下……!」
「私はボンクラだ。わかっている。だが、彼女は、私が何もできなかった時に、あの演説で議会をひっくり返してしまった……! 西大陸でも、父親のシェラーシカ・ユルとともに何か月も続いた戦闘を終わらせてしまった……! そんな怪物が、この惑星に君臨し、国民に支持され続ければどうなる!?」
アウグストはアルカナの背広の胸元を掴んだ。恐ろしいほどの握力で。
「惑星に新たな"女王"が生まれてしまう……!! 現に、彼女は大公となったではないか!!」
そうか。アルカナは絶望と共に気付いた。アウグストとシュストは最初から怖がっていたのだ。シュトラウスが君臨し続けたウィレ・ティルヴィアが変わる事を。そして、時代と歴史から自ら――シュトラウス家――が必要とされなくなることを。
何という出来レースだ。こうなるとわかってオルソンは近付いたのだ。そして、それをわかった上でシェラーシカは軍に強権を担わせたのだ。
雨が降り出した。水に打たれ、アウグストは我に返ったようにアルカナの襟を離して、その脇をすり抜けた。
「ま、また君にも、連絡する……!」
公用車は走っていった。アルカナは濡れた道路に膝から崩れ落ち、座り込んだ。様子を見ていたロッシュは上司の傍に駆け寄った。
「閣下――」
ロッシュははっとした。アルカナは俯き、肩を震わせて泣いていた。
「誰もいなかったんだ」
アルカナは両手で顔を覆って泣いた。
「この戦争を本気で終わらせようとする者など、誰もいなかったんだ」
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